おひとりさま令嬢と婚約破棄
「レクサント・ワーズ。お前にはほとほと愛想が尽きたゆえ、婚約破棄を申し渡す」
王都の貴族学院、その卒業を内々に祝う場での暴挙です。
目の前の男…ヴィエール公爵の嫡男であるフレデリク・ヴィエール様が、マナーもへったくれもなくわたくしに指を突きつけ高らかに宣言をいたしました。
その腕の中には、最近学院を賑わせているリリア・オルレーヌ男爵令嬢を侍らせ、その背には高位貴族のご学友を引き連れて。傍目に見ればヴィエール公爵家に付き従う取り巻きのようにも見えますが、その実は男爵娘に侍る取り巻きどもなのは存じておりますとも。
互いに十八歳となり、数日後に正式に卒業をすれば、婚姻が予定されております。それを独断で破棄するとおっしゃるか。
ざわりと周囲が騒がしくなります。ですが、わたくしへの同情は一切ありません。むしろフレデリク様に好意的とすら思えます。
やっとか。遅すぎるぐらいだ。よく我慢してこられた。
男も女も、概ねがそのように思っているのが手に取るように分かります。まあ、女のそれは、男が思っているほど素直な感想ではないと思いますけど。
しかし嫌われたものですね。わたくしは貴方たちに何をしたわけでもないというのに。
その後も無いことばかりの罪状をつらつら述べるのを、つまらないという表情を隠しもせずに聞き流します。
大体、令嬢をいじめたとか嫌がらせをしたとか、事実だとしてもそのような下らない事由で高位貴族の娘を裁けるなどと、本気で思ってるのでしょうか。
まあ最後の暗殺未遂に関しては裁ける可能性がありますが、事実ならばという話ですわね。どうせ確実な証拠は何一つないに違いありませんし、あったとしても通常であればその判断は裁判所に委ねられますので、この様な場所で裁けはしないはずです。
そうですね、わたくしもほとほと疲れましたので賛成です、とは口にはしません。色々と面倒ですので。
普通ならばこの状況でわたくしが責められる謂れはないのですけど、生憎とわたくしの評判はよろしくありません。わたくしが何をしたわけではないけれど、ただただ凡庸であるがゆえに。
かといって男爵令嬢ごときに見下される筋合いはないのですが、わたくしにとっても渡りに船の提案ですし、思った通りに事が運んで何よりです。
「かしこまりました。わたくしの物は全て引き払いますので、どうぞ、ご随意に」
そう言ってわたくしは適当な跪礼でその場を後にします。最初から最後まで敬意の欠片も抱いていない相手に完璧な礼儀など不必要ですしね。わたくしの評判が下がる?これ以上?
わたくしが泣きも喚きもしない、どころか何の反応も返さず踵を返したことに虚を衝かれたのか、間もなく成人を迎えようという大の男が揃いも揃って機能停止してしまったようです。その程度の対応力で冤罪を突きつけようなどと片腹痛い。
まあ、公爵嫡子程度の権限でこの婚約が破棄できるとは思いませんが、ここまで公になってしまえば公爵も継続とは言えますまい。貴族とは体面を大事にする生き物ですので。
ひとまずワーズ侯爵家の屋敷に戻り、詰めの作業と参りましょう。
ああ、頬が勝手に吊り上がってしまう。
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どうも、ごきげんよう。……いやあ、慣れない言葉遣いは背中がむず痒くなっていけない。
私の名前はレクサント・ワーズ。つい先ごろに婚約破棄を申し渡された哀れな侯爵令嬢でございます。
自分で言っておいて何だけれど、哀れもクソもないんですよね。私、この状況を狙って準備をしてきたので。
もともと私、それほど容姿に優れているわけでもないんですよ。この国ではありふれた茶金の髪も少しくすんでいるし、碧眼も「碧?」というぐらいには薄暗い。
容姿で付け加えると最悪な事に、三つ上の兄と二つ下の妹が私の真逆をいく美しさなんですよ。それがかつて美姫と謳われた母にとてもよく似ているので、私のことは邸においては「なかったこと」にされてるんです。父はほぼ不干渉、母は嫌悪を隠しもしない。となるとその兄妹も普通に影響を受けますよね。私が何したってんだお前らに。
正直なところ、「お前らが産んだ種だろうがよ」という気持ちが大半で、私自身に非があるなんてことは全くこれっぽっちも思ってないです。「もっと美しければ振り向いてくれたかしら」という気持ちは最初からなかったですし。
あとは私の魔力がそれほど多くなかったのも、この状態に拍車をかけました。多くないとはいっても、魔術に優れたワーズ侯爵家に於いては、という冠詞が付きます。ぶっちゃけ魔術師としては悪く見積もっても中の上ぐらいはありますので、下級貴族程度であれば舐められる筋合いはありません。
そんな感じで幼少の頃からおざなりな教育程度で捨て置かれていたんですよ。さすがに最低限のマナーや座学の教師は付けられていましたが。
ただ、魔術に関してはほぼ独学でした。座学で字を学び、誰が読んでるかも分からない無駄に多い蔵書を読み漁る。おおよそ普通の子供が好む行為ではなかったと思います。
そして長く魔術に関する本を読み、自分なりに理論を立て、そしてついに魔術の初歩である点火魔術を発現させた時にふと閃いたのです。
あれは七歳ぐらいの冬だったか。「温風が出れば冬も快適に過ごせるのに」と。
