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魔が差した

「マオ、どうした? 何か言いたい事でもあるのか?」


 そう言ってお父さんは私の顔を覗き込んだ。

 最近になって分かってきた事がある。こういう顔をすれば、大人は心配をするのだ。心配でなくても、気になるのだ。何を考えてるんだろう。何を思ってるんだろうと。

 意味ありげに塞いだような顔を見せると大人はおもしろいように食いついてくる。それが楽しくて仕方がなかった。


「どうしたんだ? 何か嫌な事でもあったのか?」


 でもこの顔は女性には効きにくい。お母さんや女性の大人にはあまり効果がない。どちらかと言えば圧倒的に男の人に効く。つまりこれって、男の人の方が馬鹿で騙されやすいって事なんだろう。そう思うとますます面白い。


「……お母さんが」


 でも今日はそこで終わらない。もっと面白い事が出来ないかと考えるようになった。そしたらこの前テレビで面白いドラマを見た。

 内容は大人の恋愛もの。とある夫婦の話だった。


「お母さんが、どうした?」


 ドラマでは、母親が不倫という他の男の人とイケナイ関係になるのだ。そして、それを知った父親は激怒する。


「お母さん、最近電話してるの」

「電話? 誰と?」

「……男の人みたい」

「……本当か?」


 ドラマの中で激しく言い合う二人。そこで母親はこんな言葉を使っていた。


“ちょっとマガサシタのよ!”


 マガサシタを魔が差したと書くのは携帯で調べて知った。

 魔が差す。

 何故かは分からないが、途轍もなくその言葉に魅力を感じた。


 実際にお母さんはたまにどこかの誰かと電話をしている事はある。だがそれが不倫かどうかは知らないし確証もない。ただお母さんは子供の私からしても綺麗だし、出掛けた時に男の人がお母さんを見る目がなんとなく普通と違う事も感じていたし、本人もその事は分かっているように見えた。


「……そうか」


 お父さんは深刻そうな顔をした。


 その日から二人の関係は目に見えてギクシャクし始めた。実際お母さんにも何か心当たりもあったのかもしれないが、とにかく私のちょっとした悪戯な遊びがちゃんと成功しているようではあった。

 二人の中は悪くなる一方で、言い争う事が増えた。日ごとに激しさを増す二人の姿は怖さもあったが、これを私が引き起こしたのだと思うととても愉快だった。


 そしてその日は訪れた。

 その日は一際喧嘩が激しかった。直接見たかったが、最近では物が飛んだりと傍にいると危ないので自分の部屋に避難していた。

 激しい言い合いと物が倒れたり壊れたりする音。今日は一層愉快だなと思っていた。


「ぎゃあああああああああああああああああああああああああ」


 途端今まで聞いた事のない悲鳴が響いた。そして今までの騒音が嘘のようにおさまった。さすがに驚き私は身を固くした。


 とん、とん、とん。

 足音がする。階段を登る音。音は一人分。誰かがゆっくりと階段を登ってくる。


 殺される。

 直感的にそう思った。

 足音は自分の部屋の前で止まった。


 こん、こん。


「マオー。出てきなさいー」


 お父さんの声だった。お父さんのような声だった。変に間延びして、とても気持ちが悪かった。


「マオー。出てきなさい―。マオー」


 こん、こん、こん、こん。


「マオー、マオー、マオー!」


 どん、どん、どん、どん!


「マオー! 出て来いよこら!」


 凄まじい力でドアが叩かれる。

 開けたら殺される。

 鍵付きの部屋にしていて良かった。勉強に集中したいからと適当な嘘の理由でつけてもらったものが、こんな所で効果を発揮するとは思わなかった。


 ドアを叩く音から、ガゴンっと蹴り倒すような音に変わる。ドアが軋んで悲鳴をあげる。これでは鍵をかけていてもいつかは破られるかもしれない。


 どうしようと思って窓を見る。なんとか頑張ればここから逃げる事も出来なくはない。そうしようと動こうと思った瞬間、


「ごあっ…!」


 歪な声がドアの外から聞こえた。そして、ドタドタと音がした後、ガタガタガタガタと何かが転げ落ちるような音が続けて聞こえた。そして、今度こそ静寂が訪れた。


 鍵を開け、ゆっくりとドアを開ける。ドアの前には誰もいない。階段の下を覗き込む。階段の下で、ぐにゃぐにゃにねじ曲がって倒れている血塗れのお母さんとお父さんがいた。

 死んでいる。遠目から見ても分かった。

 その場に私はへたりこんだ。


「は、はは」


 すごい。すごいすごい。


「はははは」


 私のしたことは本当に僅かな事。ちょっとした遊び程度に投げた小石。

 それが、ここまでの事になるなんて。


「はははははは! あーーははははははははははははは!」


 笑いが止まらない。

 すごい、すごいすごいすごい!

 

 “魔が差した”


 あの言葉が蘇る。

 悪魔のイタズラ。

 私の横に、常に悪魔はいるのだろうか。

 それとも、わたし自身がひょっとしたら悪魔なんじゃないだろうか。


 にたあああああぁ。


 鏡を見なくても分かる。

 

 私は今、すごくいい笑顔をしている。


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