第一章:迷子の蕾2
「マンジャーレ・カンターレ・アモーレ!」
笑い声が、聞こえる。
みんな楽しそうに食べて歌っている。
私は、式場に帰ってきてしまったのだろうか。
ぼんやりと目を開けると、目の前には、キルトの壁掛けがあった。
「え?」
驚いて振り向くと、広間では、大宴会が、行われていた。
真っ暗でほこりっぽかったはずなのに、天井のシャンデリアに灯が灯っていて、長テーブルの上には、ご馳走が並んでいる。
目の前の光景が、信じられない私は、目をこすり、頬をつねった。
いくら目をこすっても状況は、変わらなかったし、頬は、じんじんと痛んだ。
異常なことは、他にもあった。
彼らが、喋っている言葉を私は、なぜか理解できた。
イタリア語に少し似ているが、聞いたこともない言語で、イタリア語もろくに分からない私に理解できるなんて、こんな不可解なことはない。
おしゃべりの内容から察するに、ここでも結婚式を行っているようで、テーブルの端に座っているカップルが、結婚したらしい。
「しかし、めでたい。今年は、新しい花の女王が、誕生する年だろう。もうすぐ、芽吹きの時期だ。お二人の門出としては、最高じゃないか。」
「そうさな。前の花の女王もその前もすばらしい花の女王ばかりだったから、きっと今回も良い女王になってくれるだろう。アンドレーア様とシモーナ様は、幸せなご夫婦になるぞ。」
「それでは、お二人の末永い幸せを祈って。乾杯!」
二人の酔っ払いは、ジョッキをカチンと合わせると、一気に飲み干した。
・・・酔っ払っているせいか、何を言っているのか分からない部分があった。
花の女王?芽吹き?
なんだそりゃ?
男の人は、酒を飲み、女の人は、お皿を持って忙しなく動いている。
どう見たって、異質な容姿の私の存在を気にも留めていない。
結婚式用に普段は着ないワンピースを着ているせいかもしれないが。
意を決した私は、さっきから何度も私の前を横切っている年配の女の人に声をかけた。
「あのお、ちょっとすみません。」
思った通り、私は、不思議な言語を話すことが出来た。
「なんだい、忙しい時に。」
「ちょっと、お尋ねしたいんですが、ここは、どこで、今は、何年ですか?」
「何言ってんだい。ここは、チェルデモンネ。今は、花聖暦4000年だろう。あんた、酒を飲んだね。まったく、子供のくせにどうかしてるよ。ぼーっと突っ立っていても邪魔だから、台所を手伝いな。」
おばさんは、早口でまくし立てると、私の腕をむんずと掴んでぐいぐいと厨房へ引っ張っていった。
チェルデモンネって、どこ?
火星暦って何?
てか、カセイって火星?
「ほら、これを運びな。ちゃっちゃとしなよ。忙しいんだからね。」
厨房に着くと、大皿を手渡された。
皿の上には、香ばしい鳥のローストが、乗っている。
よほど物欲しそうな顔をしていたのだろう。
「ちょっと、あんた。つまみ食いは、いけないよ。」
おばさんにしっかり釘を刺された。
広間に戻った私は、テーブルに空いている部分を探して、ぐるりと辺りを見回した。
皿は、重いし、こんなことしている場合じゃないのに。
やっとのことで、テーブルの端にいくらかのスペースを見つけた。
狭いスペースになんとか大皿を置いて、安堵のため息をついた時だった。
「きゃあ〜!」
広間に高い悲鳴が、響き渡った。
「ねずみよ。ネズミよ!」
悲鳴の聞こえた方を見ると、泣き叫んでいる女の人とその足下に小さなハリネズミが、チロチロと怯えたように這い回っていた。
すると、大男が、猟銃を片手に出てきた。
「泣くなよ。すぐに追っ払ってやるからさ。」
大男は、女の人に良いところを見せたかったのか、酔っ払って赤い顔で目の焦点が合っていないのにも関わらず、銃を構えた。
そんな酔っていたら、ハリネズミを本当に貫いてしまうかもしれない。
気が付くと、私の体は、勝手に動いて、ハリネズミに覆いかぶさっていた。
「なんだ、このガキ。」
頭の上で、男の苛立った声が、聞こえる。
「ご、ごめんなさい。これ、私のハリネズミなんです。」
私は、ハリネズミをワンピースのスカートの上に乗せると、一目散に広間を飛び出した。
とりあえず、城の外へと長い廊下を駆け抜けた。
誰も追いかけてくる様子もなく、なんとか城の外に出た私は、その場にへたり込んだ。
城は、高い木のうっそうと茂る森に囲まれていた。
城の周りは、ぶどう畑だったはずなのに。
