六拾伍【夏麻引く】
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「おはようございます、失礼いたします」
障子が開いて一人の女が入ってきた。年のころはお染ぐらいだろうか。
だが立ち居振る舞いから武家の者だとわかる。
その後ろには上品に手入れさせた武家らしい庭園が見える。
朝顔などが奥の生け垣に絡まりながら咲いている。
「先にご挨拶をさせてくださいませ。
私はこの御旗本藤岡家の江戸留守居役の家老が楠村田五郎、の家内の珠緒と申します」
「これはご丁寧に。
うちは、羽森瑠璃と申します。どうぞよろしゅうおたの申します」
浴衣のまま座り直して三つ指をつく。
「ああ、瑠璃姫様およし下さいませ。私のことはどうぞ婆やとお呼びくださいませ」
「ばあや…ですか?」
「はい!百沙衛門坊ちゃまも、赤子のころから私のことをそう申しておりますよ」
「で、でも」
「その代わり、瑠璃姫様のことはもう少ししたら奥方様とお呼びいたしますね」
「奥方様!?」
「はい。百沙衛門坊ちゃまの許嫁様でいらっしゃいますよね」
「へえ、そう言うことになってるというか……」
改めて言われると気恥ずかしい。
「でしたら、私どもにとっては、待ちに待った奥方様でいらっしゃいますので」
「待ってたのですか?」
「はい!
東次郎坊ちゃまが婿養子に行かれてしまわれましたからね。
ただ二人のご兄弟ですからね。このお屋敷にお迎えする奥様は、瑠璃姫様だと聞いておりますよ。
まあ、簡単な挨拶はこの位にして、瑠璃姫様の身支度を整えましょうかね」
「へえ、おおきに」
縁側に桶を置いてあって、そこから手拭いを絞って戻ってきた。
開けられた障子の隙間には衝立が建てられてあって、瑠璃の様子が部屋の外に見えることはない。
「珠緒さん、自分で出来ますよって……おや」
熱による汗を拭いてくれようとする珠緒を押しのけようとするけれど、どうにも力が入らない。
「まだ、お熱のせいで力がお戻りになられないだけですね」
「力が戻らなくては困るんどすけど」
「朝餉を召し上がっていただいて、もう一日ごゆっくりなさってください。
まだ、御顔色が青白うございますよ」
「もう一日?珠緒さん、うち此処に寄せてもらってからどの位時間たってるんどすか?」
そう言えば、さっき百沙衛門が一昨日と言っていた。
「瑠璃姫様が塗り籠で運び込まれたのは一昨日の夜でございますよ」
「では、お奉行様は」
「お裁きまでにはもう少しかかるから、気にせず療養する様にと河口様からはご連絡いただいております」
「そう」
襦袢を着た瑠璃の頭を珠緒が手際よく根分けして結い上げていく。
「頭が痛いって仰っていましたから、緩く結いましょうね」
「へえおおきに。今は何ともおへんけど」
珠緒の手助けを受けながら身支度を続けながら頭も巡らせる。
とにかく二人の農夫と、だて屋のお富が気にかかっている。
あの三人に咎が無いようにしてほしい。
若竹色の籠目柄の着物を着せてもらう。帯は黄色い絞りの縮緬だった。
夏向けの爽やかな色合いが、瑠璃の体調を整えてくれる気がした。
「さあ、できましたよ。流石お美しいですね」
「おおきに。可愛らしい色の着物どすね」
「これは、百沙衛門様のご母堂様の御形見の一つでございます」
「まあ、そんな貴重なお着物を」
「お布団は敷いておきましょうね」
「いいえ、もう横にはならなくてもかましませんえ」
「そんなもう少しゆっくりされて」
「こんな綺麗なお着物で横になるわけにはいきまへん。それに、うちはもう大丈夫。
まだ跳んだり走ったりは難しおすやろけど」
「無理はなさらないでくださいね」
「へえおおきに」
手早く布団を畳んで持って出ていく。
「直ぐに朝餉を持ってきますね」
「お願いします」
一度濡れ縁に布団を置いて座り、障子を閉めて出ていく。
けれどそれは一瞬のこと。
「瑠璃?着替え終わったか。入ってもよいか?」
入れ替わりに聞こえた声は百沙衛門だった。
「へえ。かましまへんえ」
障子を開けたのは百沙衛門だが、その足元にもう一人座っていた。
「お早うございます瑠璃姫様」
「お早うございます、もしかして楠村殿でいらっしゃいますか?」
