31【東海道】
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「くすくす、残念でしたね旦那様」
長屋にあった瑠璃の荷物は、確かに百沙衛門の屋敷で預かった。
しかし、瑠璃自身の身を預かることが出来なかった。
「父上からも御用があって、江戸の親類の所に行くように言われたんどす。羽森家の事なんで、別行動で。先にあちらで待ってますえ」
そういって、大八車と七兵衛を残し、気が付けば姿が消えていた。
そして、百沙衛門はお染を乗せた馬の轡を引き、自宅の屋敷からとりあえず京橋に向かう。
今回は、江戸の日本橋あたりが目的地なので、東海道を行く。
一方、瑠璃は淀川を十石船で遡り、えびす屋の女将の仏さんを一緒に拾った船頭ともう一度実家に帰って、江戸の遠縁にあたる武家あての書付を父の兼麿に預かり、出発する。
同行するいつかの船頭の名前は勘三。
勘三は、兼麿とは腹違いの弟で、つまり瑠璃にとっては叔父にあたる。ただ、低かった母親の身分とお役目のために公家には入らず、忍びとして動いている。
勘三は先ほど屋敷で着替え、今は船頭ではなく旅の武士という格好だ。
瑠璃も元服前の若い武士という出で立ちで二人とも刀と脇差を差し、羽織袴姿に頭に笠を被った旅装束だ。
「瑠璃、無茶したらあかんよ」
靄が立ちこめるほどの早朝、屋敷の玄関口では、珊瑚姫が話かけている。
「珊瑚姉様、大丈夫。うちは強いんよ。勘三だっておるしな。何とか姉様の祝言までには帰ってくるさかい」
心配顔の珊瑚姫に笑顔で応える。
公家同士の結婚は夫が妻の家に通い始めるのは平安の時代から同じ習わし。
外へ公表するという意味の祝言までにはまだ数ヶ月余裕がある。
「今回も無事に帰っておいで」
「はい、行ってまいります」
二人は屋敷にたどり着く前に京町奉行で二頭の馬を借りている。
瑠璃の紫の十手と、大坂町奉行の書付で借りることができた。これで、東海道の宿場町で馬を乗り継いで早馬なら三日だが余裕をもって四日であちらに着く。
馬を何度目かの乗り替えのために、昼過ぎに桑名で少し休憩する。五年前に食べ損ねた焼き蛤を今度は絶対食べたい瑠璃の意向もあったが。
もぐもぐ、あっち。旨。
殻にたまったお汁がなんとも言えんね。
目の前は海。
隣の勘三が
「酒飲みてぇ」
とつぶやいている。
「昼過ぎやからなぁ、宿まで待ってや」
「この蛤で酒を飲みたいのに・・・」
ぼやきながら白いにぎり飯に喰らいついている。
「今夜は、岡﨑宿の脇本陣やって?」
「せや、兼麿様がすでに手配してくれてるらしいで」
「二人しか泊まらへんのに大丈夫なん?」
「二人だけやから行けたんちゃう?大名行列とかち合っても、姫さんなら一部屋ぐらい行けるやろ」
二人と言っても、もちろん別の部屋だ。
「木賃宿に泊まってみたかってんけど」
「そんな台詞言うたら、お父上もお奉行様も家から出してくれんようになるよ」
「それは嫌やけど」
木賃宿は、とにかく安く寝泊まりする宿で、女だろうが混んでいたら相部屋の可能性がある。蚤にかまれたりネズミに荷物を齧られるという話も聞くほどの汚い粗末な宿だ。
そんなところに、男装しているとはいえ、公家の嫁入り前の姪っ子の姫を泊めるなんて、勘三でも無理だと思っている。
「脇本陣やったら、風呂もあるやろ」
「それは、捨てがたいなぁ。ほな風呂を目指して行こうか」
「ぷっ、風呂やなくて、岡﨑を目指すんやで」
「分かってるって」
馬を取り換えて宿場町を出る。宿場あたりは人が多いので轡を曳いて、野道のような所に出ると、馬に乗って駆ける。それを繰り返して、岡﨑に向かう。
「ようお越し下さいました。羽森様」
「うむ、世話になる」
岡﨑宿の脇本陣では、庄屋でもある亭主が出迎えてきた。
入り口では、東海道からの人の目があるので、勘三が受け答えしている。
一歩部屋に入れば、今度は瑠璃が前に出されて、挨拶を受ける。
「瑠璃姫様、一泊とは聞いておりますが、ごゆるりとなされてくださいませ」
「亭主はん、こんななりですみませぬ。世話になります」
顎紐を解いて、笠を脱ぐ。
「いえいえ、姫様が身を守るためだと分かっておりますよ。ささ、まずは旅装を緩めてお湯をどうぞ」
隣には女将が出てきて瑠璃を奥へ案内してくれる。
「おおきに。今日は他の殿さまは来られないんですか?」
「向かいの本陣にはいらしてると思いますけど、小さい藩らしくて、この脇本陣まで使わないようです」
「そうですか、それは都合が良かったです」
「お連れ様は、どうします?」
「某はお構いなく」
「女子は?」
「今回は護衛ですからな、要らぬよ」
勘三と女将のやり取りに、
「やあね、姫がいるのに、旦那は何を聞いているのやら」
「そうですね。まあ、勘三はうちに気にせず遊んだらいいと思いますけどねぇ」
脇本陣には二つの湯殿がある、その中でも普段宿泊する大名が利用する奥の湯殿を使わせてもらう。
本陣と脇本陣は、参勤交代の大名が利用する格式の高い宿だが、公家や役人も利用できる。今回瑠璃は父親が飛脚を飛ばして手配したから、公家として利用しているのである。
脇本陣で出た食事は、八丁味噌の田楽、餡掛け豆腐、ごはんとお漬物。
「どうですか?京の公家の姫様のお口に合いますか?」
「美味しいおすよ。とくにこの餡掛け豆腐が優しいお味で好きになりました」
「ほっ、それは良かったです」
馬の旅も自分の足で走ってるわけではないけど、お腹がすく。
きっと、明日あたりお尻や太ももが痛いかもしれない。
後から来る百沙衛門はともかく、一緒に来るお染のためにはゆっくり来てほしいと思う瑠璃だった。
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