06 預言書
「いぎゃああああ―――――っ!?」
地下通路の滑り台(仮)から勢い余ってすっ飛んだ私。
高く宙に舞った視界には、周囲の景色なんて全然と言っていいほど見えない。なんたって地下だから周りは真っ暗闇。
その中を、ぐるんぐるん回転しながら体が下に向かって落ちていく。頭と指先に遠心力で血が集まる感じがして心の中でも「ひゃあああ」と悲鳴が上がった。
「死ぬ死ぬ死んじゃう―――っ!」
誰に向かってでもなくそう叫んだ途中、嫌な予感が背筋を突きぬけた。
やばい、くるっ!
その瞬間、ゴッ! というけたたましい音と共に額と鼻に衝撃が走った。
「がっ!?」
首と背骨がよじれる感触、でもって顔面超痛い。そのまま顔を使ってバウンドした私の体は仰向けに地面にたたきつけられていた。
―――泣いてもいいよね、これ。
倒れたまま、体の痺れに耐える。
思えばウォーターフォードに来てから怪我が絶えない。最初はエルガーに投げ飛ばされ、騎士団の練習で腕を痛め、最終的にこうして空まで舞ってしまった。
テンションのだだ下がりっぷりは明らかだ。
「って、こんなことしてる場合じゃない……」
上ではエルガーが一人で骸骨相手に戦っているはずだ。とは言ってもあんな急な滑り台上れるわけないし、別々にここからの脱出を図る他ない。
エルガーのことだからガイコツ相手に負けたりしないだろうしね!
ここで立ち上がった私を誰か褒めてほしいものだ。騎士団の一員として探索という任務はしっかり遂行しなければ!
けれどやっぱり全体重を受け止めた顔は只事では済まず、体を起こした途端鼻からドロッとした何かが流れてきたけれど。
「うわ……鼻血かな……」
ティッシュも無いし仕方なく服の袖で顔を拭うけど、どんどん流れてくるこれは間違いなく鼻血。
「うぅー……」
段々目の方も慣れてきたので首だけ動かして周りを見てみる。
ドーム型とでも言うのか、横は直径五十メートル縦は三十メートルくらいの広さ。その壁からさっき私が飛び出したであろう滑り台が突き出ている。
広っ!
こんな変な空間作ってどうしようって言うんだろう。アリの巣かここは!
そのうち、正面にぽっかりと穴が空いているのをようやく発見した。
四角く切り取られたその穴は異常に小さく普通の女の人が四つん這いになってギリギリ通れるくらいだろうか。それが壁の下の方に一つだけ。
その他には出口も無い。
一歩踏み出すと、ザリ、と私一人だけの足音が響いた。
何の気配も感じない。
静かすぎて、ガイコツも誰も、動くものは何も無いんだと思えた。
穴の前まで行ってその中を覗き込むと、微かに向こう側が明るいのがわかる。穴の入口から出口までは五メートルといったところか。
鼻血を拭い、剣をベルトから外して手に持つと私は穴の中に入って全力で匍匐前進。腹ばいだし剣を持ってるしでスピードは遅いけど、こんなに真剣にやったことないってくらいの勢いで進む。
―――だって後ろから何か来たら恐いし!
ともかくそれでなんとか穴から出た私は、目の前の光景にびっくりしてしまった。
さっきのドームよりもっと広い、直径百メートルくらいの床に縦は最早上まで見えないくらいのだだっ広さ。
そしてその中央には石で造られた―――譜面台?
譜面台を照らすのは宙に浮いた水色の球。ソフトボールくらいの大きさのそれらはざっと見た限りでも百はありそうだ。それがグルグルと譜面台上空を旋回中。
辺り一体が青い光で照らされていた。
「……なにこれ、魔法?」
水中にいるような鮮やかな水色に、私の口からはそんな言葉がポロリ。
―――って、見とれてる場合じゃないっ! 預言書をさっさと探してここから出なきゃ!
はっと我に帰るけど中央の譜面台が気になって仕方ない。好奇心には勝てず剣をベルトに戻しつつゆっくりそれに近づいていくと、青い球が「りーん」みたいな音を発しているのがわかった。
譜面台の上にはA4サイズくらいの紙が二枚だけ置かれている。それはわかったけれどその紙が何なのか、まったくの謎!
手に取って見てみると、古い羊皮紙のような分厚いものの上にたくさんの文字が綴られている。ウォーターフォードの文字は私にはよくわからないからなんともいえないけど……。
りーん。
「……」
りーん、りーん。
「……」
りーんりーんりーんりん。
「うるさい……」
さっきから上にある青い球がりんりんうるさくて集中して羊皮紙を見れない。心なしかこいつら眩しくなってる気がする。
紙を持ったまま上を見ると青い球がさっきの二倍くらいのスピードで回り始めている。輝きも増して、なんだか一個一個が生きているみたいだ。
けど勿論魔法とは縁の無い和の国日本出身の私。
「こええ……」
感想はそれしかでてこなかった。
綺麗だけど球が宙で勝手にぐるぐる回っている光景ってやっぱり異様!
