イジメの代償
その日、アダムは侍従に手伝わせ、やや遅い朝の身支度をしていた。昨夜は同じ年頃の貴族令息たちと王都の花街を遊び歩いていたせいで、少しばかり夜が遅かったのだ。
貴族令息であってもアダムの年齢では娼館に上がることはできない。裏路地の寂れた店ならともかく、一流と呼ばれる娼館はルールを厳格に守る。むしろ、貴族令息であるからこそ、後で彼らの保護者から咎められることを恐れて門前払いをするのが普通である。
もちろん貴族令息たちの方も危険であることを承知しているため、護衛もなく裏路地に足を踏み入れたりはしない。誘拐されて身代金を取られる、あるいは身ぐるみを剝がされて殺される可能性が高いからである。
だからといって、思春期の男子が夜の街に咲き誇る花々に興味を持たないはずもなく、花街の門前にある富裕層向けのサロンや酒場、あるいは小洒落たカフェなどに友人たちと連れ立って訪れる。彼らは麗しい花たちが夜の夢を鬻ぐ相手と連れ立って歩くのを眺め、いつか自分も花と共寝することを妄想するのだ。
そんな彼らにも、彼ららしい遊びがある。花街にある書店では、有名な花たちの似顔絵や人気のある花たちを紹介する雑誌が売られているのだ。その他にも際どい姿の女性が描かれた絵画や画集などもあるが、こちらには年齢制限があるためアダムたちは直接購入できない。だが、成人している侍従を使いに遣り、何冊か買ってきてもらうのは貴族令息の基本である。
「きゃぁぁ」
突然、年若い見習いのメイドが悲鳴を上げた。着替え中のアダムが衝立から身を乗り出して様子を窺うと、ベッドの下からアダムのコレクションが詰め込まれた木箱が引きずりだされていた。
『うわっ。どうして、アレがあんなところにあるんだ。衣裳部屋のクローゼットの奥に押し込んであったはずなのに』
「はしたないですよ。そのような大きな声を上げてはいけません」
先輩のメイドが見習いに注意を与えるべく近づくと、そこには女性の下着や際どい姿の女性を描いた画集が詰まった木箱が鎮座していた。しかも見習いメイドは、昨夜アダムが手に入れたばかりの画集を拡げている。着替えを手伝っていた男性の侍従は、その様子を見てチラチラとアダムに視線を遣り、自分がどうすべきか指示を仰ごうとしていたが、既に彼ができることは何もない。
『最悪だ……』
先輩メイドが木箱を広い場所まで運んで中身をじっくりと検分し、この場を仕切っているベテラン侍女のドリーに報告した。
「アダム様、こちらの箱をご存じでいらっしゃいますか?」
ドリーはアダムに事情の説明を求めたが、メイドたちの大半は状況を察しており、そのうちの何人かは自分の下着であることに気付いていた。当然と言えば当然だが、アダムに向けられる視線は冷ややかである。
「じ、事情など説明しなくてもわかるだろう」
「この件は侯爵閣下に報告しないわけにはまいりません」
「そこまで大袈裟に騒ぐようなことではないだろう!」
「この下着類が盗品であるなら、見逃すことはできません」
「小侯爵の長男である私を泥棒呼ばわりするつもりかっ」
「では、合意の上で譲ってもらったとでも?」
冷ややかな眼差しのドリーが、淡々とアダムに尋ねた。
「大袈裟に騒ぎ過ぎだと言っている。たかが下着だろう。なんなら持ち主には金を払えば済む話ではないか」
すると、ドリーの背後に立っていた若いメイドが、青ざめた表情でアダムに告げた。
「そこに私の下着もあります。お気に入りの一枚でしたが、いつの間にか無くなっていました。このお屋敷にはたくさんのメイドや侍女が働いており、下着が他の方の洗濯物に紛れ込んでしまうという事案はたびたびございます。今回もそのような理由で見当たらないのだと思い込んでおりました。……少なくとも私はアダム様に譲渡した覚えはございませんし、お金を頂いてもお譲りすることは無いでしょう」
「アダム様は状況をきちんと理解されていらっしゃらないようですね」
ドリーはつかつかと部屋のドアを開け、近くにいた男性の使用人を部屋に呼び、先ほどまでアダムの身支度を手伝っていた侍従と二人でアダムを取り押さえるよう命じた。
「何をする!」
