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第二章 遠い街から来た少女  (5) 


      5


 暗がりだが、車種はおおよそ確認できた。今年出たばかりの新型のバン。叉反のように胴体くらいの長さの尻尾を持つフュージョナーが乗るのはたいてい大型車だ。だから見覚えがあった。外見は汚れておらず、車高が高く、座席は少ない。車内のほとんどが空いていて、荷物が積み込めるようになっている。押し込まれた時、何かに足を引っ掛けた。ぶつかった感じからして、それなりに大きなものだ。おおよそ見当はついている。車椅子を乗り降りさせるためのスロープだろう。


 スピードを上げたバンが揺れる。叉反は床に顔を押し付けられていて、両側から二人の人間にがっしり押さえ付けられている。対面にも、おそらく二人いる。車に押し込まれた際に聞こえた足音は四人分だったからだ。目隠しをされる前に見えた人数は六人。残りは、前の座席だろう。


 揺れがひどい。油断すると吐きそうだ。だが、肩を上から押さえられていて、身動きが取れない。尻尾は床に押し付けられた時に何かを注射されて、それから力が入らない。時間が経てば、薬品は全身に回ってくるだろう。抵抗は無駄だ。少なくとも、肉体的な抵抗は。

 車の動きに意識を集中する。徐々にだが、左へカーブしていっている。出発地点から考えれば、正木区の方角か。


 目隠しが邪魔だ。叉反を押さえつけている奴らの格好は、捕まる前のほんの一瞬に見えた程度だ。フュージョナーかも普通人かもわからない。情報が足りない。

「相談があるんだが……煙草を吸わせてくれないか」

 足りないものは引き出すしかない。姿のわからない敵に向かって、叉反は続ける。

「一服したいんだ。さっき尻尾に打ったのはクスリだろう。ガハロンか、テラックソスか。筋肉弛緩剤だな。頭がぼうっとするんだよ。頼む」

「黙れ」


 くぐもった声が恫喝する。叉反は内心ほくそ笑んだ。無反応では取っ掛かりもないが、鉄仮面の下の口は動くようだ。

「俺はクスリには少しばかり詳しい。昔は多少、道に外れた事もしたからな。なあ、俺がまともな口を利けなくなったら困るんじゃないか。君らのボスのカブラカンは、俺から話が聞きたいんだろう? クスリなんか打って本当に良かったのか?」

「黙れ!」

 前方から固い物で頬を殴られる。(じゅう)(しょう)だ。殴られた感触でわかる。少なくとも一人は自動小銃を持っている。右前方にいる人物だ。

「導師がお前を裁く。罪人め。生きていられる最後の時間を噛みしめろ」

「いい台詞だ。生きていられる時間ね」

 殴られれば多少吐き気も失せる。あとは煙草だ。吸わなきゃやっていられない。


「君らの導師とやらに俺を裁く権利はないが……まあ、命綱を握られているのは確かだな。なあ、生きていられる最後の時間に、最後の一服もさせてはくれないのか。君らの信じている神様は、そんな無慈悲を許してくれるのか」

「我々は皆罪人だ」

 別の誰かが答えた。足で押さえつけられた肩――左肩のほうから声がした。

「生きていれば、誰かを傷つけてしまう。そこで罪を自覚出来れば良いが、罪を自覚出来ないものは、その後も無自覚に人を傷つけるだろう」

 話が繋がっていない。せめて、顔が見られればな、と叉反は皮肉に思う。どんな顔をして、こんな繊細な話をしているのやら。

「俺は今のところ、傷つけられた側だが……」

「違う! お前が人を傷つけるような人間だからだ! 人を傷つけた事に無自覚な人間だからだ! だからお前は今苦しめられている!」


 再び、銃床の一撃が頬を襲う。口の中に血の味が広がる。殴られるのと同時に、右肩に載せられた足が、ぐいっと動いていた。殴っている奴と、叉反の右肩を押さえ付けている奴は同じだ。