思えばこれが天啓だったのやもしれません。その時に色々と……有体に言うと前世というものを思い出したのです。
魔術は存在しないものの、文明はこことは比べ物にならないほど遥かに進んだ世界です。清潔を保つことも、食事の手配の容易さも、知ろうと思ったことは誰でもすぐに調べられる環境も、いまでは何もかもが眩しく見えました。
かの世界はなにより、平民の女が一人で暮らしていけるほどの治安の良さが一番印象的でした。それに場所こそ選ぶものの、女一人での夜歩きが普通にできる世界などと、この世界で生まれ育ったわたくしには、にわかには信じられません。
前世を思い出して十年。危機管理の意識はすっかりこちらのものに染まっているので、私も前世基準の治安は忘れることにはしています。
とはいえ私…わたくしは腐っても侯爵令嬢です。成人もせぬうち、というか思春期にも入らぬうちに婚約者が決まることも致し方ないこと。まごうことなき政略結婚です本当にありがとうございます。
いやまあ、前世の私は縁なくおひとり様というやつでしたので、既定路線を歩まされるとはいえ、結婚に少しだけ夢を見ていた時期がこの辺りです。確か八歳の頃だったでしょうか。
お相手は同い年のヴィエール公爵家の嫡男である、フレデリク・ヴィエール様です。ヴィエール公爵家とワーズ侯爵家の繋ぎを取るためだけに組まれたと伺いました。
細かいことを言えばヴィエール公爵家からの申し出なのですが、ワーズ侯爵家としても渡りに船だったようです。
互いの飛び地の領地が隣り合っているから何かしらの利があるんだとは思いますが……女は政治に口出しをするな、という家風のある両家なので詳しいことは分かりません。聞くつもりもないですが。
そんな始まりだったとしても婚約者です。ほんの少しは期待するでしょう?でも最初の顔合わせの時に打ち砕かれました。
「お前が私の相手だと?とんだ貧乏くじを引かされたものだ」
私の顔が思ったほど美しくなかったからか、居丈高な態度が確定してしまったようです。兄の姿はご存知のようでしたから、そこで多少の期待をしてしまったのでしょう。迷惑なことですね。
まあ当時はお互いに八歳という年齢です。小さい子にありがちな癇癪かと、ほんのわずかに…小指の爪の先ぐらいの期待をして、それから七年ほど、歩み寄りの努力をいたしました。
……完全に裏目って無駄だったがな!!!
家ぐるみで付き合いをするとなると、そりゃ妹の姿も見ますわな!そんで妹とも会話しますわな!
私…わたくしよりも妹の方が男をよく立てますからね!そりゃ年月が経つほどに疎まれますわな!
そんな感じで十五歳になる頃にはすっかり義務だけの付き合いをされておりました。が、こちらもすでに現実に帰ってきたので、将来の身の振り方を模索することにいたしました。
やはり自分の人生は自分で切り拓くしかない。
私が今後の人生での武器にするのは魔術です。とはいえ、私が表向きにしている魔石作りの仕事ではありません。これは才のない魔術師に修練として科されるものなのですが、私はこの充填時間が周囲に比べやたらに速いので、修練の必要がなくなった後もずっとやらされておりました。ぶっちゃけコツの問題であって、私がどうとか言うよりは周囲が遅いだけなんですけど。そういえばあの魔石はどこに行ったんでしょうね。
私が武器とするのは別の魔術です。七歳の冬に色々を思い出してからずっと、私の特殊な魔術のことは家族の誰にも言ってません。思えば一縷の望みは残しつつも、心のどこかでは何もかもを諦めていたのかもしれませんね。それももう砕けたわけなんですが。
何が特殊かといえば、複数属性を同時に展開するという行為です。この世界では単一属性をどう工夫するかで魔術の腕が試されます。火であれば、点火魔術から獄炎魔術まで、範囲や威力、持続時間などを様々組み合わせるといったように。
ですが私のものは違います。あの頃思ったように、火と風を組み合わせて温風を生み出しました。部屋を暖める程度のものや、髪を乾かすドライヤーといったように温度や範囲の調整も簡単です。なにせ前世で使ってたものですからね、何となく感覚で再現ができます。
その他にも水と風を組み合わせてクーラーとしたり、水を風で攪拌すれば洗濯機の水流にもなります。
これを魔石という電池を使い、魔道具として一般に普及できるようになるとどうだろうか。生活水準は飛躍的に向上するはずだし、売り方さえ間違えなければ左団扇……は驕りすぎかもしれませんが、私の生活も安泰なものになるでしょう。
……生活に直結した魔術ばかりが出来ていくのは仕方がありません。普及を目的とすると威力は最低限にする必要がありますし。
単純に混合属性での魔術を考えると、ゲームのエフェクトを参考にしたものの方が考えるのは簡単です。しかし、火と風を使った炎嵐や、水と風での氷嵐なんてものを、一体どこで実験出来ましょう。
――それに、そんなものが使えると知られてしまえば固定砲台の未来が見えます。
私は別に殺戮兵器となりたいわけではないし、そんな命令を聞きたくもないです。
こうやって色々と試していくうち、私は考えました。
これから先の人生、この技術をヴィエール公爵家や、ワーズ侯爵家に提供して生きる道はあるか、と。
さすがに結婚してからこれら全てを隠し通せるつもりはありません。なので遅からず両家の知るところになるでしょうが、その技術を果たして私は喜んで提供できるでしょうか。