早々にここを立ち去ろう―――そう思って紙をポーチにしまおうとした時。
アルカナ
酷く儚げな声に私は顔を上げた。
この声、ウォーターフォードに来る時に聞いた声だ。
まだ声変わりに達していない少年みたいな声音。その声が誰かを―――呼んでいる。
アルカナ
やっと会えた
「誰?」
周りには誰もいない。
けどその声はドームで反響して確かに私の耳まで届いている。
宙を舞う球はやがて中心に集まり、一つの大きな丸になった。
―――まさかとは思うけど……この球が喋ってるとか冗談ないよね……
直径一メートルほどのそれはフワリと譜面台の上に降り立つとゆっくり形を変え始める。なんだかそれがどんどん人型のようになっていくのは目の錯覚だろうか?
十秒ほどで、それは小さな子供みたいなシルエットに大変身。
やがてちゃんと色がつき始め、譜面台の上に立つ者が何者なのか私にもわかった。
「ヨーコ……?」
髪の色も瞳も鮮やかな水色だけど、顔立ちとショートカットはヨーコをそのまま幼くした感じ。服装はポンチョにズボンっていう変な格好だけど―――ヨーコ以外の誰でもない。
「どうしてここに……」
「君の記憶にある人間の姿を借りたんだ。上手にできてるかな?」
光る自分の姿を見下ろして彼女がそう言う。ヨーコの姿をしてるけど声は相変わらず高い男の子から変わらない。
彼女はこちらに視線を向けるとにっこり微笑んだ。
「会いたかったよ、アルカナ」
―――アルカナ?
何度も聞いた、けれど誰も意味を知らないその単語。
「僕の名前はオニキス。その預言書の番人さ」
彼女―――オニキスが私の腕を指差しそう告げる。
勿論私の手には古い紙が二枚だけ。
「嘘っ!? これ預言書だったの!?」
「まさか気付いてなかったの? それは預言書の中でも特に大事なページなんだ」
オニキスはふふふとヨーコの顔で笑った。―――う、やっぱり本人じゃないと不自然っ! ヨーコはもうちょっと笑い方豪快だし!
「日本にいた時に私を呼んだのはオニキスだよね?」
「そうだよ。君にはどうしてもウォーターフォードに来てもらわなきゃいけなかったからね」
譜面台に腰掛けてオニキスはこちらに好奇心の混じった視線を向けてくる。一方私は苦笑いのまま表情が硬化。
―――なんだかんだここに来ちゃったのってこいつが原因かい!
少々苛っときたものの、なんとか持ちこたえる。
「さっきからアルカナって呼んでるみたいだけど……私別にそんな変な名前じゃないよ? ちゃんと七瀬ハルっていう命名があるんだから」
「アルカナは名前じゃない。救世主のことを表すものさ」
「救世主?」
日常会話ではあまり出てこない言葉に私はふと首を傾げた。
そんなライトノベルじゃあるまいし。異世界トリップで救世主とか笑っちゃうよ。
「黒髪に黒い瞳をもつ少年が、この世界を救うべき異世界からの救世主。またの名を『アルカナ』と言い、彼は必ずウォーターフォードに呼び寄せられる」
―――……ちょっと待て!
少年、という言葉を私の耳は敏感に拾った。
「あのー……私少年じゃなくて少女なんですけど……一応現役女子高生だし」
そう言うとオニキスの動作がぴたりと止まった。
誰でもそうだけど、女だってことを申告するとみんなみじまじと見てくる。ディアもエルガーも騎士団の面々も。
「はぁ、これだから見直しをちゃんとしろって言ったんだ。神様は時々サボり癖がでていけないなぁ……」
深刻そうにそう呟いたオニキスはぐりぐりと眉間のツボをマッサージしている。外見は小学三年生くらいのヨーコなのに行動が疲れ切ったサラリーマンっぽい。
なるほどディアが言っていた神様がこの預言書を書いたってことは本当だったのか。
「でも救世主って……ここはいたって平和なんでしょ? だったら別に救世主なんて必要ないんじゃないの?」
「残念ながらそうもいかない」
肩を竦めた彼女の姿が一瞬にしてうっすら透けた。
発光していた体も切れかけの電球みたいにちかちかと暗くなったり明るくなったりを繰り返す。
「ちょ……オニキス?」
「時間切れみたい。アルカナ、その預言書はちゃんと持ち帰るんだよ。君がここにいる理由はそこに書かれているはずだから」
遺言か!
突っ込みどころだけど、オニキスは半透明のまま宙にふわりと浮かびあがった。
「ま、待ってよオニキス! アルカナとか全然わけわかんないんだけど! 私は具体的に一体何をすればいいわけ!?」
「それは僕にもわからないんだ。大丈夫、また会えるよ」
「そんなこと言ったって説得力―――」
ぱん、と泡が弾けるみたいにしてオニキスが空中から消えた。
途端に辺りが闇に包まれる。
「なさすぎなんだってば……」
一人取り残された私はどうしようもなくなって一分くらいそこに立ち尽くしていた。
「どうしろって言うわけ……」
やり場のない苛々と悔しさに唇を噛んで、剣が収まる鞘の先を地面に叩きつける。
ガツッ、と硬い音がするだけだった。
―――私がここにいる理由?