 ちょっと想像を修正しなければならない。つまり叉反を押さえ付けている二人は、前方にいるのだ。バンは大きいとはいえ、成人男性が立ち上がれるほどの高さはない。つまり、前方の二人の体勢は座席に座っているか、屈んでいるかだろう。叉反を押さえ付けるために力を入れているから、相当前屈みになっているはずだ。

 周囲の状況は、叉反の想像とは違った。叉反は、後方に二人いて、その二人が自分を押さえ付けているのだと思っていた。だが、実際に位置がはっきりしているのは前方の二人だけで、今、叉反に接触しているのも前方の二人だけだ。


 ほかの二人はどこにいる?

「我ら鉄仮面党は罪に無自覚な者どもを殺す」

 左上から声がする。

「それは罪を償うため。罪人の芽を刈り、種を潰すため。この世から悪を消し去るため」

「お前のような悪を、だ」

 憎悪の籠った声が右耳に届く。


 俺が一体何をした? という問いは、もはや無意味だとわかっていた。こいつら鉄仮面党が憎んでいるのは叉反ではない。この世の悪それ自体なのだ。彼らの教義は憎悪と怒りに根差している。だから彼らがそうだと判断すれば、誰しもが彼らにとっての悪なのだ。ヒステリックで暴力を武器とし、悪を憎む集団。自分達が正しいかどうか、ではない。悪を許さず、殺したいというのが彼らの宗教なのだ。


「俺が悪だというのなら、何故今俺を殺さない? どうして手をこまねいているんだ?」

 挑発気味にそう言うと、右肩の付け根が途端に痛む。右肩を押さえ付ける足に力が込められているのだ。

「だから! さっき言っただろう! 裁くのは導師だ!」

「自分一人じゃやれないって事か。こんな目隠しされて両腕も使えない男を? そんなんで、よく悪の芽を刈るだの何だの言えたもんだな」


 右上で息を呑む気配がした。人が怒りを爆発させる寸前の呼吸。車体の揺れがひどい。ぐぐっ、と。力が右にかかり――

「この悪党が――っ!」

 緩やかなカーブで車体が傾く。肩を押さえ付けていた足が、一瞬浮いた。

 今だ。

「ぐっ!」


 広背筋と腰に力を込め、叉反は車体のぐらつきに合わせて体を横に転がした。肩を押さえ付けていた足が、両方とも体から離れる。大きな物音とともに、叉反の前方にいた男達が呻き声を上げた。叉反の体は横向きのままバンの中を転げ、何かにぶつかってストップする。ドア、ではない。これは座席だ。空間を空けるために畳まれた座席。そうだと判断した瞬間、叉反は拘束された両腕を動かした。どこか、どこかに引っ掛かれば――!


 ガッ、と固く擦れる音。結束バンドの結び目が何かに引っ掛かる。力を込めて、腕を引っ張る。前方に。次の瞬間、ブチ、と音がして、両手が自由になる。

「ふっ――」

 目隠しを取る。頭を打ったらしい二人の鉄仮面党員が、まだ床で呻いていた。案の定、一人は自動小銃を持っている。どちらも、普通の人間ようだ。だが、今はそんな事に構っている場合じゃない。自動小銃を持っているほうの顔面に拳を浴びせ、銃を奪い取る。

 ――バチバチバチ。


 背後で、放電音が聞こえる。緑色の放電光が車内に反射するのを確認するまでもなく、叉反は床を滑るように後方への足払いを仕掛ける。空気の抜けるような、奇妙な息遣いが聞こえた。

「シャアッ!」

「ッ!?」

 突如として現れた二匹の大蛇が、叉反に向かって躍りかかってくる。狭い車内では転げるほかに躱しようがない。バックドアに向かって前転し、すかさず振り返って大蛇の頭部を殴りつける。うろこではなく、金属の感触がした。鉄仮面だ。人間の顔にフィットしていたであろう鉄仮面が、今は少しばかり形を変えて、大蛇の頭部に装着されている。つまり、この二匹は、モンストロで変身した党員だという事だ。


「ちっ!」

 車から出なければ。車内で戦い続けるのは不可能だ。叉反は咄嗟に足元を見る。

 やはり、あった。車椅子を下ろすためのスロープ。すかさず、叉反は押すようにして蹴り飛ばす。一度では足りない。二度、三度!

