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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

異形人外恋愛系

復讐に燃える転生娘は化け物侯爵を逃がさない

この作品はR15です。



 テーラは転生者だ。


 彼女は、農業が盛んな小さな田舎村で唯一の雑貨屋を営んでいる夫婦の下、兄妹と共にすくすく育ってきた。

 が、国の基準で成人とされる十六歳の誕生日を迎えたその夜、育ての両親から自身の出生(しゅっしょう)に関わる真実を明かされ、そのショックで前世の、日本人のオタクとして生き早世した記憶を思い出したのである。


 環境が環境であったため、祖国の名すらろくに知らぬ身ではあったが、西洋風の古めかしい文明レベルに、前世で見聞きしたことのない宗教文化や害獣の存在もあり、ここが太陽系第三惑星とは全く異なる世界であることを把握した。


 しかし、物語が始まるのは約二年後、彼女が十八になった頃合いである。

 テーラは、生まれてすぐ彼女を捨てたはずの子爵家に、極めて唐突に連れ戻されてしまった。

 そこで初めて顔を合わせた実の父親から、化け物侯爵と称される男の元へ嫁ぐよう命じられる。


 反発する心はあれど、彼女は子爵家内において表面上、徹底して従順に振る舞った。

 それは、育ての両親への配慮でもあったし、とある思惑あっての擬態でもあった。


 そして、父の称する「化け物」の意味も知らないまま、令嬢らしい装いをさせられたテーラは、一人の供もなく馬車に詰め込まれる。

 十日以上を駆けてたどり着いた先、高くそびえる防壁の門前に置き去りにされた彼女は、それを見ていた門番の案内で、単身、城塞のごとき堅牢な侯爵家の敷居を(また)いだ。


 規模に対して使用人の数が少なすぎる、とは、エントランスで花嫁を出迎えた彼らを前に、テーラが抱いた感想である。

 数日だけ滞在した彼女の実父の子爵家ですら、この倍以上の人数が揃えられていた。


 訝しむテーラの疑問は、執事長を名乗る壮年の男に先導され向かった先で、すぐに解消される運びとなる。

 開かれた扉の向こう、応接室らしき部屋の中央に、一糸まとわぬ醜い怪物が静かに(たたず)んでいたのだ。


 誰もが最初に目を奪われるであろう、顎からへその下あたりまで身体を縦に割るように裂けた唇のない口。

 中には獣のような鋭い牙が鍾乳洞の氷柱石(つららいし)の如く不揃いに生え散らかっており、奥から出入りを繰り返す赤黒いイソギンチャクのような蠢く舌の群れがそれらを撫でていた。

 もちろん、異常は口だけに終わらない。

 毛の一本もないミイラじみた濃い茶色の、しかし、幾分かは肉付きの良い硬そうな肌。

 上方に向けて尖る長い耳と、側頭部には羊に似た二本の黒い巻角。

 眼窩(がんか)のあるべき場所からは床まで届こうかという太い触手が伸び、先端の穴より血走る目玉が覗いている。

 常に猫背気味だが、その状態ですら二メートルを優に超える高身長。

 加えて手足が異様に長く、幽鬼のようにフラフラと定まらぬ立ち姿が更に彼の不気味さを増幅させていた。


「ひぃあああ凶悪進化ピシャーチャぁあぁあああアああッ!」


 本能的恐怖がテーラの喉を激しく震わせる。

 彼女が連想したのは、前世の悪魔的ゲームにおけるインド神話を元ネタとするグールだ。

 ただでさえ気持ちの悪いビジュアルのキャラクターなのだが、目の前の生物はそこから尚も狂気的オプションパーツが追加されており、醜悪さがより極まっていた。


 太く肉々しい触手の先の眼球と、彼女の視線とが絡み合う。

 比喩でも何でもない、正真正銘の化け物がそこに在った。


「っあぁ……」


 あまりの(おぞ)ましさに、目眩(めまい)を覚えるテーラ。

 そのまま急激に意識が薄まって、彼女の華奢(きゃしゃ)な体がゆっくりと(かし)いでいく。


 傍らに控えていた執事長が、慌てて令嬢を支えようと腕を伸ばし……かけて止まった。


「ぬぅんッ!」


 彼女は野太い声を響かせると同時に、左足を後方へ開いて力強く床を踏みつけ、筋肉を総動員して倒れかけ仰け反る背を元に戻していく。


「ぉおおおぉ倒れんッ!

