焼却炉の中から、三度ノックがした
もし噂が現実になったら。
そんな思いつきから生まれた、少し不思議で少し怖い物語です。夜更けの怪談を読む気分で楽しんでいただければ幸いです。
午前一時を過ぎた事務所には、空調の音と、
三田村がキーボードを叩く音しかなかった。
コンビニのコーヒーはとっくに冷めている。
砂村悠人がそれを飲み干したとき、スマートフォンが短く震えた。
「案件No.0447/緊急度B」
「また、あの手のやつ?」
三田村はノートパソコンから目も上げない。
「たぶん」
「Bで夜中に呼ぶなよな」
砂村は上着を取った。名刺には「情報整合コンサルタント」とだけ刷ってある。
誰も本当の仕事を聞いてこないので、それで通っている。
*
タクシーの後部座席で、案件の詳細を開く。
SNSで生まれた噂が、ある数を超えて拡散すると、現実になる。
理由は今も分かっていない。分からないまま、止める仕事だけが先にできた。
砂村は火種を、臨界の前に消して回る。このカテゴリの臨界は、概ね一万リポスト。
ただし、臨界値は絶対ではない。具体的な場所と結びついた噂は、
拡散数が少なくても現象の兆候を見せることがある。
今回の火種は、地方の女子高から始まっていた。
〈体育館裏の焼却炉に、夜な夜な誰かが立ってる。
顔がない。近づくと、こっちの顔を借りていく〉
投稿者は「@るなてぃ」。フォロワーは三百人ほどなのに、
引用リポストの伸び方がおかしい。午後十一時の投稿から二時間で、二千五百。
予測では、明朝までに臨界を越える。
*
女子高の最寄り駅に着いたのは、午前四時を少し回ったころだった。
校門の前で、三十代の女性教師が待っていた。名札には「白石」とある。
「投稿した生徒は分かっていますか」
「二年の田辺さんです。今は寝ています。ご家庭にはまだ連絡していません」
「起こしてきてください。静かに。それと、先に焼却炉を見せてもらいます」
白石は何か言いかけたが、黙って校舎の奥へ消えた。
裏庭は湿った土と、古い灰のにおいがした。コンクリートの塀に囲まれた焼却炉は、
思っていたより小さい。錆びた扉の下には、煤が黒く扇形に染みついている。
誰もいない。当然だ。まだ臨界前なのだから、
そこにあるのは「話」だけで、「もの」ではない。
砂村は扉に手を当てた。
温かい。
使われていないはずの炉が、湯たんぽほどの熱を持っている。
臨界前の兆候としても、異常な早さだった。
イヤホンに三田村の声が入った。
『いま三千八百。伸びが上がってきてる』
「発信源の削除は」
『本人の同意待ち。未成年だから、保護者の確認が先だ』
「分かってる。少し待て」
『待てって、あと何分もないぞ』
砂村は返事をしなかった。
裏口が開いて、白石に連れられた田辺が出てきた。
パジャマの上にカーディガンを羽織って、寝癖がついたままだ。
袖口を指でいじりながら、砂村と目が合わないように視線を足元に落としている。
「あの……わたし、何か悪いことしましたか」
「いいえ」
砂村はしゃがんで、目線を合わせた。
「ひとつだけ教えてください。焼却炉の話は、誰かから聞いたんですか」
「ちがいます。聞いたんじゃなくて」
田辺は口を開けて、閉じた。
「……あ、でも、作り話じゃないです。ほんとに。
信じてもらえないと思ったから、ああいう書き方になっちゃって」
「見たんですね。いつ」
「先週の木曜です。塾の帰りに、水筒を体育館に忘れたのを思い出して。次の日、使うから」
「顔がなかった?」
「はい。でも……」
声が途切れた。カーディガンの裾が、ぎゅっと握られる。
「シルエットが、お母さんに似てたんです。気のせいだと思うんですけど」
砂村は焼却炉を振り返った。先週見て、昨夜まで投稿しなかった。なぜ、昨夜なのか。
「投稿したのは、昨日の夜ですね。先週のことなのに」
「それは、あの」
田辺はしばらく黙っていた。カーディガンの袖口を引き下げ、指先を隠した。
「昨日、お母さんが帰ってきたから」
「お母さんは、家にいなかったんですか」
「半年前に出て行きました。連絡もなくて。それが昨日、玄関に立ってて」
田辺はそこで言葉を切った。
「……チャイム、鳴らさなかったんです。鍵は持ってるのに」
「顔は見えましたか」
「見えなかったです。暗かったし」
少女は笑おうとした。唇の端が少し上がり、すぐに戻った。
「でも、帰ってきたと思ったんです。わたし、ずっと待ってたから」
砂村は何も言わなかった。
「なにか言ってました。一回だけ」
「何と」
田辺は顔を上げた。
「『見つけて』って」
イヤホンの向こうで、三田村が息を詰めている。
『……四千。砂村、もう限界だ』
砂村は焼却炉の扉に目をやった。手のひらに、まだ熱が残っている。
田辺の指が、カーディガンの裾をまた握りしめていた。
投稿を消せば、拡散は止められる。だが、
すでに生まれかけた現象まで、すぐに消えるとは限らない。
十秒、そのまま動かなかった。
「緊急削除権限を発動します」
『……今月二度目だぞ。次は査問だ』
「承知してる」
『始末書、書くのはお前だからな』
通話が切れた。
しばらくして、三田村から短い通知が入る。
〈削除完了。四千二百で凍結。以後の伸びは止まる見込み〉
田辺は、まだ何か言いたそうにしていた。
砂村はそれを待たずに立ち上がった。
「投稿は削除しました。これ以上は広がりません」
「でも、また見たら」
「そのときは、投稿しないでください」
そこまで言って、砂村は一度、口を閉じた。
「誰かに、話すだけにしてください」
田辺は小さく頷いた。カーディガンの袖口を握る手は、
まだほどけなかった。
*
白石が田辺を連れて、校舎へ戻っていく。砂村は帰る前に、
もう一度だけ焼却炉の扉に触れた。
冷たい。
手のひらから熱が引くのが、はっきり分かった。拡散が止まったからなのか。
それとも、現象が別の段階に移ったからなのか。
砂村には判断できなかった。
スマートフォンが震えた。
「案件No.0448/緊急度A」
画面を開く。詳細欄には、三行だけ表示されていた。
〈発信源:不明〉
〈目撃者:一名〉
〈現在地:県立女子高校 正門前〉
指が止まった。
空が白んで、濡れたアスファルトが光っている。
駅のほうから、始発の音が聞こえてきた。
その背後で、金属の擦れる音がした。
焼却炉の扉が、開く音。
砂村は足を止めた。画面には、案件No.0448の詳細が表示されたままだった。
もう一度、音がする。
今度は、内側から叩くような音だった。
コン、コン。
砂村は画面を伏せ、歩き出した。
三度目の音が、背中に届いた。
コン。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。




