監視Ⅲ
「――失礼。今の異変の関係者とお見受けする」
剣士に声をかけられた俺は、警戒レベルを最大まで引き上げた。……彼は強い。あっさり錬成陣の中へ踏み込んできたのも、自分なら対応できるという自信の表れだろう。
俺が圧倒的な優位を誇る錬成陣を駆使してさえ、この男と戦えば勝率は五分五分だと思われた。
そんな分析を終えた俺は、商売用の笑顔を顔に貼りつける。
「おっしゃる通りです。この男に襲われて、ついにはあのような炎鬼まで召喚され……ほとほと困り果てていたところです」
この男を味方につけようと、俺は早々に口を開く。剣士だと思っていたが、よく見れば彼の服装は陰陽師のそれだ。そして、そのデザインには見覚えもあった。
「けっ、陰陽寮か」
それは佐原も同じだったようで、苦虫を嚙み潰したような顔で彼を睨みつけていた。
「ふむ……まずお伺いしたいのだが、ソレはどういう状況だろうか」
新たに現れた陰陽師の視線は、岩に置換された佐原の足に向けられていた。
「彼の足の構成物質を、岩石に置き換えました」
隠していても仕方がないことであり、俺は正直に答える。
「……ほう」
すると、男の目がスッと細められた。ひょっとして、怪しげな人体実験を行ったとでも思われたのだろうか。
「旦那、助けてくれ! 山を散策していたら、こいつが攻撃を仕掛けてきたんだ」
この流れに乗じるつもりなのか、佐原が男の足に縋りつこうとする。それを軽やかな足さばきで避けると、彼は俺を検分する。
「私は賀茂成明。陰陽寮に所属する陰陽師だ。――貴公の名前を訊いても?」
「日野京弥。錬金術師だ」
俺はややぶっきらぼうに言葉を返す。意識したわけではないが、相手が陰陽寮ということで、態度が固くなってしまったらしい。
「……」
そこに気を悪くしたわけではないだろうが、賀茂成明と名乗った青年は、驚いたように俺を見つめていた。その顔は意外と年若いものであり、俺と同年代のように思われた。
「なるほど……それならば、あの不可思議な消火方法も頷ける」
得心がいったとばかりに頷いて、彼はわずかに微笑んだ。
「あれは見事な術だった。天候に作用する術は使いたくなかったが、雨を降らせることもやむなしと覚悟していたところだ」
おかげで助かったと告げて、彼は佐原のほうへちらりと視線を向けた。
「こちらは陰陽師のようだからな。あのような形での鎮火はできまい」
どうやら、俺への疑いは晴れた様子だった。俺への視線が柔らかくなるのとは対照的に、佐原への視線が険しいものになる。
「あまり人気がない場所とは言え、あれだけ強力で目立つ式神を使役したのだ。陰陽寮の支部まで同行願おう」
彼はそう告げて……そして、少し困った様子で俺を振り返った。
「この足を元に戻すことは可能か? もし不可能であるなら、貴公にも同行を願うことになるが……」
その言葉の意味は分かった。もしあの石化が解けない場合、俺は傷害事件の犯人として扱われるのだろう。こっちは正当防衛だと言いたいところだが……誘き寄せたのは俺だしな。
「可能だが、その前にやることがある。少し時間が欲しい」
「ほう?」
興味深そうに声を上げる賀茂を無視すると、俺は佐原の前にしゃがみ込んだ。
「知っていることを教えてもらう」
小瓶の蓋を開けると、立ち昇る煙を嗅がせる。俺が作成した自白剤だ。
「日野殿、何を――」
後ろから賀茂が問いかけてくるが、俺は無視して口を開く。
「なぜ霞を狙った? それに、どうして彼女は記憶を封印された。知っていることを答えろ」
「っ?」
問いかけの内容に驚いたのか、後ろで賀茂が息を呑んだ。だが、俺は佐原だけを睨み続ける。
「そ……れは……」
自白剤を嗅がされた佐原は、たどたどしい口調ながらも口を開いた。
