04 困った困った
「いたたた……まったく、本気で叩くことは無いじゃないか」
苦笑いをして頬を押さえた少女―――オニキスはたった今荒々しく閉まったドアの方に視線を移した。余程強く閉めたのか、その衝撃で長年の間で本の上に溜まった埃が舞い上がっている。
「まあ叩かれるのも無理ないのう。こちらの都合でウォーターフォードに呼んでしまったわけじゃ。あれぐらいの年頃の娘には色々と感じるものがあるんじゃろう」
溜息混じりにそう呟いたのはカンテラを持ったエルナイト卿だった。隣に立つディアも腕を組んでうんうんと頷いてオニキスを見る。
「大体、預言書の番人だって言うけど……君は一体何がしたいんだ? ハルをこの世界に呼んで神の敵を倒させる? 本当にそれだけなの?」
「僕はあくまで番人だから別に何かしたいわけじゃない。主の命に従うだけさ」
「主?」
ぴくりと反応したエルガーの方を見てオニキスは「そう」と顎を引いた。
「僕の主は預言書を造った、ウォーターフォードの神様だ。神がハルをここに呼んでほしいと言ったから僕はそれに従った。それだけの話だ」
その言葉に、相対するエルガーとディアは複雑そうな顔をした。
まるで納得できない、とでも言うような。
二人の表情を見たオニキスは、小さく微笑んだ。外見相応の笑顔にはとても見えない笑みである。
「今日はもう疲れたから、僕は一眠りするよ。何か聞きたいことがあれば名前を呼んでくれると助かるな」
少女の姿の彼はそう言い残し、足元からふわりと消えた。
途端に暗い室内に降ってくるのは、重苦しい沈黙のみ。
それを破ったのは年長者であるエルナイト卿だった。
「……お父上には報告したかの?」
「これから。まだ可能性の段階だとも言っておきます」
そう答えたディアはさっと踵を返してドアの取っ手を握り勢いよく引いた。かと思うと無言のまま、しかし妙に焦った様子で外へ出ていく。
「若いうちは色々混乱するものじゃ」
肩の力を抜いてそう吐きだしたエルナイト卿は立ちつくした様子のエルガーを見やった。
溜息をつくと彼の元まで近寄って軽く肩を叩き、預言書を差し出す。
「翻訳魔法で訳した預言書はお前から言語研究の者へ渡しておくれ」
「……わかりました」
消え入りそうな声でそう返したエルガーも、ディアと同じように足早に図書室のドアの前まで行くと振り返ることなく出て行った。
「―――あの娘もよく好かれたものじゃのう」
老人の呟きは、誰の耳にも届かなかった。
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信じらんないっ!
踵が床にめり込むんじゃないかってくらい強い足取りで廊下を歩いていた私は拳を握りしめた。
―――何あのオニキスの態度! 神様云々の話はともかくとして、いきなり異世界にブッ飛ばされた私に対する扱いが酷過ぎるっつの! なにアルカナアルカナ言ってんの! 私にだってちゃんとした名前があるんだってばバカヤロー!
とまあ勢いでオニキス(ちっちゃいヨーコバージョン)の右頬に一撃必殺ビンタをかましてきたあとで、肩を怒らせた私の様子は周囲からも余程異質に見えたらしい。すれ違う人十人中十人が振り返るくらいには目立っていた。
だけど怒ることにさえ疲れてきてしまったので、段々と歩調が緩くなった。
「はあ……」
神様を助けろなんて無茶な話が一体どこにあるって言うんだ。
大体神様なんて見たことも会ったこともないよ。本当にいるわけ?
