12 ムカデハンター七瀬
砂漠の中ぽっかりと浮かぶ街のはずれ。小さく質素なたたずまいの家から、しわがれた歌声が聞こえてくる。
ロッキングチェアで体を揺らし、手に持った書物の頁をめくる音。それに合わせて、音の凹凸が弾む。
「おばあちゃん、なんのうた?」
年端のまだ満たない呂律の回り切っていない少女はチェアの肘かけに顎をのせて大きな瞳でそこに座る老女を見上げた。
「これはね、おばあちゃんがおばあちゃんに教えてもらった歌なんだよ」
「おばあちゃんの、おばあちゃん?」
唸って首を傾げた少女に、老女は優しく「そう」と頷き微笑んだ。
「おばあちゃんのおばあちゃんが、そのまたおばあちゃんから聞いた古い歌。ずーっと昔にご先祖様が作ったもので、もう覚えているのは、私だけになってしまったねえ」
遠くの物を見つめるように目を細めた彼女は再びリズムを刻み始めた。
黒い海に光る石
銀色の糸を引く神の指
砂中に眠る全てを吸い
ヴェネが再び宿すだろう
神の社の奥深く
そこに眠るは金の獅子
二つの瞼が瞬けば
道は続き導かん
青い光の中央に、―――
―――――――――――――――――――
―――集中しろ。
上から見るとムカデの全長がよくわかる。大体五十メートルと少しくらいだろうか。
ムカデの頭の大きさは、横幅二メートル、縦幅も着地するのに不足は無い。
あとは無事にこの状態から二本の角を斬ることだけ。
それだけを考えろ。
エルガーの腕を借りて大ジャンプを試みた私には空中での動きが妙にスローに感じられた。人間の脳は危険に直面した時走馬灯が走るとか、周囲の動きが遅く感じるとかテレビで偉い学者さんが言っていた気がする。
これがその走馬灯なのかわからないけど。
掌の力を一瞬緩め、空中で体を動かすままに一回転。ムカデの頭が視界いっぱいに近付いてくる瞬間に、急速に感覚が返ってきた。
「ハル!」
―――大丈夫、いける!
ドン! と足の裏に大きな衝撃。同時に黒光りする肌に剣を振り下ろした。
固い物の割れる音がして、深いひび割れがムカデの入った。その奥から緑色の何かが湧き上がって吹き出す。
「!?」
驚いた私の顔にもその緑色の液体がかかった。生ぬるいそれは―――ムカデの血。
「わああああ――――――――っっ!?」
―――きっしょい!
悲鳴を上げた瞬間、私の足元がぐらついた。ムカデが苦しむように、頭を空に向かって突きあげたのだ。ずり落ちそうになり、必死で伸ばした手が何かを掴んだ。
手から剣が抜けて地面に向かって落ちていく。頭を振り回すムカデにしがみつき、ようやく自分が何に触れているのかわかった。
「つつ、角――――――っ!?」
二つある角のうち一本につかまる私を、ムカデが頭を振って落とそうとする。
どうやら知恵だけはあるみたい、だけどッ!
不吉な音を立て、私がぶら下がっている方の角の根元にひびが入った。
ぎょっとして本能的にもう片方の角にも指をかけるけど、こちらの角もゆっくり傾いていく。
これはマズイ、嫌な予感しかしない!
だけど細かいことが気になる性格の私にとっては、そのひび割れがあまり気に入らなかった。治りかけの怪我にぶら下がったカサブタを剥がすみたいに、いっきに折れちゃえばいいのに。
と。
思った自分はやっぱり馬鹿だ。
息を吸って、両腕に力を入れ思い切り下に向かって引っ張った。
たかが高校生一人分の体重、だけど少なくとも四十キロは超えている。更にムカデが頭を振り回しているから遠心力でもっと強い力が角にかかっているはずだ。
ぶちぃっ、と血管の切れる音。
なんとか繋がっていたムカデの皮膚と角が、ようやく断たれた。
「よっしゃああああ―――――――っ!」
角を握ったまま思わずガッツポーズ。晴れ晴れとした心の中に響くのは騎士団の仲間達の歓声と同時に―――いくつかの悲鳴。
そうでした。私今、空に向かってダイビングしたんでした。
大体高さは二十メートルくらいだったろうか、吹き出したムカデの血液と距離を変えないまま体が真っ逆さまに落ちていく。
心臓が凍りついたような感じがした。例え柔らかい砂の上でも背中から落ちるということは致命傷になりかねない。ましてや死ぬ可能性の方が大きいんじゃないか。
―――死ぬ。
目の前が暗くなった瞬間、
くぐもった音と重い衝撃が体にかかった。
恐々瞼を上げ、自分が生きていることを確認する。大丈夫、ちゃんと息してるよ私。生きてるよ私。
はあ、と私を受け止めた人物が大きく溜息を吐きだした。
その人物を見て私は硬直。
「……エ、エルガー?」
「お前はいい加減に―――」
ジェラルドとか普通の隊士さんとかが受け止めてくれたもんだと勝手に思っていた私は、間抜けにも口を開いて何も言えなくなっていた。
そしてエルガーは無情にもそんな私をあっさり腕の中から落とした。
バスッ! みたいな鈍い音がして私は砂の上に落ちたわけだが、その時に乙女らしからぬ「うぎゃい!」という悲鳴を上げてしまう。
「何で!? 何で落とすの!?」
「お前はもう少し後先考える癖をつけろこの馬鹿ッ! お前のその頭は飾りか!?」
「飾りって失礼な! ちゃんと考える力ぐらいありますぅー!」
「じゃあなんだ、中身が無いんじゃないか!?」
「中身だってしっかり入っとるわ!」
―――脳みそはあるけどシワが少ないだけだし!