「シィイイッ!」

 大蛇が叉反の体に絡み付く。銃は、撃てない。この体勢ではどこに弾が飛ぶか、わかったものではない。銃床で応戦すると、間髪入れずもう一匹の大蛇が迫っている。

「くそっ!」


 二匹の大蛇に締め付けられる寸前、叉反はスロープの滑車部分を狙い、引き金を引く。けたたましい金属音と自動小銃の反動。被弾を恐れた大蛇たちが身を引く。

「おおっ!」

 スロープを蹴る。蹴る。明らかにスライドしていく感触。ガコッ、と強い反動とともに勢いよく蹴り出されたスロープがバックドアを破壊して外へと落下する。

「くっ!」

 迷う暇なく、自動小銃を抱えたまま、叉反は車外へと転がり落ちた。アスファルトの上で受け身を取るが、痛みまでは殺し切れない。


「はあ、はあ……」

 蛇行しかかったバンが急ブレーキをかけて止まる。すぐ近くだ。破壊されたドアからは、二匹の大蛇と、二人の人間が飛び出してくる。

「……っ」

 バチバチバチ、と緑の電光が輝く。二匹の大蛇が変身を解き、一見すれば人間と変わらない状態にまで戻った。

「諦めろ。逃げ切れると思うな」

「どうかな……」

 意識は朦朧としかけている。クスリが効いているのだ。しかし、何としてでも逃げなければ。何としてでも……。

「愚かだな」


 鉄仮面党の党員四人が四人とも、懐から何かを取り出し、口に含んで嚥下した。放電音と緑色の発光。四人の党員が、鉄仮面を装着した二匹の大蛇、ジャガーのような獣、ハゲワシのような大きな鳥に変身する。

「何だ、あれは……」

 モンストロストーンによる変身なのだろうか。いや、可能性は捨てきれないが、それよりも、今、彼らが口にしたモノが怪しい。摂取するだけで、フュージョナー因子を刺激し、変身を促すモノ。そんな手軽な薬物が、もしすでに出来ていたとしたら……。


 獣たちが身構える。叉反もまた、構えた。やるしかない。この体でどこまで戦えるかはわからないが、それでも。

 ――――タッ、タッ、タッ、タッ。

 戦闘の緊張にそぐわない軽快な足音が、叉反に迫ってきた。前方の敵が、若干戸惑うのがわかった。

 照明は街灯が二つある程度だったが、暗い中でも目の前に現れた、麦穂のような金色の体躯は見間違えなかった。四足の足。ハッ、ハッ、という息遣い。フュージョナーが変身したものではない。本物の犬。ゴールデンレトリバー。