オニキスの言葉を思い出して手にある預言書を見るけど、さすがに真っ暗な中じゃ文字も読めない。
出口を探そうと壁際に視線をやったところで、また穴を発見。
最初に地下通路を発見した時のような、ドア一枚分くらいの大きさに切り取られたそこを私はじっと見据えた。
今なら怒りをパワーに変えてガイコツでもなんでも倒せる気がする!
闇に足音だけが響いた。
―――――――――――――――――――
ちなみに、私が進んだ通路の奥は行き止まりになっていて上に梯子だけが通じていた。
三十メートルくらいだろうか、普通の女子高生ライフじゃとても体験できないくらいの梯子の長さに両方の足の裏が悲鳴を上げる。
最終的に一番上には蓋がしてあって、重い石でできたそれをずらすのは一苦労。
息を切らしつつ蓋をずらして顔を出すと、眩しい夕日が差し込んだ。
「疲れた……」
なんとか梯子から這いあがり服についた埃を軽く払う。
繋がっていた先は所々大きな穴の開いた建物。彫刻やなんかが柱に細かく刻まれていて、大理石みたいな石で出来てるから―――おそらくここは明日探索予定だった神殿だろう。
地下に迷い込んだのが昼を少し過ぎたくらいだった。
でもって今は夕日が沈みかけている。
―――地下探索長っ!
エルガーの方は大丈夫だろうか。
神殿から出て目の前にあった石段を下りると、午前中まで探索していた時計塔がすぐ見えた。なんとなく「帰ってきた!」みたいな気分になって小走りでそちらに向かうと、その影から急に誰かが飛び出す。
その人物―――ディアは私の姿を見た瞬間
「キャ―――――ッ!?」
女の人みたいな悲鳴を上げた。
「ははははハルッ! 良かった今までどこにいたの!?」
詰め寄ってきてがっしり私の手を握ったディアが怖いくらいの近さでそう叫ぶ。なんだかいつもより声が1トーン高い。
「探したんだよ! 何この血!? 怪我したのっ!? 手当しなきゃ!」
「これ鼻血だから……」
「誰か―――っ! ハルが死んじゃう! ハルが死んじゃうよ――――っ!」
「人の話を聞かんかい!」
ディアの叫び声に騎士団の面々がわらわらと集まってきた。みんな感動したような、どこか憐れんでるみたいな目でこちらを見てくる。
ふと自分の服に目を落とすと、予想以上に鼻血が付着。
「……」
―――これは相当頑張ったと思われてるな。
ぐいぐいと顔をこすって顔面についている血を拭うけど落ちたかわからない。
「ディア、エルガーは?」
「あいつなら向こうにいるよ。ハルより先に地下通路から出てきて、一緒にハルのこと探してたんだ」
ディアが言い終わると同時、ジェラルドとエルガーが騎士団員の間を縫ってこちらまでやってくる。エルガーも結構服汚れてるから、私も酷い有様なんだろう。
「ハル、よかったよ、君が無事で俺は今なら死んでもかまわない!」
ぎゅ、とディアから私の手をかっさらって指を絡めるジェラルドに「はは」と苦笑い。
「エルガー、なんかさっき私変な穴に落ちちゃったみたいでさ」
「知ってる。落ちる時の阿呆面が酷かった」
一言余計だっつの!
今日はちょっとピリピリ気味の私は心臓をなだめつつ、思わず笑顔になった。
なんたって今日は収穫があるもんね!
「で! 見つけたよ、預言書!」
ポーチからばさっと二枚の紙を出して広げると周囲からどよめきが上がった。その声に思わずニヤリ。
エルガーは大人しくそれを受け取りジェラルドも隣から覗きこんだりしている。騎士団のみんなもわらわらと集まってきたりして。
「じゃあ今日で探索は終了か」
「早いもんだな」
エルガーの手元にある羊皮紙を後ろから見ながら楽しげに話すみんなに、こっちまで笑顔になってしまう。
一応これでちょっとは役に立てたかな?
「よくやった」
仏頂面鉄壁仮面のエルガーから最後に褒め言葉を貰って、私はにっこり笑いながらも「あれ?」と心の中で首を傾げた。
なんか変な感じ。
「ハル、お疲れさまだったね!」
ディアがぎゅーっと抱きしめてきたので慌ててその腕から逃げながら、私は違和感の正体を確かめようとエルガーの方をちらりと見たけど―――別にいつもと何も変わらないよなぁ……。
日暮れに鳥の鳴き声が聞こえた。
5万HIT感謝です!
初めに「目指せ5万HIT!」という目標を頭の中で掲げていたんですが、ようやくそれが叶いました。
たくさんの方々が読んでくださっているようで、本当に感謝しています。
更新速度は遅いですが、どうかこれからも見守っていただけると嬉しいです。