第五話 恋敵
今回も稚拙な物語ではありますが、宜しければ一読願います。
海側には工業地帯の施設が見え、その手前には陸橋の上に阪神高速道路が通っている。地図上の区画図が示す場所は、この辺りだと雄人は核心していた。
「雄人、ここからどうやって人を探すの?」
「ここからは、自分の記憶を頼るしかない」
「え!」悠奈は驚いた。地図上のポイントの距離は半径五キロ。足で探すとなると一日掛けても見つかるとは限らない。「せめて名前だけでも分からないの?」
雄人は少し悩みながら答えた。「澤田登美子。俺が探している人は八十を超えるお婆さんなんだよ」
「フルネームで分かるなら、市役所のコンピュータに入れば住んでいる場所ぐらいは分かるかもしれないよ」
「悠奈……。それって犯罪にならない?」雄人は少し呆れていた。
「もちろん犯罪だよ。そんな事言ってたら探偵でも雇わないと、素人の私達では見つけられる訳ないでしょ」
雄人は困ってしまった。悠奈の様子を見ると本当に遣りかねない。「行こう! 悩んだり迷っている暇はないんだ。とにかく探そう!」雄人は悠奈の手を引いた。
半ば強引に手を引っ張られた悠奈は雄人の後ろを早足で歩いた。
人探しを始めて三時間。普段から歩く事の少ない悠奈は疲れ始めている。
口を開けて呼吸をしている悠奈に気付いた雄人は「疲れてるね、少し休もうか?」と気遣った。
「私は大丈夫。それより時間がないんだから、もっと急がないと……」
自分の為に頑張ろうとする悠奈の姿を見ると今回は諦めようかと思い始めた。その時、雄人の視線に自動販売機が見えた。
「何か飲む? 悠奈はコーヒーでいい?」雄人は微笑みながら言った。
悠奈は喉の渇きを凄く感じた。「私はスポーツ飲料が欲しい」
雄人は小銭入れをポケットから取り出して、自動販売機の方へ走って行った。
飲み物を買った後、二人は途中で見つけた公園で休憩した。長椅子に二人並んで座り、雄人は缶コーヒー、悠奈はペットボトルのスポーツ飲料を飲んでいる。
丁度、二人の座る目の前でゲートボールを楽しむ老人が四人居た。
その様子を遠めに見ながら「のどかだよね~」と雄人は言った。
雄人が呑気な発言をすると悠奈は焦りを感じた。「このままだと雄人の探す人は見つからないよ。もっと思い出せる事はないの?」
(もう半世紀以上も前の記憶になるんだ。それも肉体が変われば思い出すのも簡単じゃないさ)雄人は老人を眺めながら思った。
四人の老人は男二人、女二人でゲームをしていた。
男の老人がスティックを軽く振ってボールを打つと、そのボールはゲートを通過して他のボールに軽く当たった。
「あ~」もう一人の男の老人が嘆いた。嘆いている男の老人は「宗一郎さん、少しは加減してくれよ」と弱腰な態度で言った。
「大岸さんは、昔から上手かったからね~」と、女の老人が言う。
スティックを持つ男の老人は得意気に「後、十歳若かったら、ゴルフの方が上手かったんだがな~」と誇らしげに言った。
老人の会話が雄人の耳に入り、雄人は眉間にしわを寄せて考え始めた。
(おおぎし。そういちろう。大岸。宗一郎。総一郎。聡一郎……)何度も老人の名前を頭の中で手で書くように描いた。目を瞑り過去の事を思い出す為、気持ちを集中していく。
「雄人? 何か分かったのか?」
「ちょっと待って!」雄人は頭を抱えた。
長く続くトンネルを駆け抜けるようなイメージが、雄人の脳裏を駆け巡り始め、虹のような色の線が暗いトンネルの中を示し始めた。
青く続く空の上に長い煙突からゆっくりと煙が上がっていた。そこから少し離れた空き地では、半袖に半ズボンの格好をした少年二人が睨みあっていた。
少年二人は首に風呂敷をマント代わりにして括り、手には一メートル程の丸い木の棒を持っていた。
「来い! そういちろう!」一人の少年が叫んだ。
もう片方の少年が「俺は、そういちろうじゃなくて、こじろうだー!」と大きな声で言い返す。
「どっちも同じじゃ!」最初に叫んだ少年が、もう一人の少年に向かって駆け出した。
少年達の距離が二メートル程に縮まり、最初に叫んだ少年は手に持っている棒を頭上に持っていくと、一気に地面目掛けて振り落とした。
その振り落とした棒は、相手の頭に直撃して鈍い音を発した。
頭を叩かれた少年は、あまりの痛さに「ぎゃあー!」と叫び声を上げて地面に伏せた。そして「うわ~ん、うわ~ん」と、大きな声で泣き出した。
