08 目的地まで
『次の目的地はアマルテアだ。二週間後から二日かけて南大陸までドラゴンで渡り、砂漠で四日間の探索になる』
昨晩のエルガーの言葉を思い出しながら、私は廊下を歩いていた。
今日の午前中は暇なので旧図書室に行ってオニキスとしっかり話をしてこようと思う。
―――南大陸のアマルテア、かぁ。
砂漠だって言うし昼夜での寒暖差は相当なものだろう。なにかあったかそうな服持っていかなきゃ。
それに今日の訓練は特別演習だって言ってた。
集合場所はいつも通り中庭だけど、そこからどこかに移動するらしい。
「一体何やるのかな……」
なんとなく嫌な予感がして歩きながらも溜息をつく。嫌な予感って大抵当たっちゃうんだよね、特にここに来てからは。
そんな風に考え込んでいる間に、旧図書室に到着。形だけのノックをして、縦長の重厚な扉を向こう側に開くと明りが洩れている方向から話し声が聞こえた。
「おお、来たようじゃのう」
エルナイトさんのしわがれた声がそう言うのと、本棚の角から私が顔を出したのはほぼ同時だった。
「お久しぶりですエルナイトさん」
「ふぉっふぉっふぉ」
顔をシワシワにして笑う謎の老人エルナイトさん。その隣には彼と今まで一緒に話していたらしい、見たことの無い青年が一人。
騎士団の制服でもない質素なカットソー姿に、どこか日本の面影を感じて感動する。
水色の髪と瞳をした色白のその青年はにっこり笑うと「アルカナ、久しぶりー」と片手を上げて挨拶してきた。
―――……いや、誰!?
見覚えは無いはずだ。ましてやこんな親しげに挨拶してくる男の人なんて……
「……まさか……」
「あれ、今更気付いたの? もう、鈍感だなぁ」
あっはっは、と笑うその顔が何処かで見たような気がして無意識にも口元が引きつる。
「オニキス……!」
「大正解!」
いつもと変わらない調子に腹を立てた私は彼に近づいていくと、本棚に寄りかかっているオニキスの水色の髪から出ている耳を強く掴んだ。エルナイトさんはさっきから一連の行動を微笑ましそうに見ている。
「大正解じゃないでしょッ!」
「痛い痛い! 掴まなくても聞いてるって!」
「アルカナって呼ぶなって何度言ったらわかるわけ!?」
「ごめんごめん!」
慌てた様子のオニキスを解放すると、彼は痛々しい表情で引っ張られた方の耳を押さえた。
「なんでいきなり大人になってるの」
「なんでって、もうほとんど魔力が戻ったし色々な姿になれるようになったからさ」
とやけに偉そうな口ぶりで語られたものだから、こっちも思わず胸を張る。
「で、突然なんだけどねオニキス、私考えた」
「本当に突然だね……」
珍しく焦り顔のオニキスの身長は案外低い。歳は大体大学生くらいって感じで、なんだか街中にいる普通のお兄ちゃんみたいだ。
その前で仁王立ちになった私。
「私は、ウォーターフォードにいる限りアルカナの役目を貫くって決めた」
「……やっと決断してくれたんだ?」
なんとなく皮肉に聞こえたけど、そこはさらっと流しておこう。
「一体どういう心境の変化?」
「……大きい世界全部を守れなんて言われても困るけど、せめて身のまわりの人が平和に暮らせればいいなって思った。それだけ」
小学校の時に学校で戦争のビデオを観た。
歴史の中で起こったそれは、凄惨で酷く目に焼きついた。所詮は画面の向こう側、だけど確かに人が経験した恐怖は何も知らない私の心に刻みつけられる。
「アルカナがいないせいでウォーターフォードの人たちが困ったり傷ついたりするのは問題だしね」
あくまでテレビの中の話、だった。
だけどそれが本当に起こるかもしれない。そうなったら、そして自分がそれを止める可能性を持っているなら尚更。
その役目を遂行すべきじゃないか。
「なんとなく―――」
「え?」
オニキスは何かを言いかけて、もう一度唇を結んだ。
「なんでもないよ」
爽やかな笑顔で言われたら何も聞かざるを得ないけど、どこか納得のいかない感じがしてもう一度オニキスの方を見る。
「そういえばそろそろ昼食が始まるのう」
「え、もうそんな時間ですか!?」
すっかり忘れていたエルナイトさんの台詞に、私は我に返った。
「じゃあ訓練があるんでまた後日!」
危ない、忘れるところだった。早くご飯食べなきゃ!