答えは否です。ええ、それはもう微塵の譲歩もなく。
こうまで家族や婚約者に蔑ろにされて尽くそうなどというドMな思考は持ち合わせておりません。
領民にまで累が及ぶのは申し訳ないという気持ちがあるかと言われると、不思議とそんな感情が全く沸かないのです。
直接の関わりこそほぼなかったので恨みつらみなんてものはないんですが、領地の噂を私が知らないとでも思ってるんですかね。私だけが凡庸で似ていないからって取り替え子だとかぬかされて好意なんてあるわけがない。
なので私はまた考えました。
どうやって家を出て、どうやって外で生活をするか。
家を出ること自体はたぶん簡単です。最悪の場合、合法的かどうかをさておけばいいわけですから。
問題はどうやって生活をしていくかです。貴族令嬢の教育を受けたとは言え、特別優れたところがない私の身は貴族として需要がありません。なので貴族令息などに見初められるという夢は抱かないようにいたします。
よくある小説ではヒーローがどこからかやってくるのでしょうが、生憎と私はヒロイン然とした佇まいではないので無理というもの。
魔術を披露すれば需要はあると思いますが、二家を通して愛国心というものはすっかり消えてますからね、この国を発展させようという気はないです。それに、将来的に婚約者や家族が私の魔術の恩恵に預かるというのも何か腹が立ちますし。
だったら国を出ましょう。安易ですが、こんなところに縛られるよりはずっといいはずです。
そうとなれば以前学んだ周辺国の情報をおさらいします。
友好国ならば一人旅でもどうにか国境は越えられるはずです。身分?普通に家を抜け出して別名で冒険者登録をすればいいのです。
あっちは魔術が盛んではない、こっちは少しキナ臭い、そちらは…と情報を纏めていき、結論を出しました。
やはり魔術に優れた東隣の国、レーヴァンに行くことにします。
そうとなれば基本的に放置されているいまの環境はとても好都合ですね。さっくりと光と闇を複合させた隠蔽魔術で姿を眩ますと、私は正面から邸を出ることに成功しました。
一応、侯爵家にセキュリティ的なものはあるんですけど、あれって姿を検知しないと使えないんですよね。その欠陥を父に伝えようとしなかったのかって?兄に言ったら鼻で笑われましたよ。「いくら凄腕の隠密だろうが、姿を消すことなど出来んだろう」ってな!
正論ですけど、万が一に備えるのが施政者ってやつでしょ。言い返したら絶対に面倒なことになるので「そうですか」だけで引き下がりました。
今となっては引き下がった過去の私に拍手を送りたいです。
そうして抜け出して向かったのは王都の冒険者ギルドです。わりと地味めなローブ姿で向かったのが良かったのか、すんなりと魔術師ノワールとして登録ができました。
……うん、私の顔って市井にいても貴族だなんて絶対に思わないぐらい馴染んでるもんね。これは好都合…泣いてなんてないです、ええ。
名前を「レクス」みたいな愛称にしなかったのはいつかの決別のためです。そもそもあの家族から受け取っているもの全てが不愉快なのに、最初に貰った名前に愛着なんてものがあるわけないので。
その「いつか」が来たら後くされなくすっぱりとレクサントという名を捨て去ろうと思います。
ノワールという名は前世で色んなゲームとかで使ってた名前なので、こちらの方がよっぽど愛着があります。事実、馴染みがないはずのこの名で呼ばれてすぐに反応できるほどですから。
そうしてレーヴァンに入り、そちらの冒険者ギルドにも顔を出して生活基盤を少しずつ三年かけて整えました。
三年の間に、私は外に出れたことで記憶の様々を再現して身につけました。
まずは私…わたくしの身代わりを作ること。
さすがに何日もいないとなれば問題となります。そこで土属性で形を作り、水と光を纏わせてわたくしの姿を取らせます。いわゆるゴーレムというやつですが、最初は本を読む体勢だったり、寝込んでいる姿だったりと…カカシの扱いしか出来ませんでした。
まあ、あの家の使用人にとってはわたくしは動かない方がありがたい存在なので、どうにかやりすごせていました。
その次は転移魔術です。冒険者として外の世界にいる魔術師いわく、すべての属性を極めたものに可能性がある、らしいです。お伽噺だ、と笑いながら仰いましたが、複合魔術が存在しない世界ゆえにお伽噺なのでは?と思ってしまったので、これも実験いたしました。
先のゴーレム作りで三つまでは複合することに成功しています。それも、さしたる負担もなく。
これは可能性あるのでは?と一気に六属性全てを展開させましたが、さすがに初回ではバランスの難しさから無理でした。
それでも展開出来そうな気配はありました。よく使う風の属性に引っ張られ、その類似属性が強く出てしまうことに気付けばあとは簡単です。それでも半月ほどの修練は必要でした。
最初は侯爵家の部屋の隅から隅へ。部屋から邸の外へ。部屋からギルドの裏手へ。部屋から王都の外へ。部屋から……
そしてこの転移の修練の際、残りの三属性をもゴーレムに組み込むことにも成功いたしました。何が変わったかといえば、私が私の意思でゴーレムのわたくしを操ることができるのです。
おいおいチートかよ、と私がこの辺りで思ったのも仕方ないことかと思います。
