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一 儚い恋転生

 

 癌に侵され、余命一年と宣告された町中一は、三十年来続けて来たが、結局、箸にも棒にも掛からなかった、小説を書くという行為で、最後の勝負をする事にした。


 仕事を辞め、半年という時間を、ひたすらに懸命に小説執筆にあて、書き終えた小説をとある賞に投稿した。だが、だが、世は無常。投稿の日から五ヶ月後の結果発表の日、町中一の小説は、あっさりと一次審査すら通らずに落選する。落選を知った時、失意の中で、絶望し、ただ、何もできなくなって、いずれ近いうちに訪れる死を迎え入れるようになるのであろうと、思っていた町中一であったが、実際にその時が来てみると、なんと、これが、案外のほほんとしていて、長年、喉の奥に引っ掛かっていた何物かが取れて、すっきりとしたような、そんな、心持になっていたりして、自分でも、少々驚いている始末。


 さてと。残された時間は、後幾何か。やりたい事をやって、俺は、今、駄目ではあったけれども、どうやら満足しているようだぞ。なんぞと思った町中一は、なんとなく、ふらりと、近所にあるコンビニエンスストアに行ってみる。


 折しも世間は、コロナ禍真っ只中。そういえば、最近は、病気の事と小説の事を抜きにしても、全然、出掛けたりしていなかったなあ。ふっと、そんな事を思った町中一は、コンビニエンスストアの、雑誌類や書籍類が並んでいる棚の前に向かい、様々な色彩とデザインとでもって、人の目を惹こうとしている雑誌類や書籍達を眺め、旅行関連の雑誌に目を止めて、これまたなんとなく、手に取ってみた。


 ああ、旅か。人生の最期に、まだ、俺に時間があるのならば、どこか、温泉でも、いいかもなあ。町中一の頭の中に、鄙びた温泉旅館と、その旅館にいる、どう見ても二十代にしか見えないのだが、なぜか、未亡人になっていて、いつも、きちっと着物を着ていて、もう何かに付けて、エロエロな女将の姿が浮かんで来る。


「一さん」


「そんな、いけません女将さん。僕の命は後僅か。いずれ貴方には悲しみが訪れます」


「いいのです。さあさあ、わたくしを抱いて下さいませ」


「女将さん」


「一さん」


 などと、妄想が始まって、町中一は、うへへへへ。と顔に怪しい笑みを浮かべ始める。


 と。そこで、唐突に、町中一の意識は途切れた。コンビニエンスストアに、居眠り運転のトラックが突っ込んだのだ。そう、町中一は、死んでしまった。さよなら我らが主人公。さよなら、最期に、やっぱり箸にも棒にも掛からないような妄想をしていた人。


 だが。ここで終わってしまっては、この物語が始まらない。


「町中一さん。町中一さん、起きて下さい」


 もう、三十年来、買い物先の店員の女性と、勤めていた職場の女性以外には声を掛けられた事のない町中一に声を掛ける女性がある。


「これは、これは女将さん。僕はいつの間にか、意識を失っていたようだ。でも、大丈夫。この通り、あっちもこっちも元気満タンですぞ」


 と声を上げつつ、町中一が目を開くと、町中一は、何もない、真っ白な世界の中に座っていて、目の前には、今までの人生で見た事もないような絶世の美女が、目の毒になるような肢体の、もう色々な所が零れ落ちそうな、布の面積のそれは少ない、それは服なの? と聞きたくなるような物を身に纏って立っていた。


「ああ。女将さん。それは何のコスプレで?」


 町中一は、うへへへへ。となりつつ、女将さんに声を掛ける。


「それは、貴方の妄想ですよ。私は、それとは関係のない者です。女神です。すべての生きとし生ける者の生殺与奪の権を握る女神。略して、デッドオアアライブ女神です」


「はあ、そうですか。なんだか、名前もあれだし、一気に色々な事が冷めた気がします。ありがとうございます。それで、あの、警察はどこですか?」


「なぜです?」


「それは、僕の口からはちょっと」


「ん? んんんん? 今、良からぬ事を考えていますね。ああ。そう、そうです。来ました。ビビビッと来ました。貴方は、今、私の事を、頭のおかしいキの字の人だと思っていますね。それは、違います。誤解です。貴方は死んだのですよ。死んで、ここ、あの世のとこの世の境にいるのです。貴方は、今、これからの新しい人生について、私から話を聞かなくてはいけない立場なのです」


