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堕散る鼓動は

 天気予報は、曇りのち雨。薄弱な日差しが、枯渇した花にかろうじて届いていた。淡色(あわいろ)の花びらは揺れ、雨を乞う。


 もうすぐ新一年生になる真里亜は、買ったばかりの折りたたみ傘を早く広げたくて、愛おしそうに窓の外を見上げた。


「真里亜、これなんてどうかしら」


 エリは、真里亜の足元に靴を並べる。ストラップが一本で、留め具がハートのもの。ストラップが二本で、留め具はシンプルなもの。立体的なリボンがついているもの。エナメルのものは艶々と輝いているし、底の裏にまで模様が施されているものもある。紺の制服に合うようにと、黒い靴ばかり並べられたが、どれもが魅力的で、どれもが真里亜を惑わした。それぞれに足を入れて、鏡の前に立ってみる。そのたびにエリと店員は、「これも可愛いわね」と同じ言葉を繰り返した。散々迷ったあげく、真里亜は、留め具がハートのものを選んだ。


 店員に見送られたエリが、「嫌だわ、そろそろかしら」と、天を仰いだ。先に店を出て待っていた真里亜の期待は膨らむ。


「おやつでも食べようか。なにがいい?」


 真里亜は辺りを見回して、交差点の角にある、ドーナツ専門店の名を口にする。歩き出してすぐ、エリは、すれ違いざまの男に気付いて、声をかけた。


「川岸さん、こんにちは」


「あ、どうも。その節はお世話になりました」


 川岸は、エリに会釈をしたあと、真里亜に向けて、「こんにちは」と笑顔で言った。真里亜も礼儀正しく挨拶を返す。


「奥様とお子様はお元気ですか?」


「おかげさまで、妻も息子も元気です」


「本当に良かったですね」


 川岸の妻は、難産で、母子ともに一時は危険な状態だった。川岸が必死に励ましていたのを、エリはよく覚えている。


「ええ、今はもうとってもやんちゃで。子供は本当に可愛いですね」


 言い終わるかどうかと同時。クラクションとブレーキ音が重厚に響き、そこにいた誰もが音の方向へ視線を向ける。爆弾が破裂したように、風が啼いた。


 トラックと自動車が衝突し、さらに歩行者を巻き込んだ。瞬間を、真里亜は見ていなかったが、心臓がぎゅっと締め付けられ、怖くなった。


 エリは状況を判断し、膝を折り、真里亜に言った。


「真里亜、今、助けなければならないひとがいるの」


「わかっているわ、ママ」


「ドーナツのお店にいて。待っていられる?」


「大丈夫よ。早く行ってあげて」


「もし、時間がかかりそうなときは、パパに電話をしなさい」


 真里亜が頷くのを確かめると、財布から千円札を取り出して、真里亜の手に握らせ、靴の入った手提げ袋を渡し、立ち上がった。


「よかったら、ついていてあげましょうか。こんな状況ですし、助け合いましょう」


 川岸の申し出に、エリは、ありがとうございます、と深く頭を垂れたあと、交差点の中央に駆けた。真里亜は靴をぎゅっと抱きしめた。ひとりでも大丈夫なのに。小さな胸は呟いた。川岸は人ごみを掻き分け、真里亜を誘導した。


 窓際の椅子に座った真里亜の前に、クリーム入りのドーナツと、オレンジジュースの乗ったトレイが置かれた。隣に川岸が座る。コーヒーの匂いに、真里亜は、エリがそばにいるような錯覚を嗅ぐ。ごつごつとして日に焼けた指がシュガースティックを掴むのを見て、現実に引き戻された。混ぜたコーヒーの湯気が螺旋を描く。その行方を真里亜は追った。大きい窓ガラスから街並みを見渡せるはずの景色は、野次馬たちの背中で遮られている。ただ、憂い色の雲が、より一層の暗さを纏っていることは見て取れた。

 普段は優しくて、おっちょこちょいだけれど、仕事のときは別人になる。きっとテキパキと処置をしている。真里亜は、母親の姿を思い浮かべて、ドーナツをかじる。


「立派なお母さんだねえ」


 川岸の言葉に、真里亜は嬉しくなる。


「マリアもね、ママみたいな看護師さんになるの」 


 雨が始まった。滴が花弁(かべん)を跳ね、ひとひらが落ちていった。潤うには遅すぎたのだ。



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