17 水音
少し地震の表現はいります
苦手なかたはご注意ください
―――どっ
「ひゃあああああああああああああああああああああ―――――――!」
という私の悲鳴はあっという間に広い空間にコダマして消えた。
エルガーの言葉を信じて崖から飛び降りた。オッケーそれはあってる。洞窟の中で蜘蛛に追いかけられて兎に角逃げなければタダじゃ済まないってことがわかっていたから思わず飛び降りてしまった。
よく考えたらこれってすごくマズイ。
落ちてる。今落ちてる。私確実に死に向かってるこれ!
「ハル!」
「なに!」
「手を上げろ!」
なんで私強盗の恐喝みたいな言葉を浴びせられてるの。
なんて突っ込む暇は無かった。
「はい!」
「背筋伸ばせ!」
「はい!」
「二の腕は耳の横!」
「はい!」
「息止めろ!」
「―――」
―――え?
口を開く前に水音と冷たい感触が全身を支配した。指先からの衝撃に目をつぶる。背筋から這ってきた冷たさに止めていた息を呑んだ。そしてゆっくり目を開ける。
鋭い冷水が目に突き刺さるようだった。ぼやけた視界に写ったのは右手に持ったままだった剣と、エルガーがくれた魔法の光、そして自分の腕だけ。それ以外は恐ろしく深い闇。
底が深い。どれくらいの場所から飛び込んだのかはわからないけど、まだ見えぬ底には恐怖を感じた。
―――泳がなきゃ
顔を上げて水面を見上げる。剣が重い。必死に足を動かしてようやく水面から顔が出た。
「ぶっは!」
とまあ間抜けな声で肺に入った水を吹き出して目一杯の空気を吸う。足でなんとか浮きながら剣を腰に掛けている鞘にしまって(とは言っても手が震えていつも以上に時間がかかった)上を見上げる。
上に向かって伸びる壁、そこから突出した場所がある。テレビで見る飛び込み台とかより全然高い。あんなところから飛び込んでよく助かったものだ。どうりで腕やら肩やらが痛む。そしてちょっとズボンも腰の位置からずれていた。
―――よく死ななかったもんだ。
「ハル、無事か」
エルガーの声も聞こえた。大丈夫、私今溺れかけでエルガーのことを視界に入れる余裕無いけど厳しい上司の声くらいは認識できる。
「岸が見えるか?」
うん、と頷きぐらぐらする眼球を固定する。オッケー確認。なだらかな浜が見えます団長。
「あそこに向かって兎に角泳げ」
そう指示されて、私はひたすら泳いだ。距離的には四十、五十メートルくらい。二十五メートルの水泳だって危うかった私にとっては千里にも感じられた。腰に剣だって差しているし、何より服が重い。
ようやくその小さい浜に辿りついた私は、まず地面に膝をついて耳やら口から水をだした。正確には不可抗力で勝手にこみあげてきてしまったんだけど、だいぶ女子力低めな光景だったと思う。
「ご、げほっ、ぶえっくしょい!」
なんて大きいクシャミまでして。
「おい、とりあえずある程度の水は絞っておけよ」
「りょ、ふぇっくしょい!」
そして思った。すごく寒い。
考えてみれば地上でもあの寒さ。地下で、しかも水を被っているとなればそれは極寒を意味する。
とりあえずゴムを解いて髪から水を絞りとる。上半身だけでも着込んでいてよかった。二枚着ているうちの上だけは脱いで絞って、残る一枚は裾だけ水分を取った。
「げほっ……あ、そういえばエルガー、次はどっちに進めばいうぃっ!?」
振り返って問いかけて私は慌てて首の方向を戻した。
―――着替えてんならそう言ってよ――ッッ!
見えてしまった。別に故意じゃないけど上司のがっちり引き締まった上半身が。そりゃ騎士団なんだから人並み以上に筋肉がついている。服から水を絞っていた腕やら腹筋やら筋肉まで美男子だった。
「なんだ?」
「なっ、なんでもないなんでもない!」
しかし本人はとんだ無頓着だ。一人赤面しながらブーツに入った水を流す私って一体何なんだろう。
「はあ……ふぇぶくしっ」
最後に盛大なくしゃみをしたのはいいけど、服が濡れて肌に張り付いて正直心地いいとは言えない。下着だって濡れっぱなしなんだよこれ。
鞘から剣を抜き、その中の水も流す。鞘の内側が錆びないか心配だ。
「ハル、上を見てみろ」
エルガーの言葉に頭上を振り仰ぐと圧巻の光景に思わず息がとまった。
青の森の根。それがしだれ桜の枝のように、分厚いカーテンを作っている。淡い光は儚げで、その真下に私たちはいた。
こんな光景は日本にいたらきっと見られなかっただろう。
―――っていうかエルガーがわざわざ景色を見せるなんて珍しいし、やっぱり男はみんなロマンチストって本当だったのかな。
「根の途中で不自然に盛り上がった場所があるだろう?」
「うん?」
確かに、いくつか上の方に不自然な団子みたいな形をしたものがくっついている。もしかして実が成ったりするんだろうか。
「あれは魔物だ。時々下りてきて襲われるから気を付けろ」
「……うん」
別にロマンチストとかじゃなかった。いやエルガーにロマンを求めた私が馬鹿だったんだけど。
―――ん?