ゴーレムは魔力という電池が切れればそれまでなのですが、服の下に魔石を埋め込めば簡単に稼働時間が伸びます。ちなみにこれは魔石の質にもよるのですが、上級魔石ならば大体半月ほどはわりと余裕で持ちます。おいおいチートかよ私。
魔石への魔力充填は相変わらずさせられ続けていたので、そのついでに色々な質での実験をしました。その結果、上級でも問題はないですが、コスト面から言うと中級を扱って一週間程度で取り換え、ついでにメンテをすべきでしょう。
……ここまでくるとゴーレムというよりは、魔力によるオートマトンと呼ぶべきかもしれません。
それからは私が邸に戻り、ゴーレムのわたくしが外に出ることにしました。すでに生活基盤は整えたので、あとは家を出る機を伺うためです。その調査の一環で知らなくても良いお家事情とかも知ってしまったわけですが、今はいいとしましょう。
このまま出ていってもいいんですが、出ていく先が友好国なのでね、ないとは思いますけど万が一追手を差し向けられると引き渡されてしまいます。なにせあちらは権力を持った公爵家までもがいますし、母っぽいナニカは私の事を蛇蝎のごとく嫌っているので確実にいらんことをすると思います。
対処は可能でしょうが、労力と気力はガリガリ削られると思うので、できるだけ最終手段としたいところですね。
公爵家が連れ戻すわけないだろ?ところがどっこい、表向きには何の瑕疵もない婚約者を放って出奔されたとあれば貴族のメンツが許しません。おそらくありもしない罪が着せられていることでしょう。
そうならないためにも、何とかフレデリク様あたりから言質が欲しかったんですよ。出ていけとか、婚約破棄だとか、まあその辺の。要は公爵家と縁切りができればどうにかなるはずなんです。
ワーズ侯爵家?瑕疵つき娘が出奔したところで探しだす労力は割きもしないでしょう。厄介払いができたと、修道院に入ったとでも触れ回るつもりだと思いますよ。
まあ、フレデリク様には秒読み段階まで嫌われているはずなので、とっとと何らかのアクションを起こしてほしいわけなんですが、ちょっとした後押しは欲しいですよね……
と思ってたらチャンスが転がってたんですよ。リリア・オルレーヌ男爵令嬢とかいう女が!
いやあ、最初は妹とくっつければ万事解決だなって思ってたんですけど、学院に通っていると、年齢が違うと接点がどうにもね。
その点リリアは素晴らしく都合が良かったんです。
同じ年齢で、豊富な魔力を光属性に変えられ、天真爛漫を装い、見事に女に嫌われる女を地で行く存在です。これは使えます。
どうして装ってるか分かるって?私を見た彼女の表情を見れば分かります。凡庸な私の顔を鼻で笑いましたから。
しかし性格が悪いのはこちらとしても好都合です。罪悪感というものが消え失せてやりやすいですから。
私…わたくしが何をするわけでもなく、リリアは高位貴族に簡単に近づいていきました。あの方、見た目は私の妹にも劣らない程度には可愛いですからね。見た目だけは。
それにコロリと落ちてしまう男どもも、貴族とは言え所詮は男かと冷めた目で観察しておりました。貴族令息、それも嫡男ならばそういうモノにかからないような教育がされていると思っていたんですが、どいつもこいつもって感じでしたね。これだけチョロいと長い歴史の中で数々の家はとっくに乗っ取られた後なのではないかとすら思います。酷いと初代の血筋すら残ってないかもしれん。
ところで彼女、方々に粉をかけているようなのですが、その中でも一番爵位の高いフレデリク様にメインの狙いを定めたようでした。出来る娘ですねほんと。
リリアはフレデリク様と二人になれる時を狙い、私――わたくしに何を言われたとか、何をされたとか、ありもしないことを切々と訴えていました。ええ、風と闇を複合させた盗聴魔術で探っていましたとも。ほんとに性格の悪い、出来る娘ですね!
おかげで同じ時期ぐらいからフレデリク様の当たりがきつくなりましたけどね!お前ほんと表向きの婚約者を蔑ろにしすぎなんじゃないの?
突っかかってくるフレデリク様はいつものことなので、と自分に言い聞かせながら盗聴すること数ヶ月。ようやっと機会が巡ってきそうな会話を掴んだのです。
そう、それが学院の卒業祝いパーティです。わざわざ衆目を選んでわたくしを貶めようとするあたり、それを唆したリリアや、乗ったフレデリク様は性根が歪んでおりますね。
――こうして話は冒頭へと繋がるわけです。
いま思えばとても無駄な時間を過ごした学院ですが、今日で終わりとなると気も引き締まろうというものです。嘘です、スキップでもしたい気分です。
様々を万端に準備して参りましたので、フレデリク様がこうも思惑通りに宣言をしてくれたのでしょう。神は私に味方をしておられる。神なんか信じちゃいないけど。
あまりに事が思う通りに進みすぎてるせいか、心の中まで少し浮かれた声が漏れる。引き締めなければならないはずだが、しかしここまで来てしまえばこちらのものだ。
ずかずかと邸の廊下を大股で突き進む。使用人たちがぎょっとした目で見てくるが、彼らからの評判などももはやどうでもいい。家族に疎まれていると自覚した時から気にしたこともなかったけれど。
そしてたどり着いた執務室の前、一呼吸置いてから両手を扉にかける。開ける時は一気に開ける!