 我が復讐の成るまでは、この身けして倒れはせんぞぉッ!」


 両の(こぶし)を握り、雄々しく咆哮(ほうこう)を上げる令嬢もどき。

 さしもの化け物も、目の前の衝撃的な光景には、ただ唖然とするしかない。

 彼の長い目と口内の触手は、驚きによりすっかり動きを止めていた。


 静まり返る部屋の中、テーラの荒い呼吸だけが薄く響いている。


 応接室にいる四人、令嬢、化け物、執事長、メイドの内、真っ先に正気を取り戻したのは、もちろんこの現況の元凶たる女だ。

 ちなみに、現況と元凶がかかっているようだが、ダジャレではない。

 姿勢を正した彼女は、まるで何事もなかったかのような澄ました顔をして、元日本人らしく丁寧に(こうべ)を垂れた。


「大変、失礼をいたしました。

 田舎村育ちの無教養な小娘ゆえ貴族作法には不案内でございまして、どうかご無礼をお許しください」


 テーラの奇行については作法以前の問題であろうが、そこは図太く横に置いて、嫁入り予定の侯爵家で失態を演じてしまった事実をまずは詫びる。

 前世なき本来の村娘であれば、およそ不可能な立ち回りだ。


 突然の恐怖体験に取り乱してはみたものの、流れからして彼が侯爵その人であり、また、仕える使用人がいるならばコミュニケーション可能な生物である確率が高い、と。

 生贄ではなく花嫁を望んでいるとすれば、今、即座に命を奪われはすまいと、彼女はそう読んで冷静になった。

 であれば、テーラの目的はまだ活きており、そのために彼女が取るべき行動は拒絶ではなく、少しでも彼に気に入られるため媚びを売ることである。


 令嬢からの謝罪を受けて、なんとか我に返ったらしい化け物侯爵が、小さくひとつ頷いた。


【良い、差し許す】

「ひっ!? 声が直接脳内に……ッ!?」


 耳を経由せず頭の内側に飛び込んできた低い声に、テーラは反射で怯えてしまう。

 すると、怪物はどこか所在なさげに身じろぎしてから、再び彼女の脳をジャックした。


【あぁ、驚かせて申し訳ない。

 見ての通り、私の口は言の葉を紡ぐには向かなくてね。

 人間相手には、こうして思考を魔力に乗せ対象へ飛ばすことで意思の疎通を図っているんだ】

「さ、然様でございましたか」


 ふらふらと視線を泳がせる令嬢の額から、冷や汗が流れ落ちる。

 発言を紐解けば、目の前の彼が人外の存在であるのは、もはや明らかであった。

 呪いか何かで姿を変えられており、解ければハンサムが顔を出すのではないか、などという彼女の淡い希望は容赦なく打ち砕かれたのだ。


【さて、すっかり名乗るのが遅れてしまったな。

 私がピツェテ侯爵家の現当主、ケイャナンャだ。

 最果ての防衛地まで遥々ようこそ。貴女(あなた)を歓迎しよう、花嫁殿】

「は、はい。お心遣い、痛み入ります。

 私はテーラ、半分ほどポイスト子爵の血を継いでおりますが、ただのテーラでございます。

 侯爵様、以後よしなに」

【……ふむ。

 此度(こたび)迎えた我が花嫁殿は、何やら複雑な事情を抱えているらしい】


 名前の発音が難しすぎるだとか、最果ての防衛地とは何のことだとか、そんな疑問等々がテーラの脳裏(のうり)をよぎったが、当然のことながら口に出せる空気ではない。


 小首を傾げ、触手眼を宙に漂わせつつ、侯爵が未だ扉のそばで立ち尽くしていた令嬢を身振り手振りで中央の応接セットへ移動させる。

 間もなくテーブルを挟んで向かい合わせに着席した一人と一体は、老齢のメイドが運ぶ茶や菓子に手を伸ばしもせず、いささか緊張した面持ちで性急に対話を進めた。


【しかし、復讐とは穏やかではないな。

 それに、仮にも子爵令嬢が田舎村育ちというのも、おかしな話だ。

 先ほどの名乗りも含めて、説明はいただけるのだろうか?】


 長すぎる手足を窮屈そうに折り曲げた化け物は、容姿と裏腹に、悠然とした態度で花嫁へ語り掛けてくる。


「えぇ、もちろん。

 こちらの事情も明かさぬまま尊き侯爵様の妻の座に納まろうなど、それこそ厚顔、不義理も良いところでしょう」

【この身程度、別に尊くもないがな】

「ほほほ、ご冗談を」


 平気で談笑しているように見えるが、彼女だって未知の力を操る醜い異種族は怖ろしい。

 そもそも自己認識においてテーラは平民でしかなく、一方、相手は生粋の上位貴族、雲の上におわす権力者だ。

 男にとって女の命が軽いのはどちらも同じであり、緊張しない理由がない。

 ただ、それ以上に胸を占める大きな感情が彼女にはあった。


「さておきまして、復讐の対象は実の父、ポイスト子爵です。

 ……私の母はあの男に殺されました」

【なんだって?】


 微笑みを絶やさぬまま、令嬢は瞳に憎悪を滲ませ、そう吐き捨てる。


「お貴族様には、よくある話ですよ。

 たまたま村を訪れた子爵が、田舎娘とは思えぬ美貌を携えた母を見初(みそ)めて、愛人になれと無理やり連れ帰り凌辱(りょうじょく)した。

 当時、母には両想いの幼馴染がいて、ほんの数日後に結婚する予定であったそうです」


 そこまで告げると、テーラは(にご)る目を彼から隠すように(うつむ)いて、まだ湯気の立つ紅茶を一口、喉に滑らせた。


(むご)いことを……】


 合間に漏れ聞こえた怪物の同情的な呟きで、彼女の顔に苦笑が浮かぶ。

 実の父の下種(げす)ぶりが本領発揮されるのは、まだまだこれからなのだ。


「一年が経つ頃に妊娠が発覚して……けれど、心身が弱り切っていた母は出産に耐え切れず、儚くなってしまいました。

 そして、生まれた子が女だと知るや否や、ポイスト子爵は赤子の私と母の亡骸を、たった銀貨一枚と共に村へ送り返したのです」

【は? まさか、そこまで非道になれるものなのか……?】


 愕然と舌の群れを震わせる侯爵に、テーラの溜飲が少し下がる。

 貴族という生き物が(みな)あんな風なのではなく、やはり己の父親が特別に腐っていただけなのだと分かったからだ。

 少なくとも、ピツェテ侯爵とその周辺貴族には非難される行動であると、彼の反応からほぼ確定した。


「私を育ててくれたのは、母の妹夫婦でした。

 真実を知らないまま、私は彼女らの子の一人として成長して……やがて十六の成人を迎えるにあたり、実の両親の話を聞かされたのです。

 ショックでしたが、数日で自分の人生には関係のないことと開き直って、私はこれまで通りの暮らしに戻りました」

【……強いな、貴女は】


 身体の半分を占める巨大な口から、粘ついた唸りと共に感心の吐息を零す化け物侯爵。

 見目を度外視すれば、まるで無垢な少年のようだと、彼女は思った。

 あまり素直さを発揮されると、彼を利用しようとする己の汚さを……紛れもない父の血筋を感じて、テーラの胸は苦しくなってしまう。


「己の日常には無関係と、暢気に考えていたのは間違いでした。

 今から半月ほど前、前触れもなく子爵家から迎えが来たのです」

【あぁ、話が読めてきた】

「うふふ。

 大事な家族を人質に取られては、私も従わざるをえませんでした。

 子爵家に着いてすぐ、執事らしき壮年男性に案内された執務室で初めて会った父親は……ポイスト子爵は、みすぼらしい平民の私へ侮蔑(ぶべつ)的な目を向けて、化け物侯爵に嫁ぎ子を孕め、とだけ告げたのです。

 父に会ったのは、その一度きり。

 体を磨かれたりドレスの用意をされたりと屋敷に滞在していた数日間も、出立の時でさえも、あの男は己の血を分けた実の娘の前に姿を現すことは一切しませんでした。

 そして、私は供も援助も、情報も、何ひとつ与えられず、今ここにいます」


 これまでで最も深い笑みを(たた)えて、令嬢は昔話を終息させた。

 弧を描く瞳に反して、彼女の虹彩の色は背筋が凍るほど暗い。


 誰も、何も、言えなかった。

 重苦しい沈黙が場を支配している。


 やがて、カチリ、と花嫁のカップがソーサーの上で音を立て、時が再び動き出した。


「私と母の人生を狂わせておいて、自分は甘い汁だけ吸おうだなんて身勝手、たとえ法律や神様が許しても、この私が許しません」

【それで、復讐、と】


 低く地を這うような声で報復を宣言するテーラ。

 彼女の結論を改めて確認する侯爵の魔力に、(とが)めの色は含まれなかった。


 ここから先の話、今後の計略を正直に吐露することは、復讐を目論む者にとって大きな賭けに等しい。

 けれど、彼の発言から垣間見える人間性を、多くのキャラクターを愛してきたオタクの目と女の直感を信じて、テーラは己の夫となる怪物へ笑みを向け、内心の葛藤を隠して唇を開いた。


「はい、おっしゃる通りです。

 憎しみ故に、私は大人しく父の命令に従いました」

【どういうことだろうか?】


 彼女の二つの言葉を線に繋げることが出来ず、ケイャナンャが目玉を高く上げて真意を尋ねる。

 すぐに令嬢より返ってきたのは、彼からしても納得の容易い解答だった。


「ほとんど平民同然の小娘だって、侯爵夫人ともなってしまえば、相手が子爵位持ちといえど立場は逆転するでしょう?

