11 日本の記憶
「あの女は何者だ」
暗闇に男の声が響いた。
夜空に月の浮かぶ刻、城内は静まり返っている。その一角、中庭が見下ろせる位置に二つの影があった。
視線の先には中庭を横切る少年―――否、少女が一人。
先日急に現れた彼女は騎士団団長のエルガーとも第二隊隊長のディアとも懇意で、第一隊の入隊まで果たしている。情報では最初彼女は何らかの罪で独房に閉じ込められていたのに、だ。
「今のところ―――特に何の問題も」
「警戒を解くな。あの女、厄介な存在になりえる」
その言葉とは裏腹に。
男の声はどこか楽しげだった。
―――――――――――――――――――
手の中に感じる重みと、ヒヤリとした冷たい感触。
素振りをしている私の心はびっくりするほど晴れ晴れしていた。
午前中、騎士団第一隊は訓練から始まる。昨日は部屋を支給され、そして本日ついに私に剣が届いた。
その剣が、今私が振っているもの。私くらいの女性が片手でも扱えるくらいには軽量で細身だ。振ると遠心力がかかって更に重くなるけど、それは不可抗力。名前は片手剣? とかそんな感じだった気がする。
ともかく私の剣が手の中にある。これは私が騎士団団員である証で、ここが私の居場所なんだって気にさせてくれていた。
「やめ」
とジェラルドの制止の声で、メンバーの素振りが終わった。その途端思わず剣先を地面につけて大きく息を吐きだしてしまう。
「お、重い……生身の剣ってこんなんだったんだ……」
本物の剣は鋼で出来ているだけあって竹刀とは比べ物にならない重さだ。明日の筋肉痛は確定!
「しかも暑いし……」
日当たりのいい中庭、日差しはきつきつだし芝生は蒸れるし。足元はブーツだし長袖シャツだしこの制服通気性悪すぎる。
ということで。
中庭の隅には小さい井戸みたいなものがあって木桶で水をすくえるようになっている。とりあえず午前中の大体の訓練は終わったわけなので、第一隊のみんなは頭から水をかぶったりしているけどさすがにそこまでは出来ない。
「おお、汗に濡れたハルも綺麗だね」
「気持ち悪い」
剣を鞘に納めて井戸に向かおうと歩いていると、すれ違いざまにジェラルドにいかがわしい言葉をかけられた。ちなみに彼は第一隊の副隊長らしい。今日はエルガーの代役ということで指揮している。
「そういえばジェラルド、エルガーは?」
「ん? あいつなら仕事仕事。なんか色々立て込んでるんだって」
「へえ」
確かにあんなに若くしての出世じゃ苦労も多いんだろうな、と私は一人頷く。
井戸の横に剣を立てかけ、腕まくりをして顔に水を叩きつけた。運動した後に顔を洗うのってすごく爽快で気持ちいい。
タオルが無いので仕方なく制服の肩口で顔を拭く。腕も洗い流してとりあえずプチクールビズは完了。
そこへ。
「あの」
と控えめな声がかけられた。
しかも女の子の声だ。
勢いよく振り向くと小柄な少女が三人。少女とは言っても同い年ぐらいだから十七、八ってところか。大体165センチの身長の私から見れば大抵の女の子は小柄に見えるものだけど。
でもって女の子達が身につけているのはヒラヒラのメイド服。
―――生メイドだ!
「なにかご用ですか?」
「ハル様ですよね? よかったらこれをお使いください」
差し出されたのはフェイスタオルだった。なんだか部活のマネージャーみたいだな。
「え、でも……」
「遠慮は要りませんわ。このお城を守っているのはあなた方騎士様ですもの。どうぞ」
そう言った彼女達の瞳はキラキラ輝いている。なんだかこのキラキラ、日本でも見たことあるような気がするんですけれど。
「じゃあありがたく」
受け取ると三人組はぱっと笑顔になって去って行った。
―――あの子たち絶対私が男だと思ってる。
「ハル、大人気だね」
腕を拭いていると今度はディアに声をかけられた。第二隊は今日は休日だって言ってたけどディアはちょくちょく第一隊の様子を見に来る。
「私、男顔だから」
「確かに美形だよね」
「ディアに言われてもあんまり嬉しくない……」
ディア自身がばりばりの美形だから説得力というものをあまり感じない。なんたって実写天使みたいなものだからね。
「そうだ、今日はエルガーに呼びだされてたんだ。ハルも一緒においで」
「エルガーが? でも私、まだ訓練が……」
「大丈夫、ジェラルドにはもう言ってあるから」
それだけ言ったディアは私の手を取るなり歩き出した。
―――うわ、こっちの人ってスキンシップ激しい!