バァン!と派手な音を立てて開いた扉に、部屋の主は状況への理解が追い付いていないようで呆けた顔をこちらに向ける。
それが娘のしでかしたことだと理解すると少しは持ち直したようだが、戸惑っている様子は隠せていない。
我に返られる前に扉を閉め、再びずかずかと執務机の前まで進み仁王立ちすると、挨拶もなしに本題へ入ることにした。
「お聞きおよびの件の始末についてですが、除籍をお願いしたいんですよ」
令嬢言葉などもはや使っていられるか。血縁上の父に向かっては初めて使うから目を丸くしているが、そんなことは知ったことではない。
父であるランドルフ・ワーズに関しては、母ほどの忌避感はない。が、一方で親近感というのもまるでない。なぜならこの男、典型的な仕事人間で、家庭は妻に投げっぱなしというタイプであるからだ。
おそらくこの男史上とても珍しい顔をしているのだろうが、いつまでも呆けていてもらっては困る。
「聞こえてましたか?除籍してほしいんですよ私を」
「いや……おま、お前、急な訪問からの話題がそれか?せめて理由を言え」
「理由、理由ねえ?瑕疵がついたのをさいわ……苦に思ったのでこの国の世俗と縁を切ろうと思いまして」
「いま幸いと言っただろうお前!!」
はああああ、と深い溜息を吐きながら持っていた羽ペンを置く父であるもの。面倒だな、父と呼ぶのも癪なので侯爵でいいか。
椅子の背もたれに身体を預け、腕を組んで脱力しているようだが、何をそこまで悩んでいるのやら。
「そもそも迷う必要が?侯爵夫人に蛇蝎のごとく嫌われ捨て置かれている存在ですよ?それは侯爵も黙認してたんですから、役に立たなくなった駒に価値はないでしょうに」
「こうしゃ……いや、まあ、ツケというものなのだろうな……」
何だかこうして見ると随分と人間くさい人なのだなと今頃になって思う。十八年冷遇され続けたので、いまさら絆されるつもりもないけれど、不幸になれと願うほどではない人物かもしれない。
まあそもそも会話らしい会話の記憶がないので、人物評など作りようがなかったというのはある。
で、あるならば、彼にはちょっとした置き土産をしてもいいのかも。
「ちなみに、除籍後はどうするつもりだ?貴族娘が平民になったところで生活などままならんだろう」
「ご心配なく。国外に生活基盤ができております」
「は?国外に生活基盤?」
「いまだから申し上げておきますけど、ぶっちゃけこの家の警備ってザルですよ、ザル」
「ザル……その、準備というのはいつからだ?」
「三年前ですね。ワーズは嫡男どころか上から下までほぼ全員が無能な上、ヴィエールの坊ちゃんが不誠実なおかげですこぶる順調に準備は完了しました」
「…………」
いかん、浮かれすぎて暴言が止まらない。
ワーズ嫡男であるフィリウスを兄と呼ばうつもりは全くないし、元婚約者への情などもはや何もない。あっても軽蔑とかそういった類のものなので名前すらも呼びたくない。
それにワーズの使用人たちも主を間違えているようなので有能とは言えまい。彼らの主はあくまでもワーズ侯爵であって、公爵夫人ではない。たとえ夫人が嫌う存在であろうとも、私の肩書が公爵の娘である限り、彼女に忖度するようでは主仕え失格というものだろう。
侯爵が頭を抱えているようだが、今更だ。
もし引き留めるにしても、そのための材料はほぼない。家族の情などは真っ先に消えるし、恩知らず云々という話も今まで充填してきた魔石でチャラどころかお釣りの来る話だ。むしろ馬鹿みたいな量を充填させられてた上、上級魔石も紛れていたのだから、お高めの給金に加えてお高めのボーナスがあってしかるべきだと思う。そんなものを貰った記憶も待遇が良くなった記憶もないので、未練なく出ていくわけだが。
……最後にその辺だけは確かめておくか。
「ときに侯爵。ちょっと聞きたいんですけど、いまウチの魔石って誰が管理してるんです?」
「基本的には私だ。五年ほど前からは、一部をフィリウスに任せている。特別変わったこともなく安定を……」
「はぁ~~~~~~……」
あの男、無能だとは思っていたが、害悪系の無能だったか。
下を向いて眉間を揉み、わざと言葉尻に被せて大げさに溜息を吐いてみせる。色々と納得してしまって思いっきり脱力したともいう。