 この国に側室制度はないので、嫁ぐという単語が出た以上、正式な夫婦になるのは確定的でしたから」

【なるほど、我が侯爵家の権威を利用できると踏んだのか】

「不敬を覚悟で平たく述べてしまえば、そうです。

 報復の実行については、嫁ぎ先での自由度によって臨機応変にと考えておりますので、まだ具体的なものは何も」

【ふむ。各家の方針によって、花嫁の扱いも異なるだろうからな】


 ポイスト子爵に命令を下された一瞬でここまでの策を組み立てたのだとしたら、多くを学び育った侯爵とて、自称村娘の賢さには舌を巻くしかない。


「私ごとき卑しい血筋の女が上位貴族に嫁げるのですから、お相手は余程の、実の父すら霞むとんでもない愚物である可能性が高いことは承知しておりました。

 けれど、たとえ残りの人生を全て投げ捨ててでも、あの男だけは許せないと……その復讐心ひとつを胸に、私はピツェテ侯爵家へと参ったのです」


 そこまでを毅然(きぜん)とした態度で告げて、しかし、徐々にバツの悪そうな顔をし視線を下げた彼女は、しおらしい声で侯爵へ問いかける。


「……その、お怒りになりますか」


 不安はゼロではないが、実際のところ、ここで肯定されない自信がテーラにはあった。

 これは、殊勝な姿を見せつけることで、表面化せず内側に燻る火種をも揉み消さんとする、計算高い女のパフォーマンスなのだ。


【ん、いや。少なくとも今はまだ、そんな感情は湧かないな】


 彼女の思惑通りというべきか、彼は特に悩みもせず首を軽く横に振った。

 怒らないと断言されるよりも余程信頼のおける答えだと、転生者のテーラは思う。

 話の流れによっては、気持ちが変わらないとも限らない。

 だから、侯爵は現時点の印象のみを示したのだ。

 己の言葉を嘘にしないために。


【しかし、テーラ嬢。貴女は、なぜ自身の(くわだ)てを私に……?

 黙って嫁いだ方が、復讐には都合が良かったはずだ。

 第三者へ手の内をさらすリスクに、邪魔立てされる可能性に、たどり着けぬ女性ではあるまい】


 もちろん、彼女とてその点は織り込み済みである。

 だが、いかに復讐者とはいえ、元日本人たるテーラには譲れない一線があった。


「……下手な嘘は必ず暴かれます。

 その時、傷付くのは、すでに夫となった侯爵様です。

 私が裁かれる分には自業自得ですが、罪なき他者を巻き添えにするのは本意ではありません」


 彼女にとって、これは優しさでも何でもない。

 前世の倫理観を引きずる女の、単なる個人のエゴである。


 ただし、相手はそう受け取らなかったようで、脳に届く魔力の声が幾分か柔らかくなった。


【私のような異形が相手でも、考えは変わらなかった?】


 自らを卑下しているのか、人間からの評を正しく察しているが故か、侯爵がそんなことを聞いてくる。

 テーラは困り顔で笑った。


「むしろ、ピツェテ侯爵様がお相手で、今も申し訳なさが増し続けていますよ」

【なんと?】


 彼の触手の内側から膜が下りて血走る眼球を二度ほど覆う。

 人間でいうところの、瞬きだ。

 ケイャナンャは花嫁に想定外の所感を投げられ驚いていた。


「侯爵様は、確かに見目こそ(おぞ)ましいですけれど、一応、生理的に受け付けないといったような極端な心の拒否反応もございませんし、実の父とは違って会話が成り立ちますし、不足ばかりの令嬢もどきと知っても態度に変化がありませんし、無礼な言動を繰り返しているのに寛容に受け流してくださっていますし、なにより非常に善良な感性をお持ちでいらっしゃるようですので、個人的な恨みに巻き込むには(いささ)か以上に心苦しいと感じております。

 子爵と似たり寄ったりの畜生であれば、共に破滅しようが胸も痛まない予定だったのですけれど」


 誤算です、とため息を吐くテーラ。


【そ、そうか】


 たどたどしく相槌を打つ化け物の、触手眼がマフラーのように首に巻き付いては離れるという動作を繰り返している。

 褒められたと考えるにはあまりに微妙な内容だが、そんな程度でも彼には嬉しかったらしい。


「ただ、もうこの際、本当に全てを打ち明けますと、人に似ても似つかない侯爵様のお相手をまともに務め上げることは、私以外の女性には、おそらく相当に厳しいだろうとも思いました。

 たとえ、平民や奴隷、国外にまで対象範囲を広げたとしても、です」

【まぁ、否定はしないが】


 それでも少しテンションは下がった様子。

 口内を蠢く舌たちが揃って項垂れてしまった。


 これらを可愛いと思う感性は、前世オタクの彼女にもない。

 テーラは過去、あらゆるジャンルに広く浅く手を出しており、知識はそれなりに豊富だが、性癖自体はライトだった。


「で、あればこそ。

 私、父への復讐以外では真面目に良き妻としてお支えできるよう励むつもりでおりますから、侯爵様のお姿に怯える令嬢や腹に一物抱えていそうな令嬢よりは、円満な家庭が築けるのではと愚考する次第でございます」

