肆拾九【町方の記憶】
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長屋を出たところで、百沙衛門は見覚えのある男とすれ違う。
「ご苦労さんです。詳しくはあっしが羽盛の殿様の所に伝えに行きますが」
「分かりました、その荷物をおいたら自身番に来てください勘三さん」
「へえ」
それは黙って頭を下げて、自分が出てきた玄関に入っていく。
背中には瑠璃の追加の荷物が入っているであろう大風呂敷。
勘三は瑠璃にとって叔父であり姫の随身だ。
女が数日とは言え布団と身一つで暮らすには物が足りないのは確かだ。
だがそれは明日でも良いと考えていたが。忍び達の仕事は早い。
◆◇◇◆
「松助邪魔するよ」
「百か、良いぜ」
「ここは変わらないな」
「五年や十年で変わるかよ」
父の藤岡重蔵がまだこの江戸北町奉行所の奉行をしていたころに、百沙衛門は元服前後に与力の見習いの真似事をしていた。
それまで旗本の子として、聖堂や道場で学問や武芸を修めに往復するだけだったのが、父親の方針もあって彼の部下の与力や同心などに付いていき、その働きぶりを見させてもらったり、奉行所や屋敷にほど近い日本橋や八丁堀の辺りを色々見て回って、町人たちの暮らしぶりを知り、会話を重ねて行ったのだった。
その時に百沙衛門のお守りをさせられたのが松助だった。
そんな昔話をして、
「まだ前髪があった時の百は可愛かったよな。道場帰りに鉢巻きしたままの時はまるで絵本の桃太郎みたいで」
「よせよ」
百沙衛門をただの良い所の坊ちゃんだと思っていた。
ある日、隣り合った数軒の金物屋や荒物屋が蔵出し市をするというので、袴姿に脇差だけを腰に差したまだ十歳ぐらいの百を連れて見回りに行った。
お奉行様の長男だと言うこともあって、庶民が普段日用品に興味津々で、目をキラキラさせて色々な道具について聞いたりしていた。
最初は答えていたのだが、松助とて生活するのに女程家事をこなすわけじゃないので途中から、
「知らん」
を連発し始めた。
すると、
「おばちゃん、この道具は何ていうの何に使うの?」
「おや、可愛らしいお侍さんだねぇ。
これはおろし金っていう物で、大根おろしを作るのさ」
「大根おろしってこういう道具で作るんですね」
「そうさ」
「わわ、これはおろし金のこどもですか?」
「わはは。それもおろし金さ。
生姜とか山葵を下ろすのさ」
「へえ、面白いですね」
「きっと、お家にもあると思うから、台所で聞いてみるといいよ」
「はい」
だけど、目明しの俺と歩いてるから、冷やかしでも店のやつらは邪険にしない。むしろ、いつも俺一人で歩いているより、町のやつらの態度が明らかに違う。
子供とは言え身分なのか?見た目なのか?
どちらにしても松助には手に入らなかったものだ。
松助も、曾祖父の代を辿れば旗本の出だった。
だが本家筋が跡継ぎに恵まれずお家が断絶となり、父の代で牢人となった。
母も近しい家の出で、その家も同じく断絶した旗本の家臣だった。
父母は松助からすれば叔父や叔母にあたる下の兄妹のために、人足や内職、その他さまざまな仕事をこなして生活費を稼ぎつつ、たった一人だった息子には読み書き算盤や剣術など、武士には戻れなくても身を助けるものだからと学ばせてくれていた。
それでも、声が太くなる頃には親に逆らってはガラの悪い連中とつるむようになっていた。
無理がたたった母親を追うように続けて父親が死んだ時も、岡場所に冷やかしに行ってて二人の死に目にも会えず気が付けば葬式さえ終わった後だった。
多少生活が貧しくても、最低限の学問と武芸を身に着けてくれていた両親になんて親不孝なんだと、自棄にはなっていても、その生活から抜け出せずにいた。
「松助、このところちと腑抜けてるんじゃねえか」
破落戸のたまり場になっている空き家で、ガキどもを束ねる男に声をかけられた。
そいつの腰ぎんちゃくに囲まれながら。
「そう見えるか?」
「そんなお前さんに、気合の出る企みに誘ってやるよ」
「企み?」
「松助は字が達者だからなぁ」
「何を書くんだ?」
「いやなに、日本橋のつる屋って呉服屋に別嬪な娘がいるだろ?