子供の泣き声が辺りに響くと近所の大人が空き地に駆けつけてきた。
一人の大人が空き地に入ってくると「また、おまえかー!」と、叩いた方の少年を怒鳴りつけた。
怒鳴りつけられた少年は凄く驚いた顔をして、「弱いから泣くんじゃ!」と言い残して、空き地から逃げ出した。
「こらー! またんかー! よしろー! 」大人は逃げる少年に叫んだ。
逃げ出した少年の姿が見えなくなった後、泣いている少年の傍に近づき、「お前もよしろうなんぞに付き合わず、家に帰って親の手伝いをしろ!」と叱り付けた。
逃げ出した少年の名前は、佐竹善郎。この時八歳。
泣き出した少年の名前は、大岸宗一郎。善郎と同じ八歳。
少年時代の善郎は、悪戯好きの少年。学校でも自分より強い子を見つけては、喧嘩ばかりしている根っからの悪い子だった。
宗一郎は善郎と家が近い為、善郎が遊びに誘いに来る。その誘いを宗一郎が断れば、次の日には顔が腫れる迄善郎に殴られる事もある。それが恐くて宗一郎は善郎と遊んでいた。
そんな二人が学校の裏にある林の中で蛇を探しに来ていた。最近、学校の裏の林で白い蛇がいる噂が立っていたからだ。
一部の大人が白い蛇は神の使いと噂した為、それを捕まえて神にお願い事をしようと思ったのが善郎だった。
二人は二手に分かれて白い蛇を探した。
「そういちろうー! いたかー!」まだ探し始めて十分も経たずに善郎が叫んだ。
「おらんわー」宗一郎も怒られては適わないと思い、すぐに返答した。
宗一郎の返答を聞いて、善郎は細い棒を振り回しながら茂みの中に入って行った。善郎の背よりも高い茂みは、善郎の視界を遮り、前に何があるのか判断もつかない。それが善郎の期待を膨らませていた。
「しろへびー! 出て来い! おれを神様の居る所へ連れて行けー!」そう言いながら善郎は棒を横に振り回した。
善郎が茂みの中を進んで行くと、草が誰かの手によって避けられた跡が残っていた。
「そういちろうー! おれたちだけでなく、他の奴らも探しに来てるぞー!」善郎は宗一郎に叫ぶと、人が通った跡を辿って歩き始めた。
善郎は前に集中しながら静かに歩いていると、善郎のすぐ先から泣いている子供の鼻声が聞こえる。
(うおっ! 誰かこの先に居るぞ。それも泣いている。誰なんだ。もしかしてしろへびにかまれたのか?)善郎の期待は膨らむ。
ゆっくりと背を屈みながら善郎が歩いて行くと、おかっぱ頭の女の子が座り込んで泣いていた。
「なんじゃ! おなごやないか!」一気に立ち上がり善郎は悔しがった。
善郎に見られた瞬間、女の子は声を出して泣き始めた。「うぇ~ん、うぇ~ん」
(めんどうやの~。どこの子やねん。こんな奴助けてたら、しろへびなんか、みつからんぞ)
善郎は泣いている女の子を放っておこうと考えた。善郎は歩いて来た道を戻ろうと後ろに振り返ると、女の子が慌てて善郎のズボンを掴んだ。
「うちを、おいていかんといて~やー」女の子は余計に泣き出した。
「お前、どこの子や!」善郎は女の子の手を離そうと女の子の腕を掴んだ。
「うち、さわだって言うんや」
「さわだって、あのひげ親父のいる家か?」
「そうや。うちのおとんや。そのさわだや」
善郎の言う髭親父は澤田家の主を示した。大工仕事をする澤田家の主は、昼間に子供達が悪い事をしたら駆けつけてくる有名な親父だ。この澤田家の主には、善郎も何度も怒鳴られた上、時には頭を殴られた事もあった。
「お前、ひげの子供か。そらアカン。俺は知らんぞ。ひげに助けてもらえ!」普段から怒られる髭親父の子供だと思うと助ける気にもなれなかった。
「いえまで、つれてかえって~やー」善郎に置いて行かれそうになり、女の子は泣き叫び始めた。
「わかったわ! 少しだまれや!」
善郎の一言で女の子は泣きやんだ。善郎が女の子を見ると脛から血が流れている跡がある。その上、顔を誰かに叩かれた跡もあった。
善郎は女の子をおんぶして茂みの外に出てきた。
「そういちろうー! もう帰るぞー!」善郎は大きな声で叫んだ。
宗一郎は近くの茂みから現れた。
「よしろう! どうやった? おったんか? それより、その女の子はどうしたんや?」
「こいつか。こいつはひげの子供や」
「え!?」宗一郎は大袈裟な程、驚いている。「あのひげに、こんな可愛い子がおるんか……」
