マオマオ
「実験成功」
「へ?」
本当ならとっくに会社に着いている時間だ。しかし今日は公園の日陰のベンチで女子高生と並んで座っている。
「アイスうまっ」
買ってやったミルク味のアイスバーを上手そうに彼女は頬ばる。
チャラついたロングの金髪。だらしなく胸元の見えたシャツ、あわよくば下着が見えかねないほどに短いスカート。はしたなさはあるのだが、そこから見える肌の瑞々しさや艶美さは子供と呼ぶには円熟しすぎており、大人と呼ぶにはまだ幼さもある、何とも言えない絶妙な色気に頭の中をダメな妄想が駆け巡る。
「あ、なんかやらしい事考えてるっしょ?」
「な、考えてない考えてない!」
「うーわー図星じゃんキモー。おじさん分かりやすいねー」
言いながら大きな声で笑い声をあげる。品はないが、底抜けの明るさが全てをプラスの印象に変えてしまう。
――不思議な子だな。
心底そう思う。
「で、どうでしたか?」
「なにが」
「あーしのぷりっぷりのお尻の程は?」
「ぶはっ!」
「きったね! 噴いてんじゃねえよ!」
思わず口にしたペットボトルの水をぶちまける。
「マジでどういうつもりなんだよ、お前は」
「いいからさー感想聞かせてよーねえどうよどうよどうなのよー?」
「……とても、やわらかったです」
「キメェー!!」
「いでぇ!!」
思いっきり頬にビンタがぶち込まれた。頬に一気に熱がこもりジンジンと痺れた感覚が広がっていく。踏んだり蹴ったりだ。なんで俺がこんな目にあわないといけないんだ。
「お前さ」
「マオ」
「あ?」
「マオ。あーしの名前」
「あー……はいはい。マオね」
「おじさんは?」
「俺? 直樹」
「なおきおじさん。見た目通り真面目そうな名前だねー」
マオはまたキャッキャと笑った。
「実験成功ってどういう事だよ」
「あー聞こえてたんだ。あれよあれ、ちょっとしたイジワルっていうか遊び」
「遊び?」
「ほら、なんてーの? 真面目そうな奴にさ、ちょっと悪い事させてやろって感じの、ほら」
「魔が差す、か?」
「あーそれそれそれ!! それをさ、試してみたの」
「……わけわからんが」
マオが言うにはこういう事だ。
満員電車の中、あからさまにチャラついた淫らな恰好をした女子高生がいたとして、いかにも真面目そうに生きてきた大人を、イケナイ事に巻き込んでやろうという事だ。
そして俺はまんまと彼女の罠に嵌った。いわゆる”魔が差した”という感覚で俺が犯してしまった彼女への痴漢行為は、いわば彼女自身が人為的に引き起こしたものだということだ。
「つーまり、あーしがなおきおじさんに”魔を差させた”ってわけ」
彼女の実験とは、この事らしい。
「昔っからさー、なんかそういうの出来るっぽいんだよねーあーし」
「そういうのって?」
「誰かをイケナイ事に巻き込むの」
「とんでもねえ悪魔じゃねえか」
「人間なんてクソクソのクソ。悪魔の方が楽しいよ」
腹の底に冷えた感覚が戻る。
マオの尻をつかんだ瞬間、その手を彼女に掴まれた瞬間、そしてその時「ちょっと降りてもらっていいですか?」と彼女に真顔で言われた瞬間。
人生の終わりを肌身で感じた。一気に血の気が引き、全てが崩落する絶望感。自分の愚かさを呪いに呪った。
だが、俺は終わらなかった。
マオに掴まれたまま、俺は今いる公園に連れていかれた。そして現在に至っている。
真面目に働き続けた会社を仮病で欠席する事は心苦しかったが、痴漢犯として恥を晒す事に比べればマシなものだ。そうしてほっと胸を撫でおろしていた。
「なおじぃ」
「な、なおじぃ?」
「なおきおじさん。略してなおじぃ」
「ジジイじゃねえかよ」
「LINE教えてよ」
「は?」
「ラ、イ、ン.いくらおじさんでも知ってるっしょ?」
「ああ、まあ」
「はい、携帯貸して」
「いやおい、やめっ……!」
マオは無理矢理俺のポケットをまさぐる。危うく彼女の手が男のゴールデンな部分に触れそうになり冷や冷やする。
「はい、ロック外して」
「……」
「ほら、早く」
「……」
「あーーーーーこの人私のおし――」
「わかったわかったわかった!」
慌てて俺は携帯のロックを外す。俺はまだこの時、事の重大さに気付いていなかった。
「はい、あんがと」
携帯を突き返される。ぽこっと携帯が通知を知らせる。『マオマオ』と表示されたユーザーからスタンプが送られてきた。ゆるいウサギが鼻をほじっているバカにしたようなスタンプだった。
「じゃあ、また連絡するねー」
そう言ってマオマオは走り去っていった。
「え、おいちょっ……!」
また? またって何だ?
何故? 何の為に?
考えても分かるわけがない。故意に痴漢を招いた女子高生が考える事など、まっとうに常識の箱の中でしか生きてこなかった俺にそんなもの――。
一旦の絶望は回避した。しかし、終わってはいない。
ほんの一瞬差した魔。
俺は一体、どこまで引きずられるんだろうか。