あの娘の名前を入れた脅迫文を書いてくれないか」
「……なんだと?」
「〈娘の命が惜しければ五百両用意しろ〉ってな」
襟の合わせから出した手のひらを広げて言う。
「五百両?」
「大店の娘の命に五百両は安いか。千両にしよう」
「娘を攫うと言ったって、あの人にはいつも女中が付いているだろう?」
「あんな婆あ一発だぜ」
「……いつやるんだ」
「松助が手紙を書いたらすぐだ」
「もしも断ったら?」
「そこの娘が売られるだけだ」
「なに!?」
「あれだけ別嬪なら、親が出せなくても、金にはなるだろう」
腰ぎんちゃくたちが話す。
「あの娘はいつも五の付く日に習い事をするために同じ時間に出かけているからなぁ」
「次の五の日まではちょいと時間があるから、準備出来るぜ」
「わかった、用意するから、早まったことだけはするな」
「何だ?お前、誰に指図しているんだ?」
「指図じゃねえ。とにかく早まるな」
「気に食わねえな」
と言いながらこぶしを振り回して来たところを、避けた。
「何だお前その目は、おいお前らやっちまえ。たしかに松助は強いが数人がかりで叶わぬほどではないぜ」
「「「へい」」」
ドスッ、バキッ
「ううっ」
「おっと、右手は怪我をさせるなよ。文字を書かなければいけないからな」
「おう」
「「わかってまさ」」
ドカッ
右手以外を押さえつけられた俺の前に、墨がついた筆と紙が差し出される。
「おら、書け」
「ううう」
「……なんだ、たいして綺麗な文字じゃねえな」
「痛めつけすぎましたかね」
「まあ、俺らが書くよりは読みやすいだろ……やれ!」
そのあと再び殴られて、気が付けばずぶ濡れで八丁堀の番屋に引き上げられていた。
「っつう」
「じっとしてろよ、繋がると思うが右腕が折れているんだ。
お前さん墨田川に流れていたんだ」
人の好さそうな岡っ引きが話しかけてきた。
「そうか……!おっさん今日は何日だ!」
「今日は二十日だぜ?」
「つる屋の娘さんは無事か?」
「つる屋?つる屋のあの別嬪さんに何があるというんだ?」
「いや……まだ何もなければいいんだ、だけど……おっさんの上の十手もちはいねえか?親分さんか同心とか」
「も、もうすぐ来られるよ、お前さんのそのずぶ濡れの着替えを取ってくるって言ってた」
「着替え?」
すると番屋の扉がガラリと開いて、一人の立派なそうな侍が入ってきた。
「どうだ?……気が付いたか?」
「へえ、ご覧の通りで」
「お前は松助だな」
「はい」
「とりあえずこれに着替えなさい。腕が動かせないだろうからその岡っ引きに手伝ってもらって」
「はい、ありがとうございます」
着物を着換えているうちに、顔なども怪我をしていて、軟膏が塗られて上から布を当てられていたのが分かる。
「あの、お侍様は見たところお上の仕事をされているのですか?」
帯に差し込まれた紫の房の十手を見る。
「うむ、町方を預かっておるものだ。
して、なにか?お前が気になっていることがあれば言いなさい」
そして俺はつる屋の娘をかどわかす謀があること、その脅迫文を書かされたことなどを全部話した。
「わかった。松助。
お前はさすが、あの人の息子だな」
「父をご存知なのですか?」
「うむ、同じ道場で剣術を学んだからな」
「そうだったのですね」
そして、つる屋の娘のかどわかしは未然に防ぐことが出来、破落戸たちが一気に捕まったのだった。
その時の紫の十手の人こそ、藤岡の先代当主で、百沙衛門の祖父だったのだ。
そして、その時はすでに先々代の北町奉行をしていたのだ。
一連の事件沙汰を言い渡された、破落戸たちが連れていかれた後のお白州で、
「お前も今回は不問にしたが、これまでのあいつらの罪に加担してきただろう」
「へい」
「それらには目をつぶってやるから、町で目明しをしなさい」
「はい?」
「人はお役目が無ければ、悪い誘惑に誘われやすいのだ」
「……」
「このままでは、かつての私の幼馴染であったお前の父親が、草葉の陰で嘆いていると思うとこのままそ知らぬふりが出来ぬからな」
「はい、わかりました」
それからいくらかして、北町奉行が代替わりした後に、百沙衛門の町方見習いの手伝いをさせられていたのだ。
代々町奉行をしている藤岡家の、
〈町のことは町の衆に聞け、机上だけで解るものでは無い〉
という訓えのとおり、百も旗本でも上の方の位の長男だというのに、元服前から賑やかな世界を見聞している。
百沙衛門は生まれついて正義感が強い。
スリの現場を見つけて、岡っ引きと一緒に追いかけて捕らえたり、薄幸そうな母娘が破落戸に因縁付けられた時には毅然と立ち向かっていた風景などは、本当に桃太郎のように見えたと思っている。
道場では同じ世代の侍に負けることはなく、元服してからは剣の腕を示す異名もあるほどだと、同心が囁いていた。
「で、そんな百の心を射止めたおるりって…いやお前さんは瑠璃と呼んでたな、は何者なんだ?」
「……俺から松助に言う事は出来ないんだ。すまんな」
「ふうん」
「だが、ああ見えて俺より剣の腕は立つんだよ」
「は?毘沙門天の百沙衛門が?勝てない」
「ああ」
「それは百、惚れた弱み……ちゅうやつじゃねえのか?」
「違う。惚れてはいるがな」
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