施設通い
年金受給者になり、施設通いをはじめた、晴信。
晴信は、デイ・ケアを出て、病院と関係のない福祉の施設に移った。
また、そういう福祉の施設に行くことが、デイ・ケアを卒業する条件だった。
それは、大阪市の3つの区で、活動していた、福祉団体で、障害福祉年金とともに、申請した障害者手帳を示し、施設に備え付けの用紙に記入することによって、所属できた。その福祉団体は、大阪市の3つの区で、5つくらいの施設を、運営していた。
その中で、晴信は、家から一番近い施設と、その福祉団体の中心の施設に、よく通った。
晴信は、施設のスタッフや施設の先輩のメンバーさんに、よくしてもらった。
晴信は、この状態でも、精力的に活動した。
といっても、やはり、精神のリハビリだが・・。
晴信は、年金をもらいはじめたところで、病名は、統合失調症(当時は、精神分裂病といわれていた。)
晴信は、その施設では、知り合いや友達を、たくさんつくった。
それは、スタッフであったり、同じメンバーの人だった。
ここからは一万円で、一泊の旅行に行けたり、中華料理を食べて、映画を見ること、ボランティアさんの作る料理をいただいたりした。
デイ・ケアより、お金がかかったが、内容は、デイ・ケアよりよかった。
女性のスタッフさんやボランティアさんと、話を、よくした。
同じ年のころのメンバーとは、映画やJ-POPの話題を話した。
そして、病院が改築され、新しい施設が、できた。
晴信は、病院の主治医から紹介を受けて、そこにも通所した。
施設それぞれに、いいところがあった。
そこへ、政権が、障害者自立支援法を国会で、通してしまい、各施設は、変わらざるを、得なくなった。
その法律は、郵便局を民営化する法律と、同じころに成立した。
ゆえに、郵政選挙で、障害者の立場も変わった。
障害者自立支援法が成立して・・。






