第一章:迷子の蕾3
容赦なく、吹き付ける北風に思わず、身をすくめた。
マントを着ているルカに引きかえ、私は、薄手のワンピース一枚だ。
さっきまでは、広間が暖かかったから、気が付かなかったけれど、どうやらこちらの世界は、冬らしい。
もしくは、寒い地方?
「お前の唇が、紫色だぞ。」
私の様子に気が付いたルカは、私の手を引いて、城の中に戻った。
誰もいない一室に入ったルカは、奥にある暖炉に火をつけた。
パチパチという音と共に、暗い部屋にほんのりと明かりが灯る。
ドアの鍵を閉めたルカが、暖炉の前に座り込んでいる私の隣に腰を下ろした。
「聞きたいことが、たくさんあるの。ここは、どんな世界なの?ルカ、あなたは、何をしている人なの?ハリネズミと人間、どちらが本当の姿なの?どうして、二つの姿を持っているの?この世界では、それが、普通なの?」
まずは、頭の中に次々と思い浮かぶ質問とルカにぶつけた。
「まいったな。何から話そう。」
短い沈黙の後、ルカは、困惑したように頭を掻いた。
「とりあえず、この世界についてだけど、質問をもう少し具体的にしてくれない?」
ルカのいうことは、もっともである。
抽象的すぎた。
私だって、元の世界のことをどんな世界って聞かれたらなんて説明すれば、いいのか分からない。
ルカは、私の世界を何も知らないわけだし、比較できない以上当たり前のことだ。
「う〜ん。じゃあ、世界地図とか持っている?」
「ああ。これ。」
そう言うと、ルカは、古びた紙切れを胸元から取り出すと、床に広げた。
「大きい方が、南大陸。今、俺達のいる大陸だ。小さい方が、北大陸。寒いから、人がほとんど住んでいない不毛の地だ。」
ルカは、円を交互に指した。
「南大陸の西側は、大国レルガ帝国が、ほとんどを占めている。今俺達がいるのも、このレルガ帝国の東にあるチェルデモンネという町だ。大陸の東側は、幾つもの小国がそれぞれの国土を統治している。俺も東側は、あまり詳しくないから、なんとも言えないけれど。」
ルカは、赤い×印がたくさんついた部分を指差した。
「えっと、私達は、これからどこに行くの?」
「とりあえず、帝都のアマルガに行こうと思う。図書館もあるし、大陸一情報が集める場所だからな。」
ルカは、レルガ帝国の中心を指しながら、言った。
「ありがとう。少し、分かった。」
「次は、俺が何をしているかだっけ?」
「うん。」
「俺の仕事は、ある人を探すことだ。そのためにもう長いこと旅を続けている。」
「ある人って?」
「俺もよく分からない。名前も顔も知らないんだ。」
「どういうこと?!じゃあ、どうやって探すの?」
ルカの言葉にあきれた私は、声を上げた。
奇妙なことばかりで頭が、パンクしそうだ。
「いや、出会えば分かるらしい。この仕事を命じた方が、そうおっしゃっていた。」
そう言いながらも自信なさげなルカを見ていて、彼自身も戸惑っているのが、伝わってきた。
それでも、忠実にこうして探し続けているルカは、その仕事を命じた人を心から信頼しているのだろう。
「俺の探している人は、誰もが、惹かれずにはいられないそうだ。」
「皆が、その人を好きになるってこと?なんだか、私のお姉ちゃんみたい。」
「お姉ちゃん?姉がいるのか?」
「うん。ちょっと、勝手なところもあるんだけどね。やっぱり、嫌いにはなれないの。」
柊君の隣で幸せそうに微笑むお姉ちゃんを思い出した。
お姉ちゃんと出会って、お姉ちゃんを好きにならない人なんて一人もいなかった。
奔放で身勝手なところさえもお姉ちゃんにとっては、長所だった。
「ちょっと、分かる気がする。家族って、そんなものじゃないか?」
「ルカの家族は?」
「血のつながった家族はいない。でも、俺を育ててくれた大切な人がいるんだ。彼女が、俺の家族だ。」
オリーブ色の瞳に温かな優しさが、浮かんだ。
「そっか。きっと、素敵な人なんだね。」
そう言って、笑うと、ルカが、少し驚いた顔をした。
「なんだ。そんな顔を出来るんじゃないか。」
