12 友達作り大作戦
日本茶が飲みたい。
和菓子が食べたい。
「帰りたい」
夕方、私がいるのは一昨日の夜に散歩途中で見つけたミニ噴水付き芝生テラスだった。人気は無く、手すりに顎をのせて茫然と城下町を見ていると寂しさが増す。地平線に沈みかけた夕陽が顔の皮をヒリヒリと焼いていた。
今日の午前中、変な老人―――後にエルナイトさんだと教えてもらった―――に魔法で記憶を見せた結果私の身の潔白は見事証明された。本物の異世界人だってことも、偶然エルガーの部屋に出てきてしまったことも。
でもその代わり、ウォーターフォードから日本に帰る明確な術は無いとも宣告された。
日本に家族を置いてきてしまった。友達も大切なものも全部。
勿論テンションは下がり気分は憂鬱。
「はあ……」
文字通り頭を抱え、溜息を吐きだす。
西日で肌が刺激を受ける中、私は目を細めた。
―――死ぬよりマシだ。
それが昔から自分を励ます唯一の言葉。どんなに凹むことがあってもこの言葉でやっていけた。
生きていなければ何も出来ない。笑えない、泣けない、歩けないし走れない。眩しい朝日も沈む夕日も見ることだって出来ない。
希望も持てない。
日本に帰る術が見つからないなら自分で探せばいい。術が無いなら作ればいい。
ぺちん、と頬を軽く叩いた私は勢いよく立ち上がった。
「こんなところで悩んだってどうにもならないんだから! 今はとにかく突っ走れ、七瀬ハルッ! 大和撫子がこんなでどうするヘタレめっ! チキンめっ! ええい、やってやるよ異世界っ! 絶対生き抜いてやるっ!」
最後に「あああぁぁぁ―――っ!」と夕日に向かって身を乗り出して大声で叫ぶ。
うん、我ながらいい絶叫だ。だいぶすっきりした。
さて、そろそろ夕食の時間だし。
夕日に背を向けテラスから屋内に入ろうとした時。
テラスの入り口に、メイド服の少女が一人。
それを見て私は硬直。
―――見 ら れ て た !
電撃が体中を駆け巡った。少女の目には感情という感情がいっさい無くて、こちらがぞくりとしてしまうくらい冷えた瞳をしている。
そして深緑の髪を肩のあたりで二つ結びにした小柄な彼女は腕に何かを持っていた。
「探していました」
その正体を探ろうとした時、彼女が口を開いた。
凛とした透明な声。
その声に圧倒されつつ私は曖昧な笑顔で首を傾げる。
「探していたって……私を?」
「ハル様でいらっしゃいますよね」
なんだろう、この子メチャクチャ恐い。
でも不思議と悪い感じはしない。ただちょっと威圧感がすごいだけで。
「確かに私はハルだけど、何か用事?」
「これを受け取っていただきたくて参りました」
そう言って彼女は私の前に立つと腕に持っていた何かを差し出してくる。片手でも持てそうな紙袋で、先が折られていて何が入っているのかはわからないけど―――微かに甘い匂い。
いかにもパン屋の袋のようなそれを渡して任務は達成と見たのか、軽く礼をした少女は屋内への敷居を超えた。
「ちょ、ちょっと待って!」
慌てて追いかけると彼女が無表情で振り向く。髪と同じ緑の瞳がわずかに見開かれた。
「なにか」
「あ、あの、名前を!」
近くで見ると、彼女はとても美人さんだと気がついた。瞳も大きいし、形のいい唇はきゅっと結ばれ品の良い顔立ちだ。
「シェルルですが」
「シェルル? あの良かったら……」
「先程のことは誰にも言いませんのでご安心なさってください」
エルガーなみの鉄壁無表情!
先程のこととはやはり独り言と絶叫のことを言っているんだろう。
「違うの、あの―――よかったら私の友達になってくれないかな」
「トモダチ?」
なんじゃそりゃ、という感情が少し顔に出た。
前々から考えていたのだが、城内で女の子の知り合いがいないって大変なことだ。女の子同士の話だってあるだろうし、色々わからないことを尋ねるにも同性の方がいい。
名付けて友達作り大作戦ってなわけで。
いつまでもグダグダ落ち込んでいるわけにもいかない、今はここにいるんだから。
でも一人は寂しすぎるし、出来れば一人くらいは知り合いが欲しいなあなんて思っていたところなのだ。
「トモダチとは、ハル様と私が個人的な交流を持つということですか」
「え? うん、まあそうなるけど」
なんだか言い方が難しくててきとうに答えてしまったけれど……コジンテキナコウリュウでまあ大体合ってるよね!
「申し訳ありませんが辞退させていただきます」
シェルルの冷たい声に私はしばし呆然。
「え」みたいな顔をして固まってしまった。
「……なんで? やっぱ、嫌? 男顔だから?」
「あなた方騎士様と私達メイドの個人的交流は階級的に問題がありますので」
「階級?」
なにそれ、上流とか中流とかそんな感じのこと?
