01 昼間のとある城
重々しい溜息が室内に響いた。
大きすぎるベッドに仰向けになって転がる彼は頭を抱えたい気分だった。目を瞑れば浮かんでくるたくさんの書類をいかにして捌くか。最近の悩みの種はこればっかりで考え事をしていると夜も眠れなくなってしまう。おかげで彼の目の下にはうっすら影が浮かんでいた。
今日は数少ない公休日でとにかく体力を温存しようと横になったわけだが一向に睡魔は襲ってこない。それもそのはず、今はまだ日も高く昼を過ぎたばかりで寝るにはまだ早すぎた。
悶々と一人ベッドの上で考え事をしていた最中。
ドン、と寝室の隣の執務室から大きな物音が聞こえた。
音に反応して瞼を上げた彼は素早く身を起こすなり壁に立てかけてあった剣を取った。刀身を内に備える鞘が窓から差し込む日の光に鋭く光る。
寝室と執務室を繋ぐドアを音をたてないように開き、そっと中を窺えば机の上に黒い何かがうずくまって呻いていた。書類が崩れ落ちたその上でインク瓶が割れている。
「っつ……いたたた……」
黒い何かが動いたかと思うと声を発し、頭と思しきものがきょろきょろと辺りを見回す。ここがどこだか全くわからない、というような仕草に彼は苛立ちさえ覚えた。
どこの間者だ。
突然執務室に現れたその人影は彼に背を向ける状態で机の上に座り込んでいる。彼は少し距離を取ってその人影に低い声で問いかけた。
「何者だ」
その声に人影が振り向いた。黒髪に黒い瞳、肌の白い少年だ。この国で黒髪に黒目というのは珍しく、どこか別の国の人間である可能性が高そうだと彼は瞬時に理解した。
「……?」
ところが少年は彼を見ても動作一つ起こさない。きょとんとした顔でずっと彼を見つめている。その頬には黒いインクがべっとりと付着していて、間者にしてはお間抜けな光景だった。
その様子に彼はもう一度口を開いた。
「何者だ。ここで何をしている」
その言葉を聞いて少年は複雑そうに眉をひそめた。そして首を傾げたかと思うと「ああ!」と声を上げる。
「もしかして夢? にしてもすごい夢だなー、どれどれ、今この人喋ったように聞こえたんだけど……」
少年は机から下りると軽い足取りで彼に向かって歩いてきた。何の淀みも無い黒い瞳は彼の目を注視している。
「来るな」
その様子に彼は違和感を覚えた。敵にしてはどこか変だ。長年便利だと感じていた彼の殺気を感知する能力も目の前の少年を前に何の反応も示さない。殺気も敵意も一切感じなかった。
全身黒ずくめの小柄な少年は言われた通りピタリと足を止める。だが彼を見る目は変わらずまるで珍しい物でも見ているかのように呆けた顔をしていた。
「すごい、夢にガイジンが出てきたのってはじめてかも……っていうか私、ガッコウから帰ってどうなったんだっけ? あれ、家まで着いたっけ?」
ぶつぶつ独り言を呟き始めた少年に、彼は思わずフ、と笑みを零す。
――頭のおかしい侵入者か。
どちらにしろ敵には違いない。
彼は剣を置き少年に歩み寄るなり衣服の襟を掴む。
「わ、なんかすごい現実っぽい夢。バーチャルみたい。あれ、夢? 夢だよねこれ――」
そして襟を掴んだまま後ろに倒れこみ、少年の腹を足で突いて背後に投げ飛ばした。
昼間のシュヴァイツ城に、凄まじい音が響いた。