「そんな顔って?」
「笑顔だよ。いい顔だ。」
不細工には変わりないけどなと付け加えながら、ルカは、喉で笑った。
「一言多いよ。ルカこそ、ハリネズミの時は、人のこと言えないじゃない。さあ、話してもらうわよ。」
頭にきたので、わざと勝ち誇った声でルカに迫った。
ルカは、観念したというふうに両手を上げた。
「最初に言っておくけれども、俺は、れっきとした人間だ。ただ、ちょっと変わっているだけなんだ。」
その瞬間、ルカの姿が、ぱっと消えた。
「こうして、三十分ごとにハリネズミの姿になってしまう所がね。」
私の目の前に現れた小さなハリネズミは、まるでディズニー映画に出てくる動物みたいに器用に両手を胸の横で傾けるジェスチャーをやってみせた。
いわゆる、やれやれというポーズだ。
「じゃあ、どうやって人間の姿に戻るの?さっきみたいに自力で出来るの?」
さっき突然、私の目の前に現れたルカを思い浮かべながら、尋ねた。
「自力じゃない。さっきのは、お前のおかげだ。」
ルカは、小さな体をごろりと転がしながら、答えた。
まるで本物のハリネズミだ。
まあ、見た目は、正真正銘ハリネズミだから、問題はないのだけれどね。
「どういうこと?」
「塩だよ。俺は、塩を浴びると、人間の姿に戻れるんだ。さっきは、お前の涙のせいだ。」
「し、塩?」
水なら分かるけれど、塩って・・・マニアックじゃない?
「ああ。持ち歩いていた塩も底を尽きてしまったから、困っていたんだ。民家に忍び込んでも、さっきみたいに命を狙われるしな。まったく内陸に入ってくると、塩も手に入りにくくて不便だよ。」
「あ、汗とかは?涙より、塩分高そうだけど。」
「今は、冬だろ。誰が、汗なんかかくかよ。それに気持ち悪いよ。」
ルカは、心外だと、不満げな唸り声を上げた。
もっとも、私の耳には、金切り声にしか聞こえなかったけれど。
「そうだね。でも、ルカ。そんなに大変なのにどうして、私に協力してくれるの?」
さっきから、不思議に思っていた。
突然現れて異世界から来たなんていう私のことをルカは、どうして信じるんだろうって。
ルカは、しばらく私を見つめていたけれど、やがて口を開いた。
「俺のことを信用していないだろう?」
あまりにもあっさりと自然に出たルイの言葉に、私は、息を呑んだ。
「ど、どうして・・・」
声が、震える。
湧き上がる感情のせいで、視界が滲んだ。
ポタリ。
一筋の涙が、流れ落ちて、ハリネズミの鼻の上に落ちた。
「別に責めているわけじゃない。」
穏やかな声と同時に私の目の前に現れたオリーブ色の瞳の少年は、私の頭を優しく撫でた。
「疑うのは、悪いことじゃない。右も左も分からないこの世界で、お前は、自分だけの判断だけで、帰る方法を探さなくちゃならない。俺は、こんな身だし、信用できなくて当然だ。だからこそ、きちんと話すよ。」
「わ、わたし・・・。」
なんて、言ったらいいのか分からなくて、私は、俯いた。
「理由は、今の所三つある。一つは、お前は、俺の命の恩人だからだ。俺は、お前のために何かしてやりたいと思っている。これは、本当のことだ。二つ目は、お前が、異世界から来たというのに興味がある。俺の探している人は、もしかしたら、異世界の人間かもしれないんだ。何か手がかりになるかもしれない。本音を言えば、俺の仕事にも役立ってくれるかもしれないと思っている。三つ目は、泣き虫だから。ご覧の通り、何かと不便な性質だ。お前に一緒にいてもらうと助かる。」
「結構自分本位だね。」
おかげですっかり涙も乾いてしまった。
「人間は、自分本位な生き物だよ。」
そう言ったルカの瞳は、何の迷いもなく、ひどく澄んでいた。
「ルカは、きっと正直な人ね。じゃあ、私も言うわ。私は、あなたについていく。信じているから、裏切らないでね。」
自分自身に言い聞かせているような気がした。
それでも、よかった。
元の世界に帰るために絶対に不可欠なものに気が付いた。
それは、私自身を信じることだ。