【……良き妻、か】

「貴族としての利益は説きません。

 あんな性根の腐った子爵の娘ですら迎えようとしていたのなら、すでにその点は度外視されていらっしゃるのでしょう?」

【ううむ】


 硬そうな腕を重ねて、化け物侯爵が不揃いの牙をモゴつかせながら悩ましく唸る。

 無理やり文字にすれば、ヴォボヌドォだろうか。

 実に気味が悪い。


【テーラ嬢は……村育ちにしては随分と視野が広いというか、知恵が回るようだが……】


 ここまで明け透けに真情を語っていれば、当然の指摘だ。

 祖国の名すらまともに学んでおらぬ娘に到達可能な思考領域ではない。

 が、さすがに転生などという眉唾話まで暴露する必要性を感じず、テーラは適当な誤魔化しを口にする。


「まぁ、ふふ。悪知恵だけは昔からよく働くんです。

 所詮はあの男の娘、なのかもしれませんね、私も。

 侯爵様は、計算高い悪女はお嫌いですか?」


 良識ある者ほど深堀りしにくい形で曖昧に濁して、彼女はそのまま巧妙に話題を逸らした。

 チョロイのか、敢えてなのか、ケイャナンャは特に異議を唱えることなく令嬢の作った流れに乗ってくる。


【さて、どうだろう。

 女性の好みなど考えたことすらないものでね】

「あら」

【ただ、こうして人とまともに会話が成立している現状には、少々浮かれているかもしれない。

 しかも、相手が初対面でうら若き女性とくれば、これはもう奇跡に等しいことだ】

「……純粋でいらっしゃるのですね」


 人間社会での扱いにおいて、化け物侯爵は間違いなく不憫だった。

 テーラとて、憎悪に身を染め上げていなければ、この醜い怪物とわざわざ対話を試みようなどとはしなかっただろう。

 穏やかな彼の気性を知った今では、もう彼女の胸に恐怖心は湧いてこない。

 悍ましさは別として。


「あの、無礼は重々承知の上で、お尋ねしたいのですが」

【何なりと】

「いえ、侯爵様は正しく人ではない存在のようですので、詳しい生態をご教示いただきたく……」

【生態を?】

「というのも、初夜で捕食されたり、出産で赤子が胎を裂いて出てきたり、そういった必然的に命を落とす工程があれば、復讐を完遂(かんすい)するのは難しいかと思いまして。

 必要とあらば受け入れますが、せめて子爵を絶望させるまでの時間が欲しいのです」


 祈るように両手を組んで、瞳を潤ませた令嬢が化け物に(こいねが)う。

 一方の侯爵はといえば…………絶句していた。


【……貴女の想像力には驚かされるよ】


 右の巻角を尖る指先で掻きながら、彼は上半身を僅かに倒して弱弱しい魔力を飛ばす。

 仮に人間が全員テーラのような印象を抱くのだとすれば、ケイャナンャが恐れられるのも道理だった。

 まぁ、実際のところ捕食自体は、彼自身の倫理観と味にさえ目をつぶれるのなら、やってやれないこともないのだが……。


 対して、彼女は分かりやすく表情を綻ばせつつ、ついでとばかりに次の弾を撃ち出した。


「と、おっしゃるからには、杞憂でございましたか。

 では、その未知の、魔力なるものを浴びることで心身を侵される可能性も?」

【ああ。心配には及ばない】

「安堵いたしました。

 私、もはや、この婚姻になんの憂いもございません」


 ニコニコとご機嫌な様子のテーラに、ぎこちなく頬杖を突いた怪物が、今度は逆に質問を放る。


【理解しがたいな。

 実の父が憎いからと、異形に喰われる覚悟まで決められるものなのか?

 生まれ育った村へ、家族の元へ帰りたいとは思わないのか?】


 瞬間、彼女の顔から笑みが消えた。


「当の家族が人質に取られているのです。

 現状のままの無力な小娘がおめおめ逃げ帰ったところで、望む日常はけして戻っては来ませんよ」

【っあ、そうか、確かにそうだな。

 すまない、失言だ。そこまで思考が及んでいなかった】


 この盤面で、躊躇(ちゅうちょ)なく己の非を認め田舎娘に詫びを入れる辺りが、彼という異種族の善性を確かなものにしているのだろう。

 屋敷に仕える使用人がゼロではないのも頷ける話だ。


「謝罪は不要でございます。

 ピツェテ侯爵様は多様な方面において上位者の立場におありでしょうし、下々の些末(さまつ)な事情などにいちいち首を挟むようでは、本来の務めに差し障りが出てしまいますよ」


 わざとか失態か、テーラのソレは完全に(まつりごと)を知る者の発言であった。

 多くの(ことわり)に通ずる無学な村娘とは、まさに矛盾の塊のような存在である。


【テーラ嬢。しつこいようだが、貴女は本当に何一つ教育を受けて来なかったのか?】

「はい、もちろん。

 お疑いでしたら、いくらでも調査してくださいませ。

 疑心暗鬼のまま夫婦になっても、よい家庭は築けませんからね」

【ううむ】


 虚偽もなく全てを明かされているはずであるのに、侯爵には己の花嫁となる女性の内面を読み解くことが余りに困難だった。

 ただ、彼女が紡ぐ言葉の数々は、醜く忌避されがちな化け物にとって、途方もなく甘い。

 いっそ、考えることを止めてしまいかねない程に。


「重ねての不躾な質問まことに恐縮ですが、なぜ我が国は侯爵様のような人外の種を上位貴族と据えていらっしゃるのでしょう。

 学がないのであくまで推測になりますが、おそらく世界規模でみても相当に珍しい事例では?」


 復讐を目的とした結婚に必要な疑問はすでに解消されている。

 これはもう前世日本人の知的好奇心を満たすためだけの行為だ。


 聞きようによっては嫌味のように捉える者もいるだろうが、己に向けられる無垢な瞳を前に、それを悪意と曲解するほどケイャナンャは捻くれてはいない。


 ただし、ピツェテ家側からの視点が人間に語られるのは、国の歴史上これが初になる。

 人喰い可能な化け物に説明を求めようなどとは、今の今まで誰も思わなかったのだ。

 まぁ、当事者たる彼らに一切の自覚はないのだが。


【他国の情勢には、私もあまり明るくはない。

 本国のソレは、まだ国が(おこ)る前からの契約によるものだ】

「契約、ですか」

【我が侯爵領に隣接する大森林には、数多(あまた)の異形が跋扈(ばっこ)している。

 しかも、血肉を好み喰らう狂暴種がほとんどで、森の外とはいえ、ここら一帯はとても人の住める土地ではなかった】

「ええ?」


 初耳すぎる情報に、田舎娘が口元を手で覆った。


【だが、そんな危険な場所へ、のちに初代国王となる男が一族郎党を引き連れやって来た、と。

 状況から多少は推察もできるが、人間側の詳しい事情は私も知らない。

 男には諸々のしがらみがあり、半ば仕方なくこの地に根を下ろすことを決めたそうだ。

 そのための安全策として、彼は大森林の中でも最強の一角たる種族と……私の先祖と契約を結んだ】

「んまぁー。大胆なことを考える者がいたものですねぇ。

 それで? 人側は守護者を得たとして、そちらの見返りは何だったのです?

