15 青の森
歌声が聞こえる。
遠くから、凸凹の曲調に合わせて拙く歌詞を紡ぐ少女の声が響く。一体誰がどこで歌っているのかわからないけど歌自体はなんとなく聞き覚えがあった。
くろいうみに ひかるいし
ぎんいろのいとをひく かみのゆび
さちゅうにねむるすべてをすい
ヴェネがふたたび やどすだろう
だけど、この歌を聞くたびに頭が痛くなる。
それにどうしてだろう、ものすごく―――寒い。
私、なんでこんなに寒い思いをしてるんだろう。寝てる時は毛布があったはずなのに、一体どこにいってしまったんだろう。
そう思いつつまた一歩踏み出す。固い地面の感触が足の裏から伝わってきて―――幻から現の世界に。正気に戻った。
「―――え?」
自分の呟きと同時に力の抜けた腕の間からするりと何かが抜け落ちた。予想以上に荒々しい音をたてて落ちたそれは、どこからどう見ても私の剣だ。
剣を拾い上げようと腰を屈め、そしてようやく自分が立っていたということに気がつく。しかも外套も毛布も無しに傍から見ればすごく寒々しい格好で。
くしゅんッ! なんて盛大なくしゃみをして鼻をすすり、冷え込んだ外気に肌を刺され意識が明瞭になってくる。自分の周囲の音と景色がようやく認識できた。
―――青い。
一面、青い光を発する木々の群れだった。雑草や小さな茂みから木の根まで、淡い光が内側から存在を主張している。まるで街中のクリスマスツリーみたいだと場違いなことが頭を過ぎった。
―――って、そんなことを考えてる場合じゃない! どうしてだかわからないけど、私今確実に青の森の中にいる! 超ド級ホラー(オプション死亡フラグ)に自分から突っ込んじゃったようなものだ。
「え、えっと……何すればいいんだろう……」
さて問題はここからだ。前々から聞いていた幻想的な青の森も、人を喰うんだなんだのというおどろおどろしいイメージを植え付けられたら綺麗だなんてうっとりしていられない。見るなら外から見ればいいし、さっさとここからは退散したいものだ。
上を見上げると木々の隙間から星の光が僅かに見えた。木の葉まで発光しているから霞んで見えにくいものの、日の出はまだ先だと思わざるを得ない。
別に星の位置とか見てもどっちに進めばいいかなんてわからないけどね!
とにかく辺りを見回して一番暗くなっている方向に向かおう。光ってるのは青の森だけのはずだから、暗い場所って言えば森の外側だ。そう思ったけど。
「……明るい……」
どこを見ても青の森が続くばかり。煌々として目に対する刺激の強い光は途切れるところをしらなかった。
「これ完全に迷子じゃん……!」
どうやってここまで来たのかすらわからないけど! もしかして誰かに連れてこられた!? ないない、だって私自分の足で立ってたし!
そんなことはないと思うけど……夢……とか?
考え込んでいた私の目の前の茂みから、葉と葉のこすれ合う音がした。
―――――――――――――――――――
青の森に踏み入れた瞬間、足の裏で感じる地面が硬くなった。柔らかい小粒の砂ではなく幾重もの木の根を支える砂利すらも混じった土だ。
ハルの姿はとうに目の前から消えていた。この鬱蒼とした森の中、ただでさえ不気味な生き物の気配を感じる。その中にフラフラと迷い込んで行ったたった一人目印も無い人間を見つけるのにはこの森は広すぎた。
風が吹きつけて木々が騒ぐ。不穏な予感に胸もざわつく―――その時。
森の奥から絶叫が響いた。
「なッ、なんじゃこりゃあああ―――――――――ッッ!?」
草がガサガサ揺れていた時から嫌な予感はしてたんだ! してたんだ、けど!
