10 騎士ライフinシュヴァイツ城!
重く巨大な木製のドアを押して開くと、中からは湿気のこもった空気が流れてきた。しかしその匂いにも、彼は眉間に皺一つ寄せない。
室内に入りまず目につくのは高々と壁に這った書架。そして周囲にも背の高い本棚が並べられ、より一層の威圧感を与えている。窓は板で何重にも固定され、光の類は一切入らないこの部屋は長年使われていたのが一目でわかるほどだった。
赤かった絨毯はくすみ、壁や天井には滲みが目立つ。床を歩くたび大理石で造られていない床板は悲鳴を上げ―――そして何よりここにある本のほとんどが埃を被って薄灰色に身を変え、書架に収められていた。
そんな湿っぽい室内に入り、後ろ手にドアを閉めた彼は部屋の隅から漏れるオレンジ色の光の方向へ歩き出した。
「エルガー」
しわがれた声が彼を呼んだ。
彼―――エルガーはその声にぴたりと足を止める。
「昼間から珍しいのう」
次いで紙が擦れページがめくられる音が響いた。エルガーは再び厚みのある絨毯の上に足を踏み出し、光が漏れている書架の間に立って声の主に視線を向ける。
梯子の途中、暗がりの中ランプで手元を照らしながら重そうな本の文字を追っていたのは小柄な老人だった。本を持つ手は皮と骨だけになり顔は皺でくしゃくしゃになった、その中で蒼い瞳だけが宝石のように輝いている。
「頼みがあって来ました、エルナイト卿」
「よそよそしい言い方はやめなさいと前に言ったはずじゃが」
老人、エルナイト卿はそう言ってエルガーに視線を向ける。
「まあ仕事柄仕方ないのかも知れんのじゃが」
細められた蒼い瞳の中には、僅かに温かい感情が見える。しかしエルガーはその視線を撥ね退け口を開いた。
「私の部屋にいた不審者の話ですが、彼女は自分が異世界から来たと言っています」
「ほう。それで?」
「彼女の持ち物を調べて欲しくて頼みに来ました」
エルガーが胸のポケットから取り出したのは手の上に易々と収まるほどの小さい箱―――ハルの持ち物である、携帯電話だった。
「少なくともお前さん、少しはその者の言い分に信憑性があると思っておるんじゃな?」
エルナイト卿はエルガーに視線を注ぎ、彼もまた真っ向から見つめ返す。
この老人の「答えなければ受け取らない」という合図だ。
しかし金の瞳に映ったのは、困惑の色だった。
「彼女の言い分は明らかにおかしいですが、彼女自身不審者の類では無いと感じられます」
現に彼女から殺気を向けられたことはなかった。それどころか順応すぎるほどに、今の生活を受け入れ「ここで生きていく」という突拍子もない「決意」まで見せている。
「それはエルガーがその者の人格を認めたということじゃの」
「そういうことになりますね」
「しれっと答えおって……」
呟いたエルナイト卿が携帯電話を受け取り様々な角度からそれを観察した。
「お前の頼みならば仕方あるまい。調べておく」
「お願いします」
「ただし条件が一つ」
その言葉に、エルガーの眉間にぎゅっと皺が寄った。エルナイト卿もそれを見て小さく溜息を吐きつつ
「近いうち、必ずこれの持ち主を連れてくることじゃ」
携帯をかざすとストラップが軽快な音を立てる。条件を聞いたエルガーは露骨に嫌そうな顔をしたが最後に小さく「はい」と答えた。
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この世界の詳細やらエルガーとディアの歳やらがわかったところで、私は騎士団の仕事に合流した。
騎士団とは言っても毎日訓練ばっかりしているわけじゃない。城内や城下町の警備、盗賊の討伐とかまあ様々な仕事がある。
今日はそのうちの『城の警備』をやる予定、だったのだけど。
私は当然剣も持っておらず、まだまだ未熟者のため説明のみで終了。
そして待ちわびた昼ごはんの時―――小さな事件が起こった。
「美味しそ―――っ!」
食堂のテーブルに並べられる大量の昼ごはんを見て私は歓声を上げる。
この食堂は城内で働く人たちの多くが交代制で利用するところらしい。騎士団第一隊で食事することになっているけど、大柄な男性が多いためか量がハンパじゃなく今までに見たこと無いくらい皿に山盛り。さすがに壮快な眺めだ。
周囲の人たちがイスに座り始めたので、私もどこかに座ろうと突っ立っているディアの横にあった席にひょいと引いて腰を下ろした。
が。
なんだか周りが硬直したんですけど。
しかもみんなこっち見てるんですけど。
「え……?」
急に不安になったので恐る恐る席から立ち上がる。しかし多くの視線はこちらに向けられたままだ。
なに、まさかいきなり座っちゃまずかったとか!?
