09 ドラゴン
「ドラゴンの操縦訓練か……そろそろ第二隊も予定組んでおこう」
「そっちは今度どこに探索だ?」
「ワルキューレ」
「北大陸のか」
ドラゴンの飼育舎に向かって歩いていた二つの人影。片方は騎士団団長のエルガー、もう片方は騎士団第二隊の隊長であるディアだった。
空には既に何頭ものドラゴンが飛びかっている。大小様々のそれらが太陽の光に照らされていた。
「今日はよく晴れたねー」
「そういえば、ジェラルドにあいつのことを任せたんだが」
彼の言うあいつとはハルのことだ。芝生の上で待機中のドラゴンの中にも、それらしい人影は見当たらない。まだドラゴンを選んでいるであろうジェラルドとハルの様子を見に飼育舎に向かっていた二人は、地面から伝わってくる感覚に足を止めた。
「揺れてる……?」
周囲の隊員もそれに気付いたのか顔を上げる。飼育舎の中で何か異常があったのかと二人が歩くスピードを速めたその時。
「うひょおおお――――――――っっ!」
その場にいた者の視界に映りこんだのは「走る何か」と「それを追う小型のドラゴン」だった。地響きはどうやらそのドラゴンの足音らしい。
しかしそれよりも、二人にとってはドラゴンの更に前方を走る人間―――ハルに視線を奪われる。
「……あいつは何をやってるんだ?」
エルガーの呆れた声に、ディアもゆっくり頷いた。
―――――――――――――――――――
勢いよく駆けだした私の背後を、ドラゴンちゃんはしっかりついて来た。腰元に揺れるお肉目がけて一直線。
だけど今は捕まる前にこの子を外に出さなきゃ!
「うひょおおお――――――――っっ!」
だけど真後ろに自分より大きい何かが迫ってるって予想以上の迫力。
今までの人生で経験したことないくらいのスピードで走ってるんだけどッ……ドラゴンとは足の長さが違った!馬鹿でした!
ようやく外に走り出た。眩しい太陽に目を細める間もない。痛々しい視線がこっちに突き刺さるのを感じつつ、懸命に足を動かす。
―――やった、けど、こっから先考えてなかった!
もっとちゃんと作戦を立てて実行するんだった、と本気で後悔した時背後でピュッ、という風を切るような軽い音が耳に届いた。
ふと、後ろで結んでいる髪の毛に違和感。
「え?」
寒気を感じて後ろを振り返るとドラゴンが前足を振りかぶったところだった。
ど、どんだけ肉好きなんだよ!私も餌扱いか!
そんな心の中のつっこみとは裏腹に、口からは「いぎゃ――――――!」という盛大な悲鳴。そして足がもつれた。
「げっ」
女子高生からぬ低音が喉から飛び出し右肩からドスン! と芝生にすっ転ぶ。そして真横にドラゴンの重い前足が下ろされた瞬間に正気に返った。
―――まずい、これはまずい。踏まれる。踏まれたら痛いとか言ってらんない。死ぬ。
ドラゴンの腹の下だ、今!
せっかく探索の同行許可を貰えたのに怪我で待機とかなったら元も子もない。
だけどこのまま踏みつぶされるわけにもいかないし、ええいなんでもいいからとにかくこの下から出なきゃ!
腹ばいで伏せたまま、開いた右手の方向に匍匐前進しようとする。しかし突如またドラゴンが一歩踏み出し、不幸なことに行く手に巨大な足が下ろされた。
ドラゴンはどうやら目の前から私がいなくなったと思ってるらしい。呆然と突っ立ったままきょろきょろ首を動かしているようだ。
やがてドラゴンは不思議がりながら前に進んで行った。なんとか踏まれずに済んだ私は彼(彼女?)が通り過ぎてやっと体を起こすことができて、慌てて服についた芝生を払う。
「ハル!」
声のした方を見ると飼育舎の前にディアとエルガーが立っていた。今までの全部見られてたんだ。
「あっ、別に大丈夫だよー!」
「そうじゃなくて、前っ!」
ディアに向かって叫んだはずが、なんだか死亡フラグを予感させる答えが返ってきた。
ん? なんだか背後に本能的な危険を感じるぞ?
