第八話 海岸の約束
長い間、物語の作成、投稿をお休みさせて頂きました。
後少し私の話にお付き合い下さい。
昭和十九年。
大岸宗一郎が予科練に入隊してから約一年が経った頃。善郎の家に赤紙が届いた。
善郎の赤紙を強く握りながら手が大きく震えていた。
(とうとう俺にも来たか……)
善郎を背に善郎の両親が座っていたが、息子が戦争を行く事を喜んでいた。
「これで我が家もお国の為に働ける!」
「善郎、しっかりお国の為に頑張ってくるんだよ」善郎の母親が泣きそうな顔をして言った。
そんな親の様子に善郎は呆れていた。
少年時代は悪がきで名前の通った善郎も、雄人と同じように魂の繋がりを通して、色んな時代の記憶を持っている。
戦争と共に技術は発展するが、自らの記憶を辿ると、どの時代の争いも最後は虚しさしか残っていない。
そして日本がアメリカに勝てる筈がないと善郎には理解もできていた。
「親父、本当に日本がアメリカに勝てると思っているのか?」善郎は思っていた事を口にしてしまった。
次の瞬間、善郎の父は善郎の頭を目掛けて殴った。
「馬鹿者! お前と仲の良かった大岸さんの所の宗一郎は、一生懸命お国の為に働いているのに、お前はここで何をしてるんだ!」
襖の向こうで十一歳の静江が泣き出した。
「おとうちゃん、もうやめて。あんちゃんを殴らないで……」
善郎は自分の考えを親にすら理解してもらえず悔しくて家を飛び出した。悔しさと悲しさの余り善郎は町中を駆け巡った。
やがて体力が尽きようとした時、善郎は澤田家の家の前に来ていた。
(登美江……。もう俺も迷ってはおられん)
善郎は澤田家の扉を叩いた。
「登美江! 登美江!」
家の中から登美江の父親が出てきた。
「何だ善郎か。こんな時間に何の用だ?」
「登美江と話がしたい!」
息を切らし、額には凄い汗を掻く善郎の姿を見て、登美江の父親も家の中に入り娘を呼んできた。
家の中から登美江の姿が見えると、善郎は「とみえ! 話がある。来てくれ!」と叫んだ。
善郎と登美江は海岸に向かって歩いて行った。
「あの辺りでいいな」善郎は指で向かう先を示した。
善郎の示す先には砂浜が見える。
いつもの様子と違う善郎を見て、登美江は心の内に何か分からぬ不安が募っていた。
善郎は登美江の手を引き、海の方に向かって砂浜を歩いた。
「よしろうさん、恐い顔をしてどうしたの?」
善郎は登美江の質問を無視して、どんどん海の方に向かって歩いた。
暗い夜の海岸。二人の視界も悪く、気が付けば足元が濡れていた。
「ここでいい。登美江、座ってくれ」
登美江は恐る恐る砂浜に腰を下ろした。「よしろうさん恐い」
自分の行動が登美江を恐がらせた事に気付くと善郎は冷静になった。
「すまん。恐がる事はない。俺の話を聞いて欲しいだけだ」
善郎が落ち着いた声で話すと、登美江も恐怖心がなくなった。
「うん……」静かに返事をした登美江は、海水で濡れた砂浜に腰を下ろした。
登美江が座るのを確認した善郎も砂浜に腰を下ろした。
「つめた! 登美江、何故濡れている事は言わん!」善郎は自分のお尻が濡れて不機嫌になった。
「ごめん」善郎の理不尽な行動にも登美江は素直に謝った。
その時、善郎は登美江の手を引いて腰を浮かせた後、登美江の体を自分の方に引き寄せた。
突然の出来事に登美江は善郎の体を突き飛ばそうとした。
抗う登美江の様子を善郎は冷静に見つめた。
「とみえ、聞いてくれ。俺に赤紙が届いた」
善郎の話に少なからず登美江もショックを受けた。突然の話に登美江は抵抗する事を忘れ、善郎に体を委ねた。
「とみえ、俺はお前の事が小さい頃から好きだった。お前はどうだ? 俺の事が好きか?」
登美江は善郎の質問に答えきれず、善郎の衣服を指で摘んだ。
「いつもお前を馬鹿にしてばっかりだったが、それはお前の事が好きだったからだ。俺が戦争から帰ってきたら、とみえ! 俺の嫁になってくれ!」
突然のプロポーズに登美江は言葉を失っている。
「俺の帰りを待ってくれるよな?」善郎は何度も質問した。しかし登美江から何の返答もない。善郎は内心焦りだした。
善郎の目には、登美江が善郎に抱き寄せられて困っている様子しか見受けられない。
「よしろうさん……、約束してくれる。絶対に帰ってくるって」登美江は小さな声で話した。
「当たり前だ! この佐竹善郎、銃で撃たれようが、槍で刺されようが絶対に死にはせん! 閻魔様に地獄の底に叩き落とされても、必ず帰ってくる!」
「じゃあ、うち、待ってる……」
その言葉に善郎は大喜びした。「とみえー! お前が好きだー!」善郎は登美江を抱きかかえて喜んだ。
善郎が登美江を家迄送ると、家の前に登美江の父親が玄関の前で待っていた。
「もう話は済んだのか? それよりお前にも赤紙が届いたそうだな。お前の親父さん喜んでおったぞ」
善郎にとって嬉しい話ではなかった。しかし登美江との結婚の約束を取り次いだ善郎は、考えている事とは反対の事を口にした。
「おやっさん。この善郎様が戦場に出れば、どれだけ敵を撃退するか分かってるのか!」
善郎の様子に登美江の父親も笑顔に変わった。
「ほんまやの~。この町一番の暴れん坊の善郎だと、どれだけ敵を倒すか分からんの~」
(これで帰ってこれなかったら、それこそ登美江を悲しませる事になるぞ……)
無責任な事を口にしているが、今だけは喜び任せに善郎も大法螺を吹く事にしている。
「とみえ、じゃあな、俺は帰るわ! お前は俺の活躍を耳にして驚くなよ!」
善郎は登美江の家を後にした後、拳を握り天に向かって突き上げながら歌を歌い始めた。
そして善郎が出立する日。善郎の家の前では家族、近所の人までも善郎の出立に万歳三唱をしている。
「よしろう、ばんさーい! ばんざーい!」
精悍な顔つきをしている善郎だったが、その心中は複雑だった。
その声を背景に善郎は駅に向かって歩き始めた。その駅に向かう途中、登美江が善郎を待っていた。
「善郎さん! これを持って行って!」
登美江が手に持っていたのは千人針。
「お前、これどうしたんだ?」
「毎日、街頭に立って、通る人にお願いしたんや。ようやく出来たから、よしろうさん、これを持って行って」
善郎は千人針を登美江から受け取り、自分の持つ布製の鞄に入れた。
「登美江、ありがとうな。出征する時は身に着けるよ」
「約束は守って……」
不安そうな登美江の表情に善郎は軍隊の敬礼をしながら「笑え!」と言った。
舌を出して敬礼する善郎の姿に登美江の顔に少し笑顔が戻った。
「じゃあ、達者でな!」
善郎は登美江に背を向けた時、目頭が熱くなっているのに気付いた。
登美江に戦争から必ず帰る事を約束した善郎。
登美江に見送られながら、この地に帰って来ると何度も心の内で誓った。
次回、最終話になります。
最後まで何卒宜しくお願い致します。