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透明CI  作者: 彩ぺん
11/20

Q教室で泣いている A声を掛ける

広がる高い空にぽつぽつと浮かぶ可愛らしい羊雲をぼんやりと数える。





そうでもしないと昨晩の出来事が脳裏を掠め、泣きそうだった。





家族4人がリビングに揃うのはおよそ1年振り。折角の日を壊したのは、久々に家に帰ってきた父親の一言なのか、母親のヒステリックなのか、兄の暴力か。それとも、気の利いた話の1つも口に出来なかった自分や紗子のせいか。





つうっと涙が頬を伝った。





俯くと大泣きしてしまいそうで、黒板を見つめる。泣き止まないと雪菜が心配するという気持ちと、話を聞いて欲しいという思いがごちゃ混ぜになってどんどん涙に変わる。





雪菜を待つから、とサカナと一緒に帰るのを断ってからもう1時間。そろそろ体育委員会は終わる筈だった。





ただ単に家に帰りたくなかった。ぐしゃぐしゃに荒らされた惨状を見たくなかった。母の陰鬱な表情や妹の泣き顔。全部背を向けていたかった。





机に広げた参考書が濡れる音がする。





少しだけ上を向いて堪えてみた。





そろそろ帰らないと、雪菜と佐藤亮が教室に戻ってくる。目を擦ると瞼が赤くなりそうで、ぼんやりと前を見据えた。そろそろ立ち上がらないと。





ガシャ。





急な物音に体が自然と動いた。暗くなり始めた教室に入ってきた人影が1つ。





「悪い。」





声で、背格好で、誰だかすぐに分かった。思わず立ち上がって首を横に振った。





「大丈夫?」


「忘れ物して。」





ズレた机を直し、たまにする前髪を触る仕草をして、彼は自分の席へと向かった。教壇前の机の中を覗き込んでいる隙に、慌てて頬の涙を拭った。





「そっか。私はね、雪菜を待ってて。ほら、体育委員でしょ。懐かしいね、去年の委員会。」


「別に。」





ぶっきらぼうな響きだった。彼の背筋が伸びてこちらを向いた。また前髪を少し触って、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。こちらを見ず、俯き加減。無表情で何を考えているのか分からない。





「今年は、転ぶなよ。」





手を伸ばせば触れるくらいの距離で止まり、彼はそっと私の参考書を撫でた。





すらりと長い綺麗な、でも少し骨ばった指が濡れているところで止まった。





予想外の状況に心臓が煩い。聞こえたりしないだろうか。聞こえないで欲しい。





手を握って下ろすと、彼は前のイスを引いてに横向きに腰を下ろした。





「あのさ。」





膝に乗せた鞄に手を突っ込んでまさぐりながら、彼はまた小さく息を吐いた。それからゆっくりこちらを見上げた。





初めて見る表情だった。泣きそうにも怒っているようにも見える。





「泣いてただろ。」





見られていた。





雪菜が戻ってきて、私はまだ泣いていて、そうしたらどう誤魔化そうとか、相談してみようかと脳内でシュミレーションしていたけれど他の人が来るとは考えてなかった。





よりによって、彼。それに加え、想像していなかった行動と台詞に言葉が出てこない。





「俺、中原来たら帰るから。」





紺色のハンカチが差し出された。きちんとアイロンの掛けられた綺麗なハンカチは彼みたい。





私は座って両手を伸ばした。ほんの少しお互いの指が触れ、同時にビクリと固まった。





黒い瞳が困ったように揺れている。自分がそうだから、そう見えるだけだろう。急激に込み上げてきた衝動が、堰を切って溢れる。受け取ったハンカチを両手で握りしめたまま、彼を見つめていると、涙が頬を伝った。





