登校日の謎
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
はいはーい、こーちゃん。ちょっと質問していい?
この慣用句の問題なんだけどさ、「爪のアカを煎じて飲む」ってあるでしょ? どうして「爪」のアカなのか分かる?
別に肌のアカだって、フケだって、へそのごまだっていいような気がするんだけど?
――あくまで「少量」であることを表すための言い回し? 特定の個所に限定する意味はない?
ふーん。じゃあ、ちょっと歴史が異なれば、本当に肌のアカだったり、フケだったりしたかもね。
ちょびっとでも、薬のように扱って取り入れたら、その人に近づけるんじゃないかって……プラシーボ効果にでも期待しているのかなあ。
――まかない種は生えないものだし、千里の道も一歩から?
確かにちりも積もればなんとやらだけど、結果はすぐに出てほしいと思っちゃうんだよね、ぼく。
こーちゃんはさ、自分が意識して積み重ねていること、どれくらいある? それと、自分が意識しなくても、積み重ねちゃっているもののこと、考えたことある?
ぼくさ、これまで知らなかった積み重ねに、ふと出会っちゃった経験があるんだよ。
話しててふと思い出したんだけどさ、こーちゃん、聞いてみない?
こーちゃんが学校へ通っていたころって、夏休み中の登校日はあった?
ここのところ、夏休みの期間が短くなりがちで、登校日を設けない学校も増えているみたいなんだよ。中学校だと、部活で学校へ通い詰めって状況も珍しくないし、登校日ってなかったと思うなあ。
その点、小学校の登校日は印象に残っているよ。8月1日と20日だったかな。ぼくたちには宿題の提出日という名目で、設定された日付だったんだ。
なかば皆勤賞の義務感から、律義に登校していたんだけどね。ある年に先輩から聞いた話が、頭の中へいやに残ってしまった。
――夏休みの登校日って、欠席日数に入らない日なんだぜ。
普段から懇意にしていた先輩の言葉だし、例年登校日の存在を、疎ましく思っている友達はそれなりにいた。
だからとうとう、小学5年生の夏休みに、同志を集めて決行しちゃったんだ。登校日、おさぼり作戦をね。
集合場所である駅前に、早めに到着したときにはドキドキした。
腕時計を何度もチェックしてさ、「今から戻れば、まだ間に合う? どうする、やっちゃう? あきらめちゃう?」って何度も葛藤したっけ。
――歩けば間に合う。走れば間に合う。バスを使えば間に合う。タクシーを使えば間に合う……。
時間は容赦なく過ぎていき、他のメンバーも集まってきて、時間に注目していく。
そしてとうとう、どうあがいても間に合わないリミットを迎えてしまう。
「ほう」と息をついた。胸の中の緊張が、どんどんほぐれて、消えていくのを感じたんだ。
それは守ってきた一線を越えてしまったあきらめか、それとも縛りから解き放たれたすがすがしさか。そのあとの時間も、心置きなく遊ぶのに集中できたんだ。
帰ってきて「ただいま」と声をかけたとたん、「もしかして親に、学校から連絡がいっていやしないか」と、改めてドキドキしたよ。幸い、そのことに関する言及はなく、ほっとした。
毎年縛られていた、数時間がフリーになる。
手を洗いながら、その素晴らしさをかみしめていたぼくは、次の20日にある登校日もさぼろうかな、とぼんやり考えだしていたんだ。
ところが翌日。
親に留守番を頼まれ、クーラーの聞いた居間でのんびりくつろいでいた午前中。
電話が鳴って、部屋にあった子機を取り上げると、聞きなれない人の声で尋ねてくる。
ぼくの名前を出して、「家にいらっしゃいますか?」とね。
一気に警戒心を強めるぼく。
ぼくに連絡してくる相手なんて、家族をのぞけば友達か、習い事の先生くらいだろう。
第一、ぼくの声は特徴あるものらしいから、知っている相手だとすれば、すぐに本人だと分かるはず。
「いえ、ちょうどいま家にいなくて」
ウソをついた。ぼくの存在を知らせるのは、得策じゃないかもと感じたからだ。
「でしたら、何時くらいに戻ってこられますか」
「今日は一日、泊まりらしいので……」
またも手なりでウソをついて、「しまった」とも思う。
これじゃ、明日には家にいるといっているようなものじゃないか。
「では、またそのときに」
ガチャンと切られる電話。それから親が帰ってくるまで、他の着信ななかったよ。
番号は非表示ときていて、いよいよ相手の存在が怪しくなってくる。
次の日、ぼくは逃げるように、朝イチで図書館へ向かった。戻るのは閉館間近の夕方で、適当に時間をつぶしながら、昨日の電話のことを、どうにか意識の隅へ追いやろうと努めたよ。
だが家へ帰ると、すかさず親が伝えてくる。ぼくに用件がある、という電話がかかってきたと。
午前中に一回。そこで午後には戻りますと母親から聞き、昼過ぎとほんの30分前の二回かかってきたそうなんだ。
「次から、電話が鳴ったらあんたが優先して取りなさい」
