たとえ違う世界でも
艶やかな黒髪をなびかせながら、久々宮詩織は通学路を走っていた。彼女が通過すると花壇に植えられた風車が楽しそうにクルクルと回る。
「おっはよーハル、今日も可愛いね」「みっちゃん、昨日借りた漫画マジ神だった」「あ、ルリ、土曜日遊びいくかんね!」
追い越す人、追い越す人に詩織は声をかけていく。彼女の周りは常に笑顔で満ちていた。
「アンタこんなくそ暑いときでも元気ね」
「にひひぃ、そういうマリもヤンチャに走り回ってるじゃん」
「私は朝練よ! ったく、そんなに体力有り余ってるなら陸上部来てくれたら良いのに」
制服の詩織と練習着のマリが並んで、それもかなりのスピードで走っているのは、知らない人が見れば少しだけ奇妙な光景だけれど、この学校の生徒にとっては見慣れた光景だった。
「私は忙しいんですぅ~」
「……アンタ、なんかあった?」
「え? なんにも?」
「そ。なら良いけど。あ、そういえば昨日、美術室に筆箱置いてきちゃったから、取ってきてくれる?」
「えぇ~どうしよっかな~」
「ジュース一本」
「シャオラ! 詩織ちゃんに任せとき!」
「ったく現金なやつ」
いつものように二人でじゃれあいながら校門までやってくる。まだ朝練が続くマリとは別れ、詩織は美術室へと続く廊下を歩く。
「親友の目は誤魔化せない、か」
詩織は窓に薄っすらと映る自分の顔を横目に、ひとりごちる。スマホを取り出し、学校に来る前に見たメールをもう一度確認した。
『一次選考落選』
しかし何度見ても落選が通過の二文字に変わることはない。高校に入学後、詩織は小説投稿サイト『小説家になっちゃおう』を始めた。それを編集した作品を、未来文庫の公募に送ったのだが、結果はこの通り惨敗だ。
「才能、ないのかなぁ」
答えるものがいない問いは、蝉の声に包まれ消えていく。
美術室のドアを開けると、溶き油と絵の具の入り混じったにおいがツンと鼻を刺した。
「えーっとマリが授業で座ってた席は……」
むぎゅ、むぎゅ、と上履きを踏みしめる音が響く。
「あ、あった! さて、もど、ろ……う?」
詩織の瞳はある物に釘付けになり、心臓がトクンと鼓動した。血が沸騰したみたいに身体は熱くなり、脳細胞が活性化していく。
「なんて、キレイな、絵……」
青々とした神秘的で深い森、透き通るように綺麗で叙情的な湖、繊細な金髪としなやかな肢体の耽美的なエルフ。
たった一枚の絵に描かれたそれらから、詩織の頭の中で世界が広がっていく。
「書きたい。物語を……」
衝動的に詩織が動いた瞬間、ガシャン! とマリの筆箱が落下し中身がぶちまける。
慌てて拾い集めているとだんだんと思考は冷静になっていく。
「やっぱりだめだ……。私が小説を書いたところで、誰かの心を動かせるような作品なんて創れない……」
溢れだした情熱に蓋をするように、詩織は筆記用具を筆箱に仕舞い、口を閉じた。
「そろそろ教室に戻らないと」
最後に絵を一瞥してから美術室のドアを開けると、
「「痛ったい!」」
詩織と、茶髪を丸みショートにした女の子が同時に尻もちをつく。
「あ、あの、ごめん、なさい」
「こちらこそごめん。アナタは成瀬さんよね」
「は、はい。久々宮、詩織、さん」
「私のこと知ってるん……あ!?」
転んだ拍子に詩織のバッグから何枚もの紙が吐き出されていた。急いで拾い集める詩織。そのうちの一枚を成瀬が拾い、その目が驚愕に染まる。
「あー、私、文芸部だからさ。小説書いてるんだけど、才能なくて。これ公募に出して落ちたやつなんだけど出力して、改稿しようと思ったんだ。でも、もう、良いかなって」
詩織は成瀬から原稿を取ろうと手を伸ばす。
「成瀬さん……?」
しかし成瀬は原稿を握る手を詩織に取られまいと強めた。
「赫灼のバーニングソード」
「へ?」
「これ、小説家になっちゃおうにも投稿してるやつですよね!」
「そうだけど、え? ちょっと待って。え?」
「私、この作品に救われたんです!」
成瀬はガサゴソと通学カバンからスマホを取り出し、画面を詩織に向ける。
「これ……」
眩いばかりに燃え盛る灼熱の炎を纏った日本刀。霞の構えで刀をこちらに向ける隻眼の少女。少女は焔の旋風に囲まれており、あまりの迫力に引き込まれてしまう。
「これ……もしかして、主人公のカグラ?」
「はい! そうです! 勝手ながら描かせてもらいました」
詩織の小説にはイラストがない。でも、このイラストに描かれている少女は詩織の頭の中で描いていたカグラ以上にカグラだった。
「私も……悩んでいたんです。絵の才能がないって」
成瀬の過去を見つめる目は、窓に映っていた詩織と同じ目をしていた。
「そんなときに出会ったのが『赫灼のバーニングソード』でした」
詩織の作品名を口にした瞬間の成瀬の目の輝きもまた、詩織がエルフの絵を見たときの目と同じだった。
「あの作品を読み終えて、本当に感動して、私の中の世界がどんどん広がっていったんです。それで最初に描いたのがカグラちゃんでした。この絵を完成させてから、なんていうか、自分の殻を破れたというか、それで……あ、あれです、あの絵」
成瀬が指差しているのはエルフの絵だった。
「あれを描いてコンクールで最優秀賞をもらえたんです! 本当に、ありがとうございました」
勢いよく頭を下げる成瀬。
信じられなかった。自分の物語が、こうして誰かの心を動かしていたということが。そんな作品を描きたいという夢を、既に叶えていたということが。
詩織は成瀬の肩に手を添え、身体を起こさせる。
「え? 久々宮さん、泣いて、」
ハグッ。詩織は顔を隠すように成瀬を抱きついた。
「ありがとう……成瀬さん……私を、私の作品を、見つけてくれて……」
気が付けば蝉の声は止んでいた。代わりに鳥が楽しそうにさえずっている。
学校に鳴り響くチャイムが、今だけは生まれ変わった詩織に捧げる祝福の音色に聞こえた。
おわり




