03 探索開始!
びょーん、と。
目の前にミノムシがぶらさがった。
「い、い、いやああああああぁぁ―――っ!」
悲鳴を上げた私に騎士団の面々が振り返り、しまいにはディアとジェラルドが駆け寄って来る始末。虫相手の絶叫は自分のものとは思えない悲鳴がほとんどだ。
「どうしたの!?」
「む、む、ムシがぁ―――っ! 芋虫の類がぁ―――!」
その言葉に団員たちは、なんだ虫かよ、といった風に視線を逸らし皆それぞれの持ち場に去って行った。
今現在、昨日見た遺跡で預言書の探索を進めるシュヴァイツ城直属騎士団の第一隊と第二隊。建物の中は崩壊があるかもしれないので、あまり入っちゃいけないって言われてるけど……やっぱりちゃんと探さなきゃダメだよね!
そう思ってほぼ自然の棲み家と化しつつある遺跡に踏み込んだものの、建物の中にも結構虫がいて、冒頭に戻るというわけだ。
ただ一人女性団員である私の「ムシこわいムシきらい」という気持ちをわかってくれる人はほとんど―――というか全然いない。
「なんだよ、単なる虫か」
ジェラルドがミノムシを手でとってほれ、と私に突き出してくる。それを見て背中にぞわぞわっと鳥肌が立つのがわかった。
「どっかやって! こっちに向けないので!」
「こらジェラルド、あんまりちょっかい出しちゃダメだよ」
「へいへい」
ディアの言葉につまらなそうにジェラルドがミノムシをポイ捨て。一応手袋みたいなのはしてるけど……頼むからその手で肩とかを絶対に叩かないで欲しい。
「じゃあハル、何かあったらまた呼んでね」
「うん、ありがとう」
立ち去った二人に、私は盛大に溜息を零した。
崩れ落ちた天井の瓦礫を漁ってはみるものの預言書らしきものは一片たりとも見当たらない。この辺りにある建物はもともと一般人が使っていた家が多いらしいけど、家具っぽいものも無いし相当時間が経っているのがわかる。
この遺跡の奥の方には神殿もあるという話も聞いているけど、今日はこの街のほうの探索をある程度済ましてしまうらしい。
―――そういえば最近エルガーに会ってないな。
ふと鬼畜団長を思い出しつつ瓦礫をひっくりかえすと小さい虫がわらわらと溢れだしてきた。
「う……気持ち悪っ……」
室内はじめじめしてるけどそれなりに日差しはあるのに、湧き出る虫はどんどん増えるばっかり。手袋配給されてて本当によかった。
「お腹減った」
日が昇ってすぐに宿を出発し、作業を始めてかれこれ三時間。預言書の探索っていうよりむしろ瓦礫の撤去? 外套も暑くて着てられないから畳んで剣と一緒に置いてある。
額に浮かんだ汗を拭って伸びをすると背骨が凄まじい音をたてた。
「和菓子が食べたい……」
重くなった肩をぐるぐる回しながらそう呟き、手袋を外して腰に巻いてあるポーチからもっちりパンを取り出す。ルーが持たせてくれたおかげでおやつには不自由していないけど―――やっぱり日本のお茶菓子も恋しくなってくるこの頃。
「預言書も全然見つからないし―――おまけに一人が探す面積多いし」
最近憂鬱だし。
そろそろ次の建物に移ろうと、置いてある剣を腰に掛けなおして外套を着る。建物から出ると強い日差しが肌を焼いた。
―――今日だけで相当日焼けしたんだろうな……。
今度は目の前にある背の高い塔―――多分時計塔だろう。これは探索するのに骨の折れる建物だ。
外側の壁にも草が生えていて古ぼけたレンガ造りの時計塔は大体四階建てくらいの高さ。正面のドアはぶち抜かれていて、留め金の金属すら残っていない。
「ハル!」
その時、ディアの声に呼ばれて私は振り返った。
「そろそろお昼御飯だってよー!」
そう言ってこちらに手を振って来るディアに、うーんと唸り時計塔を指差して叫び返す。
「ここ軽く見てから行く! 先食べてて!」
今日はお弁当らしいし、一人くらい席を外れていても大丈夫だろう。ディアも了承してくれたようで頷いて姿を消した。
「はぁ……」
重い息を吐きだし、時計塔に踏み込むと足元の雑草がカサリと音をたてる。
時計塔の中は珍しく天井も崩れていなかった。薄暗いそこには壁から生えた石の階段が上の方まで続き、中央の床が抜け落ちて黒く影を落としている。
一人で来るにはちょっと―――っていうかかなり不気味っ!
ジェラルドの「地下通路に亡霊云々」の話が蘇るが、ぶんぶんと頭を振ってなんとか気持ちを持ち直す。階段に足をかけて上っていると、時々レンガの隙間から光が覗いた。
足が重い。
薄暗い時計塔の中、募るのはマイナスな感情だけ。
―――最近憂鬱。
それが一体なんのせいなのか、もうよくわかっていた。
いつまでも前に進めない。日本に帰る手段も見つからない。何のためにここにいるのか、本当にわからなくて。
とてつもない不安があるからだ。
だから苛々する。いつまでも変わらない現状と、何も掴めない自分に。
エルガーとディアがいる。ルーっていう友達もできた。ジェラルドだってなんだかんだ励ましてくれるし、きっと恵まれた環境なのに。
その場に似合わず、私は唇を噛みしめた。
「―――クソ」
めっちゃネガティブ……!
