不必要ルール
「綺麗っていうより、単に質素だね」
「趣味がないもんでね」
お邪魔しますの一言もなく靴を脱いでマオは俺の部屋にあがった。もう今更何をどうしようが引き返せない。ここで彼女にひと触れもしなかったとて、”女子高生を部屋に泊めた”という事実があれば、一人の成人男性を潰すには十分材料だ。
「ま、普通に過ごすには十分か」
そう言ってマオは遠慮のかけらもなく、そこらへんに放置されていた座布団をかっさらいその上にどかっと座った。
先程までのあのか弱い彼女はどこに行ったのだろう。そんな事を思ったが、そもそも最初からそんなものはないじゃないか。親父のように胡坐をくんで勝手にテレビをつけギャハギャハ笑っているこの姿が本性であり真実なのだ。
「お前さ」
「マオだっつってんだろ」
「親がいないって言ってたけど、どうやって毎日過ごしてんだよ」
踏み込んではいけない領域だろう。でもやはり聞かずにはいれなかった。
一日だけ。という事は帰る場所はあるのだ。
「……あーもう、しゃあねえな」
めんどくさそうに髪の毛を掻き毟りながら彼女は身体を起こした。答えが返ってくる期待などしていなかったが、どうやら答えてくれそうな態度に俺は少し驚いた。
「ちっちゃい頃に両親死んでんだ。で、誰もいなくなって身寄りがないつって、最終的に父親の姉貴について行くことにしたんだ。独り身で、結婚する気も子供産む気もないバリバリのキャリアウーマンまっしぐらな人でさ。すごいよ。あーしに向かって『あなたが生きる資金は恵んであげるけど、自分で勝手に育ちなさい』って。気に入った! って感じで即決だった。他の奴らはあーしの事ちっちゃいのに一人になってかわいそうだあーだーこーだ言って、でも子供一人の人生の責任を引き取るだけの覚悟なんてまーったくなくて。そんな奴らとあの姉貴を並べたら、ま、比べるまでもないよね」
事もなげにあっさり語るが、内容はとてつもなく重いものだ。何不自由なく育ってきた自分には考えられない境遇だ。
普段好き勝手振舞っている彼女だが、それは俺が知らなかった苦労があったが故なのだろうか。そう思うと主導権を握られている身ではあるが、彼女に対して同情というか、今まで感じる事のなかった感情が湧き上がってきた。
「ま、そんなこんなでなおじぃの質問の答えとしては、『必要最低限の生活費はくれてやるから後は自分でどうにかしろ。何をやっても構わんが責任は自分でとれ』っつう事で、仕送り受けて一人暮らしさせてもらってまーす。足りない分はバイトとかで頑張って補ってまーす」
はいはーいと腕をピーンと伸ばしながら答えるマオはなんだか今まで一番かわいらしく見えた。
とにかくこいつの状況は理解した。
しかし、だ。だとすれば、彼女の要望はどういった理由だ?
「そんな強いお前が、一人で寝たくないだなんて、一体どれだけの理由なんだ」
口にして言い方を誤ったかと思ったが、マオは怒りはしなかった。ただ、すっと表情が引いた。そしてどこか、寂し気なように映った。
「え?」
思わず声が漏れた。一瞬の間合い。すっと彼女は俺との距離をゼロにした。それはもうずっと前の事のようで昨日でもあったように感じる、あの満員電車での距離よりも近かった。
マオは俺の胸元に顔を埋め、両腕はひしっと背中に回された。
――なになになになに。
常にマオは自分の予想を超え、外し、弄んだ。翻弄され続ける日々だった。でもここに来て、こんな形で心を乱される事にはならなかった。
「強くなんて、ないよ」
か細い声が自分の真下から聞こえる。俺は彼女の方を見下げる。
つんとこちらを見るマオの顔は、いつもの高飛車で奔放なものではなく、ただただか弱い一人の女の子だった。
――そ、そんな顔するのは、反則だろ……。
「……ギュって、してよ」
切なげな声。途轍もない愛おしさが身体を駆け上る。
だめだだめだだめだ。理性の壁はもうひびだらけで決壊寸前だ。
――いや、理性?
「お尻は触った癖に、抱きしめるのは無理なの?」
――だめだって。だめだって。
「意気地なし」
この子は一体何歳なんだ?
一回り以上も違うのに圧倒的なこの差。
素でやっているのか。計算なのか。また考えても分からない禅問答に戻ってくる。
結局の所、俺はずっとマオの掌の上で転がされ続けている。出会った時からずっと。
正解って何だろう。
常識って何だろう。
もう俺は考える事をやめようとしている。
そしてただ本能的に、男として、俺は自然にマオを抱きしめた。満足し、呼応するかのように背に回ったマオの腕が少し強くなった。
堕ちる。
ふっと、マオの身体が少し離れる。そしてもう何の断りもなく、彼女は俺にキスした。
ふわっと柔らかい感触。
理性なんて必要なのか。
――いらねえだろ。そんなもん。
俺はこれから何を守る。
正解とは何だ。常識とは何だ。
俺はずっと、ルールに従ってきた。
でもそのルールってなんだ?
マオの中のルール。
彼女の中にもそんなものがあるのかは分からない。
俺の中のルール。
ずっと守り続けてきたルールはいとも簡単にぶっ壊れた。
――もう、どうでもいい。