それに、目の前の男の評価を変えなければならない。この短時間で「置き土産をして行ってもよかろう」と思う程度に上げた評価だが、あの無能の成果の精査もしていないならば赤の他人程度でいいだろう。もちろん親切な土産は取りやめる。
「……何だ」
「いいえぇ?もう私には関係のない話ですしぃ?」
五年前、十三歳ごろから変わったことと言えば、あの無能からのノルマ設定である。
それまでは個数に制限などなかったのだ。上級だろうが下級だろうが。
まぁその頃は婚約者との関係構築を諦めきってはいなかったので、渋々ではあるが受け入れていた。やることもないので時間をかけてだらだらと下級魔石を量産し、飽きたら中級魔石で調整して終了といった感じに。
一応、術師の限界値を慮っていたのか、中級魔石で下級魔石の十個ぶん、といったレート変換も提示されていた。なので、早めに切り上げたい時は中級を多めに充填して自分の時間に宛てたりしていた。ノルマ最低限しか済ませてはやらなかったが。
それで素直にやってたのが二年だ。その辺りで色々と見限ったのだ。
そう決めてからの魔石は徐々にランクを上げていき、最終的には上級のみにしてやった。これはノルマ換算で二個で済み、その分他の作業に時間を回せるのがメリットの一つ。もう一つは、まあ嫌がらせの準備かな。これは高位術師なら知っている程度の技術なんだけど、まず使うものではないので、普段は忘れ去られている類のものだ。
いやそもそも上級魔石が充填できるということは家門にとって結構な売りになるはずなんだが、侯爵が知らないらしいということは、情報がそこで止まってるということ。止まってるってことは……。
どれだけ息子を信用してるかは知らんが、成人前後の子供に任せた仕事の精査もしないて。たぶん面倒なことになってると思うけど、私知ーらない。
「ま、除籍は早いところ済ませた方が賢明ですよ、何せ相手はヴィエール公爵サマですしね。まさか男爵娘風情が嫁入りするとも出来るとも思ってないんでしょう?」
「妙に腹の立つ言い方だが、まあそうだな」
「尤も、あの兄妹の思う通りには……まあ詮無い事ですね」
ふん、と興味ない風に視線を切る。いや実際興味はないし、たぶん彼らの思う通りには話は進まないはずだ。
ワーズ兄妹の思惑、兄の方はどうかは知らんが、妹の方は公爵家に目をつけているはずなので、さて男爵娘と妹はこれからどうなるのかが見ものである。
この国の常識で考えて男爵娘風情を公爵家に入れるのかという話は、高位貴族ならばおそらく一択レベルで結論は決まっている。勿論「入れない」という結論だ。
この世界、とりわけこの国での身分は、主に魔力の素質により決まり、多少の功績で上がるものではない。だいたい上級伯あたりを境に上下が分類されている。
高位貴族ほど高い魔力を持つというのも、昔から高位貴族同士で血を繋いでいった結果である。
男爵家も下位とはいえ貴族であるが、その血を娶って果たして高位貴族に相応しい魔力持ちは産まれるかどうか。それなりに力を持った貴族なので試すのも一興ではあるが、この国では長い間戦もないため重婚が認められていない。であるから賭けに負けた時の始末が面倒だ。なので男爵娘がよりによって公爵家に嫁入りなどとは普通にありえない。
愛妾でワンチャンあるかってところだけど、ヴィエールの坊っちゃんとその連れがそんな扱いで満足するわけがない。となると、この末は廃嫡か、あるいはあの女が消されるかだな。
すぐに物騒な発想が出てくるのもこの界隈の怖いところ。
醜聞となるなら公爵家と言えどその命は軽い。いや、高位であるほど軽くなるとも言えるか。
まあ多分、ひとまず収拾を図るだろうけど、ダメそうなら誰かしらが病にかかると思うよ。
つまりはそういう不思議なことが起こる世界なんだよ。
「引き留める理由も材料もない、か。仕方あるまい」
「すぐにでも出たいんですけど、あとはお任せしても?」
「そのぐらいはな」
侯爵は諦めの顔といった様子だが、引き留める材料という言葉は気になる。
まさか言葉だけでの除籍で、書類上は何かしらの駒に置いておくつもりか?
