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上方びいどろ  作者: 前野羊子


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肆拾八【影猫】

いつもお読みいただきありがとうございます!

このページでゆっくりしていってください~♪

 百沙衛門は食べだすと止まらなくなった饅頭の四つ目に手を出そうとして……

「遅いな瑠璃」


 温くなった番茶をさらに足して飲み干す。


 行灯の様子を確認してから、三和土の草履を履いて外をみると、先に借りていたと言ってた隣の家の扉が開いていた。


「瑠璃?こっちに居るのか?」


 ニャア


 猫の鳴き声がひとつ。


 目が少し慣れてきた。


 こちらも裏の雨戸が開けられていて、確かに大きな柿の木が半月の下で茂っている。


「瑠璃?」


 畳敷きの床の感触がふくふくとしたものに突如変わる。

 見ると二間続いている畳の部屋の終わりの縁側に畳が広げられていて、そこには見覚えのある着物と帯が散らかっていた。


「瑠璃!」


 窓から風に靡いて一枚の紙が百沙衛門の足袋の上にひらりと落ちてきた。


 〈少し見てまいります。隣でお待ちください。火の番をお願いいたします〉


 いつか嗅いだ、焚き染められた香の薫る置手紙だった。


「ったく」


 暗がりに慣れてきた目が部屋の衣桁を見つけた。

 そこへ、着物と帯をバサリと引っ掛ける。

 ただ、引っ掛けたのがその二つだけだったことに少し安堵していた。


「足袋は……いいか」

 それでも拾って衣桁の下に置く。


 布団はそのままに。


 ◆◇◇◆


 見つかったら猫を装うつもりだったが、まさか百沙衛門に対して鳴くとは思っていなかった。


 えびす屋の建物と思われる敷地に、長屋の庭越しにひらりと飛び越えて降り立った瑠璃。

 カサリと踏む足元の枯れ葉は、背後の柿の木のものだ。


 閉ざされた雨戸の縁を触る。

 湿った埃の感触が、長く開けられていないことを物語る。

 夏なので、中で暮らしているなら夜は開けていないと暑くて寝づらくなる頃だ。

 それに、まだ陽が暮れて戌の刻に入ってそんなに経っていないが、雨戸の隙間からも漏れ出る灯りは無い。


 片方の通路に入り込む。お隣との境は竹垣になっていた。

 そちらの方の窓も閉ざされている。


 だが、素足になっている瑠璃の脛がほんの僅かな風を感じて、そちらを見ると床下の通気口と思われるところから僅かな光が漏れ出ていた。


 床下ではなく地下かもしれへんな。


 玻璃は入っておらず格子だけの隙間からみると、どうやら木箱のようなものが半分塞がれているようだ。


 物置にしては、部屋は真っ暗やのに、地下を光らせてなにしてんやろ。


「さるた……奥羽からの連絡はまだか!」

「利直様、先ほども番頭の九朗殿に尋ねたところ、だて屋にはまだ届いておらぬと」

「先日何を思ったか兼靖も城内で騒ぎを起こしたという話だ。まだ牢で生きているらしいが、時間の問題だ」

「それは……口を割られたら、奥羽に手が回ってしまうかもしれませぬな」

「いや、兼靖は我らと同じ恨みがあっても、計画までは伝えておらぬ」


「もう、決起しますか?」

「いや、まだだ」

「当初の予定では間もなく……」

「だが準備していたあちらの物が無駄になってしまったからな」

「では、次の法要の時期に……」

「六年後か……それまで待つべきか……」



 足元の話をある程度聞いた瑠璃はその場を離れ、玄関のある正面以外をぐるりと回る。

 地下の窓があったのと反対側の地面近くには窓らしきものは無く、竈のための煙突や便所らしき窓を確認すると、長屋に飛び越えて戻ってきた。


 柿の木のある暗い方の縁側で、外歩き用の足袋を脱いだ。

 この足袋は、大工やとび職が屋外で使っている履き物で、布を重ねてあって、まるで道着のような刺子になっている。草履よりは歩きやすくて、藁時より足音が抑えられる。


「……戻ってきたのか?」

「へえ」


「本当に忍び装束のようだな」

「あれは、かえって動きにくいさかい。

 これはただの襦袢で、中に着こんでたんどす」


 晒しで胸を抑えた上から着こんだ灰染めの筒袖の襦袢を腰ひもで結び、裾をからげて後ろでその腰ひもに差し入れていた。

 絡げた着物の下は股引を履いているものの膝から下は素足だった。


 そして同じ灰染めの手拭いをあねさんに被っていた。

「百沙衛門様、着物掛けてくれはたんですかおおきに」


 衣桁に伸ばす手を掴んで、思わず抱きしめる。


「瑠璃が強いと分かっていても、無茶はしないでほしいんだよ」


 将来の夫は心配性で大変かもしれへんな。


 でも、その心配されているのが少々嬉しく感じているのも確か。


「おおきに。

 せやけどこれはきっちりしないと……下手をすればうちだけの話じゃなくなりますさかい」


 百沙衛門の香りとシンの音を頬に感じて、瑠璃も腕を回し、男の背中をポンポンと宥めるように叩く。


「……分かってる。

 先に戻ってるから、着がえてからおいで。

 あちらで話そう」


「へえ」


 ◆◇◇◆


「今年が法要だから、供養をかねて決起する予定にしていたのだな」

「へえ、次の大きな法要は六年後やと」


 夏とは言え襦袢だけではちょっと寒かったな、と百沙衛門が入れ直してくれた番茶をゆっくり啜る。


「饅頭まだ一つあるよ。瑠璃が食べな」

「おおきに……ほんま美味しいわ」


 こしあんの薯蕷饅頭はほんのり酒の香りもして、緊張疲れがほっこり和らぐ。


「だろ?俺もよく子供のころから食べていたんだよ」



「それにしても、さるた……知らないなぁ」

「聞いただけやから、字いが分かりまへんしね」

「大坂行く前で、公儀に勤める者の道場が奉行所にあるがそこでも聞かぬし、御前試合も幾度か見に行ったが覚えが無いな。

 文字も申か猿か介か助か……」


「あと、だて屋の番頭だな」

「九朗っていうらしいですよ」

「そちらは明日店が開けばいいが」

「そうですね」


「とにかく、瑠璃の話を北町奉行の河口様や老中とも共有しないとな」

「せやねぇ」

「せめて松助に協力させよう、あいつの方がこっちの人間だからな」


「木戸門が閉じる前にもう一度話してくるよ」

「分かりました」


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