ブーツの踵を勢いよく鳴らした私は慌てて図書室のドアのところまで駆けて行った。
「お邪魔しましたー!」
部屋の外に出て、腕時計もないのに思わず左腕を見る。
―――今度エルガーかディアに時計売ってるお店訊いてみよう!
このままだといつか絶対遅刻するわ!
そう確信して、食堂へと急いだ。
―――――――――――――――――――
というわけで午後。
最初にいた中庭から城外に出て芝生だらけの道をしばらく、石造りの家のようなところの前まで連れられた騎士団第一隊。
私は一人、その石でできた大きな建物を見上げた。
「……なに、これ……」
周りの隊士達は慣れきった様子で大きく口を開けた入り口からその建物の中に進んでいくけれど、未知の領域にしか感じられない私にとってはあまり歩が進まない。
なんか中から変な鳴き声みたいの聞こえるし!
「おう、どうしたんだよハル」
背後からいきなり背中を叩かれ、私はびっくりして肩を跳ね上がらせた。
振り返ってみたらそこにいたのは今日も眩しいジェラルド。
「びっくりさせないでよジェラルド……ねえ、ここ何の建物?」
「ああ、ハルは来たこと無いんだっけ? ドラゴンの飼育舎だよ」
「飼育舎ぁ!?」
なるほど、どうりで大きいわけだ。
中に入ると大きさの違う檻がいくつも置いてあるのが見える。その中には色鮮やかなドラゴンが一匹ずつ。昼寝をしていたり餌を食べていたり、それぞれ自由にしている。
「まあ隊士には一人一頭慣れたドラゴンがいるから、今日はそれで訓練するわけなんだけど」
「今日の訓練ってドラゴンなの!?」
確かに一人一人別のドラゴンを檻から出している。みんな慣れているのか恐がったり暴れたりとかが全然無い。
「アマルテアまで行くのにはドラゴンを使うから、そろそろみんな鈍った勘も取り戻さなきゃいけないし? ハルも自分で操縦できるようにならないと」
でも、でもそれって。
自分で空飛べっていうことでしょ――――――ッ!?
「無理。絶対無理」
「どうしてだよ、ドラゴンかわいいって言ってたじゃん」
「違う違う! 私高所恐怖症なの!」
「こーしょきょーふしょー?」
なんだそれ、と言った様子で耳をかっぽじったジェラルド。
もしかしてこの世界には高所恐怖症っていう概念が存在しないとか!?
私は慌てて身振り手振りで一生懸命高所恐怖症を説明した。
「高いところが恐いの! すごく!」
結果として全然説明にはならなかった。
大して興味なさそうなジェラルドは、
「へー、そうなのか。まあいいや、とにかく一頭選べよ」
「よくないよくない!」
受け流し気味で私の腕を掴むとずりずり飼育舎の奥の方まで連れて行く。手前の方はもう空の檻ばかりだ。
「今日中に飛べるとは思ってないから。まずはドラゴンを選んで意思疎通が先」
「ジェラルドこの間サンストーンに行く時は後ろに乗っけてくれたじゃん―――ッ!」
ようやく手を離されたかと思うと今度はドラゴンの入っている檻に向き合わされる。
「あの時は特別だって。城のドラゴンは全部魔物討伐でいなかったから、仕方なく城外で借りたんだ。さすがに当日いきなり乗れって言っても無理だったろうし」
うう、過去の自分が恨めしい。
そして目の前の檻を見ると青色の鱗で覆われた、いかにもなドラゴンが一頭こちらを見つめている。体長は十メートルはありそうだ。
「……」
「こいつなんてどうだ?」
するとそのドラゴンは、ふーっと息を吐きだしてこちらに牙を剥いた。低い唸り声が腹の底まで響く。
ひゅっと風を切るような音がしたかと思うと、目の前にある鉄の檻に鉤爪がぶつかって火花を上げた。
「……まあ、ちょっと気性は荒いけど? 他に比べてガタイもいいし」
「いやこれはさすがに可愛いとか言えないわ……」
本能的に背中を冷や汗が伝った。
とりあえず近くの檻を見ていくけどなんだかこっちを睨みつけてくるドラゴンしかいなさそうだ。
