5【狐饂飩】
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春うらら、昼を過ぎて酒を飲むにはまだ時間がある。
道頓堀の、いろは茶屋の立ち並ぶ隙間にある、うどん屋〈こすけ〉のまだ数え十二才の看板娘のお千代が、百沙衛門の前にどんぶりと七味の入った小さな瓢箪を置く。
「百様。おまたせ」
「うまそう。きつねにしてくれたのか?」
どんぶりの中には甘辛く別に炊かれた三角の揚げが浮かんでいる。
「へぇ。百沙衛門様にはお世話になってますからね。遠慮のう食べとくれやす」
お千代は朱色の元禄袖に丸い紋のちりばめられた黒い帯に前掛けと襷をしている。髪型は髷というより、自分で団子にして簪をひとつ差している。
「それで、連れてはるんやろ?」
どんぶりの前にある百沙衛門の腹が少し膨らんで、羽織の紐が揺れている。
「ばれてるか」
「誰も客が来ぇへん時間に来るときは連れてはるやん。ちょっと待って。さっきお父はんが使うた煮干しの出がらしがあるんよ」
「シマオ、煮干しだって」
合わせの隙間に声をかける。
ニャ
「はい」
一年ほど通っているこの店には、すっかり常連になっているシマオ専用の縞模様の小鉢もある。それを百沙衛門の足元に置いてくれるのを見て、懐のトラ猫を懐から出しておろす。
百沙衛門がどこへでもこの猫を連れているのは、誰もが知ることだ。
シマオはお千代を見上げて、一声ニャーオと泣いて、柔らかくなった煮干しに取り掛かる。
その様子をしゃがんで眺めてたお千代があるものに気付く。
「百沙衛門様どうしたん?この草履の鼻緒。えらい可愛らしいやん」
黒い足袋で履いている右足の男物の草履の鼻緒の坪が明るい紅色になっていた。
「え?ああ、さっき切れちゃってさ。
そこへ都合よく堀江の、瑠璃ちゃんがいたから、あっという間になおしてくれたんだよ」
「ああ、瑠璃姐さんは器用やもんなあ」
ニャア
「トラオちゃん、もう食べたん?まだあるやん。ちがうん?
あ、噂をしとったら、瑠璃姐さん!」
暖簾をくぐってやってきたのは若竹色の小袖に、黒に近い藍色の帯を吉弥に結んだ瑠璃だ。今はもう手拭いを被っていないし、すっかり町人の女子の格好だ。
「ごめんやす。姐さんはやめてやお千代ちゃん。うちまだ十六なんやから。
あ、トラオ、ええもんもろてるやん」
「だって、うちからみたら、瑠璃姐はんはあこがれやもん。これも前に作ってくれて、気に入ってるんやで」
といって、お千代が自分の頭につけている簪を触る。
そこには簡素だが梅の花のつまみ細工が品よく付いている。
「そんなん、余り物で作ったんや。またなんかあったら作ったるわ」
百沙衛門の隣の卓に座る瑠璃に、番茶を置きながらはしゃいだ声で
「ほんまに?うれし!」
十二才なら、こういうものだが、十六才の瑠璃は年の割にしっかりしているとよく言われている。それも〈姐さん〉呼びされる元になっているのだが、被ってる猫のせいだ。
コトリ と座った瑠璃の前に揚げの入った饂飩が置かれたと思うと、
ポン と軽快な音がする。
「これ、あんたは。また瑠璃ちゃんに簪作ってもらうんか」
うどん屋の亭主の粉助が盆でお千代の頭を軽く叩いてから腕を組んで立っている。
「だって、瑠璃姐さんの細工物は今やいろは茶屋の姐さん達にも人気なんやもん」
「ははは、材料が余るさかい勿体無いしな。本職やないから、派手に注文は取られへんのやけどな」
「それより、瑠璃姐さん、百様の鼻緒の修理に使こうたん・・」
「な、何でもええやんか。
あの時は手ぬぐいに届け物を包んでたからしゃーなく」
ず ずるずる
真っ赤になって饂飩をすする。
「そ、それに、百様だったら、すぐに履物屋で直すか変わりの草履に変えはるやろうし」
もぐもぐ
「瑠璃ちゃんが修理してくれたのがうれしくて、しばらくこのまま履こうかな」