「おおっと。急に何やら強引ですね。時間か何かの都合なのですか?」


「そうですね。もう、こんなにも長く書いてしまって、って何を言わせるのですか。おっほん。そんな事より、貴方の今後です。貴方には、異世界に行ってもらいます」


 後に、この時の事を、町中一はこう語っている。


「いや~。ほんとにね~。あの女神という糞女? 人の事馬鹿にしているよねぇ。いきなり、異世界って。物語の世界じゃないんだからさ。それにこの脈絡のなさよ。俺の書いていた駄文じゃないんだから」


 と。


「だから、もうそういうのはいいですってば。いいですか。貴方は前世では報われなかった。私はそれを知って酷く心を痛めたのです。三十年間貴方は頑張りました。くっそつまらない小説を、親戚や親友にまでも馬鹿にされながら、それでも、こつこつと書き続けた。そんな貴方は報われなければいけない。私はそう思っているのです」


「あー。あの、女神さん。それは、違うんじゃないかな。努力ってのは報われない奴もいる。その事については、僕は、いや、俺は、納得してんだよ。だから、異世界になんて行かせなくっていい。俺は、このまま、静かに死んで行きたい」


「なんですか? 怒りましたか? 急に口調が変わりましたけど」


「怒ってなんていないさ。こっちが素の俺。さっきまでのは、妄想世界の俺と現実の俺が混ざっていただけ。女将さんに良い印象を持って欲しくってあんなふうだっただけ。本当の俺は、自分勝手で、他人の事なんてどうでもいいと思っている屑野郎でね。だから、もう、ほっといてくれ」


 女神様が急によよよよと泣き出し始めます。


「え? 何?」


「そんなに捻くれてしまって。かわいそう」

 

 女神様が近付いて来ると、その豊満な胸をぎゅぎゅっと押し付けて来て、町中一を抱き締めます。


 なんで急にト書きが敬語になったのかは、作者の気分なので、ご了承を。


「いやいやいや。女神さん、いやさ、女神様。それ以上は危険です。それ以上は、俺の、いえ、僕の愚息が、目を覚ましてしまいます」


「愚息? 何を? ついに混乱を来たしたのですね。貴方には子供はいません。両親が死んでからは天涯孤独だったのです。でも、来世ではそんな事にはなりません。私が絶対にさせませんから。貴方は、これから私が授ける誰にも負けない何かしらの能力を持って生まれ変わって、龍の姫と恋に落ちるのです。でもその龍の姫は、貴方が救わないと魔王になる運命にあるのです。これは大恋愛の予感です。貴方と龍の姫のあれやこれやを邪魔しようとする敵もたくさんいるでしょう。でも大丈夫。来世の貴方には、最高の相棒もいます。彼女が貴方をどんな時でも助けてくれるでしょう。さあ、町中一さん。時間です。貴方のその高まったリビドーが新たな貴方を生み出すのです。ただ抱き付いた訳ではないのですよ。貴方は、貴方が頭の中で描き続けた、何者かになるのです。では、出発です」


「あの。ちょっと待って下さい」


 女神様の言葉を聞いていて、押し寄せていたリビドーの波がすっかりと冷めてしまった町中一は、女神様の抱擁の中からよっこらせっと抜け出すと、女神様に冷たい目を向ける。


「人の話を聞いてました? 俺は、転生なんてしたくないのです。死なせてくれと言っているのです」


「却下です。もうその予定で色々組んでますから」


「なんですかそれ。予定って。俺の都合だってあるでしょう?」


「努力は報われないといけないのです。そういう物なのです。貴方は、向こうでは、貴方の様々な能力が一番充実していた時期の体になるのですよ。もう、なんでもかんでもやり放題ですよ」


