03 アルカナ
すたすたと廊下を歩いていた私は、重々しい図書室の扉の前で足を止めた。
ルーとロズのお茶会が終了後、現在時刻は午後五時頃。
夕方ですっかり日が沈みこんだ城内は、ところどころ火が灯っただけで幻想的と裏腹にちょっと不気味だ。奥の方で光が当たらない図書室は尚更!
わざわざ部屋までやってきたディアに「図書室に五時に集合ね」と告げられたのでまあ言われた通り来たわけなんだけど。
―――なんかディアの顔が強張ってたのは気のせいか?
そんなに重要な用事なのかな。なんだかドキドキだ。
軽くノックをしてドアノブを捻り重いドアを向こう側に押す。広い暗闇の中でも図書室の住人・エルナイトさん―――そういえばあのおじいさんいつもここいるな―――の居場所はすぐわかる。ランプを携帯してくれているおかげでそこだけ明るいからね。
こん、こんと木板をブーツの踵が叩く音。
どうして私の足音しかしないんだろう。
静まり返った室内で聞こえるのは一人分の歩く音。あとはなんか……変なブブブブっていうケータイのバイブ音みたいなやつ。
「おじゃましまーす……」
萎えた声で言いつつ明るくなっている本棚の横からりょっこり顔を出すと。
―――……なにこれ?
ウォーターフォードに来て何回思っただろう。なにこれって場面多すぎじゃないかな異世界。
浮いている二枚の羊皮紙は多分預言書だ。それがエルナイトさんの手のひらの上でぐるぐる旋回している。そこから何やら細い紐みたいなものが抜け出してきた。
紐じゃない、あれ文字だ。
文字が一本の紐みたいに連なって羊皮紙から飛び出してきてる。
くるくる円を描いて回った文字の紐はやがて意思を持ったようにエルナイトさんの手に集まると、彼がそれをぎゅっと握りこんだ。まるで、おにぎりでも握るみたいに。
その指の隙間から、ぶわっと細かい文字がバラバラになって現れてまた預言書の中に吸い込まれていく。
あなたたち……一体何してるんですか?
でもってエルナイトさんの正面、つまり私の方に背を向けて立っているのがディアとエルガー。なんか突っ立ってるみたいだけど、これって私が割り込んでよさそうな雰囲気じゃないよね?
「これで完了じゃのう」
エルナイトさんの呟きと文字が羊皮紙に元通り戻るのはほぼ同時。それとともにディアが「はあ」と息を吐いた。
「結構大仰ですよね、翻訳魔法」
「そうじゃのう。まあウォーターフォードの文字を異世界のものに訳すのはこれしかないからの、仕方ないんじゃが」
その言葉に、私はピンときた。
すたすたと歩いていくと、ディアとエルガーの間に割って入る。
「わっ、ハル!? いつからいたの!?」
「さっきからいた。エルナイトさん、その預言書ってまさか……」
「これだから女は……」
隣で呟かれた言葉に、私はぎっとエルガーを睨んだ。
「ほう。耳が良いのう」
彼はそう言って私の方に預言書を手渡してきた。横から二人も覗きこんでくる。
「翻訳魔法で無理やり異世界の言語に直したものじゃ。とは言ってもお前さんの記憶を頼りに造ったものじゃから正確には読めないかもしれんがの」
差し出されたそれには小さい文字がびっしり書き込まれている。
多分私が読めるようにっていう気遣いなんだろうけど。
「この文字、知ってます……」
「ほう、知っておったか。なんと書いてあるのかわかるかの?」
「いや、なんていうか」
確かにここに書いてある文字は私が知っているものだ。日本にいた時に何度も見かけたし学生なんだから大体の意味はわかる―――と思う。
でも!
「これ、私の国の文字じゃないんですよ残念ながら……!」
そこに書かれていたのは日本語ではなく。
英語だった。
しかも筆記体だし!
「読めないのか?」
「読めないことはないけどこんなにずらずら書かれると普通の高校生の大半は読むだけで一苦労すると思うよ。普段はもっと一文字ずつわかれたブロック体ってやつで勉強してるから」
考えてみれば、筆記体勉強しないで外国とか行っても平気なのかな? 前置詞とかしか読めないよこれ。
「単語難しいし……」
がっくり肩を落としているとエルナイトさんがふぉっふぉっふぉといつものしわがれた声で笑った。
「心配せんでも、それは元はウォーターフォードの文字じゃ」
「あ、そっか。なんて書いてあったんです?」
「そのことなんじゃがの」
妙に深刻なエルナイトさんに、私の表情も固まる。気のせいか横の二人も無表情だし、今の空気が痛いくらい肌に突き刺さる。
「この世界の存続について書かれておる」
「存続……?」
世界に存続なんてあるの?
