14 出現
ああ、誰か。
誰か助けて下さい。
「そろそろ休憩だ。気は抜くなよ」
この冷徹魔王エルガーとの冷めた空気から、私を助けて下さい。
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お前に話す必要は無い。
エルガーが騎士になった理由。それを本人に尋ねて、案の定弾き返されてから数時間が経った。
夜が明けて朝ごはんを済ませた騎士団第一隊(を半分に分けた部隊)は、砂漠の中をアークツルスに跨って疾走中。巨大ダチョウを鮮やかに乗りこなすスキルを私は持っていないため、仕方なくエルガーと二人乗り。
前に座る外套の裾をがっちり掴みながらも、正直言わせてもらうと。
―――すごく気まずい……!
いやこっちが一方的に気まずくなってるだけなんだけどね! 別にエルガーは昨日のことなんて全然気にしていないのかもしれないし!
砂漠を走り続けて二時間。未だ「青の森」に関する大きな収穫も無く、時間は刻々と過ぎ去っていく。周囲の隊員達は既に日光に体力を奪われ少し疲労の色が滲んでいた。
「お風呂入りたいなぁ……」
エルガーに聞こえないように小さく呟いて思わず溜息。
私が悪いのはわかっているけど、モヤモヤした気持ちは収まらないしお風呂に入れないから体がべとつくしなんだか苛々してしまう。
―――すごくさっぱりしたい気分だ。
勿論そんなことは叶わないので一人で肩を落とすことしかできない。
隊員の皆さんは男性だからか全然匂いも何も気にしていないようだ。今のところ誰ひとりとして異臭を発していないのは奇跡とも呼べるだろう。
と、横から知らない隊員が近づいてきたかと思ったらエルガーに向かって何事かを話している。エルガーは頷くと素早く指示を出した。
すると走っていたアークツルスの隊列から、三羽(匹?)ほどが離れて別の方向に向かった。その先には、青空に向かって伸びる一筋の煙。
何かの合図とかだろうか。
休憩地点を目前に、私はそんなのんきなことを思った。
「発見されたのはアマルテアに向かう西の商隊のキャンプ跡でした。荷物は置き去りで水も食糧も残っています。しばらく周辺を捜索しましたが人の気配は感じられず」
戻ってきた三人の隊員は複雑そうな表情でエルガーに報告するのを、私を含めた他の面々も聞いていた。
「まるでその場からいきなり人が消えたような現状でした」
その言葉を境に、騎士団の皆も不気味がっているのか小声で何かを囁き合う。
「人が消えた?」
「青の森じゃないのか……?」
「確か人を喰うんだろ?」
青い霞がかかった青の森。
正体はわからず、ただ旅人や商隊の人々を次々に―――喰っていく。
―――超ド級ホラーじゃん! 私ムリだよそういうの! 知らぬ間に一人二人と減っていくみたいなの!
一人寒気に身を震わせた私の耳に、エルガーの声が飛んできた。
「今日はこの辺りに陣営を張ることにする。各自『青の森』と思しきものを見つけたら速やかに報告すること。火番は三人一組で交代制、異常があったらすぐに俺に知らせろ」
三人一組か。よし、パニール兄弟と組もう。
あの二人なら心強そうだし、と一人頷いた私。そして、
「くれぐれも―――引きずりこまれないように気を付けろ」
エルガーの厳しい声音に騎士団の面々は神妙な顔つきで一斉に頷いた。
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「ナナセ隊員、これを一口大に捌いてくれ」
夕食前。
晩ごはんの調理を手伝うことになった私の目の前に木の板と包丁、そして何の肉かもわからない肉塊が置かれた。
見たこともないようなその肉は、まるで今さっき捕えた動物のような鮮度を保っていて一体どうやってこんな砂漠の真ん中まで持ってきたのか気になるくらいだ。ひとしきりそれを見つめて、多分よくわからない動物のお肉だろうと鉈くらい大きな包丁を持つ。
「わかりました……けど」
脂ものっていてなかなか美味しそうだったので普通に包丁をいれた私はルーシャンさんの方を振り向いた。
「一体これ、なんのお肉なんですか?」
「なーんだナナセ隊員、とぼけるのか?」
満面の笑みのルーシャンさんは疑問顔の私に向かって「ほらあんたが」と肉の種類をネタばらしする。
「昨日倒した魔物の肉さ!」
―――は、いい?
キノウタオシタマモノノ、ニク?
