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焼却炉の中から、三度ノックがした

掲載日:2026/10/15

もし噂が現実になったら。

そんな思いつきから生まれた、少し不思議で少し怖い物語です。夜更けの怪談を読む気分で楽しんでいただければ幸いです。


午前一時を過ぎた事務所には、空調の音と、

三田村がキーボードを叩く音しかなかった。


コンビニのコーヒーはとっくに冷めている。

砂村悠人がそれを飲み干したとき、スマートフォンが短く震えた。


「案件No.0447/緊急度B」


「また、あの手のやつ?」


三田村はノートパソコンから目も上げない。


「たぶん」


「Bで夜中に呼ぶなよな」


砂村は上着を取った。名刺には「情報整合コンサルタント」とだけ刷ってある。

誰も本当の仕事を聞いてこないので、それで通っている。


*


タクシーの後部座席で、案件の詳細を開く。


SNSで生まれた噂が、ある数を超えて拡散すると、現実になる。

理由は今も分かっていない。分からないまま、止める仕事だけが先にできた。


砂村は火種を、臨界の前に消して回る。このカテゴリの臨界は、概ね一万リポスト。

ただし、臨界値は絶対ではない。具体的な場所と結びついた噂は、

拡散数が少なくても現象の兆候を見せることがある。


今回の火種は、地方の女子高から始まっていた。


〈体育館裏の焼却炉に、夜な夜な誰かが立ってる。

顔がない。近づくと、こっちの顔を借りていく〉


投稿者は「@るなてぃ」。フォロワーは三百人ほどなのに、

引用リポストの伸び方がおかしい。午後十一時の投稿から二時間で、二千五百。


予測では、明朝までに臨界を越える。


*


女子高の最寄り駅に着いたのは、午前四時を少し回ったころだった。


校門の前で、三十代の女性教師が待っていた。名札には「白石」とある。


「投稿した生徒は分かっていますか」


「二年の田辺さんです。今は寝ています。ご家庭にはまだ連絡していません」


「起こしてきてください。静かに。それと、先に焼却炉を見せてもらいます」


白石は何か言いかけたが、黙って校舎の奥へ消えた。


裏庭は湿った土と、古い灰のにおいがした。コンクリートの塀に囲まれた焼却炉は、

思っていたより小さい。錆びた扉の下には、煤が黒く扇形に染みついている。


誰もいない。当然だ。まだ臨界前なのだから、

そこにあるのは「話」だけで、「もの」ではない。


砂村は扉に手を当てた。


温かい。


使われていないはずの炉が、湯たんぽほどの熱を持っている。

臨界前の兆候としても、異常な早さだった。


イヤホンに三田村の声が入った。


『いま三千八百。伸びが上がってきてる』


「発信源の削除は」


『本人の同意待ち。未成年だから、保護者の確認が先だ』


「分かってる。少し待て」


『待てって、あと何分もないぞ』


砂村は返事をしなかった。


裏口が開いて、白石に連れられた田辺が出てきた。

パジャマの上にカーディガンを羽織って、寝癖がついたままだ。

袖口を指でいじりながら、砂村と目が合わないように視線を足元に落としている。


「あの……わたし、何か悪いことしましたか」


「いいえ」


砂村はしゃがんで、目線を合わせた。


「ひとつだけ教えてください。焼却炉の話は、誰かから聞いたんですか」


「ちがいます。聞いたんじゃなくて」


田辺は口を開けて、閉じた。


「……あ、でも、作り話じゃないです。ほんとに。

信じてもらえないと思ったから、ああいう書き方になっちゃって」


「見たんですね。いつ」


「先週の木曜です。塾の帰りに、水筒を体育館に忘れたのを思い出して。次の日、使うから」


「顔がなかった?」


「はい。でも……」


声が途切れた。カーディガンの裾が、ぎゅっと握られる。


「シルエットが、お母さんに似てたんです。気のせいだと思うんですけど」


砂村は焼却炉を振り返った。先週見て、昨夜まで投稿しなかった。なぜ、昨夜なのか。


「投稿したのは、昨日の夜ですね。先週のことなのに」


「それは、あの」


田辺はしばらく黙っていた。カーディガンの袖口を引き下げ、指先を隠した。


「昨日、お母さんが帰ってきたから」


「お母さんは、家にいなかったんですか」


「半年前に出て行きました。連絡もなくて。それが昨日、玄関に立ってて」


田辺はそこで言葉を切った。


「……チャイム、鳴らさなかったんです。鍵は持ってるのに」


「顔は見えましたか」


「見えなかったです。暗かったし」


少女は笑おうとした。唇の端が少し上がり、すぐに戻った。


「でも、帰ってきたと思ったんです。わたし、ずっと待ってたから」


砂村は何も言わなかった。


「なにか言ってました。一回だけ」


「何と」


田辺は顔を上げた。


「『見つけて』って」


イヤホンの向こうで、三田村が息を詰めている。


『……四千。砂村、もう限界だ』


砂村は焼却炉の扉に目をやった。手のひらに、まだ熱が残っている。

田辺の指が、カーディガンの裾をまた握りしめていた。


投稿を消せば、拡散は止められる。だが、

すでに生まれかけた現象まで、すぐに消えるとは限らない。


十秒、そのまま動かなかった。


「緊急削除権限を発動します」


『……今月二度目だぞ。次は査問だ』


「承知してる」


『始末書、書くのはお前だからな』


通話が切れた。


しばらくして、三田村から短い通知が入る。


〈削除完了。四千二百で凍結。以後の伸びは止まる見込み〉


田辺は、まだ何か言いたそうにしていた。

砂村はそれを待たずに立ち上がった。


「投稿は削除しました。これ以上は広がりません」


「でも、また見たら」


「そのときは、投稿しないでください」


そこまで言って、砂村は一度、口を閉じた。


「誰かに、話すだけにしてください」


田辺は小さく頷いた。カーディガンの袖口を握る手は、

まだほどけなかった。


*


白石が田辺を連れて、校舎へ戻っていく。砂村は帰る前に、

もう一度だけ焼却炉の扉に触れた。


冷たい。


手のひらから熱が引くのが、はっきり分かった。拡散が止まったからなのか。

それとも、現象が別の段階に移ったからなのか。


砂村には判断できなかった。


スマートフォンが震えた。


「案件No.0448/緊急度A」


画面を開く。詳細欄には、三行だけ表示されていた。


〈発信源:不明〉


〈目撃者:一名〉


〈現在地:県立女子高校 正門前〉


指が止まった。


空が白んで、濡れたアスファルトが光っている。

駅のほうから、始発の音が聞こえてきた。


その背後で、金属の擦れる音がした。


焼却炉の扉が、開く音。


砂村は足を止めた。画面には、案件No.0448の詳細が表示されたままだった。


もう一度、音がする。


今度は、内側から叩くような音だった。


コン、コン。


砂村は画面を伏せ、歩き出した。


三度目の音が、背中に届いた。


コン。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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