 異種族相手にお金や身分など示しても、当然、取引材料にはなりませんよね」


 興味津々で水を向けるテーラへ、侯爵はなぜか二本の触手眼を右下方に逸らしてから、ためらいがちに魔力を飛ばす。


【……少し、生々しい話になる。

 人間は弱いが、本来の、異種同士で番うのに比べ、不可思議にも子を孕みやすかった。

 生まれるのも人との雑ざり者などではなく、純粋たる異形の子だ。

 その特性を利用して、初代王は、子々孫々に渡り花嫁を差し出すから可能な限り人間を守って欲しい、と頼み込んだらしい。

 当時、出生率が低迷し緩やかに滅亡への道を辿っていた私の先祖は、生存策の一環として彼の提案を受け入れた、と伝えられている】

「ええと、奪う方が簡単だとは考えなかったのでしょうか」

【我々はその様な蛮行は好まないよ。

 爵位は、まぁ、人間側の思惑が様々積み重なった末の副産物だな。

 断る方が確実に面倒ごとに発展する状況で、頷くしかなかったようだ】

「なるほど」


 相槌をもらったケイャナンャは、チラリと眼球を花嫁へ向けた。

 彼女に気を悪くした様子もないと確かめた彼は、安堵と共に視線を正面へ戻す。

 この婚姻の真の意味を、己の置かれた状況を正確に把握することで、令嬢が不快になりはしないかと懸念(けねん)していたのだ。

 だが、それは杞憂(きゆう)に終わった。


 テーラとしては、化け物侯爵が正しく化け物であった時点で、自身は生贄だと、とっくに認めている。

 正しい理由を知れた分、彼女の中の納得が大きくなっただけだ。

 彼は生々しいと称したが、その内容も元オタクの感覚からすれば、別段、騒ぎ立てるほどでも目新しくもない。


「ちなみに、侯爵様の種族の寿命はいかほど?」

【短い者で百五十年、長い者で二百年、およそ人の倍程度だな】

「長寿なのですね。

 とすると、前侯爵様もまだこちらに……?」

【いや、大森林の集落へ還ったよ……私が成体になって間もなくね。

 あそこでは若いというだけでチヤホヤされるし、あの人は随分とここの暮らしに辟易していたようだから】

「侯爵家の当主が下級貴族の私生児を押し付けられている時点で、待遇は推して知るべし、ということですか」


 ううん、と表情を複雑に歪めて、テーラは親指と曲げた人差し指で顎を挟む。


「……しかし、おかしくはございません?」

【何がだろう】

「侯爵家の御当主様が代々我が国の守護を(にな)っているのであれば、もっと大々的に(まつ)り上げて、国民全体に崇拝させるべきなのでは。

 昨今、子爵如きが化け物侯爵だなんて蔑称を平然と口にしていますが、あなた方に逃げられて困るのは人間のほうでしょう。

 もしや、すでに危険とされる他種族を滅ぼしておしまいになったとか?」


 こっそり、現状も大概だが祀り上げられるのはもっと勘弁して欲しい、などと考える怪物がいたとか、いないとか。


 彼女にとって最も高確率と思われた予測は、けれど、即座に侯爵によって否定された。


【まさか。大森林に蔓延(はびこ)る異形は驚くほどに多い。

 現在も国へ去来する脅威は少なくないし、それらを一掃するのはピツェテ侯爵家最大の務めとなっているよ】


 かく言うケイャナンャも、もう幾度と出撃し、勝利を収めてきている。

 契約の一環たる、都度の王家への報告も怠ってはいない。


「では、やはりおかしい。

 平民はそも守護者の存在を知らず、貴族連中は守り神に等しい侯爵様を化け物と侮っている。

 こんな危機的状況を許すだなんて、王族はいったい何を考えているのでしょう」


 令嬢は頬に手を当て、首を傾げている。

 まるで他人事のように容易く貴族や王族の批判を口にできる辺りは、いかにも平民育ちといったところか。


【さて、どうかな。

 平穏が続きすぎて、実感がないのかもしれない。

 契約とはいえ、我らはあまりに完璧に敵性存在を排除しすぎた】


 建国からすでに三桁の年月が経過しているが、驚くべきことに、防衛ラインと置かれた侯爵家を越えられた凶悪種族は、未だ現れていない。

 これはケイャナンャが知る(よし)もない話だが、貴族の中には、ピツェテ家が異形を扇動しているマッチポンプ説や元より狂暴種など皆無で詐欺だった説などを唱える者もいる。

 化け物侯爵の怒りを恐れて、当人の前では口を噤んでいるだけだ。


「あぁー、被害がなく誰も恐ろしさを知らないから、ありがたみが分からなくなっていると。

 いえ、だとしても、軽率が過ぎる。

 簡単な話を聞いただけの私ですら危ういと気付けるのに、一向に対策を講じない王族も、契約を知りながら愚行を止めない貴族も、無能の極みではございませんか」


 まともな令嬢にはとても真似できない、テーラの歯に衣着せぬ批判の嵐に、怪物の方が慌ててしまう。

 そもそも、種族全体の気質にしろ、育ちの良さにしろ、彼女より彼の方が何倍も上等なのだ。

 容姿が全てを台無しにしているせいで、つい逆に見てしまいがちだが。


【な、なにも、そこまで言わずとも。

 あるいは、そう……我が種の見目が悪すぎたのだろう】


 人間から不遇を強いられているはずのケイャナンャが、なぜか彼らを庇い立てる。

 が、テーラは間髪を容れず一刀両断した。


「関係ありませんよ。

 各家庭に彫像設置でも義務付けて、守護神だ崇めよ感謝せよと赤子の頃から刷り込んでいけば、姿形への忌避(きひ)感程度、どうとでもなりますから。

 現に、この家に仕えている者たちは、侯爵様を恐れてはいらっしゃらないでしょう。

 ……腑抜けた連中には、いっそ狩った異種族の首でも送りつけてやればよろしいのに」


 幻影の貴族たちへ向けて、鼻で笑ってみせる村娘。

 化け物侯爵は、出もしない汗を拭うように、長い腕を曲げ手首で己の(ひたい)を擦った。


【貴女は中々、その、過激な考えをするのだな。

 私以外の王侯貴族の前では、今し方に交わしたような会話は全面的に慎むべきであると、心に留めておきなさい】


 彼からの控えめな忠告に、テーラは軽く肩を(すく)めて応える。

 その程度のこと、当然、理解しておらぬ彼女ではない。

 怪物があまりに寛容なので、計算高い女としては、キャパシティを探りついでに愚痴っているだけだ。


「阿呆のとばっちりを受けるのは嫌いです。

 まぁ、逆もしかりですが。

 侯爵様も稀有(けう)な力をお持ちなのですから、もっと居丈高(いたけだか)に振る舞ってみては?」

【あー、誰しも向き不向きというものがある】

「けれど、慈悲を与えるばかりでは、侮り増長する者が後を絶ちませんよ?」

【ううむ】


 一理はあるが、現在進行形で彼の善意に甘え、無礼を重ねまくっている人間のセリフではない。


 と、そこで仕切り直しと姿勢を改めた復讐者が、不安そうな上目遣いで侯爵に問う。


「それで、そろそろ結論をお聞きしたく……私はピツェテ侯爵家に迎え入れていただけるのでしょうか」


 化け物が初手で花嫁と呼んだからには、見合いなどという段階を飛び越えているのはテーラにも推測できる。

 が、相手のケイャナンャが本気で拒否をすれば、まだ覆される可能性はあると踏んでいた。

 令嬢個人に悪印象はなくとも、例の目的を面倒と嫌えば、人の好い彼とて遠ざけることもあるだろう。

 ゆえに、彼女はここで白黒ハッキリさせておきたかった。


【そのことなのだが、此度(こたび)の婚姻は王命でもあり、実は決定事項でね】

「まあ、左様でございましたか」


 そして、早々に気掛かりは払拭(ふっしょく)された。

 侯爵夫人の座が確定しているのなら、もはや報復計画の七割は達成したも同然だ。


【正気でやり取りが可能で、更に本人が嫁入りに前向きであったのは、こちらとしても重畳(ちょうじょう)といえる。

 父のように、婚約を結んだ女性たちに幾度と逃亡や自殺を図られ御破算となるのも、その末に、恐怖に呑まれ精神を天に捧げた女性を妻と据えるのも……私は正直なところ億劫(おっくう)だった】