振り向いたら、涎を垂らしたドラゴンちゃんと視線が合った。
グワアア―――――ッ! と、ちょっと高めの咆哮を上げたドラゴンはいっきにこちらに向かって走って来る。なんだか妙に喜々とした様子で。
腰にぶら下げてる肉どころか、私まで食べる気か!
口を開けてこちらに駆け寄ってくる姿が、犬とかぶった。
「待てっ!」
咄嗟に口をついて出た言葉。同時にドラゴンの瞳を真っ向から見据えると、相手の動きが止まる。
「待・て」
もう一度反復すると、今度は身じろぎもしなくなった。
腰に手をやって剣を抜き肉と腰を繋ぎとめる紐に当てる。ゆっくり肉を外すと目の前の芝生に置くけど、目線だけはずらさない。
「待て」
そろそろ心臓に悪い。でもあと三秒!
「よし!」
その言葉に待ってましたとばかりにドラゴンが肉にダイビングする。まさか最初からこんなすんなり言う事を聞くとは思わなかった。
―――犬より全然ラクだ……!
肩の力を抜いた私はその場に腰を下ろした。ちょーきょーとかなんとかってジェラルドが言っていたけど、それと関係があるんだろう。
それになんだか周りの視線が痛い気がする。ドラゴンちゃんを連れて早々に引っ込んだ方が良さそう。
「おおハル、無事だったか!」
背後から駆け寄ってきたジェラルドに片手を上げて応答する。
「どうやら作戦は成功したみたいだけどよ……」
「うん。なんとか餌やりだけは出来たんだけど……この後どうするのか考えるの忘れてた」
餌を噛み砕くドラゴンを前に冷や汗。そういえばさっき私のことも丸ごと餌みたいに認識していたような。大丈夫なのか、これ。
「っていうかさっきの、躾なのかな……?」
不安な声を上げた私にジェラルドは白い歯を見せて笑顔になった。さすが多くの女性を虜にするだけあって、色気に満ち溢れたその笑い顔にはとても敵いそうにない。
「大丈夫だって! なんだかよくわからないけど、こいつもお前の言うことには従ったみたいだし専属のドラゴン決定でいいだろ。名前決めろよ、名前」
「な、名前ぇ?」
素っ頓狂な声を出した私に、餌を食べていたドラゴンがこちらを見てくる。普通サイズより小柄だし上目遣いだし、余計に愛嬌があった。
本人を前にすると、ドラゴンなんだしカッコいい名前をつけなきゃ! って気分になる。
「え……ゴ、ゴンザブロウとか?」
「お前のネーミングセンスはどうかしてるな」
突然割り込んできたのはエルガーの声だ。こっちに近づいてくる影があると思ったら、彼とディアだったらしい。
「ハル、ちなみにそのドラゴンはメスだよ」
ディアの困った顔での宣告に、衝撃を受けた。
―――ドラゴンってメスとかオスとかあんの!?
