召喚特典と世界間差異⑩
「ムリムリムリムリ! 早すぎるわあんなん!」
全力疾走している俺の背後スレスレに飛来し続ける間髪の無さ。スタミナ、もとい魔素切れを考慮した攻撃ペースとは思えない。
放たれた水球の数も三十は越えているだろうか。これはあいつの標準的な攻撃と考えた方がいい。
であるならば、やはりここは身を隠すのが第一だ。
より一層気合を引き締め、俺は走りに専念した。竜の姿は視界の端に納めつつ、全速力で駆ける。
心無しか、背中の方で響く爆音が遠ざかったような気がする。
木々の中から突き出ている、さっき探索した診療所のような施設の三階部分を目に捉える。今いる場所からそう遠くない。もう少しだ。
ごく僅かな間とはいえ、精魂込めた全力疾走は、俺の体力を全力にふさわしい速さで奪っていった。
だが、この調子ならギリギリ間に合う。一度森の中に入ってしまえば、あの水棲生物の体だ。木々を分け入ってまで追いかけてくることはないだろう。あとはほとぼりが冷めるまで、あの施設の三階から様子を見張っていればいい。
そう確信した俺は、額を流れる汗もそのままにスピードを緩めることなく走った。
地球にいた頃では考えられないような集中力だったかもしれない。
強いて言うなら、ルナちゃんのコールのタイミングを暗記するときや、グッズ保管のためのスペース確保や加工に苦心しているときくらいか……あれ、結構あるな。
なんてことを考えていたから、俺は全く気付かなかった。視界の隅に『その光景』を認識しているにもかかわらず。
ほんの少し耳を澄ましていれば、背後で絶え間なく炸裂していた水球の音が聞こえなくなっていたことに気付いたかもしれない。
ほんの少し目を向けていれば、首長竜が新たな攻撃を繰り出す準備をしていることに気付いたかもしれない。
そして、竜の額を注視していれば。
奴の額で発光する水晶のような物体に……湖水全体から魔素を吸い上げて吸収する、正四面体のような形の……魔晶がそこにあることに、気付けたかもしれない。
だが、俺はその全てに気付くのが遅すぎた。
施設のある斜面の前まで辿り着き、急ぎ林の中へ方向転換しようとした俺を、首長竜の魔晶が放つ光が包む。
明らかな異常事態に竜に向き直る俺。そこで初めて竜が水球を放たなくなっていたこと、竜の額に吸い込まれる魔素、魔素を取り込む水晶の存在に気付く。
(まさか、アレがましょ――)
そこまで思考した直後、首長竜が首を前に突き出し、口を大きく開いた。
同時に、竜の口腔から、絶大な量の水が一本の巨大な柱となって撃ち出される。
水柱は一個の意志を持った塊のごとく俺へ飛来し、たやすく俺の全身を包み込んだ。
強い衝撃を擁する勢いそのまま、怒涛の奔流は施設の壁を打ち砕き、俺の視界は暗転した。