「やだ、えげつない情報がさらっと出てきたわ」


 決定事項の一言のせいで、村娘元来の粗雑さが前面に出てしまっている。

 直後、それで疎まれては元も子もないと気付いた彼女は、散漫になっていた集中力を慌てて引き戻した。


【つまるところ、貴女は我々にとって理想以上の花嫁なのだよ】

「おほほ、それはそれは。

 大変喜ばしいことです、きっと復讐も(はかど)りますね?」


 結局、テーラにとって大事なのはそこだけだ。

 化け物侯爵もそれを分かっているからこそ、彼女に止めろとは言い出せない。

 純粋に受け入れられたのではない、醜い夫を我慢できるのは、気持ち悪さよりも優先すべき事柄が花嫁にあるからなのだと。


【異形の私に今更落ちる評判もないが、あまり家人に負担がかからない方法で頼みたい】

「でしたら、報告、連絡、相談を密にして、互いに納得のいく形を模索していきましょう」


 幸い、彼女は多くの復讐者と違い、理性的だ。

 第三者の言葉に耳を傾ける余裕や、他人を気遣う善性を残してもいる。

 テーラが目的を果たしたとしても、けして悪い結末にはなるまいと、ケイャナンャは彼女と生きる未来について漠然とそう信じていた。


「それと、私ばかりに利があっても公平さに欠けますし、侯爵様が望むなら、子どもだって二人でも三人でも、もっと沢山でも産んで差し上げますからね」

「ゴボォッ!?」

「ひゃあっ!?」


 突然の爆弾発言に、思わず大口から粘液を吐き出してしまう化け物侯爵。

 前屈みになり荒い呼吸音を響かせる怪物に、元凶たる花嫁が腰と手を浮かせて心配そうに安否を確認してきた。


「あの、大丈夫ですか?」

【あっ、あなっ、貴女という人はっ】

「え?」

【危機感というものが欠如しているのか?

 わ、私のような男を前にして、ここ、子を、た、沢山?

 ああありえない、もっと自分を大事にすべきだ。

 まさか何をされるか分かっていないのか?】


 侯爵は小刻みに巨体を震わせながら、妙に潤んだ目玉を彼女に向けてくる。


「えっと……?

 少なくとも方法という意味では存じ上げておりますよ。

 狭い村の中だと、そこそこ目にする機会もありますし」

【ええっ?】

「まあ、互いに初めての試みで、種族差や体格差も考慮すると苦労はしそうですが……侯爵様なら無理を強いても来ないでしょうし、危機感を覚えるようなことは特に何も?

 婚姻が決定事項なのでしたら、私としては別に今夜からでも全然」

「ゴボェォッ!?」

「わひゃあっ!?」


 テーラが全てを言い終わる前に、排出粘液が追加された。

 ばっちい!


【こっ、心の準備がっ、私が慣れないっ!

 悪いが時間が欲しい、せめて、手をつなぐ辺りから始めさせてくれっ】

「……左様でございますか」


 ケイャナンャは両手で触手眼の半ば辺りを掴んで、羞恥に身を小さく縮こませている。


 これをピュアと取るかヘタレと取るかは、彼への好感度次第だろう。

 少なくとも、彼女はこの時、醜い化け物を初めて可愛らしいと思った……らしい。


「……ホント、誤算だわ」


 ため息と共に花嫁の唇から(こぼ)れた呟きは、誰の耳に届くこともなく(くう)に消え去った。






 それからの一年は、怒濤のように過ぎていった。


「結婚式を挙げたいのです、なるべく盛大に」


 テーラがそんな望みを口にしたからだ。


【式か、さすがに前例がないが】


 触手眼を天井に向けながら思案する侯爵。


「ピツェテで難しければ、王家に主催をお願いしても良いかもしれません。

 そもそもが王命による婚姻ですし、本来ならば、書類を提出して終わりという方が失礼にあたるのでは?

 侯爵様の重要性を正しく認識している貴族もいらっしゃるでしょうから、内心がどうでも、招待すればある程度は出席してくださるはずです」

【ふむ。そう聞くと、可能な気もして来るな】

「では、前向きにご検討いただけると?」

【確約は難しいが、やれるだけやってみよう。

 この身を多くの前に晒すことに抵抗もないではないが、貴女の願いは極力叶えたい】

「あら、素敵な殺し文句」

【えっ!?

 い、いや、その様なつもりではっ、これは私の一方的な心構えの話でっ】

「夫婦になるのですから、別によろしいではありませんか。

 私は嬉しかったですよ」

【……うむむ】


 まだ出会って数日であるというのに、掴み所のない割に妙に距離の近い花嫁に、怪物は良いように転がされていた。


 ただ、彼女は基本的にはストイックで、急に生活の質が向上したからといって、けして贅沢や怠惰に溺れる様子もない。


「挙式の本決定にあたり、ひとまず付け焼刃にでも貴族作法を習得する必要性が出て参りました。

 侯爵様に教師のあてはありますか?

 できれば、平民同然の無教養な娘だとお伝えした上で、偏見なくご指導いただける方が良いのですが」

【それで言うと、私も結婚式における振る舞いなど学んだ時がない。

 伝手らしい伝手もないが、とにかく急ぎ探してみよう】

「えぇ、お願いします」


 当初の宣言通り、侯爵夫人として相応しく立てるよう、テーラは日々努力を重ねていく。


「侯爵様、お聞きになりました?