そんな表情が出ていたのだろう、侯爵はやれやれと背もたれに一旦身体を沈ませてからやおら立ち上がり、私の目の前まで歩いてきて立ち止まる。
じっと正面から顔を見られるのも実は初めてで、薄暗い碧の目をしているのもいま初めて知った。
「今さら信じられんのは解るがな、私は職務には忠実だし、多少の情も持ち合わせてはいる。……謝罪はせんが、健勝にせよ」
健勝に、ねえ。
謝罪がないのは別にかまわない。この世界では奥向きのことを女主人に全面的に託すというのは珍しいことではないからだ。むしろ気のない謝罪でもされた方が気色が悪い。
信じていいのかはわからないけど、今ここで私に嘘を吐く利もないのかな。
「……あちらに着いたら、手紙を……書きますよ。たぶん、最初で最後でしょうけど」
「その頃には平民だろう。どうやって届けるつもりだ?」
「ご心配なく。取り次いでもらわなくとも、この机に届けるだけなら方法はあります」
「……そういえばザルだとか言っておったな。全く、どこで身に着けてきたのやら」
ふー、とため息を吐いてはいるが、どこかその表情は穏やかだった。
その後の話をしようか。
あの後、無事にというか当然なんだけどレーヴァン王国の拠点に着いた私は、予定どおりに名前を捨て、仕事を始めた。
まあ仕事とはいっても冒険者稼業なわけだけど。
あとは私もね、腐っても魔術師なわけなんですよ。あの家では出来損ない扱いだったけど、世間的に見ればそこそこ腕の立つ感じの。
そりゃ貴族出だもの、魔力という名の地力は大きなアドバンテージとなる。
とはいえ使う魔術が変わってる上に、複合の都合上どうしても範囲型になってしまったから、今のところはソロで活動している。あまり推奨はされてないし、パーティ面子をそれとなく紹介されるんだけど、そこそこの実績を上げてるから文句は言わせないし受けるつもりもない。
あとは何といっても気楽なので、少なくとも数年はこのままでいいかなと思っている。
でも討伐はまあ副業かな。やっぱりメインは魔道具の製作での左団扇よ。……ごめんちょっと盛った。
だけど、印税所得みたいなもので平民よりはいい生活をしてる。もともとそれほど贅沢を好まないってのもあるから、雑な収支管理でもじわじわと……いや前世の感覚で言うと結構な速度で貯金が増えていってるって感じ。
正直なところ、それだけ金が懐に入ってくると仕事もやりがいが出てくるというものである。それだけ評価されてるってことだからね。
お金は承認欲求を手っ取り早く満たしてくれる素晴らしい基準であるとともに絶対の価値を持っている。人情派の創作物を好む層からすれば「金だけで繋がる関係など」と思うのだろうが、仕事で人と付き合うなら深く踏み込まず金銭で繋がる程度が丁度いい。
そんなことを考えながら書類仕事をしていると、コココッとノックの音がする。このせっかちな音をさせる人物は一人しか心当たりがない。人物像を思い浮かべた瞬間に扉が開き、赤毛の女性が入ってくる。
「ノワール、こないだの素材だけど加工が終わったから見てくれるかい」
「アンヌ、いつも言ってるけど返事ぐらい待ったらどうなの?」
「まあ……そいつは悪いとは思ってんだけどさ、早く見てもらいたくて。ほら言うだろ、時は金なりって」
「はいはい。そんで、何の加工が終わったの?鱗?それとも牙の方?」
「どっちもさ!あんたがこないだ言ってただろ、魔力加工の効率化を。それでさ――」
身振り手振りで私が過去言ったことを褒めそやし、それを応用した技術を誇らしげに報告してくるアンヌ。
彼女の報告を受けたら実際に加工された素材を見て、いけそうなら更に私が魔道具製作の材料にするし、それが成功したら量産を頼むことになる。だめでも彼女たちの技術は高いので、他の何かに転用できることが多くて無駄にはなりにくい。
そうしてできた魔道具をギルドとどのぐらい売るかの契約し、時には制限をかけたり――
……とまあ、色々と忙しく過ごしている。ありがたいことに。
復讐はしないのかって?ああ、半年ぐらい経ったし、そろそろ頃合いかもしれないね。
別に家族や元婚約者には情もないので殺してやりたいというほどの情熱もないけど、得になることは絶対にさせるつもりはない。
そんなわけで、三年半前から私が充填してきた魔石、それも上級のものを砕いておこうと思う。
『上級魔石の扱いは慎重になるべき』というのは高位術師にとっては常識なんだけど、その理由ってのが自壊命令を仕込めるからなんだよ。この魔石を扱うであろう貴族側は忘れてる人が多いんだけど。
いや仕込めるというと語弊があるな。上級魔石ともなると内包する魔力が強すぎるので、自壊命令みたいな強い術式を核として安定を図るのが一番安全なのだ。
まあ術師にとっての契約みたいなものでもある。
信頼関係が築かれ、ちゃんとした報酬のやりとりがあれば普通は発動させることはなく、魔石の魔力が尽きるまでお飾りとして存在するだけだ。
一方の貴族側も、そんな内情の契約は知らないこととはいえ、それほどの高位術師を簡単に袖にすることは勿体ないので、まず信頼関係は保とうとする。
だからこの自壊命令が発動することは本当に稀なことなのだ。
そう、普通は。
でも私は使用者との信頼関係なんて最初から全くないですし?
何ならそれを持って行ってたのがあの無能の嫡男ですし?
