外伝-2063年の前日録-
「道乃さん」
眼鏡をかけた、少しやせた老人が老人に声をかけた。
「大山…ではないな。だがどこかで聞いたことがある声だ」
「あなたのボイスメッセージを記録した記者ですよ」
「あぁ、君はあの時のか!名前を憶えていなくてね。少しいいかな?」
「覚えていないもなにも、言っていませんよ。道乃さん、やっぱり名前を覚えるのは苦手ですね」
「そうだな…」
道乃、と言われた老人は笑った。君こそ眼鏡がよく似合っているよとかるくなじったが、二人とも悪い顔はしなかった。
「まったく、ボイスレコーダーを持って今日は何を記録するつもりだ?」
「実は…道乃さんも知ってると思うんですけど、最近のAIの技術がどうなると思ってるか、記録しようと思いましてね。それに、道乃さんに二度と会えない気がして」
「…お前、勘が鋭いな。さては私の寿命をいじっているな?」
道乃は大笑いして、それから続けた。
「まぁもう少しは生きると思うさ。また会えるかもしれんな」
「で、どうなんです?」
「…AIの話だったか。確か今は軍事での使用実験が始まっているんだよな?」
「ええ、ついに歩兵の実験運用が始まっています」
「歩兵、か。わざわざ人型マシンで戦うとはばかげたもんだな」
「馬鹿げた…?」
「ああ。人間の体には不都合な構造が多い。首が無防備なのはもちろんだが、それ以外にも可動域が極端に少ない場所も多い」
「なるほど…やっぱり道乃さんらしい。いろんな分野の知識をお持ちです」
「褒めても何も出んさ。それより、AIの軍需転用が始まったということは、それだけAIが発展しているということ。近い将来AIが産業に強く進出してくるだろう。軍需は必ず世界最先端を行く。つまりAIの時代が来たということなんだ」
「…私も、職を失いそうですね」
「ふふっ…そうだな。まぁ、もう少しだけ時間があるだろう。だが――」
「だが?」
「〔誰もついてこられなくなる〕はずだ」
「誰も…ついていけなくなる?それは…」
「技術の進歩は日進月歩、指数関数的に速さを増す。だが、人間の総合的な知的対応速度はせいぜい100年単位、早くて10年単位。人間が適応するよりもはるかに速い速度で技術が進化していく時代が目の前にあるんだよ。もはや進化に人間が必要ない時代さ」
「人間が必要なくなる、ですか…」
「ある学者は新しい世界を担う人類を仮に〔ホモ・デウス〕と呼んだ。誰だったかはさすがに忘れたがね…それで、重要なのは人間は考えるのをやめるかやめないかだ。効率という二文字をいつまでも追いかけ続けた結果として、人間は人間己自身を社会から駆逐してしまった。このままいけば、人のいない会社が人のいないオフィスで仕事をして、人のいない機械で建設し、人のいない工場で物を作り、人のいない農地で作物を作ることになるだろう。もしかすれば、それらを整備するものさえ人が必要ないかもしれないな。このような社会で人間が得られ得る地位はたった一つ、〔無用の長物〕だ。何もかもが機械の性能に劣る人間は、この社会モデルの内部では生きることしかできない。加えて、好きかどうかも分からずに様々なものが簡単に供給され、消費できるようになる。自分をより知っているのは自分ではなく機械だからという単純な理屈で、人は自分の好みさえ探さなくなるわけだ」
「…私にとっては末恐ろしい社会です」
「だな。私もまるで想像できない。自分の本心が好きなのかではなくて、自分の脳がそれを気に入ったかを機械が判定するんだからな。ここまで人間の活動が外部化されたら、もう人間の存在意義そのものが消滅する。エネルギーを浪費しているだけと言っても差し支えないほどかもな」
「…ヨーロッパでは、〔VRタウン〕というのが実験的に始まっているそうです。VRで余計なものを写さずに、情報はいくらでも出すことができる。AIが自分の好みかどうかを出してくれる。道乃さんが言った社会は思ったよりすぐそこなんです」
「…初めて聞いたな、それは」
「ええ、なんせ報道されていませんから」
「何?」
記者は写真を一枚取り出した。端っこには「掲載不可」の文字。
「おいおい、今時検閲か?」
「当たりです。今の日本政府はこのAI化の動きに強く反対しているんです」
「…そうか。だから検閲も…」
「…世界が二極化しているんです。AIをどう使うかで」
「…人間も馬鹿なものだな。あんな戦争があった後だというのに」
「仕方ないですよ。道乃さんの言う通り、人間の意義を奪われて生きるか、人間として生きるかの戦いですから」
「…私の答えは〔好きにしろ〕だ。私の意見を聞くのは自由だが、個人の意見を神聖化するのはだめだ。歴史上それで終わらない戦争が始まった例は山ほどある」
「そうですね…」
「…まぁ重い話だが、私にはあの戦争を償う責任がある。戦争を忘れるようなら、ある程度は彼らにも責任がある。人間は戦争を始める時、命より大切なものがあると言い、戦争を終える時、命に勝るものはないと言う。そうならんことを祈るばかり、だな」
「そうですね。今はただ、祈るしか…」
「ま、また来るといいさ。もし私が生きていたらだがね」
「ええ。私もこれで納得がいきました。それにどう思っているのかも。また会いましょう」
記者はそう言うと、車に乗って帰っていった。道乃はそのボイスレコーダーを公開するのか測りかねたが、それもすぐに忘れてしまった。
某年の秋。日没は美しく、高い青天井を燃やした。




