13 幻の歌
くろいうみに ひかるいし
ぎんいろのいとをひく かみのゆび
さちゅうにねむるすべてをすい
ヴェネがふたたび やどすだろう
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瞼を開くと、まず見えたのは砂の上に無造作に置かれた自分の手のひら。
それから未だ明けきらない夜空の無数の星達。今は背後にある焚火の光の影響で、少し数が減って見える。
眠っていた状態から、私は体を起こした。
晩ごはんを食べたあとに揃って眠りについた騎士団の面々はみんなすっかり夢の中。いびきまでかいている人もいる。いざって時はすごく頼りになるそうだけど、本当に大丈夫なのかな。奇襲とかされたらおっかない。
外套を下に引いて毛布にくるまっていても、いや寒い寒い。さすがに夜は冷える。
なんか後頭部が痛いと思ったら、髪の毛を結んだまま眠っていたんだった。黒ゴムを外して簡単に手櫛で梳かしてからまた緩く結ぶ。
「ふぇっくしっ!」
間抜けなくしゃみをした私は、こっそり周りの人が眠っていることを確認して息をついた。
―――なんか変な夢、みたいの見てた気がするんだけど気のせい?
肩をさすってもう一度眠ろうと体勢を変えた時、焚火の見張りなのか二人の騎士団員の会話が耳に入ってきた。
「『青の森』か……おっかない」
「今回も無事に帰れるといいんだけどな。ほら、ずっと前に魔物に喰われた奴もいただろ?」
「そういやそうだった。あのでかいサソリの時だろ?」
魔物に喰われる?
魔物って人間食べるの!?
恐くなった私はもう一度起き上がり、毛布を体に巻いて焚火の元まで歩いて行った。
「すいません、ご一緒していいですか……?」
「お、おお。ナナセ隊員か」
「眠れないのかい? 隣にくるといい」
暗闇の中から現れた私に一瞬慄いたものの、二人はこころよく仲間に入れてくれた。
片方の隊員は、ヒゲのいかした三十代後半くらいのおじさん。髪は短く刈り込まれて全体的に筋肉質な感じだ。
そしてもう一人は二十代後半くらいの、乾いた金髪の男の人だった。顔つきも骨ばっていて、どことなくヒゲのおじさんに似ている。
「自己紹介が遅れたな。俺はパニールだ。こっちは弟のルーシャン」
「よろしく」
歳の差が大きいのに随分親しそうに話しこんでいると思ったら、なるほど兄弟だったわけか。
「よろしくお願いします」
「近くで見れば見るほど男前だなぁ」
弟のルーシャンさんにそんな(褒め言葉にカウントされるのかわからない)褒め言葉を貰って苦笑いを浮かべる私の目の前で、彼の脳天に兄のパニールさんの鉄拳が落ちた。
「いってぇ!」
「年頃の娘さんに向かってそりゃあ無いだろう」
「いえいえお気になさらず」
―――むしろ「年頃の娘さん」の方が不慣れでむず痒いですしね!
「そういえばさっき、魔物がどうのこうのって……」
「ああ、魔物のことか。いや少し前に魔物に喰われた奴がいてね。あの時も砂漠での任務だったんだよ」
パニールさんの序々に進んでいく解説に比例して、私の頬は嫌な予感にどんどん引きつっていく。
「その時に魔物に喰われちまった奴がいてな。こう、むしゃむしゃと」
擬音入れないで―――ッ! 頼むから音で表現するのやめてグロいから―――!