「依頼……あの女を、錬金術師から引き離せと……」
「俺から?」
予想外の言葉に聞き返す。てっきり霞の記憶の封印に関わっているものだと思っていたが……。
「詳しくは聞いていない……とりあえず錬金術師は半殺し……女は高値でどこかに売りつけようと思っていた……」
「ほう」
後ろから、冷え切った声が聞こえてくる。陰陽寮の人間としても今の発言は聞き逃せなかったのだろう。
「霞の記憶の封印について、知っていることを話せ」
「知らない……記憶の封印は初めて聞いた……」
「なんだって?」
俺は眉を顰めた。いくらなんでも、何も知らないなどということがあるだろうか。それなら、霞の記憶を封印したのはどこの勢力なのか。
「なんでもいい、思い出せ」
俺は再び自白剤の小瓶を取り出すと、彼の鼻に近付けようとする。
「――そこまでにしてもらいたい」
だが、俺の腕を掴んで制止した人物がいた。賀茂だ。
「貴公は被害者であり、山火事を未然に防いだ功労者でもある。訳ありのようでもあったから多少は目をつぶっていたが……それ以上は見逃せん」
どうやら危険な薬物を使っていると思われたらしい。そして、その言葉は正しい。どう弁解したものかと、俺は頭を悩ませる。
「女性一人の命がかかっている。この男の背後を突き留めない限り、彼女は外出することさえできない」
そう伝えると、彼は真剣な表情でこちらを見つめた。
「その話について、もう少し詳しく伺いたい」
この件に関して俺にやましいところはない。興味を示した彼に、俺はかいつまんで事情を説明した。
「そう言えば、賀茂さんは陰陽寮の人間だったな。霞という名前の女性に心当たりはないか? 長い黒髪が特徴的な美人だ」
そう説明すると、彼はしばらく沈黙した後で小さく首を横に振った。
「悪いが、霞という名の職員は知らない」
「そうか……」
俺は肩を落とす。もちろん、彼がすべての職員の名前を把握しているとは思っていないが、霞のような人物が職場にいれば、それなりに目立つはずだと期待もしていたのだ。
そんな俺の様子を見ていた賀茂は、無言で一歩踏み出した。
「日野殿。事情は承知した。この男は私が預かろう」
「……陰陽寮を信用しろと?」
つい声が固くなる。それは俺の芯まで根付いた不信感からくるものだ。
「貴公が、その女性の身を真剣に案じていることは分かった。こちら絡みの案件である以上、真摯に対応することを約束しよう」
そして、彼は佐原を鋭い目つきで睨みつける。
「それに、この男の口ぶりでは、これまでにも色々と罪を犯していそうだからな。どのみち尋問は必要だろう」
「……」
そう告げる賀茂から嘘は感じられなかった。やがて、彼は真面目な表情で俺に向き直る。
「陰陽寮を信じられないなら、せめて私を信用してもらえないだろうか。この男の背後関係については、私が責任を持って洗い出そう」
その言葉に少し考え込む。陰陽寮と表立って争うことは得策ではないし、佐原からこれ以上の情報を得られる可能性も低いだろう。そう判断して、俺は首を縦に振る。
「……分かった。信用しないわけじゃないが、賀茂さんの名刺をもらってもいいか?」
「無論だ」
気を悪くした様子もなく、彼は懐から名刺を取り出す。
「先ほども名乗ったが、私は賀茂成明。陰陽寮に所属する陰陽師だ。よければ、貴公の連絡先を教えてもらいたい」
そう言って差し出された名刺には、『陰陽寮退魔局 陰陽博士 賀茂成明』と書かれていた。陰陽博士は高位の官職のはずだが、彼の実力であれば不思議ではない。
「錬金術工房トワイライトの工房主。日野京弥だ」
そして、錬金術師としての名刺を渡す。不思議な縁で名刺を交換した俺たちは、同時に佐原に目を向けた。
「そう言えば、足を元に戻すんだったか」