 式では招待客の前で口付けを交わすのですって」

【む、うむ、き、聞いたが】

「間違っても本番で粘液を吐いてしまわないように、今から慣らしておきましょう」

「ゴボバッ!?」

「あっ!? もう、言ったそばからっ」

【す、すまない……】


 ついでに、いつまでも初々しい化け物の調教も、少しずつ進めているようだ。


「侯爵様、そろそろ招待状を書き始めようと思うのですが」

【あぁ、主に婦人の務めという話だったね。

 通例なので任せるが、私に手伝えることがあれば、いつでも言ってくれ】

「ありがとうございます、必要に応じて頼らせていただきます。

 あ、そうそう。

 もちろん、ポイスト子爵には送りませんから」

【……うん、承知した】


 夫となるケイャナンャが甘いので、復讐計画の進行具合についても、順調すぎる程である。


「式当日にノコノコ姿を現すようなら、手荒く追い返して恥をかかせてやればいいわ。

 そして、それはあの男の転落人生の序章に過ぎないの。

 ふふ、うふふふ」

【もしや、挙式の主題はそれか】

「あら、侯爵様との仲を広く見せつける意味もございますよ」

【ん?】

「私が孕ませ目的の憐れな肉人形などでなく、正しく侯爵夫人として立つ女なのだと、きちんと社交界に認識していただかなければね。

 ついでに、伴侶の私を妙な(くわだ)てに利用しようとすれば、怒れる化け物の物理的報復もあり得ると、そう勘違いしていただけたら、(わずら)わしい羽虫もかなり少なくなりそうでしょう?」

【……テーラ嬢は下手な貴族より貴族らしいな】

「まぁ、侯爵様ったら。私は私自身の幸せに貪欲なだけです。

 真の貴族は、もっと国家規模での幸福を考え動くものですよ」

【貴女はまた、村娘らしからぬことを】


 節度ある奔放な振る舞いで、時には常識的怪物に呆れられながら、彼女はピツェテ侯爵家に身らの居場所を確立していった。


 まぁ、いかに神経図太いテーラとて、大森林の隣接地という特色による理不尽な危機に遭遇すれば、無力に翻弄(ほんろう)されることもあったのだが。


「いやあああ蛍光ピンクニーズホッグうううう!」

【テーラ嬢!】

「ああっ、ありがとうございます。

 侯爵様がいらっしゃらなければ、この身はどうなっていたことか」

【ん、いや、貴女が無事で良かった】

「想像以上にお強くて、とっても素敵でした」

【そっ……そうか……?】


「ひああああゼロ筋肉ヘカトンケイルうぅああ!」

【テーラ嬢!】

「毎度お手数おかけしておりますぅぅ」

【いや、むしろ、事前の対処ができず、貴女を怖がらせてしまうばかりで、申し訳ない】

「そんなっ、謝らないで下さい。

 お忙しい中、いつも助けて下さって……(ねぎら)いに、今夜はお背中でも流しましょうか?」

【いっ、いらないっ】


「きゃあああ赤髪版クー・フーリン様よおおお!」

【テーラ嬢!?】

「いえその、確かに興奮はしておりましたが、あくまで綺麗な美術品や動物と同じ扱いで、ソレはソレ、コレはコレと申しますか、わ、私の恋愛対象は後にも先にも侯爵様だけでございます!」

【……うぅっ、惨めだ】

「あああ侯爵様、どうか元気をお出しになって。

 そうだ、膝枕をして頭を撫でて差し上げましょうか?」

【そそそれはまだ早いっ!】


 ただし、花嫁に危険が迫れば、必ず侯爵が察知して駆けつけた。

 彼は、巨大な異形も、空舞う異形も、策を弄する異形も、群れる異形も、装備纏う異形も関係なく、全て等しく魔力の一撃で葬り去ってしまう。

 その姿は圧倒的で、通常なら恐れを抱いてしまいそうなものだが、元オタクのテーラはむしろ目を輝かせて感謝し、更にケイャナンャを褒め讃えた。

 そんな彼女の単純な反応が、化け物の乾いた心をどれだけ潤したか、当の侯爵以外は誰も知らない。



「侯爵様、衣服とは文明と知性を示すものです。

 可能であれば、ジュストコールの一枚も羽織っていただきたく。

 せっかくの式で、花嫁だけ(めか)し込んでも浮いてしまいますでしょう?」

【衣服か】

「もちろん、完璧に装えとは申しません。

 その大きなお口を塞いでしまっては、なんとも苦しそうですからね。

 ただ、さすがに全裸は……人間の感覚からすると如何(いか)にも動物的で、要は侮られる一因となってしまいますので……」


 局部が収納型らしいのは不幸中の幸いでした、などとは、さしものテーラも口には出せなかった。


【そうだな。仕立ててみるのも良いかもしれない。

 今後は私だけでなく、貴女の恥にもなるだろうからね】

「まぁ、なんて素敵なお気遣い。

 私が子を生んでも年を召しても、ずっとそのままの侯爵様でいて下さいませね」

【っえ、あ、ああ、うん、もちろん努めるとも】


 随所に花嫁から語られる未来の約束事に、怪物の胸はいつも締め付けられている。

 やがて復讐が終わり用済みになっても、彼女は故郷に戻らず、悍ましい化け物と添い遂げる覚悟であるのだ、と。

 もし、いつの日かテーラが侯爵家から逃げ去ったとして、ケイャナンャはそれを追いかけはしないだろう。

 そして、聡い彼女は、きっとその事実に気が付いているのだ。


「侯爵様、いつまでも口付けに慣れぬようなら、私、最終手段を発動しますよ」

【さ、最終手段……?】

「夜には同じベッドで眠らせていただきます」

【そんな!? せっ、浅慮は止すんだっ】

「すぐに触れられる、吐息を感じる距離を当たり前にするのです。

 もちろん、可能なら最後まで進んでいただいても構いませんからね」

【ひゃあっ!? はわっ、はわわっ】

「はあ。常日頃はあれだけ(そつ)のない御方でいらっしゃるのに、どうしてこう……」


 本人同士が何を考えていようが、使用人一堂からすれば、早よ結婚しろバカップル、の一言でしかない。



 そんなこんなで、ついに迎えた一年後、彼らは王家の主導で無事、婚礼の儀を()げた。


 化け物侯爵は、日本の極一部の界隈に流行した逆バニーにも似た、上半身前面を無防備にさらけ出す形の、人であればセクシャル過ぎる正装で姿を現す。

 多くは常の通りに恐怖し怯えたが、忍耐強い僅かな貴族数人の内、無服の異形を知る者たちがその進化ぶりに感心しているようだった。


 だが、その日、最も彼らを驚かせたのが何かと問われれば、それは花嫁だと答えるだろう。

 かの悍ましき怪物の生贄でありながら、彼女は相思相愛の男女の挙式さながらに、終始、幸福そうに微笑んでいたのだから。

 振る舞いを見れば、テーラなる娘が正気であることは明白で、更に言葉を交わせば、彼女はそんじょそこらの令嬢にはない、狡猾(こうかつ)小賢(こざか)しさを薄く(にお)わせてきた。


 式場から披露宴会場への移動の最中(さなか)に発生した親子の醜聞も、見識ある者は、彼女のパフォーマンスであったのだろうと確信している。


「テーラ、これは一体どういうことだ!」

「……お控えなさい、見苦しい」

「はあ?」

「ポイスト子爵、招待客でない(きょう)がなぜこちらに?