渋面を作った私に気付いているのかいないのか、二人はニコニコそっくりな笑顔を浮かべながらこちらを見てくる。
「まあそれ以来魔物はちっと苦手だったんだが、今日のナナセ隊員を見て勇気づけられたぜ」
「なんたってあんなデカイ魔物に真正面から突っ込んじまうんだもんな」
そっくりな兄弟の称賛に顔が赤くなるのを感じた。
すいません、ちょっと後先考えすぎないだけなんです。そんな大層な闘志みたいなのがあるわけじゃないんです。
「でもそんなこと聞いちゃったらもう魔物に突撃なんて出来ませんよ……」
「はは、でももう昔の話さ。俺もまだ若かったし、余計に恐く感じたもんだ」
「結局その魔物どうなったんですか?」
遥か昔に無事に討伐されていることを祈る私の前で、沈黙した兄弟は同時に首を振る。
「実はその時は捕まらなかったんだよ」
「逃がしちまってな、またあんなデカイ奴に会わなきゃいいんだが。ま、今日の魔物も中々の大きさだったのにナナセ隊員の活躍のおかげで倒せたし、あんたがいりゃあ大丈夫だろう」
豪快に笑うルーシャンさんに背中を強く叩かれながらも、さっきまで恥ずかしくて火照っていた顔からすっと血の気が引いていく。
いや、もうあんな大きい節足動物の相手なんてしたくない。
「二人って何年前くらいから騎士団にいるんですか?」
「俺は八年前から。兄貴は十五年前からいる」
「まあな。昔はそりゃあメイドからモテてなぁ」
「いつもの冗談だ。気にしないでくれ」
ルーシャンさんがそうやって私に小声で告げ口してくる。本当、傍から見ても仲のいい兄弟だ。
「十五年前かぁ……」
「おう。ディア王子やらエルガー団長がこーんな小さい頃から知ってるぜ?」
丁度私たちが座ってるくらいの高さで手をヒラヒラさせながらパニールさんが白い歯を見せて笑った。
―――ディアの小さい頃はなんとなく想像つくけど、あのエルガーにも子供だった時があったんだよね。想像できない。
「二人とも、どんな子でした?」
「おお、聞きたいか?」
あわよくば今ここで二人の幼少時代の話を聞いてしまえ、と身を乗り出した私の上にすっと影が落ちた。
何故だろう。背後からすごい冷気を感じる。でもって真後ろに誰が立っているのか一瞬でわかる。
パニールさんもルーシャンさんも、私の後ろにいる人物を見上げて茫然としている。
「随分楽しそうだが……一体何の話だ?」
「え、えと、団長……これは……」
―――こ、こええええ!
じっとりと背中を冷や汗で濡らした私に「なあ、ハル?」といつにも増して低いエルガーの声。
「え? いや、あの、ちょっと昔話を」
「お前ら全員さっさと寝ろ」
びしっと寝床を指差され、ルーシャンさんとパニールさんが早々に退散する。一方の私もいそいそと自分の場所に戻ろうとしたのだが、エルガーが火元の近くに腰を下ろしたのを見て足が止まった。
「エルガー、寝ないの?」
「火番をする」
待って、それって仮にも一応上司にやらせちゃダメだよね。年功序列順にも先輩だし。
「やるやる! 私やります!」
「単に火を見てるだけだ。退屈だぞ」
「だからやるって。エルガー代わりに寝ててよ」
その申し出に、エルガーは最近十八番になりつつある「苦虫を噛み潰したような顔」でこちらを見た。いかにも不服そうだ。
「何その顔……」
「危なっかしい。お前は寝ておけ」
―――し、失礼な!
「私だって火くらい見れるよ!」
「……」
大股で火のところまで近づいて行った私は、砂埃を立ててエルガーの横に座った。うちの血筋は代々頑固者だ。こうなったら火の為に徹夜くらいしてやる。
「……オイ」
「エルガーは私の上司なんだし、雑用は部下の仕事。そうでしょ?」
「お前がぶっ倒れても運ぶ余裕は無いぞ」
「大丈夫、一日くらいの徹夜慣れてるし!」
なんたって私は高校生、テスト前日なんかに徹夜することはしょっちゅうだし体力もさほど減らない体質だ。
自信満々な私に対し、エルガーはげんなりとした表情で溜息を吐いた。何も言わない、ってことは別にここに居てもいいってことだろうか。
「……」
「……」
体育座りでひたすらに火を見ているというのは、あまりの退屈さにじわじわと精神がすり減る。
―――しかもこの重い沈黙……!