俺は錬成術を用いて、彼の足を人間のそれに戻した。突如として元の足を取り戻した佐原だが、賀茂の実力を目の当たりにしたせいか、逃げ出そうとする素振りはなかった。
「鮮やかなものだ。噂には聞いていたが、こういった術は錬金術師に一日の長があるのかもしれんな」
彼は感じ入った様子で語ると、ふてくされた様子で地面に転がっている佐原に近付く。
「それでは、この男の身柄は私が預かる。二度と貴公やその女性に近付けぬよう、こちらで対処しておく」
「分かった。くどいようだが、背後関係が分かったら――」
「無論だ。必ず貴公に伝えよう」
そう言い残して、彼は佐原を引き連れて下山していく。しばらくその様子を見ていたが、やはり佐原に反抗する様子はないようだった。そのことを確信すると、俺は乗ってきた車に視線を移した。
「……俺も帰るか」
後半は予想外の展開だったが、総合的に見れば悪くない結果だろう。錬成陣の準備に使った触媒はともかく、それ以外の損害はない。
それなりの情報は得たし、後は賀茂成明と名乗った陰陽師次第だが……なんとなく、彼は信用してもいい気がした。
「記憶の封印についても、手掛かりがあればいいが……」
そんなことを考えながら、俺は車に乗り込んだ。
◆◆◆
「あー……やっぱりこうなったか」
霞をつけ狙っていた野良陰陽師、佐原亮吾と戦った日の翌朝。目が覚めた俺は、強烈な倦怠感に苛まれていた。
原因は分かっている。佐原に対して必勝を期すために、複数の魔法陣や触媒、果ては錬成薬まで服用して、過度の魔力増幅を行っていたからだ。
「最後の錬成薬は予定外だったからな……」
思わずぼやく。魔力を奪われた佐原が、あんな大物を召喚するのは計算外だった。まだまだ見込みが甘いということだろう。
そんな反省会を一人で行っていた俺だったが、いつまで経っても倦怠感が収まる様子はなかった。それどころか、身体感覚が意識と乖離している気さえする。
「今日は臨時休業だな」
とてもじゃないが、接客や錬成ができる状態ではない。よっぽど切羽詰まっているお客には個別対応するが、店を休みにしても罰は当たらないだろう。
だが……臨時休業するにしても、試練は残っていた。臨時休業の張り紙を店舗に貼る。ただそれだけの行動が、今は途方もない苦行に思えた。
そんな時だった。控えめなノックの音が部屋に響く。
「日野さん、おはようございます。大丈夫ですか?」
ドア越しの問いかけで、ふと思い出す。昨日は疲れ切っていたし、情報を自分の中で整理したかったこともあって、ろくに彼女に説明をしていなかったのだ。
わざわざ様子を見に来たということは、よっぽど疲労困憊しているように見えたのだろう。
「大丈夫だ。怪我一つしていない」
ベッドから出る余力すらない俺は、横たわったまま声を振り絞った。思うように声が出なかったが、伝わってはいるだろう。
「それと……一つ頼みがある。店の入口に『臨時休業』の張り紙をしてもらえないか」
「え――? それって、大丈夫じゃないですよね?」
さすがにおかしいと思ったのだろう。ドアの向こうから霞の困惑が伝わってくる。しばらく沈黙していた彼女は、不安そうな声色で再び口を開いた。
「……あの、ドアを開けてもいいですか?」
「いや、それは……」
さすがに口籠もる。心配してくれているのは分かるが、寝間着のままベッドに横たわっている状態で、人に会いたくはない。
「私のせいで、お店に出られないほど調子を崩してるんですよね? 私が手伝えることなら、なんでもしますから……お願いします」
ドア越しに思い詰めた声が聞こえてくる。その様子からすると、自責の念に駆られているのかもしれない。
「……分かった」
やがて、俺は入室許可を出す。それなりに部屋は片付けているし、見苦しいことはないだろう。そして、俺は上半身を起こそうとして――。