 それと、私は卿に名を呼ぶ許可を出した覚えはありませんよ」


 教会の敷地外にある馬車乗り場に現れた花嫁の元へ、幾分か乱れた正装姿のポイスト子爵が突撃してきたのだ。


「何を偉そうに、この小娘が」

「これは国王陛下の命による名誉ある婚姻であり、すでに私は正式に侯爵夫人となりました。

 血を分けた父だからと、最早いち子爵ごときが気安く声を掛けて良い存在ではないと知りなさい」

「なっ、貴様っ!」

「村育ちの田舎娘にすら理解できる常識ですもの、まさか子爵家の当主たる卿がお分かりにならないはずもございませんわよねぇ?

 我が国の貴族社会において、身分とは絶対のもの……そうでしょう?

 それとも、銀貨一枚で放り捨てた半分平民の血が流れる無学で粗末な私生児を卑劣な手法で連れ戻し、祖国の守護を一手に担う尊き侯爵様の元へ平然と送り出すような、王命をも軽んじる厚顔無恥の愚昧(ぐまい)な輩には難しかったかしら?」


 テーラの口から声高らかに暴露された真実に、野次馬のざわめきが増す。


 己の恥ともなる諸刃の剣だが、すでに侯爵夫人となった彼女を表立って非難できる者は少ない。

 婚姻を命じた王家であれば、権威を(おとし)めたとしてテーラの身分を剥奪し罪に問うことは可能だろうが、彼女も侯爵もそれが現実になる確率は低いと見積もっていた。

 化け物のエスコートを当たり前に受け入れる女性、ましてや彼の子を積極的に生みたがる貴族令嬢など、他にいるはずもないからだ。

 また、重度の引きこもりたる怪物が、望まれたからなどという軽薄な理由で結婚式まで行うほど花嫁を気に入っているのなら、無理に引き離すのは得策ではないと、彼らはそう考えるだろう。


 だから、この場合に非難されるのは……表面上、槍玉に挙げられるのはポイスト子爵だけだ。


「くっ……!」


 娘のセリフと周囲の様子から己の不利を悟って、悔しそうに子爵(クズ)が呻いた。

 そこで、顔の下半分を扇子で隠したテーラが、目の前の父にのみ届くようボリュームを潜めて、その愚行を猫なで声で(あざけ)り笑う。


「ありがとう、お父様。

 私をピツェテ侯爵様と出会わせてくれて。

 あの御方は優しいから、妻の復讐に協力してくださるのですって」

「なに?」

「近い未来にあなたは必ず破滅する、と申し上げているのですよ。

 社会的にか、物理的にか、時も方法も私の気分次第ですけれど。

 あはっ、ご愁傷様?」

「なっ! そっ、きぃ……貴様っ、ごときがぁっ!」


 軽く煽れば、プライドばかり高い男は容易く釣れた。

 顔を赤らめ腕を大きく振り上げる実の父を、娘はただ冷え切った目で見つめている。


【おっと、私の妻に狼藉は止めていただこう】

「ヒィッ!?」


 だが、彼の拳は、彼女の夫たる化け物の手によって、暴力と変わる前にしかと阻まれた。


「うふふ。さすがは愛しの旦那様、頼りになりますわぁ♪」

【……貴女も少し落ち着きなさい】


 ようやく復讐が実行フェイズに入り、夫人も少々興奮し過ぎているようだ。

 ぴったりと怪物に寄り添い、いつにない呼称で甘やかに語りかけてくる妻に、彼は内心の動揺を必死に押し隠して警告する。


 一方、至近距離で化け物侯爵の大口と向かい合い、鋭い牙と蠢く舌の群れを観察する羽目に陥ったポイスト子爵は、己が咀嚼(そしゃく)される姿を幻視して、恐怖のあまり独りで過呼吸を起こしかけていた。

 いや、あるいは先程のテーラの脅しが効いていたのかもしれない。


「ヒっ、はァっ、かひゅゥっ」


 異変に気付いたケイャナンャが彼の腕を解放すれぱ、大量の脂汗を流す壮年の男が、情けなくその場に尻餅をつく。

 周囲の人間も、実の娘も、誰も彼を助けようとはしなかった。


「さようなら、ポイスト子爵。

 残り少ない余生を、せいぜい震えて過ごしなさい」


 未だ呼吸の荒い父を捨て置いて、ピツェテ侯爵夫人は怪物と共に歩き出し、用意された馬車に乗り込んで行く。

 ここまでの失態を演じれば、実際のところ、テーラ自身が手を下さずとも、彼が貴族社会において干されるのは確定的だろう。

 もちろん、今更そんな生ぬるい終わりを迎えさせるような甘い復讐者ではないが……。


 騒動に居合わせた招待客たちは、彼女を粗末に扱う者の末路をまざまざと見せつけられ、ひたすら顔を青褪めさせていた。

 このアンタッチャブルな夫婦誕生の事実は、後日、瞬く間に社交界全体へと広まっていくことになる。





 そんな貴族たちの心境はつゆ知らず、ついに正式な婚姻関係で結ばれた一人と一体は、共に過ごす時間を大幅に増やして、新婚らしい蜜月生活を楽しんでいた。


【貴女は……よく私の如き異形の隣で、気を抜いて(くつろ)いでいられるな……】

「ふふ。旦那様が情け深ぁいお方だと、私、存じ上げておりますから。

 逆にそちらは、懐き(はべ)る小動物の扱いに、未だ慣れきらぬご様子」

【む……見抜かれていたか】

「あれだけ怖々触れられて、察せぬ女もありませんよ。

 ほら。今だって、こうして少し身を寄せるだけで、蠢く舌がみぃんな固まってしまって……お可愛らしいこと」

【テーラ、あまり私を揶揄(からか)わないでくれ】

「ほほほ、睦まじい夫婦とは常々じゃれ合うものです」

【……敵わないな、貴女には】



 ちなみに、夫妻はその生涯において四人もの子を生み育てるという快挙を成し遂げ、王家と集落の異形らに大層喜ばれたのだという。






 権力者の命令で強制的に縁を繋がれた彼らが幸福であったのかどうか、それはもはや語るまでもない話だろう。







『復讐に燃える転生娘は化け物侯爵を逃がさない』 完



一家6人?で大森林の集落に里帰りする小話↓

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[良い点] 何と言えば良いのか・・・目から鱗?的な話ですね。 こういうざまあも有るんだなあ [一言] この話を映像で見たら私は爆笑かつ卒倒するのは確実でしょうね(笑) 読んでてウルトラマンネクサスの最…
[良い点] 「ピシャーチャ」の単語を一見しただけで正しく画像が頭に浮かぶ私ですが、恋愛ものと想像して開いた短編でその画像を脳内で使用する日が来るとは思ってなかったのでカルチャーショックでした笑 ヘカ…
[良い点] 見た目がグロかったりかっこ悪くても、ピンチに活躍したり強いと逆に愛着が湧くなんていうゲームの経験を想起させられました。 侯爵様が理性的かつ善良なのに奥手で可愛らしいところがよりチャームポイ…
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