今現在、青の森に一人きり。周囲を囲むのは発光する木々と、鈍い光を反射した赤い生物。大きなハサミを二本持ち、まるで甲殻類のように硬そうな背中を上に向けて地面を這うようにこちらを窺ってくる。
私は知っている。この生物の名称を。なんと呼び、なんとくくるべきかを。しかしそれは私の知るものよりも、遥かに大きかったのだが。
サソリだった。
「しかもでかいし……」
こちらにいる虫は日本人に対する嫌がらせなのか、どいつもこいつも巨大化したものが多すぎる。とは言っても例のムカデ程大きいわけじゃないから多少自分の力でもなんとかなるかもしれない。
縦は少し膨れ上がり私の膝くらいまで、横幅は畳半畳ってところ。生々しい赤色にいくつもの凹凸が目立つ。ハサミは鋭利かつ滑らかで、あれに傷つけられたらひとたまりもないだろう。
なんて考察している余裕は私には無かった。なぜならそう、お察しの通り―――一匹だけだと思ったらいつの間にか囲まれていたからだ。
『いや少し前に魔物に喰われた奴がいてね。あの時も砂漠での任務だったんだよ』
『その時に魔物に喰われちまった奴がいてな。こう、むしゃむしゃと』
―――なにコイツら……私を喰うのか!? 喰う気なのか!?
自分が食べられてる姿なんて想像したくないし想像しようとしても脳が勝手にフィルターをかけてしまう。ぎち、と相手の一匹が動く音がはっきり私の耳に届いた。
全部で何匹だろう、どんどん集まってきてる。
一瞬サソリのハサミが動いた。来る、と腰を低くする。剣を抜いて万全に備えた瞬間予想以上に重い斬撃が足元に向かって飛んできた。
「うわっ」
咄嗟に跳ねてハサミを踏みつけるともう一本飛んでくる。そのあまりの鋭さに冷や汗が吹き出した。こいつら本当に私を食べる気なんだ、と。
硬い甲羅に向かって剣を振り下ろし、そのまま跳び箱を飛び越えるように宙に向かって飛び出した。
一歩を大きく踏み出し、真後ろを追ってくるサソリ集団を引き離そうとするけれど片手に剣を持った状態じゃどうしても動きが鈍ってしまう。
と、真横に暗い影が映った。
「!?」
驚きに一瞬足が止まる。木の枝に尾を引っ掛けて自分の体を吊ったサソリがハサミを振りかざしている。その光景がゆっくりと眼球に染み渡る。
―――刺さる!
咄嗟に剣で弾こうと腕を上げたその時、何かが私の真横を通過した。
シュン! と頬の横にある髪の襟足を掠めて飛んでいったそれは、こちらに向かってハサミをきらめかせるサソリに深々と突き刺さった。わずかに開いた甲殻の隙間に潜んだ関節に。
「いやああ―――――――ッッ!?」
一瞬で起こったグロテスクな惨事に、(仮にも)乙女としての嫌悪感が走った。力無く地面に落ちたサソリの背中。そこに埋まっているのは銀のナイフ。本物のナイフだったのだ。
そして「伏せろ!」という鋭い声が混乱する思考回路をかっさばいた。いつも聞いている声。いつも従っている声。反射で身をかがめるとその上をナイフと同じ色の剣が通り抜ける。
空中から飛び出してきたサソリに向かって正面から一撃。それだけであんなに重そうな化け物が吹っ飛ぶ。
「ハル、もういい立て!」
「ラジャーッ!」
言われた通り体勢を立て直す。隣に立っている人物を見る余裕は無かった。私を食べようと集まったサソリの集団は上下左右から襲いかかってきた。
―――き、気持ち悪すぎる!
ようは最初に見たとおり関節を狙えばいいらしい。それだけでしばらく相手は動きが取れなくなる。動物の関節ってやっぱ大事だね!
「これじゃ埒が開かないけど!」
「後ろに退避する、五秒持ちこたえろ!」
五秒……五秒でいいの!?
そんなこと私が聞くまでもないんだろうけど、と前からくるサソリからなんとか背後を死守する。そして後ろからは―――なんだか壮絶な音が聞こえますが!