混乱したまま歩いていると辿りつくのはやっぱりあのテラスだった。階段を上ったり色々な角を曲がったりするのにここにだけは何故か辿りつける。
いつだって、迷ったらここに来た。
「あー、いい眺めだ」
ベンチに膝立ちして手すりの向こう側を覗くと広がっていたのは城下町。日が沈みかけて、所々の露店では店じまいも始まっている。
もうそろそろ冬も終わる。
ウォーターフォードには、日本と同じように四季があるらしい。誰かに明確に聞いたわけではないけれど、肌寒さが消えて暖かくくなってきていることから大体の季節の移り変わりがわかる。
「季節が移り変わるのって早いなぁ……」
ここに来た時はまだ少し寒かった。独房の中にいた時はそりゃあもう、凍え死ぬんじゃないかと思うくらいに。
いつの間に春が来たんだろう。
伸びをしてベンチに寄りかかると、急に落ち着いた。
一体さっきまで何に怒ってたのか、わからなくなっちゃうくらい。
―――ちょっと苛ついた、日常をいきなり奪い取られたことに。大人気ないかもしれないけど。
ウォーターフォードに来る前は、ファンタジーな世界とかに憧れて頭の隅でちょっとくらい非日常に憧れたりしたけど。
実際にいきなり見知らぬ土地に飛ばされて、友達も家族もいなくて一人ぼっちになって―――そうしたら非日常なんてどうでもよくなった。
私が元いた場所に戻りたくなった。
平和で変わらない毎日が愛しくなった。
だから怒ってるんだ。理不尽に、予告なし私の意思も関係なしにここに連れてこられたことに。
自分の生活に飽き飽きしてた。だけどそんなことを棚に上げて、ただ周りが真っ白になっちゃったことに苛立ちを感じる。
「ガキだな私……」
結局自分で勝手に自分のこと振り回してるだけじゃん。
―――考えても仕方ないか。今私はウォーターフォードにいるわけで、どう足掻いても日本には戻れないんだから。
ウツな気分で顔を上げて城下町からテラスの入口の方に視線を向ける。
と、そこには一人の青年が立っていた。
「?」
目が合ってしまったのでこちらは一瞬きょどったけど……相手は真顔のまま微動だにしない。
歳は大体私と同じくらいだろう。ただ、同級生とかから感じるあの子供っぽさが一切と言っていいほど無い。顔なんか恐くない? むしろ睨まれてない?
「あ、あの?」
金がかった茶髪に髪と同じ色をした瞳の彼は、私が口を開くのと同時にピクリと口元を引きつらせた。
さっきまでこちらを見ていただけの視線に、少しの嫌悪感が混じる。
―――え!? 誰この人!? なんかめっちゃ睨まれてるんですけど! 私なんかしたっけ!?
訳がわからんといった体で視線を送り返すと、彼は軽く舌打ちしてテラスの入り口から城内の食堂の方向へと歩いて行った。
いや、舌打ちされるってどんだけ嫌われてるんだよ。
謎の青年が去ったところでもう一度息をつくと、今度は青年が歩いていった方向とは逆の方からバタバタと騒がしい足音が聞こえてきた。
なんだか今日は騒々しいな。
そんなことを思いながらベンチに座っていると、視界に滑り込んできたのはなんとディアだった。
「ハルッ!」
息を切らせながらも私の名前を呼んだディアはテラスに踏み込むと一気にこちらまで近寄ってくる。
「え? どうしたのディア、そんなに慌てて……」
「メイドの子にハルはいつもここにいるって聞いたんだ。オニキスの話を聞いて色々不安そうに見えたから」
だから追っかけてきてくれたのか。
メイドの子って言ったら恐らくルーのことだろう。わざわざ彼女に会って居場所を聞き出して。
ディアはそのまま私の腕を掴んだかと思うと勢いよく立たせた。
一体何をするのか全然わからないけど、こちらはされるがままだ。
「ハル、僕はね、どんな理由であろうと君がここに来てくれてよかったと思ってる」
顔近い顔近いっ!
ぎゅっと手を握られたまま、大和撫子精神旺盛な私は硬直した。
だって普段女の子とばかり喋ってるし、彼氏とかいたことないし! こういう感じには慣れてないんだってば!
「君が騎士団に入って、あそこは変わった。少しずつではあるけれど、前より和気あいあいとしはじめてるし、みんなが明るくなったんだよ」
「う、うん……?」
そう、なのかな?
これは励ましてくれてるのか。優しいディアのことだ、私が落ち込んでると思って来てくれたんだろう……多分。
「エルガーだって丸くなったし、あのメイドの子だって雰囲気柔らかくなったし!」
「はあ……」
「それにね」
ディアの手に力がこもった。
「僕自身、ハルが本当にここに来てくれてよかったと思ってるのは―――」
顔を上げるとダイレクトに目が合った。
青い目っていうのは、本当に綺麗な色をしている。
「僕がハルを、好きだからだよ」
一応ドタバタラブコメディの予定なので。