「そんなん、応急処置やねんから、ちゃんと直さなまた切れるよって」
「うん。じゃあ瑠璃ちゃんが食べ終わったら、ちゃんと直してもらいに行ってもいいかな」
「うちに?」
「この赤い鼻緒が気に入ってさ、こっちも変えてほしいんだけど」
と左足を指さす。
その同心を少し赤い顔で見ながら。
「・・・しゃあないな。ほな行きまひょか」
ガタガタと椅子を動かして二人が立ち上がると、トラオは瑠璃の肩に乗る。
「じゃあお千代ちゃんこれ、瑠璃ちゃんの分と」
「へえ。おおきに」
背の高い百沙衛門がグイっと暖簾をくぐる後ろから声をかける。
「うちの分は自分で払うのに!」
「いいからいいから。行くよ」
どさくさに手を繋がれて、少し赤い顔で自分の家に向かう。
繋いだ手ごと百沙衛門の袖に入れられた瑠璃は、出来るだけ体を離すようにして歩いている。連行される盗人みたい・・・。ちょっと前かがみで歩きにくい。
昨日嵐山で尾関成親とすっぱり縁を切ってもらったのも、この同心が人目もはばからず事あるごとに近寄ってくるせいでもある。京都と大坂では距離があるが、けじめは必要だと思っていた。まあ、瑠璃もまんざらではないが。
道頓堀からさらに西。堀江銀座の裏手に瑠璃が借りている長屋がある。
「おかえり瑠璃ちゃん・・・と百様かいな」
「ただいま 権蔵さん今日は休みやったんか?」
瑠璃の隣に住んでいる権蔵は材木町の近所の桶屋で職人として働いているが、今は路地の床几に座って足の爪を切っている。
「まあ、今日は気が向かんかったから」
「ふうん。
あ、百様、ちょっと、散らかってんやから勝手に入らんとって」
長屋の防犯は隣近所の人の目がすべてだから、瑠璃の家には外側からの鍵がない。
夜寝るときに屋内のつっかえ棒で身を守るだけだ。
「別に散らかってないじゃないか」
勝手に水瓶から柄杓ですくって手を洗っている。
権蔵経由でほかの奥さん方におかしな噂が流れるのを恐れて、玄関を半分以上開けておく。
奥の窓を開けて風を通して戻ってきた瑠璃が百沙衛門に座布団を勧める。
部屋の傍らには少し大きな座卓があってその上には藤で編まれた道具入れなどが置かれている。
「悪いんやけど、先に急ぎの作業しながらでもええ?」
火鉢の炭の火を熾してその上に鉄瓶を載せる。
「トラオ、あんたはこっち。火やら鋏やら使うから危ないよってな」
そういって、小ぶりな土鍋の中に木綿の端切れを敷いて猫を入れると、くるりと丸まって、すっぽり入ってしまう。その背中を少し撫でてほほ笑む。
その柔らかい瑠璃の顔が見たくて、百沙衛門は虎猫を連れて歩いていたりする。
「勝手に上がり込んでるのはこちらだからな」
道具入れを広げた瑠璃は、油紙に包まれた器に入ってた糊を出して練りだす。途中で火にかけていた鉄瓶から少し湯を足してさらに練っていた。
小さく切りそろえられた紫色の縮緬と並べたところで立ち上がると、傍らの水屋箪笥から煎茶の道具を出して、羊羹の切れ端を百沙衛門の前に置いてまた作業に戻る。
つまみ細工を手際よく作り始めた瑠璃の手元に今度は百座衛門が茶を入れて、瑠璃の前に置いて、自分にも入れる。
「相変わらず器用だな」
「おおきに。で?うちの内職見に来たんちゃうんやろ?」
「他人の手仕事をじっと見るのも楽しいけどな。
先日のえびす屋の女将が殺された話なんだが」
「うん」
「旦那の浮気相手を調べていたみたいだな」
「相手は誰なん?」
「たしか、玉むしとかいう遊女で」
「はあ。遊女なんか大坂には沢山いはるから、よっぽど売れっ子じゃないと分からんね」
「そうなんだよ」
「・・・うちと同業だったりして。ただのカンやけど」
「女のカンは侮れないと言うけどやっぱりそうか」
「名前がそれくさい」
しばらく、そうして先日の仏さんのことや他のことの話をしていた。
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