「あ、あの、ディア、ごめんなさい……」
「いや、謝るほどのことでも……っていうかそうか。ハルは知らないんだった」
真っ青な顔で謝った私を前にディアがぽんと手のひらを打つ。
「あのねハル、この世界では、女性のイスは男性が引くものなんだよ」
「それって義務?」
「義務ではないけど、男女間のマナー? 一般人はあんまりやらないけど城内では結構普及してるんだ」
―――エスコートの問題かい!
思わず突っ込みそうになるのを堪え「そうなんだー」と適当に流しておく。
男性にイス引かれる? そんなお姫様みたいなこと出来るわけないじゃないですか! ただでさえ剣道の中育ってきたじゃじゃ馬娘だっていうのに!
「じゃあ今日は僕が……」
「遠慮します」
大して問題はなさそうだと悟り、早々の席に着くとディアはショックを受けたような顔をして固まっていた。
やがて全員が席に座ると、いよいよ号令の準備だ。胸の前で手を合わせた私は再び痛々しい視線を向けられる。
「ハル、号令の時は右手を左胸」
隣からディアに囁かれ、私は慌ててみんなと同じように態勢を整えた。
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「そうだハル、今度君にいいものが届くよ!」
食事中、パンを頬張っていた私の耳にディアの嬉々とした声。
そちらを見ると視線がぶつかった。
「……」
パンが口に詰まってるから喋れない。
それを察したのかディアが応える。
「やっと女性用の剣が届くんだ」
「んんっ!?」
むせ返りそうになったところで胸をどんどんと叩いてパンを呑み下した私はもう一度ディアに向き直った。
「剣!? なんで!?」
「ハルだって騎士団の一員だろ? 剣は必要不可欠じゃないか」
いや、そりゃあそうですけども。
でも。
私、三日前まではエルガーの部屋に忍び込んだ罪で独房に入れられてたのに! 警戒心無さすぎでしょうそれは!
「普通のは重いから、細身のものなんだけどね。そろそろハルも本格的に仕事に関わっていくだろうし、剣は携帯してなきゃ」
剣なんて物騒なもの携帯できるわけ―――と思ったが、壁一面には騎士団のみんなの銀色に輝くものがずらっと立てかけられたりしているわけで。
やっぱり持ってなきゃいけないのかぁ。
「あ、あと部屋も手配したから、今日からそこで寝るといい」
「そんなことまで……」
確かに私、今までずっとエルガーの部屋で寝起きしていたわけだしそろそろ自分の部屋があってもいいかもしれない。
なんだか城内の生活にもそろそろ慣れそうだな。
「なあなあ」
と、考え事をしていた最中、隣の席から声がかけられた。
勿論聞き覚えのない声だ。
振り返ると見たことの無い男の人が座っている。銀色の髪に、灰褐色の瞳という……これまたすごい色合いの人だ。ディアやエルガーで結構慣れたと思ってたんだけど、まだまだ種類はあるらしい。ウォーターフォードって色彩豊かだな。
「……はい?」
「あんた、なんで目黒いの? 俺、この間から気になってたんだけど」
「その前にどちら様ですか」
まず最初に名前を名乗らんかい! と男を見ると案の定彼はにやりと笑った。
「強気な女は好きだよ」
―――めんどっ!
「ちなみに俺はジェラルド。ジェラルド・アイン・スリング。できればエルガーとディアよりも早く名前を覚えてほしかった」
「七瀬ハルですー、漫画みたいな台詞をどうもありがとう」
そういえばヨーコが言っていた。
異世界トリップした先がお城で騎士団とかあったら必ず女たらしキャラがいる。
こいつだ! 確信犯だ!
「で、目のことなんだけど」
「生まれつきなんで」
「でも預言書では黒い瞳の人間はいないことになってるんだよな」
「ヨゲンショ?」
耳が聞きなれない言葉を拾ったので思わず聞き返してしまった。
ヨゲンショって……予言書? 世界が滅びるとかマヤ文明とか、そんな感じの?
「もしかして預言書のことあんまり知らない?」
「聞いたこともないです」
へえ、とジェラルドが可哀想なものでも見るような目でこっちを見てくる。なんだその目は。
「預言書っていうのは「あああああ―――――っ!」
ジェラルドの言葉がディアの絶叫によってかき消された。何事かと振り返るとディアは目を大きく開いてこちらを見ていた。
「な、どうしたの、ディ「ハルッ! こんなやつと喋っちゃダメだよ! 君は純粋な女の子なんだから! 純潔が穢されるっ!」
「人前で純潔とか言わないでよ馬鹿っ!」
大声で叫び合う私達に周囲は興味津津な様子で視線を向けてくる。
「そう騒ぐなディア。俺は別にハルをとってくおうとしてたわけじゃないって」
「今まで何人のメイドに手を出した?」
「覚えてない」
ジェラルドは女の敵だな。
そう判断した私はぎゃんぎゃん騒ぐ二人を無視してパンに手を伸ばす。ふっくらもちもちパン。もしかしたらこれが主食になるかも。
腹を満たして、満足した私は背もたれによりかかって息を吐きだしたのだった。
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あるかな。
―――もうすぐだよ、アルカナ。