じっくり十秒ほど睨みあった私とエルガーの間にニコニコと愛想のいい笑顔を浮かべたジェラルドが「まあまあ」と割って入ってきた。
「二人ともそう喧嘩すんなって。いいじゃんか。あの通り、魔物はこの世とおさばらしたんだし、さ」
ジェラルドが示した先にはついに最期を迎えた巨大ムカデと、その周囲にいる騎士団第一隊の皆さま。そしてようやく、自分が未だにムカデの角×二を握り続けていることに気付き「うわっ」と手を離した。
「ともあれ一件落着だろ? ハルは確かにちょっと無茶しすぎだけど、終わりよければ全てよしってな?」
肩を竦めたジェラルドに対し、万年仏頂面魔王は舌打ちをして踵を返した。どう見ても怒ってるよなぁ、あれ。
「……怒らせちゃった……」
「何しょんぼりしてんだよ。大丈夫、あいつ怒ってなんていねーから」
別にしょんぼりなんてしているつもりは無かったんだけど、彼にはそう見えたらしい。いささか強すぎる力で私の背中を叩いたジェラルドはまるで告げ口するような小声で言った。
「単にハルが心配なだけなんだって」
「心配? エルガーが?」
「そ。あいつあんな顔して心配症だからなぁ、自分が危ないことするのは平気だけど、俺らにはあんまりしてほしくないみたいだぜ?」
「なんか……」
一呼吸おいて。
「―――厳しいお父さんみたいだね」
その言葉に横にいたジェラルドは勢いよく吹き出した。
―――――――――――――――――――
時刻は変わって夜。
昼間から打って変わって砂漠の夜は凍える寒さだ。勿論宿なんて無いから今夜は野宿。せめて水浴びだけでもしたい。多分寒さで凍え死ぬけど。
「はあ……」
騎士団は二手に分かれ、エルガーとの間で助け舟をしてくれていたジェラルドがいなくなってしまった。これは痛い。
ちゃんとエルガーに謝らなきゃ。それからお礼言わなきゃ。それにしてもあんな高いところからぶっ飛んだ人間をよく受け止めようなんて思うよなぁ……普通腕もげるでしょ。
とにかく汗をかいて匂いの気になる服を着替えよう。
砂漠の中に点々と存在する岩の影に着替えを持って隠れた私は一人ごそごそと高校のセーラー服に着替え始めた。冬バージョンだからセーターもあるし、ソックスじゃなくてタイツ仕様だ。
タイツを履いている最中に、何故かいきなり目頭が熱くなった。
「なにこれ……ホームシック?」
ルーやロズがいないからだろうか。それとも暖かいベッドが無いからだろうか。
無事着替え終わった私は、疲れた体を休めるために岩によりかかって座った。
―――頑張らなければ。
今やるべきことはそれだけだ。アルカナの役目を無事全うしたら私はウォーターフォードから日本へ、帰ろうと思っている。
思っている、はずなのに。
なんだか心が納得しない。本当にそれでいいと私は思っているのだろうか、自分でもわからなくなってきた。
溜息をついて目を瞑り、頭を岩の出っ張りにのせた。
―――私、もしかして迷ってる?
