黒いナニカの目撃情報をお寄せください
ゆずき@Yuzuyuzu××××
A県各地で行方不明事件が多発しています
娘が黒いナニカに連れ去られました
夕刻、小学校などの帰り道で黒いナニカを見たことがある、または黒いナニカのことをご存知の方は私に知らせてください
#不審者
#拡散希望
#黒いナニカの目撃情報をお寄せください
始まりは、ある大手SNSサイトに投稿されたそんな呟きだった。
投稿主であるゆずきは女流作家。フォロワーが5000人を超えている。
そのおかげもあってすぐにその呟きは拡散されていった。
A県は首都圏から離れており、人口は比較的少ない。
そして投稿主の地元でもあった。
H市に出没する『黒いナニカ』とは何なのか。
彼女の謎の投稿がSNSサイト中を賑わせた。
「ホラー小説のネタ集めなのでは」
「ゆずき先生が新作宣伝以外の呟きなんて珍しい」
「釣りだろ釣り」
そんな野次馬たちの投稿がなされたが、目撃情報らしき投稿はまるで見当たらない。
ゆずきという女流作家の娘が失踪したのは確からしく、それがその投稿の通り『黒いナニカ』という怪しげな不審者によるものなのか、ただの家出なのかは定かではない。
***
「気をつけてね」
「うん、また明日ね」
七月中旬になろうという頃のある日の夕暮れ。
赤いランドセルを背負った少女が友人に手を振り、一人で静かな路地へ入っていった。
彼女の名前は絢香。近所に住む、小学六年生の女子だった。
「今日はクラブで遅くなっちゃったな。早く帰らなくちゃ……」
最近、ここらは物騒だと彼女は母親に聞かされていた。
一体何者かの仕業かはわからないが、この町での失踪者が増えている。最初は単なる家出だろうとかで大した噂にならなかったが、すでに今年だけで五人も行方不明になっているのだという。県内の他の地域でも同様の事件は起こっているらしい。
だが絢香の両親は共働きで常に家にいない。だから絢香は小学校から一人で帰る必要があるのだ。
途中までは友人がいるけれど、友人宅に着いてしまった後は誰もいない。
少し心細い気持ちで、むわんと暑い中、帰り道を急ぐ。
ランドセルがずっしりと重いせいで足はなかなか前へ進まず、いくら歩けど家は見えない。
けれど当然、永遠に歩き続けても家に着けないなんてことあるわけないと絢香は自分に言い聞かせる。
「『黒いナニカ』なんているはずない……大丈夫、大丈夫だから」
絢香は知っていた。大手SNSで、『黒いナニカ』についての投稿がなされていたことを。
あれが単なる作り話であればいいけれど、もしも投稿主が行方不明になった子の誰かのお母さんだったとしたら? 『黒いナニカ』というのが子供たちを狙っているのだとしたら?
考え出すと止まらなくなって、思わず急ぎ足になる。
家に帰ったらテレビを見よう。そうしたらいつも、怖い想像は吹っ飛ぶ。
吹っ飛ぶ、はずだから――。
その時、絢香は急にとてつもなく恐ろしくなって、背後を振り返った。
そこにはゆらりとゆらめく影があった。
目の錯覚かと思った。
空中にぽっかりと空いた、わけのわからない穴のようにも見える。はたまた宙を漂うボールのようにも見えた。
ただ一つ確かなのは、それが漆黒だということだ。
――娘が黒いナニカに連れ去られました。
思い出した途端、ひっ、と喉から声が漏れた。
逃げなくちゃ、と思う。あのナニカが何なのかはわからない。でもとにかく逃げなければいけないことだけはわかる。
でも足は張り付いたように動かなかった。いや、違う。逆に後退していた。
背中に汗が吹き出す。心臓が早鐘を打ち、ばくばくと音を立てた。
『黒いナニカ』にじわじわと引き寄せられる。まるで吸い込まれるみたいに。
そうしながら絢香は、両親の顔を思い浮かべた。つい先ほど別れたばかりの同じクラブの友人を思い浮かべた。
最後に見たのは、『黒いナニカ』の中央、三日月型に口角を歪めて笑う、おぞましいとしか言いようがないものだった。
それに絢香は、呑まれた。
***
たくさん拡散され、SNSサイトで一週間もの間話題になり続けたにもかかわらず、ゆずきの投稿に目撃情報が寄せられることはなかった。
結局、何だったのかわからぬまま、徐々にその話題は周囲からの関心を失い、消えていった。
だがそれは何も知らない者たちに限っての話。
被害者の家族――たとえば絢香の母は、警察に言われて、確かに見た。
娘が黒いモヤのようなものに覆われ、忽然と姿を消した様を捉えた防犯カメラの映像を。
黒いモヤが何であるのか全くわからない。
防犯カメラの故障によるものだろうと警察は適当に結論づけたようだった。犯人は不明。絢香の行方の手がかりはその他には何も存在しない。
絢香の母も無理矢理それで自分を納得させ、目撃情報をSNSサイトに投稿するようなことはしなかった。
ただ、そのことは生涯忘れられず、思い出す度に寒気がしたという。
『黒いナニカ』が一体何であったのか。
知っているとすればきっと、連れ去られた子供たちだけだろう。