「ありがとう。」





心配してくれた事が嬉しくて、私は泣き笑いした。声が震えて上手く出なかったのが恥ずかしい。





ふいっと横を向いて彼は鞄から英単語帳を取り出して開いた。





「別に。」





いつも出だしは同じ。多分、彼の口癖。何だか可笑しくて私は笑った。ぶっきらぼうで、他人に興味なさそうなのに、いつも優しい。涙が止まる。





「心配するだろ、誰でも。」





陶器のような滑らかな白い肌が、ほんのり赤いのは夕陽のせいだろうか。伏せた瞼から伸びる睫毛の影が大人っぽい。





いつまでもこの横顔を眺めて入られたらいいのに。





「ありがとう。」





下を向いたまま彼が小さく声を出した。英単語帳のページは同じまま変わっていない。





「あのね…。」





よくある話なんだけど、お兄ちゃんが引きこもりなんだ。それで昨日突然暴れて、家に帰り辛くて。





喉につっかえて、引っかかって言葉が出ない。





折角、こんな風に一緒に居られるのに辛気臭くなるのは嫌だった。





「羊雲凄いね。可愛いよなぁ。」





ハンカチを握りしめながら、窓の外へ視線をずらした。茜色の太陽に照らされた丸くて小さい雲の群れ。





灰色がかっているけれど、対比で橙色が輝いてみえる。





「そういう風に見えるんだな。俺は不穏な感じで嫌い。」





黒い瞳が夕焼けを映してキラキラ光った。同じ景色でも、感じ方は人それぞれで、試験とは違って正しい解答なんて無い。





嫌いと断言されて、ほんの少し悲しかった。同じ風景を、似たように感じられたら凄く嬉しいことだろう。





「そっか。」


「嫌いだったけど、悪くないな。」





再び手元に顔を戻した時、気のせいかもしれないけれど口角が上がっているようだった。





夏休みに、空に咲き誇る光の花束の下で見た表情が脳裏に蘇る。





あの日、あの時間、あの瞬間は世界がいつも以上に色鮮やかで輝いていた。





「今日、めそめそしてて得した。」


「は?」





賢輔君、貴方の微笑みを見れたから。と口にするのは気恥ずかしくて、でもどんな反応が返ってくるのかが知りたかった。勇気を振り絞れ。





「賢輔君が…。」


「あれ、ケンとサユ何してんの?」





意を決した台詞はかき消された。佐藤亮平がこちらに向かってくると同時に、彼が立ち上がった。思わず私も立ち上がった。





「優子ちゃん?」





不思議そうに顔を傾けた雪菜と目が合う。彼がチラリとこちらを伺った。





待ってたんじゃないのか、そんな視線が突き刺さる。





「待ってた。」


「は?何で、俺これから雪菜と。」





彼は友人の事を無視して、佐藤亮平の後ろにいた雪菜と向かい合った。彼の背中は数秒で反対に向いた。





「亮、帰るぞ。」


「おい、ケン。なんだよ。」





遠い背中がすっと遠ざかって、教室から出て行った。鞄を掴まれた佐藤亮が引き摺られるように続く。





「優子ちゃん。」


「あのね雪菜、私。」





返しそびれた、使わなかったハンカチを両手で握りしめて、近づいてくる雪菜に苦笑いした。





先程まで彼が座っていたところに腰を下ろして、雪菜は私を見上げた。





「私、優子ちゃんが話すまで帰らないから。」





左手首を捕まれ、力強い目がこちらを見据える。吸い込まれるように私は席に着いた。





「何で泣いてたの?」





教室を出る前に、彼が雪菜に何か告げたのか。





「何で…。」





どこから説明して良いのか分からなくて、早く帰らないと暗くなる。手短にしないと。





「家族が喧嘩して、帰り辛くて。久々に集まったのに。」





先程までの緊張と嬉しさが、あっという間に冷えていく。ゆっくり話さないと声が震えてしまう。





今朝の荒らされた誰もいないリビングが瞼に浮かぶ。引いたはずの涙が押し寄せてきて、しゃくり声でごめんと呟くのが精一杯だった。





暫く何も言えなくて、ただ泣いていた。雪菜は黙って手を握ってくれた。





落ち着いてきて顔を上げると雪菜は真剣な顔つきをしていた。





同情しているような目ではない、何か考えているような瞳が私を見つめる。





「お泊まり会しようよ、優子ちゃん。私のお母さんから優子ちゃんの家に電話してもらって。沢山話そう。お家の事もサトケン君の事も。」





頭を撫でると、雪菜が私の鞄を持って立ち上がった。





「でも急だし。」


「ちょっと待っててね。」





私の鞄を持って行って、雪菜が教室から出て行った。見えないところで親に連絡をする気遣いだろう。





一見大人しそうなのに、こういう強引なところが好きだ。自分にはない積極さ。雪菜に惚れた佐藤亮平は見る目がある。





「よし、優子ちゃん行こう。」





手招きされて、私は雪菜の所へ向かう。鞄を受け取って廊下を歩き出した。





暗い廊下はしんと静まり返っていたけれど、心細くなかった。





昇降口で彼と佐藤亮平が待っていた。雪菜も予想外だったようで、2人ともぽかんと口を開けた。





「ほら、意外に早く来ただろ。」





肘で押されて、不機嫌そうに佐藤亮平を見上げてから彼は俯いた。ポケットに手を突っ込んでドアに寄りかかっている姿は、いつもきちんとしている彼とは違う雰囲気。初めて見るので新鮮だった。