今日は助け舟のジェラルドもいないし、やっぱり魔王団長との空気をもたせるのは至難の業だ。
「あ、あのさエルガー」
重々しい雰囲気に耐えられなくなり話題を探してそう切り出したものの、何を話すか全然決めていなかった。
「え、えっと……エルガーって誕生日いつ?」
無理やり絞り出した、プロフィール関係の質問にエルガーはいかにも胡散臭いと言いたげ。苦笑いのまま表情筋が固まってしまった私の思うことは一つ。
―――話題選択ミスった!
「誕生日?」
「そ、そうそう! ウォーターフォードにも誕生日を祝ったりするのかなーって思って」
我ながら随分無理のある会話のつなげ方だ。ちらりとエルガーの方を窺うと、いつものように無表情のまま火を見ている。
「覚えてない」
「覚えて、ない?」
もしかしたら、この世界では本当に誕生日を祝う習慣なんてないのかもしれない。それなら自分の生まれた日は知らなくて当然、なのかな?
―――あれ、そうしたらどうやって歳数えるんだ?
「お前はどうなんだ?」
「え、私? 私は二月十四日……ちょうどウォーターフォードに来た日だよ」
「それでやけに荷物が多かったわけか」
「そうそう。学校の女の子がプレゼントにね、お菓子くれたの」
学校に通っていたのがずっと昔のことみたいだ。まだ半年も経っていないのに、何年も前のことのように私の中で少し色あせてしまったような感じがする。
まるで私のいた場所は、最初からここだったような―――。
「あ、そうだ」
一瞬だけ自分の中に芽生えた考えを頭から振り払うように続ける。
「あのさ、私って成り行きで騎士団の一員になったわけでしょ?」
エルガーのほうに視線を向けると、彼の目には焚火の炎が映っていた。相変わらず美形だ。
「じゃあ、エルガーはどうして騎士になったの?」
若くして騎士団の団長になっているエルガー。
そこまで上り詰めるには、私には想像のつかないくらいの努力があるんだと思う。
一体何が彼をそこまでさせたんだろう。一体どんな目標や夢があって、団長になったんだろう。
純粋に仲間として、エルガーという人物に興味があった。
だけど。
「そんなことは、お前に話す必要は無い」
凍てついた声音で返された言葉に、一瞬呼吸が止まった。
エルガーは私の方を向かない。ただ燃えさかる炎をじっと変わらぬ瞳で見つめているだけだ。
―――拒絶、された?
あまりに呆然として、そのことに関する悲しみは湧いてこなかった。ただ、弾かれたという現実だけが心の中に水をしみ込ませるようにゆっくりと入ってくる。
「あ……」
自分が何を言おうとしたのかはわからなかった。
「ごめん、なさい」
ただ何か、触れてはいけないところに触れてしまったのではないか。
「眠くなってきたし、私もそろそろ寝ようかな」
全然眠くなんてない。ただ、それ以上エルガーに話しかけることも出来ない気がした。隣にただ座っているなんて尚更。
「おやすみ」
私は立ち上がり、毛布を持って自分の寝床に戻った。柔らかい砂の上に敷かれた外套の上に横になる。
途端に鼻にツンとした痛みが上ってきた。目頭が熱くなって、それを毛布にくるまってひたすらに耐えた。
―――逃げたくせに何泣きそうになってるの、私は。
他人の痛みや傷に触れてしまったのかもしれないのに、私に泣く権利なんてない。
突然異世界からやってきた何の力も持っていない私を、たくさんの人が支えてくれた。心を開いてもらったとも思っているし、私だってウォーターフォードにいるたくさんの人達を好きになった。
ディアやジェラルドや、エルガーだって例外じゃなかった。
だけど。
―――仲間だと、そう思っていたのは私だけなのかもしれない。
満天の星空の下、夜は静かに更けていく。
難産でした(泣)
長くてすいません。