「あっ、無理しちゃ駄目です……!」
扉を開けた霞が駆け寄ってくる。なんとか身を起こそうとした俺だが、身体をねじったところで動きが止まってしまったのだ。
「手伝います」
俺の背中を支えるように、すっと霞の手が差し込まれる。彼女の腕が密着している感覚に戸惑うが、今はそんなことを考えている場合ではない。
霞の力を借りて、俺はなんとか上半身を起こすことに成功した。
「すまないな。情けないところを見せた」
苦笑交じりに告げると、彼女はぶんぶんと首を横に振った。
「情けないなんて、絶対に思いません」
霞は真剣な顔で断じると、ほっそりとした手を俺の額に当てる。熱がないか確認したようだった。
「大丈夫だ。魔力の過剰供給による反動で、身体が思うように動かないだけだから」
そして、後遺症も何もないこと、時間が経てば自然と回復することを説明する。話を聞き終えた彼女は、ほっとしたように息を吐いた。
「よかったです。昨日は、日野さんに何かあったらどうしようって……ずっと心配でした」
「心配をかけてすまなかったな」
ベッドの端に腰かけるよう彼女に勧めると、俺は昨日の顛末を一通り説明する。
「日野さんから私を引き離す……? それが依頼内容だったなんて」
昨日の説明を聞き終えた霞は、不思議そうに小首を傾げた。やはりそこが引っ掛かったらしい。
「依頼主の目的が読めないが……ひょっとすると、君の記憶封印とは関係ないのかもしれない。だとしたら、君には悪いことをした」
考えたこともなかったが、今回の一件は俺が原因で、霞は巻き込まれただけという可能性もあり得るのだ。そんな推論を口にすると、彼女は首を横に振った。
「実際の理由が何だったとしても、危険な目に遭ってまで、私を助けてくれたことは事実です。本当にありがとうございました」
そう告げて、彼女はベッドの上で丁寧に頭を下げる。心からそう思っていることが伝わってくるが、面映ゆくなった俺は話題を切り上げることにした。
「まあ、現状では推測しかできないからな。あの陰陽師が約束を守ってくれるなら、何かしら新事実が判明するだろう」
「陰陽寮の方ですよね。どこまで信用できるのでしょう」
霞は興味深そうに口を開いた。やはり気になっていたのだろう。だが、俺は別の視点で笑い声を上げる。
「陰陽寮で働いていた霞が言うと、なんだか変な感じだな」
「あ……そうでした」
そんなやり取りをしていると、ふと俺の身体から力が抜けた。昨日得た情報を彼女に伝えなければという、その一心で自分を律していたが、もはや限界のようだった。
「あ――」
とっさに立ち上がった霞が、再び背中に腕を回して補助してくれる。背中に残った感触がどうにも気恥ずかしいが、その感情をねじ伏せて無表情を作る。
「それじゃ、張り紙は頼む。紙は店のカウンター裏にあるものを使ってくれ」
そう指示すると、彼女は真面目な顔で頷いた。
「分かりました。張り紙をしてから、また戻ってきますね」
「え?」
思いがけない返事に戸惑っていると、彼女はふわりと優しく微笑んだ。
「せめて、ご飯くらい差し入れさせてください。その様子だと、ご飯を作るどころか食べるのも一苦労ですよね?」
「……助かる」
霞の提案を素直に受け入れる。正直に言えば、今日は食事抜きを覚悟していたのだ。まして、また彼女の料理を食べられるのであれば、それは願ってもない話だった。
「こんな時くらい頼ってくださいね。このままじゃ、受けたご恩を返しきれなくなっちゃいます」
冗談めかして告げると、彼女は静かに立ち上がった。
「それじゃ、張り紙をしてきます。あと、朝ごはんの用意も」
「ありがとう。助かる」
答えて視線だけで霞を見送ると、俺は再び眠りに落ちるのだった。