母親からの言葉に、「また面倒ごとが増えた」と心の中で舌打ち。
ぼくの中では気味悪さよりも、怒りの方がむくむく湧いてきていたよ。相変わらず番号が分からないから、向こうからの接触を待つよりない。
二回ほど、親相手にかかってきた電話を挟んで、とうとう目的の奴の「もしもし」を耳にしたのは、午後8時過ぎだった。変わらず、ぼくの名前を出して「いらっしゃいませんか?」ときたもんだ。
「――ぼくです」
ぽつりと伝えてやるが、相手は「え?」と聞き返してくる。どこか小ばかにした響きが混じっていて、ぼくもすこしムッとした。
「だから、ぼくがその本人です!」
電話口の声は、ぴたりと押し黙った。応答を待つぼくだけど、受話器の向こうからは何も聞こえてこない。
そう、何にもだ。息づかいに、近くを通る車などの気配。もちろん「保留中」などで流れる音楽なども、何もかもが聞こえない。
どんだけ静かなところにいるんだよ、と頭の中で毒づくと、また突然、電話の向こうから漏れてくる。
「――おもしろい人」
慇懃な口調がいっぺん、驚くほど冷たさを感じる一言だけを残し、電話は切れてしまったよ。
怒りがすっと消えて、また背筋が寒くなり出したね。相手はひょっとして、最初からぼく本人だと知っていながら、とぼけていたんじゃないかと。
翌日、その翌日と、あの声の主が電話をかけてくることはなかった。
代わりに、ぼくへ接触を図ってきたのは、電話とは違う別の手段だったんだ。
最初は、自販機で飲み物を買ったときだった。缶を取り出そうと腰をかがめたところで、その尻に「とん」と軽くぶつかってくるものがあったんだ。
振り返る。右手数メートル先に、紺色の背広を着て遠ざかっていく、男性らしき後ろ姿が見えた。
証拠はない。でもぼくは、あの人が押したのだと信じて疑わず、その背中へ思い切りあかんべえをかましてやる。
でも、触ってくるのはそれだけにとどまらない。
すれ違いざまに腕や足を、信号待ちで首をなでられ、図書館で本を読んでいるときに、頭髪をわしゃわしゃとまさぐられた。
視界にとらえたときの距離に差はあれど、あの背広の男性の姿があったよ。
ストーカー、というやつなんだろうか。
ぼくは警戒し、できる限り家の中で過ごすように切り替えたが、それでも同じだった。
食事中、入浴中、睡眠中……ふとした拍子に、体のどこかを触られる気配がして、はっと意識をそちらへ向けると、家の壁越しにコツコツコツ……と遠ざかる足音が聞こえてくるんだ。たとえそれが、日付を回った夜中のことであろうとも。
ぼくの中ではもう、あの電話の主が=背広の男と式が成り立っている。だが、どうしていきなりこんな目に遭うのか。
――登校日、行けるのに行かなかったからか?
ぼくはさっそく、あの日に遊んだ面子へ連絡をとる。さりげなく自分の体験を伝えたところ、驚いたことに、電話に出てくれた全員が、同じような目に遭っているのだという。
いずれもケガなどはしていない。あの本人を尋ねる不審な電話があった後、体のどこかしらを触られていく感覚が、毎日のようにあるとのこと。
情報を共有しているうち、ぼくは奇妙なことを聞く。
友達のひとりは学校のすぐ近くでやられたらしいんだけど、ふと見ると背広の男は、学校の敷地内を平然と歩いていたというんだ。
学校の関係者、という線が持ち上がり、あと三日に迫った2回目の登校日に、ぼくは先生へ事情を聞いてみようと思いだした。あのさぼりのことも話すとなると、少し気も重いけど、このまままとわりつかれるよりましだ。
みんなもおおむね同意してくれたが、電話に出てくれなかった子がただ一人いる。彼はあの日から、次の登校日の前日まで海外旅行に出かけているとのことだった。
そして登校日。ぼくは迷った末、低学年のときに担任をしてくれた、女の先生に相談した。たとえ怒られても、一番ダメージが少なくて済みそうだったからだ。
案内された生徒指導室で、一部始終を伝えたぼくに対し、先生が返してくれた答えは意外なものだった。
僕たちが出会った背広の男。あれは僕たちに害をなすものでなく、むしろ守ってくれるものだというんだ。
「ライター使ったことある? あれね、中のガスがある限り火がつけられるけど、いつかはガスがなくなって消えちゃうでしょ。だから定期的に補充しなくちゃいけない。
学校も同じでね。先生たちも含めたみんなも、存在するために必要な「ガス」みたいなものが必要なの。それは学校へ来て、みんなが残す汗だったりアカだったり……。
でも夏休みに入ると、それがごぶさたしちゃう。すると、まれにガス欠しちゃってね、存在できなくなっちゃうことがあるの。
だから登校日をもうけて、万一の補充をするわけ。みんながみんなでいられるように。
その背広の人、切れそうになっていたみんなの『ガス』を調達にきたんじゃないかしら」
けれども、あの背広の男も海は渡れなかったのか。
海外旅行に行った子は、その登校日以降、二度とクラスへ戻ってくることはなかったんだ。