やっぱり私は、異世界に来てしまったようだ。
びりっと、布の裂ける音に私は、驚いて下を見た。
ハリネズミが、ワンピースのレースに引っかかってもがいていた。
「わあ、ごめん。」
慌てて、レースを取り除いてやると、ハリネズミは、私のスカートの上から、這い出した。
「ねえ、私って、どうしてこんな世界に来ちゃったんだろう。」
あそこにいたくないって気持ちのせいかな。
鼻をヒクつかせながら、黒いつぶらな瞳で私を見上げるハリネズミ相手に私は、呟いた。
「確かにそうだったけど、こんな形で叶うなんて・・。」
視界が、涙でにじんできた。
「お前、異世界から来たのか?」
「そうよ。悪い?」
「本当に本当か?」
「だから、そう言ってるでしょ!もう何度も言わせないでって・・え?」
驚いて、顔を上げると、目の前に一人の男の子が、座っていた。
黄緑色の瞳は、鮮やかなオリーブを思わせ、肩まである癖のない黒髪を一つに結わいている。
薄汚れた茶色いマントを着て、皮のブーツを履いた装いは、いかにも旅人といったいでたちである。
呆然とする私を見て、男の子は、悪戯っぽく微笑んだ。
「さっきは、助かったよ。おかげで命拾いした。あいつの目は、見るからにヤバかったもんな。」
「何の話?」
「俺は、さっきのハリネズミだよ。お前に助けてもらった。その証拠にほら。」
男の子は、さっきハリネズミがしていたように鼻をヒクつかせた。
「嘘ばっかり。信じられないよ。私のことからかっているんでしょ?」
人が、落ち込んでいる時にそんな冗談言わないで欲しい。
「疑り深いな。ちょっと、待ってろ。ほら。」
そう言った途端、男の子は、姿を消した。
「え?」
何これ?
幽霊?
がたがた震えだした肩を抑えながら、私は、辺りを見回した。
うっそうと茂る森は、お化けなんかが出そうな雰囲気をかもち出している。
「どこ見てんだ。おい、こっちだ。」
下から、さっきの男の子の声がした。
良かった。幽霊じゃなかった。
ほっとした私が、声のする方を見ると、男の子の姿はなく、さっきのハリネズミが、鼻をヒクつかせながら、私を見ていた。
声は、明らかにハリネズミの口から発せられている。
「どうだ。これで分かったろ。まったく、折角元の姿に戻れたってのに。」
ハリネズミは、プンスカしながら、私を見上げた。
「涙なんて、そうそうって・・・お!」
ハリネズミは、うれしそうな声を上げると、私の膝の上に上がってきた。
一筋の涙が、私の頬を伝って落ちていき、ハリネズミの頭に落ちた。
「なんで、泣くんだ?」
質問と同時に男の子が、姿を現す。
「あ、安心して。」
しゃくり上げながら、なんとか答えると、男の子は、不思議そうな顔をした。
「なんで、安心するんだ?気味悪いだろう?」
「違うの。私、幽霊とか苦手だから。」
「変なやつだな。でも、泣き虫で助かったよ。おかげでこの通りだ。」
男の子は、うれしそうに言うと、立ち上がって、クルクルと回った。
おぼつかない足取りが、どうも不安を誘う。
「足で歩くのは、久しぶりだ。最近、塩が手に入らなかったからな。」
訳の分からないことを言う男の子を私は、涙目でぼんやり見つめた。
「お前、名前は?俺は、ルカ。」
「な、菜摘。」
「ナツでいいな。おい、ナツ。お前、異世界から来たって言っていたよな。」
そう言うと、ルカは、私の周りをグルグル回りながら、私を上から下まで観察した。
「知性はなし。はっきり言って、頭は良さそうじゃないな。美貌・・全く望みなし。顔は、十人並みだし、何よりこんなころころ太ってちゃまずいだろう。愛する心・・望みがあるのは、これくらいだな。期待できそうもないけれど。」
ルカのあんまりな言葉に頭にカーっと血が上るのが、分かった。
「ちょっと、黙って聞いていれば、何よ。失礼なことばっかり言って!」
「短気なのか。これじゃあ、全部アウトだな。」
ルカは、がっかりしたように肩をすくめた。
「何の話よ?」
「いや、こっちの話。別に気にしないでくれ。まあ、泣き虫ってだけでも価値ありかな。」
独り言のように呟いたルカは、今度は、いきなり私の方に向き直った。
「ナツは、元の世界に帰りたいか?」
「もちろん。」
「じゃあ、俺と一緒に来い。必ず、元の世界に帰すと約束するよ。」
ルカの真剣な眼差しのせいか必ずという言葉のせいか。
思わず、頷いてしまったことを私は後々何度も後悔することになる。