「なんか乗る前に引き裂かれちゃいそうなドラゴン達だね……」
「そんなことないって。俺だって結構気性の荒いのが相手だぜ? おかげで操縦が上達したよ」
そう語るジェラルドの目が遠いのは気のせいか。
と、ある檻が目に付いた。
その中にいるのは他に比べて少し小柄なドラゴン。黒い体に赤い線が入った体長三メートルほどのそのドラゴンはたった一頭で檻の中で暴れ回っている。
「……あれは何やってるの?」
「ああ、あれはまだ子供のドラゴンだ。人間に換算すると十五、六ってところか」
その檻に近付いてよくみると、ドラゴンはゴロゴロ床を転がったり頭振ったり明らかに暇を持て余してる感じだ。
「……おいハル、まさかとは思うけど……」
「私、あの子にしようかな……なんか一番かわいいし」
人間に換算した時の年齢も同じくらいだし、どことなく親近感が湧いてくる。
「だけど調教しきれてないからな……下手したらあの尻尾に当たったりとか、じゃれられて死ぬかもしれないぞ」
ジェラルドの言葉は最早右耳から左耳に流れていった。
するとドラゴンが視線に気づいたのか、動きを止めてこちらを見てくる。
目が合った。
「超カワイイ……!」
「やっぱやめとけハル! 躾されてないヤツは危ないんだって!」
肩を引かれそう言われた瞬間、ピンとひらめいた。
ジェラルドの方を向き「だったら」と口を開く。
「私が躾ける!」
大きい飼育舎に響き渡るくらいには大声だった。
でもジェラルドは「何言ってんだコイツ」みたいな目でみてくるばかり。返答は無い。
「やめとけ、こいつは檻から出たこと無いんだ。外から運ばれてきたらしいけど、景色を見ただけで飛べるかどうかもわからない」
「走るの速い?」
周囲をきょろきょろ見渡して出入口を確認。
あとあのドラゴンを誘導する目印なんかが無いかと思って視線を巡らしてみると、近くに約一メートル四方の木箱があった。
白いペンキで塗られたそれからは、役立ちそうな匂いがプンプン!
「なあハル聞いてるか?」
白い箱の所まで歩き、中を覗き込む。ジェラルドはさっきから私を説得するのに必死なのか後ろについてきた。
「走るのはあんまり速くないけど、本当に危険なんだって。ガチで」
「走るの速くないなら大丈夫大丈夫。とりあえずここから出てすぐの芝生のところ行けばいいんでしょ?」
その中にぎっしり詰まっていたのは紐でくくられた巨大な生肉。何のお肉かわからないけど結構新鮮そうだ。ドラゴンの餌だろう。
「ねえ、これって檻の中に投げるの?」
その中の一つを取ると、余った紐が地面に着いた。これを使って振り回して投げたりするのかな。
「そうだけど、おいおい、何する気だハル」
「ジェラルド、合図したら檻開けてね! そうしたら私、後は頑張るから!」
檻の前まで餌を持っていくと、小さなドラゴンは物欲しそうな顔でこちらを見た。目が「餌欲しい!」と訴えている。
「ちょっと待てハル」
「大丈夫! 前に犬躾けたことあるし!」
任せた! とジェラルドの肩を叩くと彼は「どうなっても知らないからな……」とようやく折れてくれた。そんな彼に剣を押しつけて踵を鳴らす。
ワイシャツの袖をまくりブーツが脱げないか確認して、肉のぶら下がった紐をベルトに巻きつけた。これでもかってくらいぎゅっと固定して、振り回されないようにする。
―――頼むからズボンだけは脱げませんように。
そうして走る準備を整えドラゴンの方を見ると、相変わらずキラキラした目でこっちを見てくる。入口もちゃんと開いてるし、外では何頭かのドラゴンが未だに飛ぶ準備をしていた。
「ジェラルド、いくよー、3」
鉄格子の扉を掴んだジェラルドは頷いた。なんかいつもより浮かない顔な気がする。
「2、1!」
ガチャン! と勢いよく扉が開きドラゴンがゆっくり檻から出てきた。だけど目線はしっかり私の腰にある肉を見ている。
背後のドラゴンと同時に、一歩前に踏み出した。
探索開始二週間前だった。