もっぱら大和撫子精神が旺盛な私は、いきなり手を握られただけでもびっくりしてしまう。女の子となら手はいっぱい繋いだことがあるけど男の人の手ってやっぱり繋ぐ機会ないんだよね! 彼氏とかいたことないからさ!
―――――――――――――――――――
「ここ?」
「ここ」
目の前にあるドアを見上げて私が思ったことはただ一つ。
―――こわっ!
城内の奥の方、光が差し込まない薄暗い空間にそのドアはあった。背が高く、表面には繊細な模様が彫られている。しかしその豪奢な雰囲気とは裏腹に埃が積もり、金の取手は錆びついていた。
こんなところにエルガーがいるとは思えないんですが、と正直に顔に出てしまう。ディアは「大丈夫だよ」と言ったが……何が大丈夫なのかわからない。
ノックだけでドアを開けたディアの後をそろそろとくっつくように歩く。
中に入ると籠った湿気の匂い。周囲にはたくさんの本棚がずらっと並んで、分厚い本がぎっしり収められている。
「エルナイト卿、連れてきました」
急に立ち止ったディアの背中にぶつかった私はよろけた態勢を立て直した。暗闇に目をこらして辺りを見てばかりいたので目の前の光に目を細める。
本棚と本棚の間、ランプの光が辺りを覆っている。本棚によりかかっているのがエルガー、そして正面には見知らぬ小柄なおじいさん。
「ふぉっふぉっふぉ」
喋った!
「お前さんが例の『不審者』じゃの?」
「え? ああ、はい」
いきなり話しかけられてどもってしまったけれど、老人は優しげな笑顔を見せるだけ。なにがなんだか全然わからない。
「異世界から来た、と聞いたが」
その言葉に私は目を二、三度瞬き。
エルガーの方を見るとあっちはガン無視状態で、どうにもならなかった。
「日本から来ました」
「ニホン……とな?」
「私が十七年間暮らした、大切な故郷です」
このおじいさん、一体何者なんだろう。
エルガーもディアもさっきから黙りっぱなし。それほど偉い人なのかな。
「実はのう、そのことについて調べさせてもらったんじゃ」
老人がローブのポケットから白い何かを出した。―――それ私の携帯じゃん! エルガーめ、いつの間に!
「これを見る限りじゃと確かに異世界のもののように思える。じゃが、まだお前さんが異世界から来たという明確な証拠が無いんじゃ」
はあ、と私は曖昧に相槌を返した。つまりどういうことなの?
「お前が本当に異世界から来たのか、証明してもらう」
怪訝な顔をしているとエルガーが老人の言葉を代弁したようだった。おじいさんも、うむ、といった感じで頷いている。
「証明って……どうやって?」
「足元を見なさい」
足元?
視線を落とすと、難しそうな紋様が床に描かれていた。半径一メートルほどのそれは漫画とかアニメでよく出てくる『魔方陣』によく似ている。私には読めない文字や波みたいな線が幾重にも重なっている。
「なにこれ?」
「見ての通り、魔方陣じゃ」
こんな踏んじゃっていいのかな。
どこうとした私の肩をディアが掴んで押さえた。
「ディア?」
「ハル、動かないで、すぐ終わるから」
「え? なに、すぐ終わるって?」
体中に悪寒が走った。悪い予感しかしないのは気のせいですか? いや、絶対気のせいじゃない!
「やだっ、何するの!? ディア、離してよっ! エルガー!」
「黙っておけ」
するとおじいさんが何事かを呟き始める。私の嫌な予感ゲージはみるみるうちに百パーセントに近付きつつあった。エルガーは眉間に皺を寄せてこっちを見ていて、ディアは必死で私をその場に止まらせている。
「ディア、離れろっ!」
鋭い声が響きディアが私の体から離れた瞬間、陣が眩しい光を発した。
光は炎のような灼熱を感じる赤で、同時に床から植物のツタのようなものが飛び出しブーツにぐるぐると巻きつく。
「いっやぁぁぁぁ―――――っ!」
気持ち悪すぎる光景に私は涙目になりつつ絶叫した。更に陣は大きく光を発し、ズン、と地面が揺れる。爆風のような風が吹き荒れ、思わず目の前を腕で覆った。
―――死ぬ死ぬ死ぬ死んじゃう!
