Meanwhile
「……始まったか」
夜も更け、人通りもすっかりなくなった住宅街。夜の闇の中から、一人の男が姿を現した。
切れ長の細目に、色素の薄い氷にも似た水色の長髪。異世界の神位魔術師として名を馳せる青年、サンファは、注意深く周囲の様子を窺うと、駆け出した。
人気の少ない通りを走っている中でも、遠くで感じる二つの大きな心素の激突に対する注意を欠かさない。いつ何時、何の拍子にそれが自身に向くか分からないのだから。
しかし、ようやく大きく動くことが出来る。サンファはこの二日ほどの潜伏期間を思い返した。
少年の自宅から己の杖を回収した後、サンファはとにかく身を隠すことだけに専念していた。
下手に行動したらすぐに気取られる。そう考えたサンファは、少年の家の程近くで人気も少ない場所にアタリを付けると、すぐにその場で気配を遮断させる魔法を全力で行使し続けた。
その甲斐あってか、今日まで少年にも、かつて召喚した武人にも見つかることは無かった。
用があったサンファが行方をくらませたとなれば、おそらく李は悠葉に自分を探させるだろう。しかしあの少年のことだ、いずれは反旗を翻すに違いない……サンファの読みは当たっていた。両者が全力で激突するこの時を待っていたのだ。
今なら、二人に気付かれずにもっと大規模な魔法を行使出来る。
そう、例えば、異世界転移の魔法のような。
息せき切ったサンファが辿り着いたのは、数日前に転移を果たした魔法陣のある、とある公園だった。
深夜の時間帯ということもあり、荒れた呼吸の魔術師以外に当然ながら人の姿は無い。
あれから数日経過し、見た目には魔法陣は残っていない。しかし、術を行使出来る魔術師が魔素を込めれば、魔法陣は再び起動する。
サンファは懐から、一つの指輪を取り出す。それは地球にやって来た直後、少年らに寄ってたかって奪われた、魔晶の魔素を込めた指輪の一つだった。少年が武人に敗れたあの時、去り際に気絶した少年の傍らから奪い去ってきたのだ。
生憎一つしか確保できなかったが、首輪の呪縛から解放された今、自分の内在する魔素も含めれば、どうにか異世界転移片道分には足りる筈。
呼吸を落ち着け、魔法陣を起動させる。金色の光が少しずつ溢れ出る中、サンファはふと己を縛り続けた首輪のことを思い返した。
……この首輪、思っていたより遥かに構造が単純だった。自分でやったことながら、まさか数日足らずで自由を取り戻せるほど解析出来てしまうとは。
そうだ、あの月の魔道工房の開かずの間。何度試しても解析出来なかった、あの心因魔法陣の方がずっと複雑――
「ッ!?」
あと数秒で魔法陣が完全に再起動する。そんなタイミングで、公園に轟音が鳴り響いた。
反応する間もないほどの猛スピードで、空から何かが落下してきたのだ。
丁度砂場にでも落ちたのか、辺りにもうもうと煙が立ち込める中。
様子を窺うサンファに向かって、煙から一つの影が飛び出してきた。
咄嗟に魔法陣への魔素出力を中断し、杖で何者かの激突を受け止める。
「――今ッ度こそ! 見つけたぜェえええええ!!」
「っ、お前……!」
浅黒い肌と、剥き出しの壮健な身体。逆立った鶯色の髪。
神位魔術師、破天風来。ジフ・ハーシュノイズ。
「ハッ! テメェならきっとアイツらのやり合う中、コソコソ動くに違いねえと思ったら案の定だ! さあ覚悟しな、俺をスキに操りやがった借りを、そのツラに返してやるからよォ!!!」
「チッ……!」
今にも異世界転移出来そうだという所だったのに、間の悪い!
野生の獣染みた嗅覚でこの瞬間をかぎつけた執念深さに辟易としながら、サンファは大きく杖を振ってハーシュノイズを押し戻す。
その身を取り巻くように、砂と石が中空に舞い始める。
「お前にかまってやる時間は無いんだ……!」
「へェ……マジじゃねーか」
その様子を見たハーシュノイズはニヤリと笑うと、自身の周囲に風を雷を集め始めた。
「いいぜ、ノってやる!!」
応えた青年の叫びと同時。両者の身体が琥珀と黄緑の光を発し、それぞれの身体に岩石と風雷を凝縮させた。
光が失せる。
その内側に立つ、二人の青年の声が、意図せず重なった。
『神装神衣――』
「――心魂奏者!」
「――破天風来ッ!!!」
互いの肉体を神代の装いに変えた二人は、刹那より短い一瞬、互いを一瞥したのち。
「…………」
「ハッ!」
その拳を激突させた。