昨日。はい、昨日ね。倒した魔物。昨日倒した魔物って言うとあれ。
「ぎぃやああああああ―――――ッッ! む、むかでええええ!?」
ようやく脳みそがフル稼働して割り出した答えに、私は肉塊からいっきに距離を取る。誰も動物なんかを狩っているようには見えないと思ったら、私がハントしたヤツだったんかい!
「はっはっは、どうしたナナセ隊員」
「ど、どうって、それ虫ですよ……!」
昨日倒した巨大ムカデの体の一部に触れていたのかと思うと、腹の底から嫌悪感が湧き上がってくる。
「虫? 単なる魔物だ。それに今回はいい獲物だったしなぁ。こいつの肉は結構上物なんだぜ? さっさと捌こう」
後ろに回ったルーシャンさんに背中を押されて、もう一度ムカデの肉を前に棒立ちする。確かにスジの入り方なんかが高級食材っぽい。
これは牛肉だ。黒毛和牛だ。そう自分自身に念じながら少しずつ肉を分けていく。
ムカデの肉なんか食べれるようになっちゃって、私ほんとにお嫁に行けるのかな。お嫁の貰い手も無いけど。
そう思うと、なんだか急に自分が寂しい人間のような気がしてしまったので自嘲気味に鼻でそれを笑った。
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「エルガーさん」
かけられた声に、エルガーは体を起こした。時間的にはまだ深夜、冷え切った空気の中で響くのは隊員達の寝息と寝言それに焚火の火が弾ける音のみだ。
そして目の前で複雑そうな表情の若い隊員は口を開く。「ナナセ隊員が」という切り出しにエルガーの口元がピクリと引きつった。
「あいつがどうした?」
「先程から姿が見えないのですが」
「は?」
そんな馬鹿な、の一文が要約された声に隊員がハルの寝ていたはずの場所を振り返る。確かにポーチごと彼女の姿が消えていた。
「半刻ほど前にどこかに歩いて行ったのですが……トイレかと思って気にしなかったんです。しかし戻って来る気配が無いのを見ると何かあったのかと」
―――また問題事を!
立ち上がったエルガーは若い隊員を含め三人に火番を任せアークツルス一頭を連れたエルガーは早々にキャンプ地から七瀬ハル捜索に出た。
「ったくあいつは……!」
いい加減頭で物を考える訓練をしろ、と心中で毒づいた彼の視界には星明りでわずかに照らされた砂地が見える。その中に、黒い物が蹲っているのを見つけそこまでアークツルスを走らせた。
「毛布……?」
落ちていたのは案の定隊員全員に配布されていた毛布だった。それを拾い上げた下には足跡が続いている。
「―――?」
確かに足跡のサイズはハルのものだろう。だが、砂漠で不安定な足場とは言え少し足元が覚束ない足跡だ。足跡の先には、また幾層の砂の波が待ち受けている。
いくらなんでもトイレごときでこんな遠くまでくるはずがない。ということは、何か気になるものでもあったのか?
単純思考のハルなので、そういうこともあり得ないだろう。それ以外に考えるとしたら―――『青の森』が関係あるかだ。
その場から立ち上がったエルガーは、アークツルスにハルの足跡を追わせた。歩幅が少し乱れているということはよほど夢中になっていたのか、それとも。
大きくうねっている砂漠の砂の向こう側から、ほのかに青い光が夜空を照らした。
ハルの足跡は確実にその光に向かって進んでいる。幻想的で鮮やかで、人間にはとても魅惑的な蒼色に。
―――これが。
緩やかな砂の丘の上に立ったエルガーは眼下に広がる光景に息を呑んだ。
青く発光する木々が、おおよそシュヴァイツ城の半分ほどの面積にひしめきあっている。まるで生きて動いているようにそれが風に揺れた。まあるで葉の一枚、幹の一筋まで染み込んだ色合いがそれを更に淡く人を惹きつける力を持っているようだ。
その景色の中で、わずかに黒の色彩が動いた。目を向けると一人の人間が、森に向かって足を踏み入れるところだった。
「―――おいハルッ!」
叫べばまだ声の届く位置にいる。しかしその人間は、ハルは足を止める素振りも見せずついに木々の間に一歩踏み出した。まるでこちらの呼び声など聞こえていないように足取りに変化は無い。
今まで何人の人間を飲み込んできたのだろう。そして飲み込まれた人々は一体どこに消えたのだろう。
心のどこかに氷塊が落ちた。背筋がすっと冷え、それに対する嫌悪感を払うようにエルガーの体は本人の意思など関わらず青の森に入って行ったハルの足跡を追っていた。
更新遅れてしまって申し訳ないです。
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