「雪菜、サユ、帰ろうぜ。」


「どうしたの。亮君、サトケン君。」 「もう暗いから、駅まで一緒にと思ってさ。最近危ないだろ。」





照れくさそうに笑う佐藤亮平の隣で、不機嫌そうにしている彼がドアから背中を離した。





自然と前を雪菜と佐藤亮平が並んで歩いた。必然的に彼と横並びになる。





前の2人は少し言い争いをした後、仲良さそうに談笑を始めた。対照的に無言で足を進める私と彼。前の2人と少しずつ距離が出来ていく。





「ありがとう。綺麗だね、夕焼け。」





雲の影が暗いけれど、隙間に光る空が眩しいように感じる。





「そうだな。」


「上を向いて歩こうって歌、知ってる?」





父親が好きで、幼少の頃によく口ずさんでいた。不意に思い出して、何気なく口ずさんでみた。





上を向いてあるこう。





「坂本九だっけ。」


「うん、上を向いたら、こんなに綺麗な景色が広がってるから元気が出る。下を見ないで歩こうって素敵な歌詞だなって。」


「そっか、無理するなよ。」





困ったような視線が、どうしてだか柔らかくて温かく感じた。





教室での事もそうだけれど、こんな風に話をしたことが無かったから動揺してしまう。





いつも不愛想で、つれなくて、1度もメールの返事をくれない。





でも、いざという時は優しい。





私は彼の顔を直視出来ず、顔を背けて赤々と燃える沈む夕陽を見上げた。





無理してなどいない。考えないようにしているだけだ。嬉しいこと、楽しいことに目を向けた方が豊かな人生ではないだろうか。





昨日の事で悲しむよりも、今彼と並んで歩いている事を喜ぶ方がずっと良い。





返事をできないでいると、前髪を撫でつけて、空を見上げてから彼が沈黙を破った。





「古い曲、好きなんだな。」


「好きというか、お父さんが好きでよく歌ってたんだ。たまに思い出すの。」





父の事を思い出し、また暗い気持ちになった。ここ何年か仕事が忙しくて、顔を見る機会がすっかり減ってしまった父親。いや、明らかに家族を避けている。





母親に詰られ、怒鳴られ、家に寄りつかなくなった。その気持ちは痛いほど理解できるけれど、息子や娘まで煙たがるのは解せない。





お前らが居なければ。





罵声が心を深く深く夕闇に沈めてしまいそうで、私は更に上を向いた。





「なぁ、これ。」





彼が止まったので、私も足を止めた。アスファルトの割れ目から黒紫の花が伸びている。小道の脇は色とりどりのコスモスが咲き乱れる空き地。





いつも、話しながら歩いているので


今年も咲いているのに気に留めていなかった。





「珍しいな、このコスモス。黒い。」


「これ、コスモスなの?」


「多分。」





2輪だけ寄り添って咲く花は、確かに他のコスモスとよく似ている。少し花びらが大きいだろうか。





深紅というのか、少し黒紫っぽくも見えるその花は、近くに咲き乱れる淡いピンクのコスモスや赤いコスモスとは随分違って見える。





大人びていて、儚げ。けれどもコンクリートを突き破り生き生きと咲いている。





「下を向いてもいい事あるだろ。」


「うん、そうだね。」





この台詞を伝えたくて、きっかけを探していたのかなと考えると、くすぐったくて、らしくなくて、胸が熱い。





彼は花を見つけて足を止めるような性格ではないはずだ。現に言い終わるやいなや、すたすたと歩きはじめている。





携帯電話で見ていたコスモスを撮影するともう一枚撮って、私もすぐに後を追った。







上を向いて自分を鼓舞する。雲ひとつない、星の瞬く綺麗な空。





どうしてこんな事になってしまったのだろう。寒さと悲しみで震えが止まらない手で携帯電話を握りしめた。





警察はもう到着したのだろうか。自分や家族はどうなるのか想像出来ない。確かなのはヒビ割れではなくついに崩壊してもう元には戻れないという事実。





こんな真夜中に雪菜や他の誰かの所へなど行けるはずも無い。でも、もう2度と家の前で警察官を待ちたく無かった。





無意識のうちに、終電に乗り込み学校へと向かっていた。





友達がいる、彼がいる、私の唯一の居場所。





彼とまた会いたい、そう感じたら一歩前へ進まないでいられるだろうか。この手を離さないでいられるだろうか。





携帯電話を開いて待受を眺めた。





あの日、2人で見た黒いコスモス。


調べてみたら黒いコスモスはチョコレートコスモスという種類で、大正時代に日本に渡ってきたけれど野生の原種は絶滅したらしい。





次の日に確認したら、ピンク色のコスモスに紛れるぽつぽつと散乱した赤いコスモスとよく似ていた。夕焼けで錯覚したのだろうか。





苦いのにほんのり甘くて、癖になる、そんなビターチョコレートのような珍しい色のコスモス。





画像として残っている。それで充分だ。その横に並べた彼の後ろ姿。





悴む指で携帯電話を操作して、意を決してボタンを押した。呼び出し音が鳴り続ける。





お兄ちゃんごめんね、私は…。


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