剣でサソリの甲羅を打ち返した時、5、とカウントを終えた。
「ハル!」
「了解っ!」
そして私は一目散に逃げ出した。
とにかく前を行く背中に遅れを取ることだけはしてならない。ガチャガチャと背後から迫って来るサソリに若干の恐怖心を覚えながらも足は止めない。
道端に転がる異常な数の甲殻類。空に腹を向けて、まだ何匹か生きているようだかほぼ絶命手前。そんな仲間を踏みつぶしながら私たちを追いかけてくるサソリは余程腹が減っていると見える。
もしかしたら上から奇襲をかけられるかもしれない。そう思って視線をさまよわせた時。
―――……なに?
何かを感じる。その方向に向かって顔を上げると、森の中に開けた空間がある。青い光で照らされたそこに、立っているのは一つの小さい門だった。
石を積み上げて造られた、ドアの無い枠みたい。たったそれだけのはず。建物も何もない、はずなのに。
その門を通して見た向こう側には森は(・)無かった(・・・・)。
森では無い。そこにあるのは硬質そうな床の細い道。建物が無いのに。門しか無いのに一体何故。
その方向から微かに感じる。これは私がアルカナだから直観的に感じるものなのか。ただあそこには必ず何かが、ある。
「エルガー、右!」
前を走っていたエルガーも顔を上げ、門を見て一瞬表情を硬くした。サソリ集団に追われている今、考えている余裕は無い。
「行け!」
勢いよく方向転換、勿論サソリ達もついてくる。茂みを飛び越えその門に向かう時、エルガーが私にはわからない言葉を小さく呟いた。
魔法だ。
門をくぐり抜けるその時、彼が右手を軽く翳した。そこから火花が散ったかと思うと次に瞬きを終えた時には門の石が火を上げて弾きとんだ。
騒音。
石の礎が崩れ落ちて、ギリギリで滑り込んだ「こちら側」の壁が一点に吸い込まれるように閉じる。最初から何も無かったように静かになった壁、サソリも飛び散った石の一片すらも入ってはこなかった。
「おわ、った……!」
その場にズルズルと座り込んでしまった私は、しばらく息を整えた。足から伝わる感触は冷えて固く滑らかだ。
周囲には何もない。明るくは無いが歩くのに支障は無い程度の青い光で充満した、硬質な壁と床。まるで整備されたビルの一角のようだった。今までサソリに追われて走っていた森の中とは打って変わって静まりかえっている。
「ここ、どこ?」
「さあな」
立ちっぱなしのエルガーは剣を鞘に仕舞って息をつく。冷や汗ひとつかいていない涼しげな雰囲気に冷静さを感じた。私は何が起こったのかわからなくて呆然とするしかないけど。
「おそらく魔術でどこかに繋げられていたんだろう」
「どこかって……帰りはどうするの?」
「これは入口だ。出口は外側からは見えない、別の場所にある」
立ち上がった私は軽く全身の砂を払って頭上を振り仰いだ。高い天井にはこちらを見る私自身の姿がしっかりと写っている。
全面磨き上げられたガラスのような素材、道幅は大人二人が並んで少し余裕のある程度。青い光がそこかしこで光っているし視界も良好。後ろには壁があるのみ、そして目の前には一本道。
「何かの……罠、とかは?」
「あるとしたら相当手の凝ってる人間の仕業だ。だがこれは人が造ったにしては大きすぎる。もともとあったものを誰かが何かに利用したんだろう」
「何か?」
「例えば、」
エルガーは私を一瞥した。
「預言書を守っていたり」
「あ、なるほど」
だからアルカナの私が引き寄せられたのか。なんとなく何かありそう、なんて漠然とした感覚だったけど。
「出口も無いし、さっさと行くぞ」
勝手に歩いて行ってしまうエルガーの後ろ姿に、私は一人複雑な心境で踏み出せずにいた。
ここには確かにアルカナや預言書と関係の深いものが眠っている。
だけど同時に、危険なものが待ち受けている気がする。
ウォーターフォードに来て冴えた私の『嫌な予感』は、日に日に的中確率を上げていた。
更新遅れて申し訳ないです。
クリスマスまでにはもう一本あげたいと思います!
それから拍手小話を更新してみたので、よかったらどうぞ