何か細い気配のようなものを感じて鼻で息を吸い込む。
―――気のせい……かな?
嫌な気ではない。ただどこか―――オニキスに似たような感じがする。
「どうした?」
前を歩いていたエルガーが怪訝そうに振り返る。彼が気付いていないということは、アルカナの私にだけこの気配がわかるのだろうか。
「なんとなく預言書みたいな気配を感じるような気がするんだけど……」
「方向は?」
「うーん……そこまではわからない」
どうも四方八方にちりばめられたような感じはモヤモヤ停滞してすっきりしない。頭を掻きまわしたくなる感覚に一人で唸る。
もうちょっと私が敏ければ。
いやそれは決してアルカナ云々だけに言えることじゃなくて人間の深い心の問題とかそういうことも色々ね!
短い返事で返したエルガーが再び歩き出す。
そして、頼りがいのある背中を見て息をついた。
私たちには確かな距離がある。
同じペースを保って同じ距離を保つように、足を前に出してまた歩く。
他人との距離は大切だ。遠すぎても踏み込み過ぎてもいけない。自分が許される場所にいなくてはいけない。
でもそれはすごく寂しいことだと思う。
きっと私なんかが図々しく目の前に出ていったところで、何の影響も与えないんだろう。
でも私は、純粋にエルガーと話したい。
―――友達になりたいんだ。
「いやでも友達になってくださいとかねえ……」
そんな小学生みたいなこと言えるわけないし。
とぼとぼむき出しの地面に視線を落としながら歩いていると、額を立ち止まったエルガーの背中にぶつけた。
「あいたっ、どうしたの?」
するとエルガーが静かに口元に指をあて喋るなというジェスチャーをしてきた。訳も分からず頷いて大人しく黙っておくことにする。
する小さく足元が揺れた。
揺れは段々と大きくなり頭上からも砂が落ちてくる。周囲に何もないがこの揺れは地震大国日本で過ごした私にとっても大きい揺れだ。
「地震……?」
やがて揺れがおさまる。ゆっくりと姿勢を立て直して、
―――なんか、あんまり動揺というものをしなくなった気がする!
一応騎士団の中にいるので良いことであろう進歩を心中でガッツポーズ。
「行くぞ」
「うん……で、今のってなんだったの?」
そう尋ねるとエルガーの顔はいかにも不機嫌になった。
「やっぱりウォーターフォードでも地震はあるんだね」
その顔にしてやったりな口調で言うと返ってきたのは「は?」の一文字。
「ジシン?」
「え、今のって地震じゃないの?」
待て、意思疎通ができたいない気がする。揺れ≠地震ならばさっきのは一体なんなんだろう。水に混じった冷や汗が背中を滑り落ちた。
「エルガー、地震ってわかる?」
「よくわからないな。日本にはそういったものがあるのか?」
さすがエルガー、日本という単語もの発音も流暢だ。っていうか私日本ってエルガーの前ではほとんど言ったことないのに。
「日本は地震大国って呼ばれるくらい地震が多い国なんだ。地震っていうのはさっきみたいに地面が揺れること。漢字で地面が震えるって書いて地震って読むの」
「珍しいものだな」
「他の国には滅多にないんだけどね」
そういえば日本の話をするなんて久々だ。ウォーターフォードにも色々日本にはない現象があったりするんだろうか。
納得したような表情になったエルガーがまた周囲を見渡して歩き始める。
―――あ、そうだ。今このタイミングだ。
「エルガー」
直感で感じ、呼び止めると「なんだ?」と振り返ってくれる。エルガーは悪い人じゃない。ちょっと部下に厳しいだけの上司だ。
「あの、昨日はごめんなさい」
できるかぎり目線をそらさないように心がける。けれど目線とは反対に声は頼りなく震えていた。慣れない金の目を見るとなおさら。
「反省してる。勝手に踏み込んでしまって、悪かったって」
多分はたから見ると蛇とカエルがにらみ合っているようにしか見えないだろう。エルガーは無表情。一方私の濡れた髪の毛から、ポトリと雫が滴った。
「―――……別に怒っているわけじゃない」
息をついたような呟きが耳に入ってきた。いつものぶっきらぼうな言い方と勝手に歩いていく後ろ姿。何も変わらない。でもその距離が少しだけ、縮まった気がした。
私はいつまでこの世界にいるんだろう。
いれるのだろう。
この時少しだけ、そんなことを考えた。
あけましておめでとうございます
そして久々の更新です(遅
もうすぐこれを書き始めて一年経つのに全然進んでないですね←
これからも多分もりもり続くと思うのでよろしくお願いします