日本にいたときは地球滅亡とか人類滅亡とかそういう映画もよくやってたけど。
「近いうちに、この世界の神が殺される」
エルガーの冷えた言葉に、私は硬直した。
「神様が殺される? どういうこと?」
「預言書にはそう書いてあったんだ。巨大な力を持った者が現れ神を殺し、この世界は滅びるってね」
正直言って、え? って拍子抜けする内容だった。
本当にみんなそうなるって思ってるのかな。だって預言書は言ってしまえば単なる紙だよ? そんな百パーセントそうなるかなんてわからないじゃないか。
あからさまに胡散臭そうな顔をしたこちらの様子にエルガーが溜息をついた。
「預言書はこの世界で絶対の存在だ。その本に書かれたウォーターフォードの様々な場所で起こるとされた事象は全て当たっている」
「全て!?」
なにそれ怖い!
じゃあ本当に預言書の通りになるのだとしたら、ウォーターフォードが滅びるってことになる。
「ウォーターフォードが滅びるって、どうにかならないの!?」
「ハル、落ち着いて。預言書は『予言』するだけじゃないって言ったろ? 預言書っていうのは起こるとされた『困難』に対抗する方法も書かれてるんだ」
『預言書は未来の『困難』を書いた上で、それに対する対処法も載っている。だから、預ける言葉で預言書』
ふむ。そういえば確かにディアがそんなこと言ってたな。
「でも今回は困難ってレベルじゃなくない? 世界の滅亡だよ?」
「まあその話しがあってハルを呼んだんだけど……」
「え?」
一体世界滅亡と私に何の関係があるっていうんだろう。
疑問に思ってディアの顔を見たその時。
「『異世界から来た者が、神を殺そうとする者を倒す』」
ディアでもエルガーでもエルナイトさんのものでもない幼い声に、私達は振り返った。
本棚の間に立っていたのは瞳と髪の青い少年が一人。
そこだけ淡く光っている光景は神々しさまで感じるくらいで、この少年が只者でないことを感じさせる。
―――まさかとは思うけど、この男の子って……!
「オニキス……?」
「やあ、久しぶりだねアルカナ」
サンストーンで預言書を見つけた時に現れた自称『預言書の番人』。あの時は私の記憶の中にある姿を借りるとか言ってヨーコの姿でベラベラ喋っていたけど―――今はまるで女の子みたいな綺麗な顔立ちをした男の子。
「何者だ?」
エルガーが鋭い瞳でじろりとオニキスを睨む。右手は剣の柄に置かれているし殺気が背筋まで伝わってくることから相当警戒しているらしい。
「エルガー、あの、えっとね……」
「僕はその預言書の番人だよ。名前はオニキス。あんまり警戒してほしくないな、騎士団団長さん」
ぎすぎすした空気に私もディアも内心大焦りだ。エルナイトさんはにっこり笑ったままだし、なんとかしてよ年長者さん―――!
「け、けどオニキス、どうしてこんなところに?」
「預言書の番人が預言書から離れちゃ意味無いでしょ? 僕はずっと預言書の傍にいたんだけど、魔力が安定してきたみたいだから出てきたんだ。ずっとあんな暗い所に閉じ込められっぱなしだったし気分転換も兼ねてね」
肩を竦めつつ話すオニキスに相槌を打ちつつ横目でエルガーの方を見る。いかにも何だコイツ信用ならないみたいな顔してるし! 私と最初に会った時もこんな感じだったな確か。
「ハル、この子が本当に預言書の番人なの?」
「うん多分……サンストーンの地下道で初めて会った時は女の子の格好だったけど……」
―――でも声からしても本人だよなあ。
じっとオニキスの方を見ると彼は困ったように「信用ならないなぁ」と笑った。それから青い瞳を閉じるとすっと顔から表情を消し去る。
一体何をするつもりなのかと疑問に思ったその時、オニキスの足元から水色の閃光が駆け抜けた。眩しくて目を閉じてしまい、一瞬後に瞼を上げるとそこにいたのは。
「うわっ、女の子!?」
ディアがぎょっとしたように私の背後で叫ぶ。
ワンピース姿のヨーコ……サンストーンで会ったオニキスの姿と同じだ。
「これで大丈夫だよね。まあそこのおじいさんは気付いてたみたいだけど」
「ふぉっふぉっふぉ」
「え!? エルナイトさん、オニキスが只の子供じゃないってわかってたんですか!?」
うむ、と言った感じで頷いたエルナイトさんを見て私は少し感動を覚えた。単なるおじいちゃんだと思ってたけど、この人実は結構すごい人なんじゃないかな!
