59話 【カス視点】古巣ギルドがトッシュ討伐ミッションを発動する
月曜日の朝。
レインが出社するので、トッシュは日本エリアの最寄駅までお姫様抱っこで送っていった。館で「いってきます」「いってらっしゃい」のチューをしたのに、駅でも周囲の視線を気にせず「いってきます」「いってらっしゃい」のチューをかました。
新婚ほやほやでいちゃつきたい盛りだ。
トッシュは電車の後ろをこっそり走って追跡し、ギルドの最寄り駅の外でレインを待ち構える。
「トッシュ!」
「あははっ。来ちゃった。いってっらしゃい」
「いってきます。ちゅっ」
「ちゅっ」
職場の最寄り駅だから同僚に見られる可能性が極めて高いのに、ふたりはそんなことすら気にせず、いちゃついた。幸い、知りあいからは見つからなかったようだ。
トッシュは「家からだと、レインの通勤が大変だよなあ。でも、テレワークが出来ない職業だしなあ」と、軽く悩みながら屋敷に帰った。
それから、朝食だ。
「トッシュ、キュウリは?」
「あ……」
ご機嫌取りのために、シルにキュウリを買ってくる約束をしていたのだが、いちゃつくことばかり考えていて、うっかり忘れていた。
トッシュはスキル全開で日本エリアに戻って、境界エリアからちょっと離れた位置で開催されている朝市でキュウリとナスと大根を買って帰った。ラインナップがちょっと、エロい意味で怪しい。
性知識に疎かったトッシュは今、乾いたスポンジが水を吸うかの如く、急激に性的な意味で成長している。
「ほら。シル。約束のキュウリ。特別に2本だ」
「わーい!」
「ルクティもほら。キュウリあげる」
「……! あ、ありがとうございます」
セクハラだ!
はっきり言って、とんでもないセクハラだ。しかしこれは、「バレている」と分かったうえでキュウリをプレゼントするほどトッシュがノンデリセクハラ野郎なわけではない。
レインの指示だ。レインがトッシュに、ルクティにキュウリをあげてと頼んだのだ。
かしこさ150のルクティはそこまで察した。
そのあと、トッシュは館を改めて確認し、レインとの夫婦生活を送るための改善点はないか検討し始める。
主に、主寝室のベッドを揺らしたらきしむ音がどこまで響くかのチェックとか、どれくらいの音がどこまで聞こえるかだ。スマホで音楽を再生し、他の部屋に移動して確かめた。
嫁さんを仕事に送り出した後にやることが、夜の営みの準備になるくらい、ヤることしか考えていない。もうステータス異常『性に目覚めたばかりのサル』状態だ。
さて、一方、ギルド「ブラックシティ」に出社したレインは、朝礼で驚愕の命令を聞いて震えていた。基本的に客先に派遣されることが多い戦闘支援課だが、月曜の朝は本社に出社することになっている。長距離長期遠征をしている者以外だいたい50人くらい集う。
だから普段より人の多いフロアで、レインは日人の言葉を聞き、自分の聞き間違えか不安になってきたから隣席の同輩ロンの方を見る。その気配を察したロンがレインの方に振り向く。彼も目を大きく開けて、驚いている。
室内に小さなざわめきが起こる。
全員が立って課長席の方に体を向けているため、位置関係上レインからはネイやドルゴの顔は見えない。しかし、彼女等も驚いていることだろう。
レインは日人に質問するため、今まで朝礼で挙手したことないが、震えながら右手を上げようとする。
しかし、それよりも先に日人が繰り返す。
「もう一度言う。今日はギルドの総力で討伐ミッションにあたる。標的は以前、ブラックシティに所属していたトッシュ・アレイ! 奴は客先での失敗を理由に解雇になったが、その腹いせにギルドのサーバーから社員一覧や給与管理などの重要な書類を削除していった」
傍らにいた日人の父である、ギルドマスター金星が続ける。
「それだけではない! 奴はギルドの金を盗んでいった! 諸君に給料を払うための金だ! このままでは諸君に給料を払うことはできない。これは、当ギルドへの攻撃行為である! 我らは法と正義に則り、報復する権利と義務がある!」
もちろん、これは悪質な言いがかりだ。
重要書類が消えたのは日人のやらかしだし、給料を払えないのは日人に高級義体を買ったからだ。
だが、多くの社員はその事情を知らない。
社員の動揺を気にせず、日人が普段以上の大きな声と態度でイキる。
「攻撃に加わるのは我らだけではない! 日本五大ギルドの残り4つも、我らと肩を並べるぞ! トッシュは、あの粕野グループにも攻撃をしかけた! そのため、今回の討伐ミッションは、粕野グループからの依頼だ! 正義は我らにある!」
日人が檄を飛ばすと、金に関する話題を金星が引き継ぐ。
「トッシュに盗まれた金を補って余りある報酬だ! 任務成功の暁には、特別ボーナスを支払うぞ! 例年のボーナスの倍額だ! 奴の首を取った者には、さらに倍だ!」
この言葉に、トッシュと特に面識のないものが「おおっ」と歓喜の声を漏らす。
社内は異様な雰囲気になりつつある。
トッシュのことを良く知らないからボーナスに期待して気合を入れる者。
元社員を攻撃することに困惑する者。
突然の命令に戸惑うしかないトッシュの知人。
などなど。所属課によって反応は違うが、様々な声が入り混じって、どよめく。
レインは他の誰よりも混乱していた。本当は朝礼が終わったら「私、トッシュ先輩と結婚しました~」と報告しながら社内でお菓子を配るつもりだったのに、そんな空気ではない。
動悸が乱れて、立っていられなくなった。
過呼吸気味になって目の前が真っ暗になって倒れそうになる。
だが、背中に目でもついていたのか、気配で察したのか、いつの間にかネイが隣にいて、レインを支えてくれていた。
「落ち着け。大丈夫だ」
「で、でも……」
「大丈夫だから」
「はい」
苦しかったが、レインはネイの普段通りの落ち着いた声を信じて、少しだけ落ち着いた。
レインはネイに優しく肩を押されるのを感じた。すると、反対側に、やはりいつの間にかネモがやってきていて、ネイの代わりに支えてくれた。
ネイはレインから離れ、フロアの端の方にいる日人の方へ向かう。
普段と変わらぬ足取りだが、その背中に微かに殺気のようなものが揺らめいているのを、戦闘経験豊富なドルゴだけが気づいた。