いや当たり前の話だろうけどさ。単細胞の生き物にも見えないし。
「じゃあ、花子は?」
「もっと華やかな名前無いのか?」
「シルヴィアとかどうだ? 華やかだろ?」
ジェラルドの名前候補に残る二人は納得したような表情。だけどこうなったら負けてはいられない! 私の女の中の闘争心が勢いよく燃え上がった。
「裕子!」
「ドラゴンにしては微妙」
「サチエ!」
「なんか、ねえ……?」
「あかり!」
「もっとドラゴン相手の名前を考えろ」
エルガーに叱咤され、私は記憶を巡らせた。もうちょっとカタカナっぽくかつファンタジーちっくな名前。
「シ、シエラちゃん、とか?」
ダメ元で出した自分の中でのファンタジーな名前に、目の前の三人は目配せしあう。
「それが一番マシだな」
「いいと思うよ」
「俺のシルヴィアが……」
なんだか一瞬三人で合図したように見えたんですけど。
胡散臭そうだと疑った目でなんとなくエルガーを見るといつもの眉間に皺を寄せた表情(心の中での呼び名は魔王顔)でこっちを見返してくる。相変わらず恐い。
「じゃあ次はこいつに乗って空を飛ぶんだ。後はそうだな、感覚?」
「曖昧すぎるでしょ……」
ジェラルドのやや投げがちな言葉に私は苦々しい顔を作ってしまった。
と、いきなり足元に何かが押しつけられ疑問に思ってそちらを見ると。
「早速なつかれてるね」
ドラゴンことシエラちゃんが鼻頭を足に押しつけていた。いい匂いしないよ別に。
「これで問題無いな。さ、ハル、乗って乗って!」
ジェラルドに背中を押されシエラの背中の方に回った私は冷や汗がどっと吹き出すのを感じた。
「ちょ、ちょいちょい待って! これ鞍みたいの着けないの!? こう、馬に乗る時みたいなヤツ! あれないと絶対お尻痛くなる! ガチで!」
「大丈夫大丈夫」
ジェラルド(笑顔仕様)に無理やり担がれそうになり、全力でそれを避けて構えをとる。
「絶対乗らないから……!」
そう言った矢先に、ぐらっと視界が揺れて高くなった。
「いやああ――――――っ!」
「さっきから五月蠅い」
シエラの背中の向こう側から身を乗り出したエルガーが、私の体を子供の「たかいたかーい」みたいな感じで持ち上げていた。言っとくけど高校生相手にやることじゃないから!
「絶対飛ばないからね! 嫌だから! 落ちたら死ぬんだからね!?」
「僕が受け止めるよ」
「何言ってんの腕もげるわ!」
さらっとしたディアの発言にも絶叫を返し血眼で暴れる、だけど残念なことに騎士団団長はびくともしなかった。
シエラの背中に下ろされたかと思うと斜め前にいたディアがいつの間にか操縦するためにドラゴンの首元に結びつけた綱を「はい」と渡してくる。
―――いやこれをどうしろって―――
ジェラルドがシエラの首根っこを力強く叩いた。
同時に咆哮を上げた彼女がいっきに走り出す。
「ええええ!?」
今のは無いだろ! 確実に三人これを狙ったでしょ!
心の叫びは風に消え、必死にシエラの首に抱きついていた私は顔を上げてはっとした。
―――壁!
飼育舎の高くそびえる壁が視界いっぱいに広がった。ぶつかる、その前に本能的に手が動き手綱を勢いよく引く。
周囲がどよめいた。
シエラが一息で頑丈そうな翼を広げたかと思うと、一度大きく振る。
「ひっ」
一瞬臓器が浮かび上がるあの感覚が走り、鳥肌が立った。
地面を走るような揺れは無くなり、その代わりに空を切る滑らかな感触と涼しい風が頬に当たる。
壁と水平に飛んだシエラの体は、やがて屋根の上に出た。
「シエラ、シエラッ! 餌食べたから元気なのはわかるけどもうちょっとスピード! 速い!」
回らない呂律を駆使してそう訴えかけると、シエラはますますスピードを速めた。ぐんぐん上に向かって上昇する。
「逆―――――!」
そう言ってやっと気づいてくれたのか、シエラはゆっくり安定したように飛び始めた。
周囲にもドラゴンを操って飛ぶ数名の騎士団団員。なんだか妙に安心できる。
空から見るシュヴァイツ城はとても幻想的だった。あまりじっくり見たことがなかったから外装はよく知らなかったけど、乳白色で塗装されたお城は童話の中のものみたい。細身の尖塔がいくつも立って、囚われの姫とかが住んでいそうだ。いつものテラスも見える。
街の方は相変わらず、賑やかそうだ。視力が良いからよく見える。つくづく綺麗に整備された街だな、とか場違いにそんなことを思った。
「あと二週間か……」
二週間も待てるだろうか。
日本に帰りたい。ヨーコに会いたい。こんなに学校に行きたいと思ったことは、今までなかった。
早く故郷に。
そう思うのに、目の前の景色から目が離せない。
シエラはまるで私を慰めるように、小さく鳴いた。