十七歳で、しかも異世界で死ぬなんて絶対に嫌だ!
「――――!」
おじいさんが何かを叫んだ。風の音があまりに酷くてあんまり聞こえなかったけれど。
だけどどの瞬間、一際大きな「バンッ!」みたいな爆発音がして風が止む。
恐る恐る顔の前で構えていた腕を下ろすと、赤い光は弱まって魔方陣の線の上を脈のように駆け巡っていた。ツタがブーツから剥がれ、床に戻っていき足が解放された私は思わず尻もちをついてしまう。
「な、な、なにを……!」
「お疲れ様、ハル。終わったよ」
ディアがポンと私の肩に手を置いた。彼は笑顔を浮かべているが私はそれどころじゃない。
「今の何!? ちゃんと説明してよっ!」
「ごめんごめん。まずはこれを見て」
そう言ってディアが上を指差す。足元かと思ったら今度は上か。
言われた通り座ったまま上を見ると―――なにこれ。
いくつもの『映像』が宙に浮いていた。
動画が映る半透明の薄っぺらいディスプレイが漂っているとでも言うんだろうか。十個ほどのそれらが魔方陣の周囲を回るようにのろのろと流れている。
立ち上がってその一つを見ると、見慣れた光景が広がっていた。ヨーコの笑顔、背景は通学路。
「……なにこれ」
ヨーコが着ているのは中学校の制服。視点はヨーコより少し高い位置にあって、視界にかかる長めの前髪と時々映るジャージ。これって。
「君の記憶だよ」
ほら、とディアが映像を取って私に差し出す。え、なにこれ、触れるの? 残る二人を見るとやっぱり映像に触れてそれを凝視していた。
「人の記憶をタッチパネルみたいにして覗くな―――っ!」
顔から火が出そうなほど恥ずかしい。すぐさまエルガーとおじいさんの腕から映像をむしり取って宙に放つ。
「確かに記憶はこの世界のものじゃないのう」
「あったりまえでしょう! なんてことするんですか! 仮にも乙女の記憶を覗こうなんて破廉恥にも程があります!」
「乙女か?」
呟かれた言葉に私は鬼のような目でエルガーを睨んだ。
「悪いのう、他に方法は思いつかんもんで。魔法で記憶を取り出せばいいと思ったんじゃが、いささか出過ぎたようじゃ」
超マイペース!
「悪いんじゃがここに来た時の記憶だけ探して見せてくれんかのう。数分したら戻ってしまうんじゃ」
う、と私はたじろいだ。
自分の記憶を見られるのがどんなに恥ずかしくても、ここでこれを見せなければ私の身の潔白が完全に証明されたことにはならない。
渋々、映像の中から日本で過ごした最後の日であろうものを探し出しおじいさんに渡す。
「ふむ、確かに『召喚』されておるようじゃのう」
「……認めてくださってどうもアリガトウゴザイマス」
自分でも驚くほど声が無愛想だった。
「しかしのう、一体誰が何の目的で……」
そう、そこが一番のポイントだ。
私は誰にどうして呼びだされたのか知りたい。そして日本に帰りたい。
「あの、私が日本に帰れる可能性ってどれくらいですか?」
「限りなく0に近いだろうな」
エルガーの言葉に顔から血の気が引いて行くのが、嫌なくらい自覚できた。
「異世界は数え切れないほどある。呼ぶことは可能だが送りだしたら最後、どこの世界に辿りつくかはわからない」
「そんな……」
つまり現時点で日本に帰れるなんてことは無理。
せめて、せめて日本茶の一杯でも最後に飲んでおけば―――後悔の念が胸に押し寄せた。家出た時ちゃんとガスの元栓切ったっけ、とか。そんなどうでもいいことばかり。
家族を残して、こんなところに一人で。
そんな思いが生まれたのはエルガーの言葉を聞いた数十秒後だった。
1万HITありがとうございます!
ここまで読んでくださった皆様方に本当に感謝しています。みなさんが読んでくれたから、ここまでこれました!
引き続きアルカナの行方をお楽しみください。