百三 それは、彼にとって、決して、失くせない物 その五
良い気分になっている、町中一に向かって、光の球が飛んで来たので、町中一は、ひょいっと、体を捻ってそれを避けると、後方に、光の尾を引いて、飛び去って行く光の球を見つめながら、してやったりという思いを、たっぷりと込めた笑みを、作って、顔に浮かべた。
「ふふふふふ。そう何度も喰らうと思っているのか?」
町中一は、してやったりな笑みのまま、虚空に向かって、言い放つ。
「一緒?」
魔王ちゃんが、そう言ったので、町中一は、魔王ちゃんの方に顔を向けた。
「一緒?」
「ああ。一緒だ」
魔王ちゃんが、いつもの無表情のままで、顔の向きを変えて、町中一の背後を見る。
「うん? 何かあるのか?」
町中一は、振り返ると、魔王ちゃんが見ている方向に、顔を向けた。
町中一は、視界の中に入って来た光景を見て、飛び上がらんばかりに驚いて、それから、走って逃げる事などできないのだが、走って、その場から逃げようと思った。
「一緒?」
「いや。これは、離れていた方が良い。あれだけの数の光の球が当たったら、魔王ちゃんも、きっと無事ではすまない。あれが狙っているのは俺だけだから、今だけ、別々に行動しよう」
町中一は、目の前にあった何もない空間を、埋め尽くしているかのように見える、自分に向かって飛んで来ている、無数の光の球を、見ながら言った。
町中一は、魔王ちゃんを抱いている手を放し、魔王ちゃんから離れようとする。
「一緒」
町中一から離れまいとするかのように、魔王ちゃんの、町中一を抱く手に、きゅっと、力がこもる。
「魔王ちゃん。悪い事は言わない。あれ、当たると凄い痛いから。とにかく、離れていた方が良いから」
町中一は、魔王ちゃんの自分に絡み付いている手を、そっと、優しく、解こうとし始めた。
「一緒」
魔王ちゃんの力がとても非力だったので、簡単に魔王ちゃんの手を解く事ができたが、魔王ちゃんが、解く端から、すぐに、抱き付いて来るので、何度解いても、魔王ちゃんを、引き離す事ができず、そうこうしているうちに、無数の光の球が、二人の体を包み込むようにして、命中してしまう。
「いたたたたって、あれ? 全然、痛くない?」
「一緒?」
「あ、うん。そうだね。これなら、一緒で、平気そうだね」
町中一の意識は、そこで、途切れた。
焦燥。焦燥。焦燥。
怒り。怒り。怒り。
嘆き。嘆き。嘆き。
絶望。絶望。絶望。
希望。希望。希望。
頭の中や心の中に、浮かんで来ていて、言葉にできたのが、そんな思いや感情で、他にも、たくさんの、思いや感情が、頭の中や、心の中に、あって、だけれど、それは、言葉には、できなくって。
町中一は、自分の中にある、吐き出したいが、どう、言葉にして表せば良いのかが、分からない、そんな諸々の思いや感情を、持て余して、そして、もがいていた。
「皆は、どうやって、言いたい事を、自分の抱く思いを、人に伝えているんだ? 皆は、どうやって、人と、うまく、付き合っているんだ?」
言いたい事が言えない。
伝えたい事が伝えられない。
毎日の生活の中で、人と上手にコミュニケーションが取れないというのは、かなりの、ストレスを、感じさせる。
こんなふうになったのは、いつからだろうか?
少なくとも、高校生くらいの時までは、こんなふうに、感じる事は、なかったと、思う。
大学生になってからだろうか?
そういえば、大学生の時に、初めて、創作という物に出会ってしまった。
今は、もう、繋がりのなくなった、漫画家志望の友人。
そうか。彼か。
彼に出会って。
創作という物と出会って。
自分の中に。
生まれてしまった。
創作欲みたいな物に突き動かされて。
そして。
彼に読んでもらって。
「そうだ。それで、彼は、面白いと言ってくれたんだ。あれは、俺が、生まれてから、二度目に書いた、小説、いや、あれは、ただの、何日か前に見た、夢を、文章にして、書いた物。彼の、あの言葉の所為で、いや、お陰で、俺は、小説を、また、書こうと、思ってしまったんだ」
冷蔵庫も、テレビも、風呂も、トイレもない、六畳一間の安アパートの一室。
段ボール箱の上に載った、ブラウン管モニター。その下にあるパソコンの本体。その前にあるキーボード。
これは、友人とその仲間が、俺の為に組んでくれた、自作パソコン。
社会人になってから、窮屈で、不自由な生活を、こんな、つまらない日常を、続けるのが嫌になって、小説家を夢見て、やっていた仕事を辞めて、東京に出て、バイトで生活費を稼ぎながら、小説を書いては、賞に応募して、……、落選を繰り返して。
そんな生活は、けれど、数年しか続かなかった。
母親が、絶対に治る事のない、ただ、ゆっくりと、数年以内に確実に、死に至る事しかない、病気になってしまったんだ。
父親は健在だったけれど、周囲からの信用がまったくない父親だったので、親戚連中から、お前が家に帰って母親の面倒を見ろ。と言われて。
相談した友人は、お前はお前だろ? 家族がなんだ? と、言ってくれたけれど。
とある企業の就職試験を受けて、それに受かって、それで、あっさりと、小説を諦めて、実家の近所に部屋を借りて。
それから。
やめたつもりだったのに、一か月も経たないうちに、小説を、また、書き始めて。
いつでも、どこでも、できるんだ。諦める事なんてないんだ。と思って、書き続けて、相変わらず、落選し続けて、一度だけ、二次選考まで通った事があるだけで。それ以上は通った事もなくって。
病気になってから、たったの、五年で、母が死んで。
父とは喧嘩別れをして。
その間も小説を書き続けて。
どんどん小説にのめり込んで行って。
人付き合いもどんどん悪くなって行って。
ただ、ただ、書き続けて。
そんな生活の中で。
一度だけあった、自分の事を思ってくれる、女性との出会いも。
小説の邪魔になると思って、彼女の思いを、無碍にして、消し去って。
気が付けば。
三十年という月日が、経過していたんだ。