そろそろいいですよね。
書類仕事の休憩時、ふとそんなことを思いつきました。おあつらえ向きに周囲には誰もいません。
両手を胸の高さで合わせ、右手を少し下げます。
「そんなわけで、【自壊せよ】」
ぱぁん!と勢いよく拍手を打ちます。
同時に何となくですが何かが砕けたのが分かります。私が充填してきたあの魔石たちが壊れたのでしょう。ずっと細い糸で生存確認をしていたけど、それを伝って破砕したって感じかな。
もうこれで本当にあの国、あの家族との縁は切れました。
「いやあ、すっかり忘れてたなあ。でもまあ、これで本当の終わりってやつかな」
この半年が充実しすぎてて、うっかり魔石が壊す前に寿命を迎えるかもしれなかったのはご愛嬌。
元父であるワーズ侯爵があの手紙を読んでどう行動するかはわかんないけど、まあどう転んでも面白い結果が出ていることだろう。
――その後。
ワーズ侯爵家でお家騒動があったとか何とかで新聞がその話題で持ち切りになっていた。
隣国の侯爵家が長い時間をかけて乗っ取りされかけていたというものだ。もうそのタイトルだけで面白い。
やはり貴族も平民も他人の粗は面白いもので、あっという間に噂になった。
それが隣国に届くほどの醜聞である。さすがにデキすぎた醜聞なので、囃し立てている人々も真実であるのは記事の内容の何割かだろうと思っていた。実際のところは半分どころか八割ぐらいが真実なのだが流石に市井の人間がそれを知ることは無い。
私が家を出てすぐに「手紙を書きます」と侯爵に言ったが、これを有言実行したことが事の始まりだ。
鳥型ゴーレムで侯爵家まで行き、隠蔽魔術で入り込み、普通に書斎机に手紙をポイするだけの簡単なお仕事である。
この手紙の内容というのが、侯爵夫人の姦通だ。
家を出る前に色々と調べていた時、ちょっとした偶然で引っかかって探りを入れたら見つかった一件で、侯爵への親切な置き土産にする予定だったものだ。
侯爵の実の子は私レクサント一人であり、兄であったモノと妹であったモノは異父兄弟だったんだって。私としては公爵夫人と血が繋がっていたことに軽く絶望を覚えたものだけど。
姦通の相手っていうのがワーズの分家筋である子爵家当主なのが陰謀めいてるよね。
ワーズ当主はまああの中ではマトモな部類なので、その後もわりかしマトモに処理をしていた。
一昔前なら有耶無耶になったかもしれない親子関係の証明だが、いまは魔力で比較検査ができるんですよ。
つまりどうなったかって、侯爵夫人は醜聞付きで離縁されて実家に帰されたようで。
嫡男フィリウスと元妹クラリッサもついでにそっちに追い出したそうな。侯爵家の血が流れていないのだから仕方がないね。
とはいえ、これまでの功績でもあればフィリウスぐらいは継承権を剥奪して籍は残されたかもしれない。
だがそうはならず、ここまで素早い対応となったのは、フィリウスが行っていた魔石売買がひとつ。
これは当主ワーズ侯爵家当主の与り知らぬ……要を言うと無断での小遣い稼ぎである。私の充填した魔石が砕けたことでクレームが侯爵家に入り、そこで発覚したのだ。
もうひとつがクラリッサの素行によるものだ。婚約破棄騒動からすぐにあの女は行動を開始した。つまり男爵娘の排除だ。
そもそもが我儘娘の浅知恵からの行動なので、元婚約者に発覚するのはずいぶんと早かった。そして元婚約者は知っての通りすぐに騒ぎ立てるので、醜聞となって噂が駆けるのが速かった。
功績もなくむしろ背信行為をした嫡男と、一瞬で醜聞を作り出した末娘。血の繋がらない不良債権を置いておく利などなかったわけだ。
そうなると後継問題になってくるけど、侯爵にも弟がいるし甥もいるし何とかなるんじゃないかな。あの家がどうなろうと知らないからどうでもいいけど。
私?土下座されたってお断りだね。今の気楽な生活を手放してまで、針の筵だった世界になんて戻りたくもない。
あと元婚約者についても面白い話になっていた。
魔石の価格調査のためにゴーレム(という名の自動人形)をミステイン王国に送り出した時に色々聞こえてきた。
なんでも私を見下していたあのリリア・オルレーヌ男爵令嬢、公爵家当主から相当に嫌われているらしく、未だ婚約にすら至ってないらしい。
それはそうだ、醜聞の元凶となった女、それも家に迎えるメリットの全くない男爵家の娘だ。
だが私が国を出てすぐぐらいに、そのリリアの妊娠が発覚したらしい。
あれれ~?貴族の婚姻って女には純潔が求められる反吐みたいな価値観があるのに、婚約もしてない男爵娘が妊娠でござるかぁ~?
というウザい煽りが頭に浮かんだが直接言いに行く気はない。面倒なので。
順当に考えれば結婚を許されない二人の強硬策にも見えるが、しかし婚約破棄を突きつけてきた時の取り巻き男衆の存在も無視できない。
そりゃ今や私も娯楽を求める市井の女なので、そういう下種の勘繰りも普通にするし、他人事なので見聞きして笑ったりもするよね。
話題を一通り追って笑って飽きたので、もうあの国との関わりは一切断つことを決め込んだ。
なおお腹の子供は両親の色を持ってはいなかったらしいことだけは最後に確認した。
「さて、仕事するか」
読み応えのある本を閉じたような区切り感がそこにはあった。
人生の大半を理不尽に埋めてくれた人たちは生涯許すつもりはないが、私がここから手を出すとオーバーキルになってしまうのでここらが手打ちであろう。
それよりもこれからの人生を謳歌する予定を立てる方がよほど健康的だ。
前世喪女としての経験は『おひとりさまもそう悪いものではない』と言っているので、結婚もまあそれほど焦らなくてもいいだろう。というか前世ひっくるめてもう何十年とマトモに交際もしたことがないので、もはや人付き合い自体が分からないのだ。
――まあなるようになるだろう。いい人がいたらその時考えよう。
そう楽観的に締めくくってその考えを頭から追い出したのだが、まさか向こう十年状況が全く変わらなかったとは、この時の私は思いもしなかったのである。
めも
ミステイン王国
ワーズ侯爵家
父 ランドルフ
母 レオノーラ
兄 フィリウス 21歳
主人公 レクサント/ノワール 18歳
妹 クラリッサ 16歳
フレデリク・ヴィエール 公爵 嫡男 18歳
リリア・オルレーヌ 男爵 養女 18歳
家出先→レーヴァン王国