「アホウ、どこが可愛いねん。よう見てみい。こいつもひげが生えてるぞ。やっぱりひげにはひげが生まれてくるんや!」
「あんたら、うちのおとんを馬鹿にしてへん!」
「お前、それより名前何て言うねん?」善郎は後ろを見るように上を見て言った。
「とみえや。さわだとみえや」
「とみえ、家の近くまでは送ってやるから、途中でお前一人で家に帰れよ。そうせんと、俺らがお前を苛めたと思ってひげに怒られるからな。分かったな!」
「うん。分かった」
これが善郎と登美江が初めて出遭った時の事だ。
やがて時が流れ、少年達が青年に成長して行く頃、世の中は第二次世界大戦の最中だった。
平屋の家が並ぶ一軒屋に青年二人がテーブルの中央に日本酒を置き、今から酒を飲もうとしていた。
二人は十七歳。善郎は胡坐を掻きながらテーブルに肘を付いて横柄な態度を取っていた。宗一郎は正座をしているが、落ち着かず首を横に振りながら辺りを見渡していた。
「こんな所、お前の親父にばれたら怒られるぞ」宗一郎は誰か部屋に来ないか心配になっていた。
「お前、戦争に行くんだろ。そんな弱腰で戦えるんか?」善郎は宗一郎のコップに酒を注いだ。
「善郎。今日はお前に頼みたい事があって来たんや」
善郎は宗一郎を睨んだ。「頼みって何だ?」
宗一郎は立ち上がり、ポケットの中から折曲がった封筒を取り出した。
「これを登美江ちゃんに渡してもらえないか?」宗一郎は膝を曲げて座ろうとした時、テーブルに封筒を置いた。
「これは何やねん?」
宗一郎は首を下げて上目使いで善郎の方を見た。「登美江ちゃんに手紙を書いたんや……。それを渡して欲しいんや」
次の瞬間、善郎は大笑いした。「お前、それでよく予科練に行く気になったよな~。お前みたいに根性もない奴が戦えるんか!」
「何やと!」宗一郎は腹を立て、その場に立ち上がり善郎の胸倉を掴んだ。
「お前みたいに女子にうつつ抜かす男に戦える訳ないやろ」善郎はうすら笑いした。
宗一郎は悔しくなり、善郎の頬に目掛けて拳を入れると善郎は畳の上に倒れた。それだけでは宗一郎の興奮は収まらず、善郎のお腹の上に乗り、何度も善郎の頬を目掛けて殴った。
「何や、お前でもやる気になったら、少しはやれるやないか! そのぐらい怒れんと帰ってはこられんぞ!」善郎は痛みに耐えながら宗一郎に訴えた。
「何を言ってるねん! 俺はお国の為に戦うんや! 生きて帰ってどうするねん!」宗一郎は興奮している。
善郎は宗一郎の首に足を巻きつけて、畳の上に宗一郎の体を叩き付けた。
「アホか! お前が死んでどうするねん! お前が一人死んだぐらいで戦争が勝てる訳ないやろ! 命の使い方を間違ってるんや!」
今度は善郎が宗一郎の頬を殴り始めた。善郎の力強い腕で殴られた宗一郎は、痛みに耐え切れず涙を流している。
「俺はお前みたいに頭も良くないし、喧嘩も強くない。でもな俺は善郎のように愛国心がない奴とはちがうんや!」
「アホウ! 俺が愛国心ないやと! 愛国心があるから負ける戦争なぞしたくないんや! 生き残ってこれからの日本を支える奴がおらなアカンやろ!」
二人の殴り合いは十分程続いた。最後は二人共疲れて畳の上で大の字になって寝ていた。
「登美江の事が好きなんやったら、お前の口から言えよ」善郎は天井を見詰めながら言った。
「アカンわ。登美江ちゃんは、昔からお前の事が好きや」宗一郎も天井を見詰めていた。
「女子の事ばかり言ってる奴が、ほんまに戦えるんか?」
宗一郎は身体を横に向いて善郎を上から見つめた。
「俺は登美江ちゃんの事は諦めた。その代わり登美江ちゃんはお前に頼むわ。俺はお前らを守る為に戦うわ」
善郎は呆れた顔をした。「要らんわ。お前に守られるぐらいなら、俺は殺される方を選ぶわ。もうええわ! お前は戦争に行って恥さらして帰ってきやがれ!」
そう言った後、善郎は宗一郎とは反対の方向に身体を向けた。
(宗一郎。絶対、帰ってくるんやぞ。死んだら俺が許さんからな!)
それから善郎と宗一郎はお互い言葉を発する事はなかった。沈黙の間が続き、それに耐えれなくなった宗一郎は座り込み、やがて立ち上がって善郎の家を後にした。
これが善郎と宗一郎が最後に会った日の事だった。
ここ迄、読んで頂き、本当にありがとうございました。
次回第六話も宜しくお願い致します。