夜と共に駆ける者①
パ、キィィン……! と、目に見えないガラスのような何かが砕け散った音が、確かに俺の耳に聞こえた。
それと共に、左の握り拳を貫いていた夜色の短剣が解け、眼前の少女へと吸い込まれる。
銀白の少女……ディアナは、見つめていた俺の右手を、自身の両の手でそっと包み込んだ。
「……申し訳、ありません」
「いいよ」
「なんと御詫びしたら良いか」
「だーから、気にしないでいいって。それより、忙しなくて悪いけど、さ」
「……はい」
「いけるだろ? ディアナ」
「はい、マスター」
「マスターの、御心のままに――!」
――ディアナの身体が夜色の帯へと解ける。
頭上へ向かった帯がくるりと反転し、伸ばした俺の右手で集う。
形を成すは剣。
いくつもの強敵を、苦難を共に乗り越えた、相棒の頼もしい姿。
『――魔装形態、夜剣への変換を完了しました』
「じゃあ……行くぞ!」
『はい、マスター!』
その短いやり取りを最後に、俺は地面を蹴った。
――有り得ない!!
神位魔術師心魂奏者サンファは、目の前で起こった出来事を受け入れることが出来なかった。
響心魔装の根幹に組み込まれた支配術式が、たった二、三の言葉だけで、跡形も無く砕け散っただと!? この心魂奏者が施す術式が、そんな紙切れ一枚にも劣るような脆弱なものの筈がない!
先ほど告げた、人格の上書きという表現は比喩ではない。ただの純然たる事実だ。
術者であり使役者である自分が魔装の真名を呼ぶことで発動し、それまで魔装が有していた人格を書き換えるのだ。書き換えられる人格は、当然自分の命令に忠実な兵士となるようなそれに変わり、上書きであるが故にそれ以前の人格は跡形も無く消え去る。
何より肝となるのが、発動の基幹にあるのが、その魔装の真名であるという点。
名という、遍く全ての者の根底に刻まれた概念。そこに干渉するこの術式は、絶対不可避・防御不能の強制力を有する。これに抵抗できる者がいたとして、それは精神操作や心理掌握に長けた神位魔術師である、自分くらいのものなのに――
そこまで想定し、唐突にサンファは理解する。
あの少年が叫んだ、『ディアナ』という単語。
前後の文脈から、その単語があの魔装を指す呼び名か何かであることは察せられた。
もしも。その呼び名があの魔装に、その周囲の人間に、それ以外に彼女を形容する名は無い、というほどにまで浸透していたとしたら。
もしも。主からの呼びかけが生命回路を通して魔装に伝わり、魔装が所持していた心核に干渉……心核に残された、その呼び名であった自身の記憶を、魔装へ揺り起こしたとしたら。
もしも。それだけに止まらず、何故かもう一つ残されている少年自身の心核からも、魔装に対して何らかの干渉を行っていたとしたら。
外と内から。あの少年の心素が、二重の効力をもって術式に影響したとしたら――
それらの仮定の答えは、既にサンファの眼前に現れていた。
魔装形態たる漆黒の剣を右手に握る、少年の姿という形で。