「失礼します」
シェルルは私を置いて乱れの無い歩調ですたすたと廊下を歩いて行った。西日を受けた私は心がますます凹むのを感じながら紙袋の折口を開く。
甘い匂い。
中に入っていたのは、まだ温かみの残るマフィンだった。
――――――――――――――――――
「シェルル――――ッ!」
城内に響き渡る声。
重たい剣を腰にぶら下げながら私は赤い絨毯の上を走っていた。どうしてかわからないけど自分でもびっくりするくらい必死で。
角を曲がったところで足を止める。そしてシェルルが五十メートルほど先を歩いているのを発見した瞬間に飛び出していた。
勿論「シェルル――――ッ!」と大声で叫びながら、だ。
さすがに気付いたのか、シェルルが驚いて振り返る。走っていた私は踵が擦り切れそうなほど勢いよくブレーキかけ、なんとか彼女の前で止まることができた。
「なにか」
「これ、作ってくれたのシェルルでしょ?」
持っていた紙袋を見せるとシェルルが驚いたように瞬きをする。やっぱりそうだったんだ、と私は確信した。
なにせ紙袋の内側からもシェルルがつけているであろう香水の匂いがした。昔から女の子に囲まれていたおかげで会得した、女子の匂い嗅ぎわけ技がこんなところで役に立つなんて。
「素敵なプレゼント、ありがとう」
「別にそういうわけじゃ」
そう言って首を振ったものの、彼女の頬は傍から見てもわかるくらい真っ赤になっている。
―――無表情だけど照れ屋なんだ!
それを見てこっちまで赤くなってしまった。男子高校生か私は。
「やっぱりさ、階級とか関係無しに、私の友達になってくれないかな。ここでの友達、第一号! 私、ここで一人きりだから」
ディアもエルガーもジェラルドもおじいさんもいるけど、やっぱり足りないものがある。
もしかしたら無意識のうちにヨーコの身代わりにしようとしているんじゃないか。
ただ一人でいるのが恐いだけじゃないのか。
一人でいることに同情されたくない。寂しいのは嫌だ。そんな人間らしい欲に駆りたてられてシェルルを犠牲にしようとしているんじゃないか。
でも。
私の欲云々よりも。
マフィンを見た時、甘い匂いを嗅いだ時―――この子の温かさがわかった気がして。
「シェルル、私のこと心配してくれたんでしょ?」
一人になりたくない、じゃなくて。
この子と一緒にいたいって気持ちが膨らんだ。
「毎日暗い顔をしてる私を励まそうとしてくれたんだよね」
そう言って微笑みかけると、シェルルはぽかん顔だった。
むしろ複雑そうな顔って言うんだろうか。何か変なこと言ったかな、私。
そろそろ不安になりそうなくらい無言の間が続いた後、シェルルは静かに閉ざしていた唇を上げる。
「確かにそれを作ったのは私です。ハル様を心配したのも本当です。ですが、メイドが騎士様を支えるのは本来あるべき姿。当然のことをしたまでです」
うん、そう言われると思ってた。
バッチコイ!
「わかってるよシェルル。だけど騎士とかメイドとか階級とか関係無く、私はシェルルと友達になりたいって思うんだ。そんなんじゃダメかな? 勿論そんなこと許せないって言うなら『メイドが騎士を支える』ってだけでもいい。でもその代わり、私もそれなりにお礼をさせてもらうけど……」
あ、なんだか押しつけがましい。
こんなんじゃ断れるわけないじゃん。
「ごめん、嫌ならいいんだ……」
「やらせていただきます」
シェルルの声に、私は落としかけていた頭を持ち上げた。
「え!? いいの!?」
「ハル様がよろしければ、私もお役に立ちたいと思います。トモダチ、私の手には余るかもしれませんが―――ところで」
嬉しくてつい笑顔になった私に、シェルルは無表情で確認のようにこう尋ねた。
「ハル様は、女性ですよね」
ちなみに。
初対面で私を女だと見抜いたのは、ヨーコと合わせて二人目だった。
―――――――――――――――――――
「ぷっ」
ディアが吹き出したきり肩を震わせてうずくまる。必死に笑いを噛み殺しているようだが隣にいるエルガーはますます眉根に皺を寄せるばかり。
朝の魔方陣のことからずっと肩を落としていたハルをなんとかして元気づけようと二人は丁度彼女を探していた。
そして見つけたのは、メイドと話すハルの姿。
赤い絨毯が敷き詰められる回廊でいきなりディアにストップされ何かとエルガーが角から顔を覗かせれば表情をころころ変えるハル。
その会話を角の先で黙って聞いているディアとエルガーはもはや盗み聞き同然である。
「ハル様は、女性ですよね」というメイドの言葉に立ち尽くしている光景が、傍から見ているとおかしくてついついディアは笑ってしまった。
ところがいつも通り無表情のエルガーは壁に寄りかかったまま何が面白いのやらといった感じで口を閉ざしている。
ハルを励ますから、と無理やり連れてこられたもののいつの間にか彼女自身の気力も回復しているし別に自分達は用なしだったのではないか。
「よかったねエルガー」
「何がだ」
「ハルが元気そうで」
ぴくり、とエルガーの表情が僅かに動く。
「そういう奴なんだろ」
ゴーン、と。
夕時の鐘の音が、城内に響いた。