 女神様がまた抱き付いて来る。ささっと、町中一はそれを避ける。


「あ。酷いですそれ。傷付きます」


「それはごめんなさい。傷付ける気はなかったのですけれど。とにかく、転生はしません。殺して下さい」


「どうしてですか? あんな人生の終わり方でいいのですか? 私は納得できません」


「あの、あのねえ。なんなんですか? 俺の人生、貴方には関係ないでしょう?」


「それは、えっと、どうして私があなたを転生させたいと思っているのかを言ったら、転生してくれますか?」


「嫌です」


「即答ですか?」


「即答です」


「じゃあ言います」


「言うんですか?」


「はい。私は、実は、貴方のウェブ小説を読んでいたのです。あれですよ。一度だけ、感想だって書いたんですよ」


「マジ?」


「マジです」


「どんな感想を書いてくれたんです?」


「それは教えません」


「教えて下さい」


「駄目です」


「お願いです」


「駄目です」


「分かりました。それを聞けたら転生しましょう」


「それは、それは、ずるいです」


 女神様が泣きそうな顔になる。


「分かった。分かりました。自分の小説を読んでくれていた人を泣かすのは忍びない。それはもういいです。それで、それと、どういう関係があるんですか?」


「貴方のファンなんです。きゃっ。本人を目の間にして言っちゃった。恥かしい。……。だから、悔しいんです。貴方にはもっと幸せになって欲しいんです」


「女神様、貴方は、なんて事を、言うんですか」


 町中一は、女神様を見ている目をかっと見開いて言ってから、押し黙る。


「急に何ですか? 何も言わなくなってしまって」


「分かりました。結婚して下さい。俺はここで貴方と共に生きて行きたい」


 町中一はその場に跪くと、女神様の手を取った。


「それは、それは、できません」


「なぜですか? 俺の為を思ってくれるのなら、こっちの方がいい」


「だって。だって。私、貴方の事、まだ全然知らないんだもん。あー。でもでもでもぉ。貴方がぁ、私の為にぃ、転生してくれてぇ、新しい人生をちゃんと行きてぇ、それでぇ、ちゃんと死んでぇ、もう一度ぉ、ここに戻って来てくれたらぁ、結婚しちゃうかもぉ?」


女神様が、体中を真っ赤に染め、とっても甘ったるい声と口調になりつつ、恥らないながら言った。


「分かりました。転生しましょう。貴方と俺の未来の為に」


「もう。ちょろいんだから。そんなだから、前世ではパッとしなかったんだぞ」


「そっかー。だからかーっておいこらー。ワレー、舐めとんのかー? こらー」


 物凄く痛い所を突かれた気がしたが、死んでしまっている今では、そんな事ももうどうでもいいので、町中一は棒読み口調で応じる。


「怒っちゃやーよ?」


「はいはい。許します許します」


 女神様が顔を俯けると、上目使いになって、町中一を見つめる。


「そんなに投げやりにならないで下さい。さっきのは、結構本気だったんですよ。こんなふうですけど、私だって、女の子なんです。真正面からあんなふうに言われたら、照れてしまいます」


「じゃあ、結婚」


「だから、それは、また、そんなふうにストレートに」


 町中一は、そうですね。と言いながら、ふわりと笑った。


「まあ、俺も、年甲斐もなくむきになってしまいました。貴方がとっても魅力的なのがいけない」


 町中一は、一つ、深呼吸する。


「じゃあ、転生します。やって下さい」


「急に、なんで?」


「言わなきゃ駄目ですか?」


「あ。いえ、考えを読んじゃいました」


「それは駄目です」


「でも、もう、読んじゃいましたし」


 女神様が、はにかんでいるような、それでいて、とても嬉しそうな素敵な笑顔になる。


「こんな一瞬の儚い儚い恋でも、格好付けたいと思ってしまうのが、男の悲しい性でしてね」


 町中一は苦笑する。


「こんな気持ちになるなんて、いつ以来でしょうか」


 女神様がそこで言葉を切ると、町中一の全身がキラキラと光り始めた。


「お待ちしています。向こうで、精一杯生きて、それから、また、ここに来て下さい。その時に、まだ、貴方の気持ちが変わっていなかったら」


 女神様の言葉はそこでぷっつりと途切れた。町中一は、意識を失ったのだった。

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