乾坤一擲
五分。
それは僕にとっての生命線であり、それまでに一撃を与えられなければ望みは薄いという決定的な制限時間。
それまでに一撃を与えられないのであれば、能力を使うようになった武藤さんに敵うはずなんてない。
さらに言うと五分間安全かというとそんなことは一切無い。
武藤さんは能力を使わないとは言ったが、攻撃しないとは言っていない。五分の間にも攻撃を仕掛けてきて、隙あらば僕の意識を奪いに来るだろう。
つまり僕の猶予は一撃。
この一撃が当たらなければ武藤さんからの反撃を受け、そのパフォーマンスが低下した状態で戦わなければならなくなる。
武藤さんは僕が突っ込んでいくのを見ると少しだけ目を細めて左足を前に出して半身になる。両手はいまだにだらんとしているが、瞬時に動かせるくらいに腕に意識を集中しているのがわかる。
僕と武藤さんの距離はたったの五メートル。五十メートルを八秒で走る僕でもたったの0・八秒で到達する距離。
僕の右腕は既に脇に添えられ、いつでも射出できるようになっていて、左腕は前方に緩く伸ばされていつでも攻撃に対処出来るようにしてある。さらに左腕は攻撃をそらしながらも引き手として利用できるという後の先の構えだ。独学で本を読んで練習し、何とか様にした空手の構えに近いと思っている。
さらにもう一つ、僕は能力を使う。
「発動しろ! ――『繊月海月』!!」
能力を発動する。精神を劣化させるだけの能力であるこの『繊月海月』を発動したのにはもちろん訳がある。
これこそ先ほど武藤さんに言われた新しい使い方であり、戦闘に不可欠なものだ。
人間は本来使える性能を無意識のうちに制御して生活している。
これは世間一般に広く知られていることだから何もおかしくない。筋肉は約三十パーセントしか機能しておらず、動体視力すらも毎秒八十コマ前後が限界だ。
しかし、そのリミッターを解除した場合その限りでは無い。
筋力は百パーセントの性能を発揮し、視力は毎秒三百コマというとてつもない速度で情報を脳に伝える。
つまり筋力は約三倍、視力も約三・五倍というものになる。
そして三分の一しか筋力が無くても五十メートルを0・八秒――つまり時速二十二・五キロで走ることができる筋力がある。単純換算時速六十七・五キロという速度で移動を可能とし、結果五メートルという距離は0・二七秒という人間の反応速度ぎりぎりで踏破されることになる。
そこに、見よう見まねとはいえ正拳突きの速度が加わるのだ。もし仮に回避や防御をされたとしても三・五倍に跳ね上がっている視力なら対処できる。
僕の放った全身全霊を賭けた正拳突きは思惑通り武藤さんの鳩尾に防御すらされることなくまっすぐ突き進んでいく。
武藤さんは既に拳のほうに視線を向けていないということが分かる。僕が駆け出したときと同じように僕の顔を見たまま動いていない。
そして僕の右腕はボッという音とともにまっすぐ振りぬかれた。
「ひゅうっ! 良い突きだ!」
武藤さんに当たることなく!
頭の中が疑問でいっぱいになるがその感情を『繊月海月』でいったん消して防御に専念する。
武藤さんは左足をそのまま真上に振りあげて僕の伸びきったまま静止している右腕を弾き飛ばし、そのまま左足を翻して僕の腹を蹴り抜く。
「ぐあっ!」
体が十メートルは吹き飛ぶ。痛みという感情を消して受け身を取ろうとするが、足には命令が行きとどくことすらなく無様に転がった。
「あ、が、ごほっ! はっ!」
腹の中身が一気にかきまぜられたような衝撃に体がおかしくなる。
「なかなかの一撃だったが、狙う場所が丸わかりだ。狙う場所をそんなに睨んでちゃあ何処狙ってんのかも分るし、その前からの構えの時点で攻撃する箇所が絞られすぎる。だからどれだけ速かろうとこうやって一歩下がるだけで避けられちまう」
武藤さんは言葉の通り、本当に一歩だけ後ろに下がっていた。
「つってもまあ、実戦経験が無いことを除けばとっさに左腕でガードした事も含めて上出来だけどな」
「は、はあ、こ、これは、癖、みたいな、もの、です、よ」
息も切れ切れなら答える。僕は昔から暴力をふるわれ慣れてるから何処を攻撃されるかは割と分るようになっているし、ガードも苦手ではない。
だから何とか一撃だけ防げたようだ。
例えガードしていてもここまで体力を持っていかれるとは思わなかった。二十人に囲まれてリンチされた時もこんなことにはならなかった。
「そんで? まだやれるか?」
武藤さんはなんでもないように聞いてくるがあきらめるという選択肢がない以上うなずくしかない。この状態で一撃入れるなんて絶望的だとしても。
……何か作戦を考えなければ!