こんなところで悩んだってどうにもならない。あのテラスでそう叫んだはずだ。生きてるんだから、今はとにかく突っ走らなきゃって。
わかってる。そんなの、ずっと前からわかってるのに。
「……なんでここに来たんだろう」
やるべきことの姿が見えない。今『突っ走る』べき方向がわからない。情けない話だ。
騎士団に入って見ず知らずの人たちを守っていく―――それで本当にいいのかな。
気がつけば、時計塔の一番上まであと少しだった。階段からちょっと足を踏み外せば闇に真っ逆さまだけど、想像しないようにまた一段上る。
重い剣をぶら下げての階段コースはきつかったけれど、一番上にある鐘を見たら疲れもなにも全部吹っ飛んだ。
周りに柵もない場所でただそこで無音のまま過ごす錆びた巨大な鐘は、確かにここに人がいたんだと確信させるものだった。
鐘からは太い縄が伸びて、これを引っ張れば澄んだ音がでるんだろうな、とか。
そんなことばっかり考えていて、預言書のことなんてすっかり忘れていた。
外を見ると、高い建物はこの時計塔くらいで三百六十度の大パノラマが広がっている。
古びたこの街は、とても綺麗だ。
オプション高所恐怖症の私が恐いなんて感情も忘れてしまうほどの圧巻で、なんだか自分の悩み事なんてちっちゃいことなんだなって思わせてくれているみたい。
そうだ。
今はわからない。答えが見つからない。
でも、一人じゃなくなった。
進むべき道が見えない。
だったらこれから見える。
不安でいっぱいだ。
だったら未来は希望で溢れてる。
今が最悪で憂鬱なら、後ろに下がる道はない。
道は前にしか続いてない。
「―――頑張るよ、ヨーコ」
見ててね、私の大事な親友。
日本に帰るには少し時間がかかりそうだけど。
零れ落ちそうになった涙を、顔を上げて堪えた。
鳥の声がした。
―――――――――――――――――――
遺跡の中央広場。
「ハル、遅いなぁ」
「そう言うなってディア。あいつはあいつで考えることもあるんだろ」
不安げな声を上げるディアの肩をジェラルドがぽんと叩いた。
第一隊と第二隊は各々昼食をとるようにしたのだが、ハルだけは一人時計塔の探索を続行している。心配だな、と眉を下げながらディアがまた一口パンを頬張った。
「異世界から来てたった一人なんて、不安だろうなぁ……」
「いいからさっさと食え」
エルガーは相変わらず二コリともせず冷たく言い放つ。その様子にジェラルドは苦笑いしたまま肩を竦めた。
「けど、本当なのかよ? ハルが異世界から召喚されたっていうのは」
「事実だ。エルナイト卿に頼んであいつの記憶も見たが……確かにこの世界のものではなかった」
淡々と言葉を並べたてるエルガーを前に、二人もたじたじだった。なんだか普段より殺気が増しているような―――と目配せし合う。どうやら気のせいではないらしい。
「……遅い。少し様子を見てくる」
「ちょ、エルガー! 僕も一緒に行」
「いってらっしゃーい」
立ち上がったエルガーに手を伸ばそうとしたディアを後ろから押さえつけ、ジェラルドは冷や汗をかきつつ騎士団団長を見送った。
「ジェラルド、なんで止めたんだ! ハルに今のエルガーなんて任せたら八つ裂きにされちゃうだろ!」
「ハルは八つ裂きになんてならないだろ。とにかく俺らは大人しくしてるんだ。なんで苛ついてるかわからねーけど、下手したらこっちが八つ裂きだぞ」
「……確かに……」
歩いていく魔王の背中を見ながら二人は頷き合った。
ごめん、ハル!
心の中の声は、驚くほどぴったり一致していた。
―――――――――――――――――――
「ん?」
そろそろお昼ご飯を食べに行こうと時計塔の階段を下りているとき、妙な違和感が一つ。
階段が一段分、消えていた。
―――さっきはちゃんと全部あったのに。
嫌な予感を感じつつそこを飛び越え足早に下へと下りていく。
その時にパラパラと砂が落ちるのはご愛敬。
なんとか無事にドアの前まで戻ってこれたものの、気になるのはやっぱり階段。
実は上にいく階段以外にも、もう一つ下へ続く階段が存在していた。
闇に包まれ奥が見通せないその先はなんだか想像するだけでぞっとする。
「……あー」
小さく奥に向かって声を出すと、声が反響してますます不気味なことに。
どっちにしろ後々探索しなきゃいけないんだし―――今のうちにぱぱっと終わらせちゃおうかな。
嫌いなものは最初に食べる派の私、恐る恐るドアに背を向けて階段に一歩足を下ろす。
下からもわもわっと上がって来る冷気に背筋が冷えて―――なんだか嫌な予感。
しかしその階段をゆっくり進んでいてすぐ「あれ?」と私は素っ頓狂な声を出してしまった。
階段が途中で途切れていたからだ。
「なんだ……別に何もなかったんだ」
ジェラルドの亡霊云々話を信じたわけではないけれど、不気味さを感じるのは事実だし何しろこんな暗闇の中に一人でいるんなら恐くもなるって。
―――階段無くなっちゃってるし……これは不可抗力だよね。まさか下に落ちてまで探索しろなんて鬼畜なこと言わないだろうし。
口を開けている闇に鳥肌をたて剣を握る手に力を込める。なんだか何かが飛び出してきそうでついつい武器触れちゃうけど―――かよわい乙女には鋼の剣くらい強力な味方がついてないとね!