「誰か侯爵閣下と小侯爵夫妻に状況をお知らせして頂戴」
ドリーは近くに居たメイドに命じた。アダムは床に這いつくばるような姿勢でがっちり押さえつけられていたが、使用人たちの手から逃れようとジタバタと藻掻いている。
「離せ、この無礼者どもが。ドリー、幼い頃から仕えてくれていたお前だからと言って、こんな仕打ちが許されるとでも思っているのか!」
暴れるアダムを悲し気な眼差しで見つめたドリーは、小さくため息をついた。
「然様でございますね。大事に見守ってきたはずのお坊ちゃまが平然と盗みを働き、露見すれば身分を笠に着て開き直ったのでございます。私がお坊ちゃまの侍女失格であることは認めざるを得ません。まずは辞表を書き、侯爵閣下の裁定をお待ちすることにいたしましょう」
そして十分ほど経ったころ、アダムの部屋にエリザベスが飛び込んで来た。その後ろからはエドワードとグランチェスター侯爵の姿も見える。
「ドリー。これはどういうことなの。あなたたち、今すぐアダムを離しなさい!」
エリザベスはアダムの姿を認めるなり、慌てて駈け寄って叫んだ。
「それはならぬ。その愚か者を、そのまま押さえつけておけ」
グランチェスター侯爵は孫のアダムを冷たく見下ろし、片手に持っていたステッキでアダムの顔を上に向かせた。怒鳴ったりしているわけでもないのに、激怒していることは纏っている空気で明らかであった。
「アダムよ。申し開きはあるか?」
「このような些細なことで、何故ここまで責められるのか理解できません」
「アカデミーの試験に何度も落ちているとは聞いていたが、なるほど確かに愚かだな。では、お前の足りない頭でも理解できるよう、分かりやすく説明してやろう。我が国では窃盗は犯罪なのだ。貴族だろうが平民だろうが関係ない」
「たかが使用人の下着ではありませんか」
「何を盗んだかはさして重要ではない。どれくらい悪質なのかが問題なのだ。だが、この量を見る限り、盗んだ回数は一度や二度ではないだろう。常習犯であればさらに罪は重い。しかも、お前は窃盗を悪いとすら思っていない。実に悪質だ」
エリザベスは真っ青な顔をしてグランチェスター侯爵の前に跪いた。
「お義父様。私が代わりに罰を受けます。どうかアダムをお許しください」
「お前が甘やかすから、このような情けない男に育つのだ。窃盗は軽い犯罪ではない。平民であれば両手を切り落とすことさえあるのだ」
「ですが、アダムはグランチェスター家の継嗣です」
「それがどうした。領主の孫なら罪を犯しても許されるとでも言うつもりか?」
「そ、それは……」
エリザベスは言葉を続けることができず、俯くしかなかった。そこにエドワードが声を上げた。
「父上。アダムを正しく導くことのできなかった私を罰してください。どのような処罰も甘んじて受けます。ですが、グランチェスター家の評判を守るため、今回のことは内々での処罰を求めます」
「肩代わりは一切認めぬ。だが盗んだ物が物だけに、表沙汰にはしたくないのも事実ではあるな」
グランチェスター侯爵は深いため息をつき、眉間に手を当てて暫し考えた。
「仕方ない。アダムを騎士団の訓練場に引き出し、尻を剥き出しにして騎士に百回叩かせることにする。エドワードとエリザベスは、アダムへの処罰を最初から最後まで見守るように。また、百叩きの間に声を発することも禁じる。一声でもあげれば、その分だけ叩く回数を増やす」
それだけ言うと、グランチェスター侯爵は自分の執務室へと戻っていった。
「エド、まさかお義父様は本気じゃないですわよね?」
「リズ、残念だが、父上があのように宣言したことが覆ったことは一度もない。だが、『尻を剝き出しに』とわざわざ指定しているのは、幼い子供を叱るように平手で叩けということだ」
要するにアダムは他人の前でお尻ぺんぺんの刑に処されるということだ。十四歳の貴族令息にとって、かなりの屈辱であることは間違いない。なお、尻を叩く騎士は計五名で、二十発ごとに交代することになった。
もしもこの場にサラがいたら、自分の些細なイヤガラセのせいで、グランチェスター家が大騒動になったことに驚いたかもしれない。しかし、この時のサラはそんなことを知る由もなく、馬車でグランチェスター領へと移動していた。