「ツクモ……?」

 叉反に何を見出したのか、天霧久我の飼い犬と思しきゴールデンレトリバーは、息を吐きながらじっと叉反を見つめている。

 ――夏の夜だというのに、何故か吹雪の中にいるかのような冷気を感じる。

 気が付けば、党員たちの様子がおかしい。こちらに向かってくるでもなく、どこか怯えているようでさえある。


「――っ!?」

 唐突に、街灯が消える。暗闇が訪れる。ツクモの姿も、変身した党員たちの姿も闇の中に紛れる。

 反射的に、叉反は振り返った。銃弾はまだ残っている。指もまだ動く。しかし、そういった現実的な要素とは全く無縁の、第六感のような警報が、叉反の中で鳴り響いていた。

 鬼火が、見えた。人魂の如き白い炎が。

 呻きが聞こえる。この世を呪う呪詛の声が。

 闇の中から、何者かが近付いてくる。

「お前は……」

 闇の中、叉反の目に見えたのは、幽冥界の炎に照らされた魔犬の(かお)だった。


 【横浜・300°N5-S4】。それが、叉反を乗せたバンのナンバーだった。念のため、スマートフォンに打ち込んでおく。

「息はしている。三人とも無事だよ」

 トビ、レベッカ、山本の様子を見ていた神沙紀がそう言った。その手には叉反の銃であるP9Rが握られている。おそらく、銃なんて撃った事はないだろうけど、丸腰のまま叉反の後は追えない。


「救急車を呼ぼう。三人を病院に運んでもらわないと」

 仁は言って、スマートフォンに番号を打ち込もうとした。

「……待て、仁」

 掠れるような声が、仁の指を止めた。

 頭を押さえながら、トビが立ち上がっていた。

「トビさん! 動いて大丈夫なの?」


「何とかな……。あー、まだ頭が痛え。何かがまだ入っているような感じがするぜ」

「なら病院に……」

「そうもいくか。所長が攫われたんだろ。そこまでは何となく覚えている」

 ふらふらと立ち上がるトビに、神沙紀が手を貸す。

「どうやら……所長を追う気らしいな」

 神沙紀の手の中にあるP9Rを見て、トビが言った。神沙紀は一瞬、気まずそうに銃を隠そうとしたが、諦めたようにそれを見せた。


「早く行かないと。時間が経てばどんどん行方がわからなくなっちゃう」

「同感だ。だが、子ども二人に任せるわけにはいかない。その銃を渡せ。俺が追う」

 言った直後、頭に痛みを感じたのか、トビは苦悶の声を上げて頭を抱える。

「その体じゃ無理だよ。まずは病院に……」

「お前ら二人にだって無理だ。相手は、人を痛めつける事に何の躊躇もない連中だ。殺されるよりひどい目に遭わされるのは目に見えている」

「じゃあ、どうするんだよ!」

 思わず、仁は叫んだ。苛立ったのは事実だが、同時にトビが言った事もまた正鵠を得ているのはわかっていた。この三人だけでは、叉反に追いついたところで仲良く敵の手に落ちるのが関の山だ。


 トビは考え込むようにアシユビの爪先を額に当てていた。それから、顔を上げた。

「一つ、考えがあるぜ」

 どこか、腹を括ったかのような緊張感を漂わせる面持ちで、トビは言った。

「どうするの?」

「まずは車を回してくる。二人は救急車と警察を呼んでおいてくれ」

「そのあとは?」

「警察と消防に電話をしたら、二人はこの場を離れろ。この道を行った先の二つ目の曲がり角で落ち合おう」


 それから、とトビはレベッカの手から電撃銃を取り、仁に向かって差し出した。

「これは仁が持っておいてくれ。こんなの警察に見られたらレベッカが面倒な事になるからな。それから、その銃」

 トビは、神沙紀の持つP9Rに目を向けて言った。


「君が持っているなら、それはそれでいい。セイフティをかけておくんだ。左側にあるツマミをずらせ。……そう、それでいい。それで引き金が引けなくなった。その拳銃はでかいから、たぶん君が撃ったら肩が外れてしまう。あくまでも牽制用だ」

「わかった」

 神沙紀は神妙な目つきで拳銃を見た。

「合流したらベラドンナに行く」

「ベラドンナ? どうして?」

 ベラドンナは旧市街にあるバーだ。ナユタ裏社会の中立地帯と呼ばれている事ぐらいは、旧市街で生まれ育った仁でも知っているが、何故、今ベラドンナに行くというのか。

「援軍を呼ぶんだ」

 そういうトビの表情は、まるでこれから刃でも飲み込もうかとしているように強張っていた。

「かなりヤバいとは思うけど……所長の行方を追うなら、頼れそうなのが一人いる」


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