じゃあそろそろ戻ってみんなと合流しようかな、とドアに向かう一段目に足をかけたとき。
パラパラ。
肩に細かい砂が降ってきて、嫌な汗がつううと背中を流れた。
「……そんなまさか、ね」
はは、と薄っぺらく笑いながら上を見上げると遥か上まで続く階段が見える。そのうちの一つが、なんだかこちらに近づいてきているような気が―――
―――気がっていうか、近づいてきてない?
硬くて重い石で出来た階段のまるまる一段が、しまいにはぐるぐる回転しながらこっちに向かって落ちてくる。
ぼんやりその光景を眺めていた私は、それが間近に迫ってようやく悲鳴を上げながら後ずさった。
「ぎゃあああぁぁぁぁ――――――っ!」
とても女子が上げる悲鳴じゃなかったけど。
だけど後ずさるっていうのはここでは最もしてはいけない行為なわけで。
ドギャン! と目の前に落ちた石段が割れると同時、私の足は階段の終わりから踏み外していた。
「ひっ―――」
傾いた体重はどうしようもない。後ろに向かって身投げ状態の私の頭の中を勢いよく記憶が駆け巡っていく。
―――落ちる
体全体を襲う浮遊感。終いには『死』の文字がありありと浮かんで十七年間の人生とオサラバしそうになった脳みそを、
「ハルッ!」
鋭い声が揺さぶった。
ついで、がしっ! と腕を掴む力。
「ひいいいいいぃぃぃ―――っ!」
「言ってる場合か馬鹿! 自分で上がる努力をしろ!」
危機一髪、宙ぶらりん状態の私の腕をかろうじて掴んでくれているのはディアでもジェラルドでもなくて―――まさかのエルガー。
「え、え、エルガー、助けてくれてあり」
「いいからちゃんと手を掴め! 状況を考えろ男顔っ!」
「男顔男顔うるさい! 言っとくけど生れつきだから!」
階段から身を乗り出して私の腕を掴んでくれてるけど―――女でも165センチの身長ってそれなりの体重がある。下手したらこのまま一緒に落ちちゃうなんてことも……
「いやあああ! 死にたくないぃぃ! せめて、せめて死ぬ前に日本茶を―――!」
「騒がしい!」
手袋同士だし、外套も滑りやすいし私の体は重力に引っ張られてずるずる下に落ちていく。エルガーだって頑張ってくれてるけど、この態勢には無理があるだろうし。
足元に広がる黒に思わず涙目。
「泣きそうです、団長」
落ちたら痛いんだろうなぁ、この下どこまで続いてるかわからないけど。
「諦めんな馬鹿」
そう言って私を持ち上げようとしているエルガーの真横の壁に―――ピシッとひび割れが一本入った。
その次に二、三段上の石段にも線が刻まれる。
「エルガー、やばいかも」
「そう思うんだったらさっさと上がれ」
パラパラと砂が舞うのがしっかり見えた。長年両目Aを誇ったこの瞳、嫌なところで役立ってしまったものだ。
「私のこと捨てていいよ」
逆光でエルガーの顔が完全に見えるわけじゃないけど、その言葉に彼の金色の目が見開かれるのがわかった。
誰かに迷惑かけて死ぬなんてまっぴらだ。
それなら一人で未練なく死なせてくれ。
「まだまだ生きたいけど、誰かを道連れにするくらいならあっさり捨ててもらった方がまだマシだし」
「お前の遺志を汲む気はない」
ぎゅ、と腕を掴む力が強くなる。多分痣になるんじゃないかな、これ。
エルガーの返答に私は苛ついて思わず逆ギレしてしまった。
「もぉー、いいからさっさと行けってこの魔王っ! 部下が上司の命守るのは普通のことでしょーがっ! 未練なく成仏したいの私は!」
「他人の命捨てて自分だけむざむざ生き残れるかっ!」
腹まで響く低音ボイスに、思わず茫然としたその時。
パキン、とガラスの割れるような音がしたかと思うと私達を支えていた階段が崩れ落ちた。
走馬灯が走った。
THANK YOU 3万HIT!
3万HITありがとうございます。
正直ここまで来れたのはたくさんの方々が読んでくれたからです。
これからもがんばっていきますので、どうぞアルカナの行方をよろしくお願いします!