かくしてアダムはエドワードとエリザベス同席の元、騎士団の訓練場でぺろんっと尻を丸出しにされ、騎士たちから交代で尻を叩かれた。死にはしないが死ぬほど痛い。何より使用人たちにチラチラと自分の尻を見られるという羞恥にも耐えなければならなかった。
そしてアダムにとってもっとも屈辱的だったのは、幼い頃から知っている中年の騎士が『おお、ちゃんと毛が生えてますな』などと揶揄ってきたことだった。だからと言って叩く手を手加減してくれるわけでもなく、ニヤニヤと笑いながらきっちり二十回尻を叩いてから去っていった。
『くそっ。今に見てろ!』
刑の執行後、アダムはベッドでうつ伏せに横になったまま熱を出して寝込み、身の回りの世話は男性の侍従かベテランのメイドたちに任された。若い女性のメイドは、アダムの世話を嫌がるようになり、アダムの部屋に近づこうとさえしない。
『どうして僕がこんな目に……』
朦朧とした意識の中、アダムは自分の身に降りかかった不幸を嘆いた。だが、まさか自分が従兄妹をイジメた結果、仕返しを受けたのだということには思い至ることができなかった。
後日、アダムが盗んだ下着は持ち主たちに返却されたが、他人の男性の手に触れた下着を再度身に付けることに抵抗を覚える女性が圧倒的多数であった。その話を聞いたエリザベスは然もありなんと納得し、被害者には新品の下着を購入する費用に加えて、相応の見舞金が支払われた。グランチェスター侯爵はこの費用をアダムの小遣いから引くよう厳命した。
実はアダムへの処罰については、女性の使用人と男性の使用人の間で微妙に温度差が生じていた。女性から見れば『気持ち悪い』としか思えないアダムの行動も、かつて思春期の少年時代を過ごした男性使用人たちからすれば『若いうちはそういう事もあるよなぁ』と同情的な視線になる。もちろん下着の窃盗は良くないことではある。しかし、思春期特有の衝動を拗らせたやらかしだと思うと、ついつい過去の自分を振り返ってしまうのだ。
ちなみに、花街で購入した画集は、エリザベスが使用人に処分を命じていた。しかし、処分の方法を明確に指定しなかったため、処分を命じられたアダムの侍従は画集を男子寮に持ち込んだ。リサイクルに回すことも処分といえば処分なので、見つかっても咎められることは無いだろう。寮に住む使用人の中には、『アダム様とは女性の趣味が合う』などと妙な親近感を覚える者まで現れた。
結果としてアダムは、女性の使用人たちからはゴミを見るような視線を向けられるようになったが、男性の使用人はアダムに微笑みを向けるようになった。それまでアダムに好感を持つ使用人が少なかったことを考えれば、そう悪い結果ではないのかもしれない。
なお、サラからイヤガラセを受けたのはアダムだけではない。しかし、クロエの髪に仕掛けられている魔法は緩やかに進行していくため、当分の間は本人ですら気付くことは無いだろう。
クリストファーに至っては、朝目が覚めてすぐに自分の股間が濡れていることに気付いたが、慌てることなく近くの水差しからグラスになみなみと水を注いでベッドの上に中身をぶちまけた。そして呼び鈴を鳴らしてメイドを呼び、「喉が渇いて水を飲もうとしたらひっくり返した」と堂々と嘘をついた。彼が最後におねしょをしたのは三歳になる直前であり、それ以降は粗相をしたことがまったくなかったため、大人たちはあっさりクリストファーの演技を信じた。
いつも兄や姉の言いなりで、何を考えているか分かりにくいクリストファーではあるが、どうやらまったくの考えなしというわけではないのだ。
こうしてサラが王都邸に残した置き土産は、アダムに予想以上の被害を与え、クロエには真綿で首を絞めるようにじわりじわりとダメージを与え続けている。クリストファーには上手に回避されてしまったが、実際にサラを池に落としたのはアダム、クロエは普段からちょいちょい嫌味を言うくらい、クリストファーは傍観者だったことを考えれば、相応の罰が下ったといえるのかもしれない。
そんなグランチェスターの子供たちが再会するのは、もう少し先のことになる。