「で、その番人が一体何の用だ?」
ずっと黙りっぱなしだったエルガーが低い声でそう尋ねる。
確かに、魔力が安定したってだけの理由なら別に今のタイミングで出てこなくても平気なはずだよね。
「そのページは預言書の中で一、二を争うくらい大切なページなんだ。なんと言っても世界の存続の話―――神の生死の話が書かれているのだから」
真剣な面持ちのオニキスに、私は背筋に寒気を感じた。
ウォーターフォードが滅びるってことは、そこにいる人間は全て死ぬことになる。人間だけじゃない、動物も植物も、命あるものは全て絶える。
預言書がどれだけ「重い」ものなのか、オニキスの表情でわかった。
「神は殺されかけるん(・・・・・・・)だ(・)。巨大な力を持った誰かの手によってね。それを阻止する役目を担っているのが『異世界から来た者』通称」
「『アルカナ』じゃのう」
―――……え?
思わず呆けた顔で「え?」とオニキスの後の言葉を続けたエルナイトさんの方を振り返ってしまう。
今「アルカナ」とか聞こえたんですけど、気のせいですかこれ。
「そう、アルカナだ。異世界から来た人間、この世界と神を救う救世主。だから僕は君を呼んだんだよ、七瀬ハル」
オニキスはそう言って私を指差した。
―――……は? え?
ポカン顔でエルガーを振り返ると、やっぱり腕を組んだまま無表情。
ディアは首を傾げたまま硬直。
多分三人揃って意味不明みたいな感じだけど―――いや多分この中で一番意味不明なのは私だと思う。
「聞いてるの? アルカナ」
拗ねたような口調のオニキスをじっと見つめることたっぷり三十秒。
「はあああああああああああああ――――――っっ!?」
多分城内全体に響き渡るくらいの声量でそう叫んだ私の視界は、パニックになったせいでぐるんぐるん回転した。
ちょ、ちょっと待って! 確かにアルカナアルカナって、ウォーターフォードに来る時にそう呟くオニキスの声は聞こえたけれども!
そんな神様殺しそうな人を倒すなんて無茶な役割!
「オニキス!? 一体どういうこと!? そんなの聞いてないよ!」
「うん。言ってないもん」
しれっと答えた彼の顔面にそろそろ鉄拳の一発や二発ぶち込みたくなってきた頃合だ。でも今は外見はヨーコなんだよね……。
「だって言ったって信じなかっただろうし、その時僕にはそこまで力が残っていたわけじゃなかったからね。話すのも億劫だったんだ。大体アルカナ、異世界に吹っ飛ばされて世界を救えって言われたら信じられるの?」
「信じられはしないけどさぁ……」
あー、なんでオニキスと話してるとこんなに苛つくんだろう。口調? 口調の問題?
「アルカナは、君が異世界から呼んだウォーターフォードに呼んだ人物―――ほとんどの確率でハルってこと?」
そういえば二人にはアルカナ云々の話とか全然してないんだった。こりゃあ話についていけないわけである。
ディアの問いかけに、彼はにっこり笑って頷いた。なんだそのイイ笑顔は。
「ともかく、アルカナにはこれから色々頑張ってもらわないといけないね」
「色々って……じゃあ私がもし本当にそのアルカナだったとして、一体誰を倒せばいいの? すっごい強い人なんでしょ?」
『巨大な力を持つ者』とか言ってたし、何かすごいところがあるんだろう。早めに情報を仕入れておいて損は無いだろうし。
「そんなの知らないよ」
―――……。
わかったぞ、この自称預言書の番人の性格。
無責任の三文字に限る。
「オニキス、さっきから言おうと思ってたけど……それでどうやって神様助けるの?」
「それは僕にはなんとも言えないな。単なる番人だし?」
ダメだ。終わったこれ。
本当に私が『アルカナ』だったとして、このままじゃ結構まずい事態なんじゃないか? 神様が殺されるのを阻止するのが役目のはずなのに、敵の情報が一切無いなんて。
「じゃあどうしろって言うわけ……?」
苛々で震えつつある拳を強く握ってオニキスを睨みつけると、彼は肩を竦めすっと瞳を細めた。
「それは君の行動次第だ」
そんな馬鹿な話あるかい!
内心突っ込みつつ彼の方を見ると、神妙な面持ちのままオニキスは口を開いた。
「ただ、神は君を選んだ。君がこの難題を乗り越えられると感じたから、君を選んだのだよ」
やけに重く感じる言葉に、冷たい空気が流れた。
午後五時の鐘の音が、荘厳に響き渡った。
遅くなってすいません。
再開します。