旅路
幾たびかのうたた寝から目を覚まし、黄陽は馬車の幕布をそっと捲り、無限に広がる星空を望んだ。
昼間は眩しいほどに青々と輝いていた草原も、今は暗闇に呑まれている。
黄陽は狐の襟巻の首元をきゅっときつくした。
「到着まであとどれくらいだ?」
黄陽の従者が御者に尋ねる声が聞こえる。御者は訛りの強い言葉で「あと一刻もすれば」と答えた。
あと一刻であればもう一眠りもできるだろうか、と黄陽は再び目を閉じた。
馬車の揺れ、車輪の音、馬の息遣い、蹄の音、人の気配を暗闇の中でただ感じていると、辛いこと、悲しいことが次々と頭に浮かんでくる。
後宮女官たちのくすくす笑い、兄弟たちの蔑み、そして、父から言い渡された、事実上の国外追放――。
そして何よりも、故郷を遠く離れることになっても少しの感傷も持たない己の心が寂しく、悲しかった。
戴黄陽は戴国の第三皇子に生まれた。戴国はこの大陸で一番の大国であり、戴国の王であることはこの大陸の王であることと同義であった。
黄陽は王位継承権第一位ではなかったが、皇子としてこの国を率いるために、幼いことから学問、戦術、武芸を叩き込まれていたが、王の資質やら才能やらを母の胎の中に忘れてきたのか、学問は妹皇女にも劣り、武芸に至っては幼い弟にも負ける程度であった。
七つや八つの頃は、誰しもが「まだこれからだ、先はわからない」と慰めてくれた。
十二になる頃には、兄弟たちも黄陽と距離を置き、黄陽に取り入ろうとする家臣もいなくなった。
十五を過ぎた頃には、後宮の女官達にも明らかに冷たくあしらわれるようになった。
そして、十七になった四日前、父である戴国皇帝に呼び出され、辺境のウルジーホト国の女王の婿になるよう、命令された。
ウルジーホト国はもともと遊牧騎馬民族の一部族だったが、先代の王が統率と戦略に優れていたためにみるみるうちに勢力を伸ばして一つの国となり、ついには戴国に攻め入る寸前であったらしい。
というところで戴国にとってはタイミングの良いことに、ウルジーホト国の長が亡くなった。そこで、新しく長の座に就いた娘に皇子を嫁がせて友好関係を築き、戴国への侵略を防ぎたいとのことだった。
皇帝は明確にそうとは言わなかったが、ダメな皇子の厄介払いであることは誰の目にも明らかであった。
ウルジーホト国の評判はといえば、攻め入った国はいかなる文化財や芸術品であっても破壊しつくすだとか、屍ですら辱められるとか、そういうものばかりで、
そのようなところに他国から嫁いで、何かしでかせば想像もできないほど残酷な刑が待っていることは違いない。
つまり、皇帝から見てどのような目にあっても構わない、それでいて蛮族の長を満足させられるだけの身分を持つ者――つまり黄陽に白羽の矢が立ったのだ。
自分の行く末を思うと、思わず深いため息がこぼれる。
「黄陽様、起きていらっしゃったのですか」
ため息が聞こえたのか、暗闇の中から、従者の冷たい声が聞こえる。
「いま起きたところだよ。あとどれくらいで着くんだい?」
「先ほど御者に聞いたら後一刻ほどと申してましたので、あと半刻ほどかと。着いたらすぐに婚姻の宴ですから、今のうちにお休みくださいませ」
女王の機嫌次第では、その宴で永遠の眠りについても不思議ではないな、と思いつつ、黄陽は黙って目を閉じ、死への覚悟を少しずつ固めることとした。