珠緒の夫の。
「は。楠村田五郎と申します。
どうぞ爺やとお呼びください」
「まあ」
夫婦で同じような台詞を言うのね。
おもわず頬が緩む。
「朝飯を一緒に此処で食べてもよいか」
「かましまへんけど……」
二人の後ろからまた別の女が二人お膳を一つずつ持って入ってくる。このお屋敷に勤めている女中だろう。
「まだ、顔色が悪いな」
「そうどすか?鏡を見てへんから……。でもすっかり良くなりました。おおきに」
「礼はいらぬよ。俺の許嫁なんだから、当然のことだ」
「へえ」
気が付けば瑠璃が上座に座らされて、向かいにお膳を突き合わせるように百沙衛門が座る。
そのお膳には見慣れないものもあった。
後から御櫃を持ってきて、ほかほかの白ご飯をよそってくれた珠緒が教えてくれる。
お味噌汁は、日本橋の料理茶屋でも頂いた赤だしで、豆腐とワカメ、刻んだネギが入れられている。
「これは、葛西菜と揚げをササっと炊いたもの、それと蒲鉾、瓜の浅漬け」
「まあ、瓜のお漬物は奈良漬けしか存じませんでしたけど、こちらの方が普通に瓜の色ですなぁ」
「奈良漬けは赤いですもんね」
「それと、これは何ですの?えらい匂いの豆さんどすな」
「これは大豆で出来た納豆というものに大根菜を入れてたたいたものですよ」
「ははは、大坂では納豆は見かけぬな」
「まあ、でしたらちょっと匂いがきついかもしれませんね」
「これが旨いんだがな。どうだ?試してみるか?」
「へえ、怖いもの見たさの好奇心は誰よりありますえ」
「さすが、この毘沙門天の虎より強い姫だ」
百沙衛門自身に言われてしまう。
「何と。東次郎坊ちゃまも言ってましたが、瑠璃殿は若より強いというのは本当なのですか?」
「そうだ。この俺が瑠璃の剣に勝てないのさ」
悔しそうな顔でもないのがいたたまれない。
「それはそれは素晴らしいですね」
「何を言うのだ珠緒。男より強い女子がいるなど」
「あら、お前様。女子は強いものですよ」
「そうどすな。
強さとは何かと一口にいうのも難しおすしね」
「そうですよ」
「瑠璃、この納豆に生醬油を少し垂らして混ぜるのだ」
やって見せる百沙衛門の手元をじっと見る瑠璃。
「まあ白っぽくなってきましたえ」
「するとこのように」
数粒の納豆を端でつまんで持ち上げる。
「糸ひいてますやん。腐ってるんちゃいますの」
「ある意味腐ってるようなもんだが、食えるんだよこれが」
「まあ」
瑠璃の驚く顔の前で持ち上げたそれをそのまま百沙衛門自身の口に入れる。
「うまい。江戸の味だ」
「では、うちもいきますえ」
糸に苦労してるようだが、匂いに顔を顰めているようではないらしい。
「どうだ?臭いけどうまいだろ?」
「確かにかなり癖のある匂いですけど、もっと臭いもの食べたことありますえ。
だからうちは平気どす。確かにお味はおいしおすよ」
「納豆より臭いものなんてあるのか?」
「ぬか漬けの香のものとか?」
「近江の……琵琶湖の魚を使った鮒ずし言うのがあって、あれはこの納豆より酷い匂いです」
「ああ、鮒ずしですね」
「知ってるのか爺や」
「なんでも平安の世より古くからある保存のための鮨で。米のように税として納めるものだったそうだよ」
「へえ、うちもそう聞いてます」
「瑠璃は琵琶湖にも行ったことがあるのか?」
「そうどすな。
それに近江と京の間の比叡山の近くに、昔からうちらの武術や忍びの術の修行の場に使ってる道場代わりの寺が一つありまして。羽森の菩提寺でもあるんどすけど」
「比叡山は昔から寺が沢山ありますな」
「へえ」
「ふうん。なるほど、伊賀じゃないのだね」
「へえ、伊賀の郷とも付き合いは少しありますえ」
「なるほど」
「で、寺やというのに鮒ずしがたびたびお膳に上がって…それは美味しいのどすけど臭くて」
「なるほどなあ」
かたりとお膳に箸を置いて、珠緒が淹れなおした番茶をすする瑠璃。
「美味しゅうございました。ご馳走様でした」
「はい、お粗末様です」
少し頬に赤みがさして、いつもの笑顔の瑠璃の様子にほっとする百沙衛門だった。
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