おやすみ、世界
「……なに、してるの」
むんず、と腕を掴まれて目を瞬く。
薄らとしか開いていない目で見据えられ、軽く首を傾けながら「帰る支度、ですかね?」と答えた。
「なんで……?」
「何で?え、今日も打ち合わせあるから?」
「……まだ、あさじゃないから」
「え」
「朝、じゃないから」
だから、もうちょっと、なんて、どこまでも輪郭のボヤけた口調とは対照的な力強さで腕を引かれ、抱きすくめられ、つい先刻まで居たベッドの上に逆戻り。
背中越しに感じる暖かさだとか、ボク自身も使っている慣れた柔軟剤の匂いだとか、そんなものに絆されそうになる。
勿論、ハッと我に返り、慌てて首を横に振った。
ちょっと、ねぇ、起きて、崎代くん、変わらない腕の力に苦戦しながら、何とか向き合う形に移動することが出来る。
既に規則正しい寝息が聞こえており、その癖力は変わらないのだから、何という執着。
浅く息を吐き、枕元に置いてあった崎代くんのスマートフォンを掴む。
五時、十分。
確かに朝と言うには早い時間かもしれない。
故にこそ、この時間は早朝と呼ばれるのだろう。
だがしかし、それでも電車はとっくのとうに動いており、それになんと言っても現実、今日は平日である。
ボクは仕事の打ち合わせがあり、崎代くん本人も昼前から予定と言うか用事というかがあると言っていた気がするが。
一体どうなのだろうか、とぎこちなく首を捻る。
「崎代くーん、朝ですよー。起きて下さーい」
「……」
「……遅刻したら崎代くんのせいにしよう」
遮光カーテンの隙間から差し込んでくる僅かな光へと視線を向けながら、打ち合わせの時間に間に合うように、起床時間など諸々を逆算し始める。
しかし、打ち合わせと言っても自由業みたいなもので、割とフリーというか、マイペースなので、まあ、多少打ち合わせに遅れようが後日になろうが支障はほぼ無い。
ただなあ、見本本刷り上がったって言ってたしな、とも考える。
新作の小説が刷り上がったともなれば、自分自身のものでも、やはり楽しみなのだ。
故に、後で起きた時、どうしてあの時起きておかなかったのか、そんな後悔をする事は、分かり切っていた。
だと言うのに、現在進行形で、それでもまあ良いか、なんて思わせてくるなんて、罪深い話である。
そんな罪作りな崎代くんは、太陽色で線の細い髪を枕の上に広げ、規則正しい寝息を立て続けていた。
せめてもの仕返しとして、少女のように愛らしい童顔に似合わない、広い背中へ手を回す。
内臓を絞り出すようなイメージで腕に力を込めて引っ付けば、一瞬寝息が止まった。
その割に心拍音はブレることなく、その心音に混ざるようにボクも微睡んだ。