気の重くなるような考え事に、うっすらと瞼を上げた私の視界いっぱいに日の沈みきった満天の空が映った。
「う、わぁ……!」
数え切れない星が瞳に飛び込んでくる。宝石のように瞬くそれらの間には僅かな隙間しかなくて、一体どれが六等星なのかわからないくらい輝いていた。
こんな星空を生まれて初めて見た。
地平線まで続く光の群れ。いつか見ることが叶えば、どんなに嬉しいだろうと夢見ていた、もの。
異世界なんだし、この星の中に地球は無いのかもしれない。私のいた場所はもっと遠くにあるのかもしれない。
どうして私が迷っているのか、それはまだわからない。自分の中で折り合いもつけられないけど、いつかその答えを出す日は必ずやってくるはずだ。
その日を迎えるために、今は頑張らなければ。
「……い」
とにかく騎士団の中で精進して、少しでも強くなって皆の足手まといにならないようにして。
「……おい」
ちょっとは後先を考えて行動するようにして、魔物とかもちゃんと一人で倒せるくらいに―――
「おい」
「うひゃああっ!?」
低い声と同時に後ろで結っている髪の毛を引っ張られ、驚きで素っ頓狂な声を出してしまった。
「ななな、いきなり何……!?」
「何度呼んでも返事をしないからだ。晩飯だぞ」
いつの間にか真横に立っていたエルガーに着替えも腕からすっぽ抜けた。何度も呼んだって気配が無さすぎでしょ! 十人中十人がびっくりするわ!
「晩ごはん?」
「さっさと来ないと無くなる。食欲が無いならそれでも構わないが」
「あるある食欲すごくある!」
着替えを拾ってさっさと立ち上がった私に、エルガーは意味深な視線を向けてきた。
「ん?」
「もうあまり無茶苦茶なことはするな」
呟かれた言葉に私は一瞬硬直。
あいつあんな顔して心配症だから、というジェラルドの言葉を思い出して思わず吹き出してしまった。
「何がおかしい?」
「だって、エルガーそんな顔して心配症なんだもん……! ほんっと厳しいお父さんみたい!」
エルガーは笑われていることが気に喰わないのか苦々しい表情を浮かべてこちらを見てくる。そして軽く舌打ちすると踵を返してしまった。
「あ、ちょっと待って!」
彼の後ろ姿を見て我に返った私は、着替えの隙間から輝くアクセサリーを引っ張りだした。
「これ受け取って」
ひょいと投げたそれは振り向いたエルガーが見事にキャッチ。彼はそれを不思議な物でも見るようにマジマジと見つめて「なんだこれは」と小さく呟く。
「ネックレス」
「それはわかる。どうして俺がお前からこれを貰う必要があるんだ?」
「日頃お世話になってるみんなにお礼も兼ねてのプレゼント。他にも何種類かあったんだけど、エルガーはそれが一番良いかなって」
アマルテアの出店で青の森のことを教えてくれたおじさんの出店で買ったものだ。「好きな子にでもどうだい」が売り文句だったおじさんからしてみれば、六つもアクセサリーを買うなんて「随分好きな子が多いんだなぁ」とある意味感動だったらしい。
シンプルなラインのチェーンに掛かっているのは繊細に刻まれた小さな模様のネックレスヘッド。渦を巻くそれの中心には、金色の石が光っている。
エルガーの目と同じ色だ。
「それから、今日は助けてくれてありがとう。エルガーがいなかったら私、大怪我してたかもしれないし」
「そう思うんだったらこれ以降危険な行動は―――」
言いかけたエルガーの言葉に、私は自分の声を重ねる。
「やめるつもりは無いよ」
一瞬固まった彼は、いっそう顔を苦々しく歪めた。
「目の前にチャンスが転がってるのに、それを危険だからって逃してしまうほど理性のコントロールが器用には出来ないのが自分でもわかってるから。自重はするけど、完全に押さえろなんて絶対ムリ!」
「……お前な……」
「迷惑いっぱいかけると思う。だから先に謝っとくね、御免なさい」
なんて自分勝手で押しつけがましいんだろう。
でもやっぱりムリなことはムリだ。この先何度も怒られることになるくらいなら、最初に言っておこう。私は単純で、馬鹿だから考えて動くなんて器用なことはできない。
やや神妙な顔つきの私に、エルガーは溜息をついた。
「とっとと来い。飯が冷めるぞ」
それだけ言ったエルガーはいつものような無表情に戻って、再びみんなのもとへ戻っていく。
―――これは一応、許されたって思っていいのかな?
無意識に頬が緩んだ。
笑って頷いた私は、着替えを持ったまま急いでその後を追いかけた。
お久しぶりです。更新本当に遅くなって申し訳ありませんでした。
ここまで待ってくださった方々に感謝です。本当に。
もう駄目な作者ですいません! 精進します!