05 酸味
僕がハルを、好きだからだよ。
―――ん?
ディアの言葉に、私は硬直した。
一瞬脳みその動作も停止して目の前が真っ白になる。
すき?
すきってなに?
―――好きって何――――っ!?
友情だ友情! そうだそれだ! それ以外に仮にもあのディアが私に向かって「好き」だなんて言うわけないじゃないか! 勘違いしちゃったよははは!
「ディ、ディア……?」
混乱しきったまま顔を上げてディアの方を見ると、彼は相変わらずこちらをじっと凝視したまま。
「ハル、僕は君にここにいてほしいんだ。できることならずっと傍にいてほしい―――友達じゃない、もっと近い関係で」
絞り出したような声音に私は息を詰まらせた。
私は日本から異世界にやってきた。
できることなら帰りたいと思っている。
アルカナっていうよくわからない『役目』の為にウォーターフォードに呼ばれたというのなら、一刻も早くその役目を完遂すればいい。
でも、ここ(・・)に(・)すごく(・・・)大切な(・)もの(・・)が(・)できて(・・・)しまったら(・・・・・)―――一体どうなる?
例え役目を終えたとして、日本にいる家族や友人を取るのかウォーターフォードに残るものを取るのか。
そんな辛い選択には迫られたくない。
だから誰との距離もほどほどに。
「ハル、もう一度言うよ。君が好きだ」
今まで男の人に「好きだ」なんて言われたこと無かった。
むしろ女の子の方が告白された回数多いし。
ディアは目の前に膝をつき、優雅な仕草でかしずいて私の右手を取る。
「どうか僕の……僕の、恋人になっていただけませんか?」
―――――――――――――――――――
ドアの開く気配に、鏡の前で髪を梳かしていたロズは顔を上げた。
振り返るとロズのルームメイトであるシェルルが疲れ切った顔で帰ってきたところだった。ドアを閉めた途端にエプロンの結び目を解き始める。
「おかえりなさい。どうなさったんですの? 疲れてますわ」
「シャンデリアの掃除です」
「それは大変でしたわね」
肩を鳴らしてベッドに腰掛けた彼女にロズが苦笑を返す。そしてシェルルは長い息を吐いた直後「あ」と何かを思い出したように顔を上げた。
「そういえばさっき、ディア様に会いました」
「ディア様に? 珍しいですわね……」
本来王子であるディアが一人で歩くのは滅多に無いことだ。大抵の場合誰かしら腕の立つ者が一緒にいる。普段はそれがエルガーだった。
「ハル様の居場所を聞かれて」
「ハル様の?」
「あんなに息を切らせて……何か急ぎの用事でもあったのでしょうか?」
シェルルの疑問にロズは肩を竦めて「殿方の考えることはわかりませんわ」と答える。
難しそうな表情で、シェルルは天井を仰いだ。
―――――――――――――――――――
「―――ごめん」
最初に口から零れ落ちたのは、たったの三文字だった。
「私は、ディアの恋人にはなれないよ」
体の表面はすごく乾いているのに、心臓が弾けそうなくらい熱かった。まるで焼けているみたいだと、そう思うくらい。
「―――僕じゃ不安?」
「そうじゃないの。私は……いずれ故郷に帰りたいと思ってる」
そう言うと、心が急に縮まった感じがした。
何かに握られている感覚の心臓はやがて熱を引き始める。
「出来る限りウォーターフォードに大切なものを置いて行きたくない。ディアだってそうだし、エルガーとかルーとかロズとかジェラルドとか……たくさん仲間が増えたけど、これ以上近い間柄になんてなれない。―――なる気は無い、から」
私の手を握るディアの腕からすっと力が抜けた。
それと同時に彼が立ち上がる。彼は身長が私より二十センチくらい高いから自然と見上げる形になってしまった。
さっきまで直接目を合わせられなかった。お互いどんな顔をしてるのかと思うと恐くて。
けれどちゃんと正面から見ればディアは思いのほかすっきりしたような表情で、小さく微笑している。むしろ私のほうが怖い顔してるんじゃないかなって思うくらい、穏やかな笑顔だ。
「そうか……ごめんね。ただでさえ混乱してるだろうに、変なこと言っちゃって」
「え……ううん」
「最後に一つだけ訊いていいかな」
優しげな声のディアは口を開いた。
「ハルは、エルガーが好きなの?」
その質問に私は思わず目を剥く。
「そ、そんなわけないじゃんっ!」
「そうなの?」
「なんで!? 私がエルガー好きとかびっくりでしょ! どう見たって性格正反対だし!」
何を言い出すんだこの天然王子は!
咳払いをした私はディアを見据えた。
「とっ、とにかく、私は部屋に戻るね。色々考えることもあるから」
「わかったよ。邪魔して悪かったね。いい夜を」
「ディアもね」
自分では普段通り言葉を発せられたように思える。
動揺もしてない。心臓が爆発しそうにもなってない。
ディアとすれ違い、バルコニーから城内に足を踏み入れた私は、足早に自分の部屋へ急いだ。
泣いてもいないのに、手の甲は自然と頬を拭っていた。
―――――――――――――――――――
「ハル……」
日の沈みきったテラスに一人取り残されたディアは、名残惜しそうにその名前を呟いた。
彼の耳には城下町の喧騒など一切入らなかった。
たださっきまでここにいた少女の言葉が頭を揺さぶるばかり。
―――たくさん仲間が増えたけど、これ以上近い間柄になんてなれない。―――なる気は無い、から。
それでも僕は、君が好きだよ。
初めて会った時は黒い瞳に珍しさしか感じなかった。単なる珍しい色の瞳の少女だ、としか。
王族である彼に近づいてくる人間は、大抵は下心を持っている。他人の権利や地位を食いものにする者か『王子』に興味を示した人間かそのどちらかだ。
彼を王子ではなくて、一人の男として見てくれる人間は少ない。
その中でも、ハルのように自然体でストレートに接してくる人物は本当に数え切れるくらいしかいなかった。彼女に出会ってまだ半月も経っていないうちに彼の心はすっかり奪われていた。
「ふられちゃったか……」
ディアの顔からさっきまで貼り付けていた笑顔が崩れ落ち、乾いた唇からうすっぺらい笑い声が漏れる。
―――仕方ない。ハルが決めることだ。
傷ついても、ハルの気持ちだけは優先したい。
一国の王子の想いは、夕闇には酸味の強すぎる味だった。
お久しぶりです。
投稿が甚だしく遅れてしまって誠に申し訳ない限りです。ようやく更新することができました。
そして、当初目標だった10万アクセスに到達することができました!
お気に入りも200件を超え……すごくびっくりしています!
読んでくれている皆様方、ありがとうございます!色々な人に読んでもらっているからここまで頑張れてます!感謝です!
でもってアルカナもだいぶ投稿話数が増えたので、ちょっくら番外編を始めてみることにしました。
くだらないコメディーの話なんで。さらっと受け流してくれると助かります。
まだ一話しかないんですけどね(汗
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